ビジュアル要素
ライトノベルの特徴はビジュアル性にある。
表紙がイラストで、中身もマンガ的と言われるライトノベルは、つまりそうあること自体が売りであるのだろう。
マンガ的だと批判されることもあるが、マンガ的な部分こそが本質であり、それを失ってしまうことはライトノベルの一番オイシイ部分を排除することになる。
逆に言えば、ライトノベルとしての質を高めるためには、ビジュアル要素を磨くことが大事というわけで。
しかしそもそもビジュアル要素とは何なのか。
視界的な要素、つまり普段読者が視界から得ている情報を、小説の中にいかに織り込むかということ。
そして視界から得る情報は、同じものを見ても、それぞれの感性によって違ってくる。
ビジュアル要素は、一定ではないのだ。
時計台の前で待ち合わせをして、相手がなかなか来ない。そんな時、時計台を見上げて何を見るか。
時計台の時間かもしれないし、時計台の上に見える太陽の位置かもしれない。
時計台を見上げる途中で、周囲で同じく誰かを待っていた人たちが相手が来てどんどん去っていくのを見るのかもしれない。
なにを見るのかというのは、視界に何があるかではなく、視界の中の何を意識するかということとイコールなのだ。
視界に入るものを意識する力は、そのまま描写力に繋がる。
また、目に見えない形の視界情報も存在する。
それは記憶との繋がりだ。
待ち合わせ相手が遅れてゴメンやってきて、その服装が普段よりずっとオシャレな服装だったとする。そのオシャレさを解説するには、見える形の情報だけでは足りない。
シャツを形容するには、首回りの形がクルーネックだったりハイネックだったり。TシャツだったりブラウスだったりYシャツだったり。表現するのには、服飾に関するある程度の知識が必要になる。
あまり一般的でない用語を使う際には、知らない人にも分かるような形での描写を心がける必要もある。
視界情報なら見たままなのだから楽かといったらそうではない。
見たままを描くのにも、必要な知識は山のようにある。
理解されるように描くための工夫も必要だ。
いろいろ考えてみると、ビジュアル要素はライトノベルに関わらず、小説全般で必要とされることのように思える。
そうなるとライトノベル特有のビジュアル要素とは何になるのか。
マンガ的ビジュアル要素というと、現実にはありえない、目の色や髪型などだろうか。
設定のテンプレ化か、人間性のキャラクター化か。
あとは、登場人物の外見ありきで設定された、ビジュアル重視への偏りか。
いずれにしろ、描写力を上げて、ビジュアル性を長所にできれば、作品の質は上がるはずだ。
テンプレの利用も、意識を高めて、上手く織りこむことができれば、短所ではなく長所にできるはず。
ビジュアル性向上には、視覚情報を意識する訓練が大事。