表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/14

書くことと読むことの関係

 まず、書くことは、読ませることを前提としている。

 読むことを前提としない書きものは、基本的には存在しないと言っていいだろう。

 上手く書けずに捨てられた文章ですら、少なくとも「自分」は読んでいる。

 書いているものの良さは、読まれるときにこそ発揮されるものなのだ。


 書くという作業は、イメージから始まる。

 イメージというのは未来予期と言っていいだろう。実際に起こりうるはずのない事も、頭の中ではイメージされるが、それもまた未来予期の一種といえる。


 明日は晴れるだろうか、きっと晴れるだろう。

 明日の天気が晴れるという推測、これが未来予期。


 これに「明日」という確定情報を入れずに、どこかの世界、どこかの国、どこかの街での晴れた1日とする。

 晴れた1日に、どこかの街の誰かが何かをする。

 仮定に満ち溢れた未来予期。これが想像。


 読むという作業は、文章からイメージすることから始まる。


 イメージする→書く→「文章」←読む←イメージする

 読み手と書き手、双方からの文章へのアプローチが、書くこと読むことの関係にあたる。


 自分の想像を、何の障害もなく共有することはできない。

 言葉を介すること、動作を介すること、音を介すること。

 何かしらの補助を借りなければ、人は人に何かを伝えることはできない。


 文章は人に伝えるためのツールの一つだ。

 話すことと聞くこと。その作業から、音や動作を抜いて代わりに言葉の要素を強めたものが、文章になる。

 普段、人と会話でコミュニケーションを取っている人間は、文章からも音や動作を読み取ることを望む。

 そのため文章には音の要素、動作の要素、視界的な要素など、本来であれば受け取れるはずの必要情報を、言葉として文章として組み込むべきだと言える。


 ただし、どの程度の情報が欲しいかは、読者層によって異なる。

 多くを求める人もいれば、少ない方が好きな人もいる。


 小説として評価が高くなるのは、情報が多いタイプだ。

 だが文章として読み取れる情報量が少ない人は、なるべく限られた情報で伝えてほしいと望むこともある。


 イラストから想像すれば、どちらにもいい部分があるというのは想像できると思う。

 シンプルに特徴をとらえた平坦な絵にも、複雑に描きこまれた緻密な絵も、どちらもどちらで良さがある。

 ただ到底真似できる気がしないという点で、緻密な絵の方が、一般的には評価されやすいだろう。

 しかし模倣が容易なくらい、特徴だけをしっかりと捉えられる感性というのは、それはそれで素晴らしいと言えるはずだ。


 イラストをイメージして考えると、情報量の少ない小説でも、多い小説でも、どちらでも高みを目指すことはできるように思う。


 会話であれば、相手を見ずに自分の言いたいことだけを話すことは推奨されない。

 では小説であればどうなのか。やはり相手を見ることは必要なのだ。

 読者を想定せずに、小説を書くことは推奨できない。


 想定される読者が自分であれば、自分の好むものを書くことを考えるべきである。

 想定される読者が自分以外であれば、どんな人に読ませたいかをしっかり考え、読者をしっかりと見た上で話を考えるべきである。


 読むことと書くこと。

 二つは決して切り離せない関係にあるのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ