第6話:伴奏という盾(小さな幸福③:声)
演奏会の当日、私は白いドレスを着た。
飾りは少ない。
余計なものは、心拍を上げる。
舞台袖で、私は手を握りしめた。
指先が冷たい。
「リラ」
セヴが来る。
いつもの黒い外套ではなく、演奏用の正装。
彼は私の前に、温い飲み物を差し出した。
「飲め」
「……はい」
温い。
喉がほどける。
「怖いか」
「怖いです」
「怖がっていい」
セヴは短く言う。
「君は一人じゃない」
舞台に出ると、観客席は暗い。
宮廷の人間が多い。
ヴァイスの気配が前方にある。
ピアノの前に座るセヴは、私を見ない。
でも、私が立つ位置に合わせて、椅子の角度を微調整した。
視界の端に、彼の手が見える。
それだけで息ができる。
曲が始まる。
私の声が、会場に広がる。
最初の一音は、怖かった。
でも二音目で気づく。
背後の伴奏が、私の心拍を“落ち着く方へ”導いている。
セヴは、私が息を吸う前に音を薄くし、吐くときに厚くする。
まるで私の呼吸を、譜面より先に読んでいる。
(……この人、怖がらせないために伴奏してる)
歌い終盤。
最後のフレーズが近づく。
私の心臓が強く鳴る。
“最後の一音”。
呪いが、そこにいる。
私は息を止めそうになった。
その瞬間、セヴの伴奏が、ほんの少しだけ“間”を作った。
最後の一音の前に、静けさが挟まる。
その静けさは、終わりではなかった。
始まりのための空白だった。
私は、そこで小さく笑った。
怖くない笑い。
そして歌った。
最後の一音を、“死の合図”ではなく、“回復の合図”として。
音が会場に落ちる。
――私は、死ななかった。
観客席がざわめく。
ヴァイスが立ち上がる。
「……興味深い」
彼は拍手をしない。
ただ評価する。
セヴは鍵盤から手を離し、立ち上がった。
私の方を見ないまま、言う。
「証明は終わりだ」
その夜。
私は音楽室に戻り、椅子に座り込んだ。
手が震えている。
「……生きてる」
声に出すと、涙が出そうになった。
でも涙より先に、喉がきゅっと締まる。
「リラ」
セヴが近づく。
初めて、距離が近い。
「触れる必要があるときは、先に言う」
彼はルールを守って言った。
「……君の脈を確認する。いいか」
私は頷いた。
彼の指が、私の手首に触れる。
温い。
その温さが、胸の奥に落ちる。
心臓が少し跳ねた。
怖い。
でも、セヴはすぐに離した。
必要以上に触れない。
「正常だ」
その言葉が、救いだった。
――翌日。
私は声が出なくなった。
呪いの反動。
“歌えた代償”が、静かに来た。
(第6話・了)
次話予告:喪失。声が消える。でも、道は同時に提示される。




