第4話:正論の刃(正論悪役の登場)
ヴァイスは、完璧な礼儀で入ってきた。
白い手袋、整えられた髪、柔らかい笑み。
その笑みが、温度を持たないのが怖かった。
「初めまして、リラ嬢。宮廷音楽監督ヴァイスです」
「……初めまして」
「噂は聞いています。あなたの声は希少だ。――だからこそ、危険でもある」
最初から結論を置く。
怒鳴らない。脅さない。
ただ“当然”のように言う。
「呪いは宮廷にとって重大なリスクです。観客の前で発動すれば混乱が起きる。あなた一人の問題ではない」
「……私は、歌をやめません」
「ええ、分かっています。だから提案します」
ヴァイスは優雅に手を動かす。
「宮廷付属の施設で保護しましょう。医師も魔術師も揃っている。あなたの生活は保障される」
隔離、という言葉を使わない。
“保護”と言う。
正論の形をした檻だ。
私は息を吸った。
セヴの言葉を思い出す。正直に言え。
「私は――この条件で生きます。歌うなら、終わり方を選びます」
ヴァイスの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「終わり方? あなたは“死”を選ぶ権利を主張するのですか」
「違います」
私は首を振った。
「私は、生きるために歌います」
「理想です。しかし現実は違う」
ヴァイスは、淡々と紙を取り出した。
「宮廷の規定です。危険因子の管理。署名すればあなたは守られる」
私の指先が冷たくなる。
そのとき、セヴが前へ出た。
いつもより一歩だけ。
「規定の解釈が違う」
セヴの声は低く、短い。
「危険因子は“管理者”が責任を持てば隔離を免れる。――私が管理者になる」
ヴァイスは初めて、感情らしいものを見せた。
驚き。次に、慎重な評価。
「公爵家の楽長が? あなたは宮廷の人間ではない」
「宮廷と公爵家の契約はある」
セヴは淡々と言う。
「手続きを踏む。君は今日、彼女に触れない。君の署名書類は無効だ」
ヴァイスは笑みを戻した。
「あなたは、彼女に恋でもしたのですか」
その言葉が、私の胸を凍らせた。
呪いのスイッチみたいに。
セヴは一瞬も揺れなかった。
「合理的な判断だ」
「……合理的?」
「彼女の声は希少だ。失うのは損失。彼女は泣かない。折れるとき静かに折れる。――見過ごせない」
第1話と同じ言葉。
でも今は、ヴァイスへの宣言だった。
ヴァイスは、数秒だけ沈黙した。
その沈黙が、何かを計算しているのが分かった。
「では、期限を」
ヴァイスは言った。
「一ヶ月。あなたが管理者として、呪いの安全性を証明できなければ、施設へ移送します。――それが、宮廷の譲歩です」
正論の形をした猶予。
私は唇を噛んだ。
セヴは頷いた。
「受ける」
ヴァイスが去ったあと、音楽室に戻ると、私は椅子に沈み込んだ。
心臓が速い。
怖い。
もし“恋”だと誤解されれば、呪いが近づく。
「リラ」
セヴが私の前に、温い紅茶を置いた。
灯りが二つ。
ルール通り。
「……私は、怖いです」
「怖がっていい」
セヴは短く言って、譜面を一枚置いた。
白紙の譜面。
「君の“終止符”を、君が望む形で書け。――まずは曲からだ」
私は指先で、譜面の白をなぞった。
泣きそうになったけれど、泣かなかった。
代わりに、鉛筆を取った。
――一ヶ月。
私たちは“呪いの安全性”を証明するための曲を作り始める。
(第4話・了)
次話予告:二人の共同作曲。近づくほど危ないのに、近づくほど安心する。
第5話:灯りの下の共同作曲(小さな幸福②:灯り/距離)
共同作曲は、静かな戦いだった。
セヴは無口で、私は言葉が多い。
でも譜面の上では、逆になる。
私が迷うと、セヴは一音だけ足す。
たった一音で、曲が息をし始める。
「……どうして分かるんですか」
「君の呼吸が、ここで止まる」
セヴは譜面を指で叩く。
「止まる場所に音を置く」
灯りが二つ。
夜は必ず温い飲み物。
私はそのルールに、救われていた。
「セヴ様、あなたは……眠らないんですか」
「眠る」
即答したのに、机の上の書類は増えていく。
宮廷への手続き、魔術師への依頼、演奏会場の安全設計。
私が「無理しないで」と言いかけると、セヴは先に言った。
「合理的に無理している」
私は、思わず笑ってしまった。
笑った瞬間、心臓が少し跳ねる。
怖くて息を止めた。
セヴは、譜面台の位置を変える。
私と譜面台の距離を少し離し、私の背後に立った。
「呼吸しろ」
「……はい」
「笑う程度で死ぬ呪いなら、そもそも君は生きていない」
彼の声が、背中の少し後ろで響く。
近い。
でも触れない。
「呪いは、“恋が成立し、最後の一音が鳴ったとき”だ。成立させなければいい。――だから」
「だから?」
「焦るな」
その一言が、胸の奥に灯りをともした。
曲は、少しずつ形になった。
“終止符を変える曲”。
最後の一音が、死の合図ではなく、回復の合図になるように。
その夜、私はふと思った。
もしこの曲が完成したら――私は、セヴに何を返せるのだろう。
言葉で感謝すると、何かが揺れる。
恋に近づく気がする。
だから私は、別の形を選んだ。
譜面の余白に、短い旋律を書き足した。
セヴの沈黙に似た、静かな旋律。
セヴがそれを見て、初めて“間”を作った。
「……これは?」
「あなたのための一小節です」
私は視線を逸らして言った。
「言葉の代わりに」
セヴは何も言わない。
でも、譜面を丁寧に閉じた。
その丁寧さが、返事だった。
――翌日。ヴァイスから“公開検証演奏会”の通達が届く。
一度きりの演奏で、呪いの安全性を証明しろ、と。
(第5話・了)
次話予告:舞台に立つ。怖い。でも、背後に彼の伴奏がある。




