第2話:契約の静けさ
音楽室は、王都の喧騒から切り離されたみたいに静かだった。
天井が高く、壁は淡い木目。譜面台が並び、窓辺には小さなランプが灯っている。炎の揺れが、紙の白をやわらかく染めた。
私は入口で立ち止まった。
“ここにいていい”と言われても、呪いの人間が踏み込んでいい場所と、そうでない場所がある気がしたから。
「入れ」
セヴは短く言って、椅子を引いた。
言葉より先に、環境を整える。
「……検査って、何をするんですか」
「音の反応を測る」
「……音で、恋がわかるの?」
「君の呪いは“最後の一音”で死ぬ。なら、心臓は音に反応する。――そこを逆に使う」
合理的。
噂通りの言い方なのに、冷たくない。
“逆に使う”という言葉の中に、救う気配がある。
セヴは机の引き出しから、小さな銀の輪を出した。
指輪ではない。譜面台に掛ける、古い振り子のような器具。
「魔術師の道具だ。心拍の揺れを拾う。痛くない」
「……信用していいんですか」
私がそう言うと、セヴは一瞬だけ目を細めた。
怒っていない。困っている顔に近い。
「信用は不要だ。確認しろ」
「確認……?」
「ルールを見せる」
セヴは紙に、淡々と書き始めた。
音楽室の灯りは必ず二つ。
夜は必ず温い飲み物を用意する。
検査は一日一回、君が嫌なら中止。
触れる必要があるときは、先に言う。
君の“終止符”は、君だけの判断で打たない。
紙を差し出され、私は息を呑んだ。
どれも検査のための合理性に見える。
けれど実際は――私を怖がらせないための、生活の設計だ。
「……最後の、五番」
「重要だ」
「どうして」
セヴは答える代わりに、私の視線の先へ、椅子をもう一脚置いた。
隣ではなく、少しだけ斜め前。
向き合いすぎず、離れすぎない距離。
「君が一人で“終わり”を決める癖がある。……歌い手はそういうものか?」
私は言い返せなかった。
確かに私は、“自分の痛みは自分で片づける”癖がある。
そうしないと舞台は崩れるから。
「契約書を作る」
セヴは視線を戻し、低く言った。
「公爵家は君を保護する。代わりに君は、ここで作曲と歌の訓練を続ける。宮廷からの呼び出しは、私が窓口になる」
「……私の自由は?」
「ある。逃げない自由も」
その言い方が、ずるいと思った。
逃げてもいいと認めてくれる人は、逃げにくい。
優しさが、責任に変わるから。
私は唇を噛んで、頷いた。
「……契約します」
セヴは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
ほっとしたように見えたのが、意外だった。
その日の検査は、単純だった。
私が音を聴き、心拍の揺れを銀の輪が拾う。
セヴは譜面に数字を書くだけ。触れない。
「次。君の声で、短い音階」
私は喉を湿らせた。
音楽室の灯りが二つ、視界の端で揺れている。
守られている感じが、胸の中にくる。
「……ラ」
一音だけ出す。
驚くほど、きれいに響いた。
「良い」
セヴの声は感情が少ない。
でも、評価は正確で、嘘がない。
「……こんな検査で、呪いの回避ができますか」
「回避じゃない」
セヴは譜面を閉じる。
「“終止符”の定義を変える」
私は目を瞬いた。
「定義……?」
「君の呪いは、恋が成立し、最後の一音が鳴ったとき死ぬ。なら、最後の一音を“鳴らさない”のではなく――」
セヴはランプの炎を見た。
その揺れが、彼の瞳に映る。
「最後の一音を、君が恐怖で選ぶものにしない。……君が望む終止符にする」
心臓が、少しだけ強く鳴った。
怖いのに、安心する。
その夜。
私の部屋には小さなランプが二つ置かれ、温い紅茶が一杯、机に置かれていた。
誰かが置いたのに、誰も気配を残していない。
廊下の向こうで、靴音が止まる。
セヴの気配だとわかった。
私は扉を開けずに言った。
「……ありがとうございます」
少し間があって、低い声が返る。
「温いのを飲め。喉が冷える」
それだけ。
でも私は、紅茶を両手で包んで、息を吐いた。
胸の奥の冷たさが、少し溶けた気がした。
――翌日、宮廷からの招待状が届く。
“危険な呪いの歌姫”を、宮廷音楽監督が直接確認したい、と。
(第2話・了)
次話予告:正論で追い詰めてくる“音楽監督”と、セヴの静かな盾。




