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戦は槍ではなく「カロリー」で決まる。 ~某数正のロジスティクス戦記~  作者: 冷やし中華はじめました


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上田城の誘惑とコスト計算(9月2日)

【1:真田の挑発】


 慶長5年9月2日。  信濃国・小諸こもろ


 秀忠軍3万8千は、完全に足を止めていた。  行く手を阻むのは、わずか数千の兵が籠もる小城――真田昌幸・信繁(幸村)親子が守る上田城である。


 本陣の空気は張り詰めていた。単なる怒りではない。歴戦の武将たちが、真剣な眼差しで地図を囲んでいる。


「真田は降伏を撤回。籠城の構えを見せております」


 報告を聞いた榊原康政が、重々しく口を開いた。 「……捨て置けぬな。背後に敵を残したまま進軍すれば、我らは中山道という細い山道で、前方と後方から挟撃される恐れがある」


 他の将たちも頷く。 「左様。それに、ここで真田ごときに足元を見られたまま素通りすれば、徳川の武威は地に落ちる。関ヶ原で勝ったとしても、その後の信濃統治に響きましょう」


 彼らの主張は**「軍事的な定石」であり、「政治的な正義」**だった。  後顧の憂いを断つ。舐められたら殺す。そうでなければ、武家社会の秩序は保てない。  秀忠もまた、その理屈に縛られていた。 「うむ。父上(家康)への初陣、汚点を残したまま西へは向かえぬ」


【2:死の請求書】


「お待ちください! 定石通りに動けば、自滅します!」


 整然とした軍議の席で、数正は決死の覚悟で声を上げた。  視線が一斉に突き刺さる。だが、それは侮蔑ではなく、「兵站屋ごときが何を言うか」という冷ややかな圧力だった。


 数正は懐から、ボロボロになった帳面を取り出し、広げた。


「皆様の仰ることは正しい。軍略としては完璧です。ですが……この数字を見ていただきたい」


 数正は帳面を指差した。 「我が軍3万8千が、ここに一日滞在するだけで、**米750石(約110トン)**が消えます。これは馬3000頭分の積載量に相当します」


 静まり返る広間で、数正の声が響く。 「周辺の村からは既に徴発し尽くしました。これ以上ここに留まれば、我々の胃袋が我々自身を食い尽くします。一日留まることは、敵と戦う前に、味方の兵を数百人殺すのと同じなのです!」


 現代で言えば、巨大工場のラインを一日止めることによる損失ダウンタイム・コストの提示だ。


「真田の挑発は、我々をここに釘付けにし、時間を浪費させるための罠です! これは**『埋没費用サンクコスト』**です! 回収しようとしてさらに突っ込めば、破産します!」


 数正は叫んだ。 「我々の目的ゴールは真田ではありません! 関ヶ原への到着期限(納期)を守ることです! リスクを承知で、今すぐここを離れるべきです!」


【3:ロジックの敗北】


 数正の主張は、経営判断ロジスティクスとしては100点満点だった。  だが、武将たちにも譲れない「現場の理屈」があった。


「黙れ数正! 貴様、武士の魂を算盤勘定で売り渡す気か!」


 一人の猛将が立ち上がり、数正を睨みつけた。 「兵站も大事だがな、背中を刺されては元も子もないのだ! 我らは兵の命を守るために、脅威を排除しようとしている!」


「そうだ! 挟み撃ちにされれば、それこそ全滅だぞ! 小荷駄風情が、戦場の恐怖を知った口を利くな!」


 「補給の枯渇リスク(数正)」vs「挟撃されるリスク(武将たち)」。  どちらも正論だった。だが、最終的な決定権を持つのは、総大将だ。


 秀忠がゆっくりと立ち上がった。その目には、冷静な計算よりも、父に認められたいという焦燥と、武人としての矜持が宿っていた。 「……数正。余は、徳川の嫡男だ。敵に背を向けて逃げたとは、口が裂けても言えぬ」


「殿……!」


「真田を討つ。後顧の憂いを断ち、堂々と関ヶ原へ向かう。攻撃開始だ」


 決定が下された。  数正はその場に崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。


(終わった……)


 頭の中で、精緻に組み上げた工程表スケジュールが音を立てて崩壊していく。  彼らは「面子」や「定石」という、平時ならば正しい判断基準によって、「天下分け目の戦い」への切符をドブに捨てたのだ。


数正は天を仰いだ。  空を覆い始めた暗雲が、あざ笑う真田昌幸の顔に見えた。

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