ロケット方程式とモーダルシフト
【1:兵站の限界点】
時は流れ、慶長5年(1600年)。 豊臣秀吉の死後、燻り続けていた火種は、ついに爆発しようとしていた。徳川家康による、会津・上杉景勝征伐である。
江戸城・大広間。 居並ぶのは、本多忠勝、井伊直政といった徳川四天王をはじめとする歴戦の猛将たち。彼らの鼻息は荒い。 「上杉など一捻りよ!」「殿、直ちに5万の軍勢で北上しましょう!」
だが、末席に控える某数正の顔色は悪かった。彼は手元の算用状を睨みつけ、脂汗を流している。 (無理だ……。どう計算しても、兵站が破綻する)
江戸から会津若松までは、奥州街道を行けば約60里(約240km)。山道が続き、道幅も狭い。 現代のトラック輸送なら1日の距離だが、この時代は違う。
「……申し上げます」 勇ましい軍議の空気を切り裂くように、数正は声を上げた。 隣にいた上司の伊奈忠次が、無言で頷く。「やれ」という合図だ。
「なんだ、小荷駄の分際で」 猛将たちが不快げに振り返る中、数正は広げられた地図の上に、黒い碁石を一つ置いた。 「殿。5万の兵と馬を陸路で会津へ送れば、到着する前に軍は自滅いたします」
「自滅だと? 敵と戦う前にか?」 家康が興味深げに眉を上げた。
「はい。兵糧を運ぶ『馬』そのものが、兵糧を食らうからです」
【2:自らを食らう蛇】
数正は説明を始めた。 馬一頭が背負える米は、せいぜい2俵(約120kg)。しかし、その馬自身も毎日飼葉を食う。さらに馬を引く人足も飯を食う。
「江戸から会津への山道、往復で20日かかるとします。その間、運搬用の馬が消費する食料を計算すると……積荷の半分以上が、運んでいる最中に消えます」
これこそが、前世の記憶にある**「ツィオルコフスキーの公式(ロケット方程式)」**のジレンマだ。 遠くへ行くために燃料(兵糧)を積めば積むほど、重くなって燃費が悪化し、さらに多くの燃料が必要になる。 補給部隊のための補給部隊、そのまた補給部隊が必要になり、最後には指数関数的にコストが爆発する。
「現地で奪えばよかろう!」 一人の武将が怒鳴った。 「北関東の村々は凶作続き。5万の胃袋を満たす略奪など不可能です。やれば一揆が起き、行軍は止まります」
数正は冷徹に即答した。 「つまり、陸路を行けば、我々は『運んだ荷物を自分で食いつくす蛇』となり、会津に着く頃には手ぶらになっているのです」
広間が静まり返った。 誰も反論できない。感情論ではなく、数字という冷たい事実がそこにあったからだ。
「……では、どうする。指をくわえて見ておれと言うか」 家康の低い声が響く。
【3:船は飯を食わない】
「いいえ。道を変えればよいのです」 数正は、地図上の線を指でなぞった。街道ではなく、その横を流れる青い線――利根川を。
「陸が駄目なら、水を行きます。**『船』**を使うのです」
現代物流用語で言う**『モーダルシフト(輸送手段の転換)』**である。 トラック輸送が限界なら、鉄道や船に変えればいい。
「高瀬船一艘で、米50石(約7.5トン)を運べます。これは駄馬に換算して約500頭分。しかも、船は飼葉を食いません。風と水流がある限り、エネルギー効率は無限大です」
数正は、地図上の下野国(栃木県)・小山にある一点を指し示した。 「利根川と思川を遡り、北限であるここ、**『乙女』**に巨大な集積センターを築きます。そこまでは船で大量輸送し、そこから先の短距離のみを馬で運ぶのです」
兵站の要所を、消費地(戦場)のギリギリまで前進させる。 そうすれば、馬が荷物を食いつくす前に前線へ届けられる。 ロケットで言えば、使い終わった燃料タンクを切り離し、身軽になる多段式ロケットの発想だ。
【4:乙女河岸】
家康は、数正が指差した一点をじっと見つめ、やがてニヤリと笑った。 「船は飯を食わぬ、か。……伊奈」
「は」 「その若造に金と人を預ける。『乙女』にその船着き場を作らせてみよ」
周囲の武将たちがどよめいた。名もなき小荷駄の組頭に、軍の生命線である兵站拠点の構築を任せるというのだ。 「よろしいのですか?」 「構わん。戦は槍だけで勝つものにあらず。……おい、名はなんと言う」
「某数正にございます」 「数正。失敗すれば首が飛ぶぞ。だが、やり遂げれば……この戦、勝てるかもしれん」
数正は平伏した。 背筋に冷たい汗が流れると同時に、腹の底から熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。 前世では、コストカットと納期の板挟みに苦しむだけだった物流屋。 だが今は違う。自分の描いた兵站図が、歴史を動かそうとしている。
「……必ずや、一粒残らず前線へ届けてみせます」
こうして数正は、家康直轄プロジェクト「乙女河岸建設」の現場責任者へと抜擢された。 それは、後の関ヶ原の勝敗を分けることになる、巨大物流拠点の始まりだった。




