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戦は槍ではなく「カロリー」で決まる。 ~某数正のロジスティクス戦記~  作者: 冷やし中華はじめました


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大津の激怒と安堵(9月20日)

【1:敗者の席】


 慶長5年9月20日。  近江国・大津。


 関ヶ原で勝利した家康本隊と、遅れて到着した秀忠軍がようやく合流した。  だが、感動の対面などなかった。本陣に漂っていたのは、処刑場のような凍てついた空気だった。


「たわけが!!」


 家康の怒号が、秋の夜空を引き裂いた。 「天下分け目の大戦おおいくさに遅れるとは何事か! 榊原、大久保、そして秀忠! 其の方らの顔など見とうない!」


 砂利の上に正座させられた秀忠と重臣たちは、青ざめて平伏し、震えていた。  末席に控える数正もまた、額を地面に擦り付けていた。 (……切腹か)


 言い訳はできない。天候不可抗力フォース・マジュールだとか、サンクコストだとか、そんな理屈は勝者には通用しない。  間に合わなかった。その事実だけが、重くのしかかる。  数正は、自分の首筋に冷たい刃の感触を幻視して、目を閉じた。


【2:見えざる幽霊】


 その夜。  謹慎を命じられた数正のもとへ、思いがけない客が現れた。  東海道軍の兵站を支えた金山奉行、大久保長安だ。手には酒瓶をぶら下げている。


「……生きてるか、数正」

「大久保殿。……死ぬ前の最期の酒ですか」 「馬鹿を言え。家康様は本気で怒っちゃいないさ」

長安は酒をあおり、ニヤリと笑った。

「むしろ、三成を倒したのはお前たちだと言ってもいい」

「買い被りです。我々は戦場にすらいなかった」

「だからだよ」 長安の声が低くなる。

「三成は、関ヶ原という平地での短期決戦を選んだ。なぜだと思う? 籠城すれば勝機はあったはずなのに」

数正は首を横に振った。

「……中山道の砂煙が、怖かったのさ」

長安が指差した先、東の山並みが月明かりに浮かんでいた。

「いつ現れるかわからない3万8千の精鋭。その『見えない圧力』が、三成の背中を押し、死地へと誘い込んだのだ」

(我々の遅れが、三成を自滅させた……?) 数正の背筋に電流が走った。


【3:不在という圧力】


 長安は、酒を含んで語り始めた。 「三成は、緻密な男だ。本来なら、大垣城に籠もって長期戦を挑むか、もっと有利な布陣を敷けたはずだ。だが、奴は関ヶ原という野戦場へ出てきて、短期決戦を選んだ」


「なぜです?」


「**『お前たちがいなかった』**からだよ」


 長安が数正を指差した。 「三成は知っていたんだ。中山道から、徳川精鋭3万8千が迫っていることを。だが、その姿が見えない。いつ到着するかもわからない」 「……!」


「三成にとって、お前たちは『見えない幽霊』だったんだ。『明日にも到着して、挟み撃ちにされるかもしれない』という恐怖。それが三成の冷静さを奪った」


 数正は息を呑んだ。  三成の心理的リミット。  『秀忠軍が合流する前に、家康本隊を叩かねばならない』。  その焦燥感が、三成に無理な野戦を選ばせ、結果として一日ワンデイでの決着という悪手を打たせたのだ。


「我々の遅れが、三成を自滅させた……?」 「そうだ。お前たちは、戦場にいないことで、戦場を支配していたんだよ」


【4:無傷の切り札】


 さらに長安は続けた。 「それに、だ。この勝利は薄氷だった。井伊直政様は撃たれ、福島隊もボロボロだ。だが、お前たちが連れてきた3万8千は違う」


 長安は数正の肩を叩いた。 「戦闘による死傷者ゼロ。矢の一本も撃っていない**『ピカピカの新品(未使用在庫)』**だ。これ以上の切り札はない」


「切り札?」


「大坂にはまだ秀頼公がおられる。島津や毛利も不気味だ。だが、ボロボロの勝者の後ろに、無傷の徳川精鋭軍が現れたらどうだ? 奴らは震え上がって手出しもできん」


 数正の背筋に電流が走った。  「遅参による三成への心理的圧力」と、「温存による戦後の抑止力プレゼンス」。  この二つの果実は、数正たちが泥まみれになって遅れたからこそ、実ったものだった。


【5:ポーズの裏側】


「だから、あの激怒は半分はポーズだ。諸大名への手前、身内には厳しくせねばならんからな」  長安は笑い飛ばした。


 数正は、大津の夜空を見上げた。  自分が「兵站の失敗」だと思っていた納期遅延が、巨大な政治的文脈コンテキストの中では、敵を焦らせ、味方を守る「戦略的勝利」へと変換されていた。


(負けたよ、本多正信。あんたの描いた絵図面は、俺の計算より遥かに大きかった)


 数正は、悔しさと、安堵と、そして奇妙な誇らしさを感じながら、残った酒を飲み干した。  泥の行軍は、無駄ではなかったのだ。

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