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人間として生活し始めた草別三姉妹界隈  作者: 森の手


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フルコースを作りましょう 前編

 縁側で爪を切っているとき、井戸から大きなオケラが顔をのぞかせ、しばらくの間僕を見ていた。

  僕は気づかないふりをしていた。そのまま顔をひっこめてくれやしないかと思って。

 たまきから、うちの井戸には大きなオケラが住んでいて、横穴を空けてキノコを育てているとの報告は受けていた。

 オケラは井戸からゆっくりと全身を出し、静かにこっちへ近づいてくる。


「失礼、わたくし、オケラの才谷梅次郎ともうします」


 オケラのくせにたいした名前である。彼はどことなく中岡慎太郎みたいな礼儀正しい感じで続ける。


「ずいぶん長く井戸に住んでいながら名乗り出るのが遅れてしまい、もうしわけありません」


「それはいいけど、なんのご用でしょうか?」


「実は今日はお別れを告げにきたのです」


「ええと、それはまたなんで」


 僕は込み上げたうれしさを驚いた声で隠しながら言った。


「実は、この前の洪水のせいで、地下で育てていた千年床キノコが台無しになってしまって」


 その声は心なし震えている。

 才谷は大きな前足で、いかにも口惜しそうに地面をドンドンと叩き出す。


「千年床キノコは湿度管理が大変難しくて、あれほどの大量の水を吸ってしまうと、すぐにぶよぶよグズグズの万年床キノコになってしまう!!」


 それから彼は、いかにして自分が井戸に横穴を掘り、住まいを整え、湿度を調整し、菌に音楽を聞かせるなどして千年床キノコを栽培してきたかを話して聞かせる。


 それはなんだか、幕末の動乱に散っていった同志たちの無念を涙ながらに語る中岡慎太郎の姿を想起させる。


 確かに考えてみれば、彼はこの家を管理する大家にキノコを作るよう言われて、枯れ井戸で一生懸命仕事をしていただけなのだ。

 それなのに、まあ彼にも少し悪いところがあったとはいえ、いきなり大家とたまきに井戸の中に大量の水を流し込まれ、これまでの努力をすべて台無しにされたのだ。


「それで、どこにいくの?」


「考えておりません。ただ、このキノコ作りか穴掘りのノウハウを生かせる場所があれば、そこへ」


「気を付けていくんだよ」


 もっと気の利いたことを言ってあげたかったが、結局そう言った。


「この家もあなた一人でさみしくなるでしょうね」


 しみじみと彼は言った。

 そう。今この家には僕一人しかいない。

 たまきは何も言わずにどこかへ行ってしまったのだ。

 つい昨日、彼女の妹であるさやかが久しぶりに姿を現した翌日のことだった。


 一番に起きて、朝食を作るまでは同じだった。でも彼女はいつまで経っても起こしにきてくれなかった。

玄関の鐘が鳴らされ、続々とたまきのお客さんたちもやってきた。そんな彼らを今日は休みだといって追い返し、自分の仕事をした。


 ときどき誰かが鐘を鳴らしていったが僕は無視した。ただ一名だけ、庭まで回り込んでしつこくしてきた猫がいたから、その相手だけはしてやった。

 たまきは結局帰らず、一日が過ぎてしまった。

 この前イルカ財団からもらった彼女の現金だけがなくなっていた。

 まああれだけあれば、当分一人で暮らしていけるだろう。


「でもなんで君がそのことを知っているの?」


「地下には配管なんてものがあるでしょう。そんなものを通してなんでも聞こえるのです。モグラの襲撃を警戒したり、息をつめてミミズの居場所を探っていると、いやでも耳に入ってくるのです」


 長い触角を指揮棒みたいに忙しなく動かしながら、才谷は続ける。


「でも確かに、あんなことを言われれば、彼女だって傷ついてどこか行きたくなるってものでしょう」


「……それは、……どういうこと?」


 もちろん僕はそれについて心当たりはあった。でもなんだってオケラがそんな人の心の機微なんてものに気づくというのか。


「だってもう彼女は人間の女性だ。ああいうことを言ってはいけない」


「ああいうことって?」


「妹のさやかさんを猫扱いする。それはまあ分からないでもない。でもあなたがさやかさんを猫だと言ったときに、その言葉はそっくりそのまま、たまきさんを人として否定する言葉になってしまうのです」


 僕は何も言えなくなる。その通りだったからだ。というか、本当に家のことぜんぶ筒抜けじゃないか。


「確かに彼女たちは以前は人ではなかったかも知れません。でもそれを受け入れてくれたあなたが人の姿をしたさやかさんに、彼女は猫だからみたいなことを言ったら、同じように人間になったたまきさんは、どうお感じになられると思います?」


「でもだからといって、何も言わずに出て行くことはないと思う」


「その理由まで私に言わせる気ですか」


 僕は黙るほかなかった。

 確かにこの才谷梅次郎の言う通りだった。彼の方がよっぽど分をわきまえている。

 人の家の会話を全部聞いて、その上僕らの人間関係のかなり詳しい分析までも行ってはいるが。


「確かにそうかもしれない。すまない」


「謝罪の相手は私ではないでしょう」


なんだか自分はとても弱気になっているようだ。

オケラは慎重に喋り始める。


「ただ、どこかで彼女を見かけることがあったら、あなたが後悔していることは、きっと伝えておきましょう」


 そう言うと彼はこちらに近づいてきて、たすき掛けしていたカバンから、新聞紙に包まれた何かを出して縁側に置いた。


「ささやかな餞別です。この唯一生き残った千年床キノコを差しあげましょう。

 旅に出る私が持っていても調理できませんから。まあ、多少水を吸ってしまって千三百年床キノコくらいにはなっているでしょうが」


 彼は脱藩する浪士みたいな顔でそう言って、ガサゴソと草をかき分け行ってしまった。


 新聞紙を開けると、そこには銀色に光る、エリンギと松茸のあいのこみたいなキノコがあった。確かたまきもこれを食べてみたいとか言っていたっけ。


 とりあえずキノコを台所へ持っていき、そして爪切りの続きをしようと縁側に戻る。でも庭に戻ったとき、そこには一本の青々とした見事な竹が生えていた。

 そんなもの、さっきまでなかった。しかも生えているのは普段物干し場になっている、草なども生えていない庭のど真ん中である。


「はろー」


 と、金属めいた女の高い声が聞こえた。


「ここにオケラがいると思うんだけど」


 縁側の下から一匹のモグラが現れて、早口でそう言った。

 また変なのだ。

 僕が黙っていると、いつもの連中と同じように、モグラは勝手に喋り始めた。


「まあいいや、大家から聞いてると思うけど、ご注文のほとばしりたけのこ一ダースセット、確かにお届けしました」


「え?」


 モグラは後ろを向いて、鋭くて真っ赤なマニキュアだろうかで庭の竹を指す。


「この庭のやつは見本です。商品の収穫は明後日の明朝、4時となります。で、オケラは?」


「もういない」もちろんついさっき旅立っていった才谷梅次郎のことを言っているのだろう。


「私ね」と、彼女は言った。「妊娠しているのよ」


「はあ」


「それでね、この仕事しばらく休んで、どこか落ち着ける場所で子育てに励みたいと思ってんの」


 それをなぜ僕に話すのだろう。


「で、ここでキノコ作っているオケラがいるっていうから、そのオケラを私が守る代わりに養ってもらえば、これはいい共存関係ができるかなって思って」


 もちろん色々言いたいことはあった。例えば、オケラじゃなくてお腹の子の父親に養ってもらえばいいだろうとか、なんで勝手に人の家の庭に住もうとしているのかとか、大家はなんだってこんなことをしているのだろうとか。

 でも僕はそんなことは言わなかった。


「さっきも言ったけど、オケラはもうここにはいないよ」


 こういえば、少なくともこのモグラの件はおしまいだからだ。僕は続ける。


「でも行ったばかりだから、今追いかければ間に合うと思う」


「あなた、たけのこ取ったことある?」


「ない」


 ないし、取るつもりもない。

 すると、なんだかモグラの目が急に迫力が増して鋭くなる。


「じゃあ聞くけど、私がお腹の子を気遣いながら、一生懸命穴を掘って土の中へセッティングしたたけのこ12本、どうやって収穫しようとしてた?」



 もちろん僕はその問いに正直には答えられず、モグラは(フジコさんと言った)僕の家にしばらく留まることを条件に、たけのこ取りを手伝うという流れになった。




「ほとばしりたけのこは、土から顔を出して十秒ほど光を受けて、一気に竹になるの」


 と、一心不乱に一箱分のクッキーを食べ、僕が淹れたコーヒーを小皿に注いで、フーフー冷ましてチビチビ飲みながら、フジコさんは言った。


「その出始めの七秒間に光を吸わせて、ほとばしる前にクワでもって一気にたけのこを切り取るわけ」


「それは本当に可能なんですか」


 一ダースと言ってなかっただろうか。


「何時何分に出てくるっていうのは、私がセッティングしておいたから。正確に十分に一本間隔で出てくる」


 まあ、それくらいの時間があるなら、なんとか。

それに、と、彼女は残ったマグカップのコーヒーを小皿に移しながら言う。


「私たちが取れるのは多くて三本ってところかしらね」


「どうしてです?」


「だってそりゃあ、ほとばしりたけのこですもの」


 まったく意味が分からない。


「世界中からハンターたちが狙ってやってくるわよ。そういうことは、内緒にはできないことだから」


 さらに意味が分からない。彼女はコーヒーを念入りに冷ましてから、上目遣いに僕を見る。


「何のために一日余裕を設けたと思っているの?」


 僕は黙っている。フジコさんは続ける。


「戦いの準備をするためじゃない」


***


 ということで、僕はフジコさんの指示に従い、ホームセンターでブルーシートとクワを買ってきた。明後日の朝になったらシートを庭に広げ、時間が来たら端からめくって順に光を吸わせ、ほとばしる直前のたけのこを刈り取っていくのだ。


 一方フジコさんは地下に潜って、情報戦を繰り広げているたけのこハンターたちと協定を結んだり、ルールを決めたりしているということだった。

 それでどうしても分け前の面で折り合いがつかず敵対関係になる者もいて、どんどんこちらの取り分を手放していく形で、結局十二本中二本のたけのこを確保することができるようだ。

 ちなみに庭に生えていた竹は、買い物から戻ってきたときにはもうなくなっていた。これも取引の材料にされたようだ。


 それから僕は、このたけのこを家に発注した大本である大家に連絡をしてみた。

 でも彼女はたけのこの話をしてもあまり感情を表に出さず、そうかと言っただけで、収穫の日取りだけ聞いて、素っ気なく電話は切れてしまった。嵐の前の静けさといった感じである。


 そのあと二時間くらいして、こちらが手にできるたけのこがいきなり4本になったとフジコさんが知らせてくれた。もしかしたら大家が裏で何かやったのかも知れない。


 ふと庭を見ると、家にやってくるカラスやスズメたちが多いことに気づく。

 それから色んな猫が塀を横切って行った。中には井戸の辺りに身を隠しながらこちらをじっと見ているのもいる。鳥を狙っているのかも知れないが、疑り深くなってしまう。

 だってあの才谷梅次郎だって、僕の家の会話の内容をはっきり聞き取っていたくらいだ。オケラに分かるなら、何にだって分かられているのだろう。



 リンゴーン



 日が暮れてすっかり暗くなっとき、玄関の鐘が鳴った。こんな時間にやってくる変なものはいない(そういう意味では彼らは礼儀正しい)ので、たぶん回覧板かなんかだと思う。

 でも重い足取りで玄関まで行ってドアを開けると、そこにはたまきと、その妹、三女であるさくらが立っていた。


 僕が何も言えないでいると、二人の姉妹は次々と両手に持っていたカバンやお店の紙袋を床に置いていく。


「どうしたんです?」たまきが僕に尋ねる。


「どこ行ってたの?」僕は聞き返す。


 すると彼女は、この前イルカ財団からもらった自分の援助金を赤貧の妹に渡すため、さくらが住む岩手県へ行っていたのだという。ついでに人質になっていた僕の財布と免許証も取り返してくれたらしい。


「これお土産の南部鉄器です」と彼女は、それと分かるよう紙袋を少しだけ離してそう言った。


「さくらに聞いたんですけど、鉄器を使うと鉄分が簡単に取れるそうで、身体にいいらしいんです」


「なんで何も言わなかったの?」


「だって、岩手県がここからこんなに遠いところだとは思っていなくって」


 なるほど。それは盲点だった。


「ええと、怒ってたとかそういうことではないんだね」


 くっと隣のさくらが一瞬だけ笑ったが、すぐに靴を脱いで居間の方へ行ってしまった。


「どういうことです?」


「なにか僕が気に障るようなことを言って、出て行ったのかと思ってた」


「ごめんなさい。そういうつもりはまったくありませんでした。そもそも御厄介になりたいと言ったのは私の方ですから」


 居間からはさくらがつけたのか、海外の音楽番組の音が大音量で聞こえてくる。


「なら良いんだ。入ろう」


「もし私が出て行くときは、もちろん挨拶は必ずしますから」


 それはそれでしんどいものがあるが。



 たまきが言うには、行きは新幹線だったが、岩手からこちらへ来るときは、節約のため長距離バスで帰ってきたらしい。慣れない長旅をしてきたこともあって、二人ともさすがに疲れているようだった。


 僕はさっそく南部鉄器の鉄瓶で水(さくらが指定したミネラルウォーター)を沸かして二人のためにお茶を淹れた。でも台所から戻ってくるとさくらの姿はなく、出て行ってしまったという。



「何でさくらはここに来たの?」


 彼女の性格からして、わざわざ時間と交通費まで出して来るのには、それなりのわけがあるからに違いない。


「なんでも、財団と話をしに行くのだとか」


 たまきが答える。その話しぶりでは、彼女も妹が何を考えているのか聞いていないのだろう。

 さくらのことだ、財団を乗っ取って自分だけのデパートや銀行を作ろうくらいのことは考えていそうな気がする。


 僕はたまきに、彼女が不在の間に起こった出来事(昨日はやけに毛並みの良い野良猫がやってきて頼みごとをされた。今日はオケラがキノコを置いて出て行った。そのかわりモグラが来て庭の下に竹を植えていき、たけのこは明後日の明朝収穫することになった)を話し、それから今、この界隈の変なものたちの間で生えてくるたけのこを巡って、水面下での熾烈な争奪戦が行われていることを説明した。


「そうなのですか」彼女は落ち着いた声で言った。もう少し取り乱すかと思ったが。


「疲れてる?」


「そんなことより、私たちは今何本のほとばしりたけのこの権利を持っているのです?」


 もう少し早めに気づいてもよさそうだったが、彼女の目はなんだかとても真剣だった。


「2、いや4本だけど」


 彼女は立ち上がる。「ちょっと出てきます」


「どこへ行くの?」


「ちょっと」とだけ言って出て行った。



 しばらくすると、玄関のドアが開き、誰か入ってきたと思ったら大家だった。

 彼女は茶の間にいる僕と目を合わせても何も言わず、台所に入っていく。背中には昔話に出てくるみたいな大きなかごを担いで、中にはたくさんの野菜がぎっしり詰め込まれてある。


「ちょっと玄関に荷物があるから持ってきてくんろ」


 彼女は野菜をテーブルに並べながら、僕にそう言った。

 玄関に向かうと、そこには大きなクーラーボックスがあった。担いでみると結構な重さである。彼女はこの荷物を、自分の家から一人で歩いて持ってきたのであろうか。


「適当な場所に置いててけろ」


 台所に入った僕に向かって彼女はそう言った。


「何が入っているんです?」


「見てみぃ」


 開けてみると、牛肉の塊がいくつかと、それから首や足も付いた大小の鳥、脳みそみたいなものまである。そんなものがぎっしりと詰められていた。


 大家を見ると、流しで千年床キノコを細かく引き裂いているところだった。

 くくく、と彼女は肩を震わせながら、真ん丸な目で僕を見て笑った。


「も少しで、料理の完成だ」


 これでようやく明らかになったが、やはり彼女は、冒険家の夫が残したという生き物全員が飛び上がるほどおいしいレシピを再現しようと、この家でオケラにキノコを育てさせていたり、モグラにたけのこを発注したりしていたのだ。


「ちょっとしばらく台所には入らねえでけろ」


 彼女は言って、僕を台所から追い出しドアを閉ざしてしまう。ガラス越しに見える彼女の背中は、もう何を言ってもこちらの声は届きやしないという感じだった。

 でも考えてみれば、その料理をぜひ食べたいと言ったのはたまきだったし、また大家がこんなたくさんの食材を持ってやって来たことからも、すでに二人は何らかの結託をして、連絡を取り合っているのではないか。


 結局僕は台所を諦めて茶の間に戻ることにした。するとそこにはモグラのフジコさんがいて、さくらのために用意したお茶をおいしそうに飲んでいるところだった。


「私猫舌だから、やっぱりこれくらい冷めてるのがちょうどいい」


 お茶うけの浅漬けをカリカリと齧りながらそんなことを言っている。

 僕は無言でテーブルにつく。

 時間をかけてお茶を飲み終えた彼女は、たけのこの取り分はトラブルがなければこのまま推移することを告げ、まあ順調ということだった。


「風の噂で聞いたんだけど、あんたんち、あれをやるつもりなのね」


「あれってなんですか?」


「とぼけなくてもいいわよ。あの伝説のフルコースをつくってるんでしょ」


 ええまあと、僕は言った。


「だからあのたけのこがそんなに欲しかったのね。あれを作るには最低でも6本は欲しいところね」


「そうなんですか」


 フジコさんは少し前のめりになってうなづく。「けど、あなたたちの力では5本が限度かしらね。もしそれ以上欲するんなら、この界隈の暗黙の規則を破ることにもなりかねない」


「そうなんですか」


「あんたの社会でいう独禁法みたいなものよ。たぶん。もしそれをやぶるんなら、多分あなたはこの土地に代々根付く竜やら虎やらの尻尾を踏ん付けることになると思う」


「具体的にどうなるんでしょう」


 こんなことならもう一日時間を作るべきだったわと、彼女は独り言のように言っている。


「とにかく、私はやることはやった。明日は一日地下に潜って、竹荒らしが来ないか見張ってるから。でも料理には呼びなさいよ」


 彼女は結局僕の問いには答えず、そして僕の返答も待たず、浅漬けを持って庭に掘った穴に入ってしまった。

 外はもう真っ暗だった。僕はフジコさんを見送ると、窓を閉めて鍵をかけ、カーテンを閉めた。

 大家は日が暮れるまで料理をして、鍋の蓋はけっすて開けるなと言って帰って行った。


「あんたらの晩御飯も作っといた」


 テーブルには五つの大小の鍋が残されていた。それらの蓋と鍋の間は、隙間なくガムテープがぴったりとくっ付けられてあった。説明では、においを外に漏らさないようにするためということだった。


「そのままにして置いててみい、明日の朝にはここはもうジャングルじゃ」


 もちろん僕はその意味がまったく分からなかった。でも何も言わなかった。


 そのあとすぐさくらからメールが来た。もらったお金でさっそく携帯電話を購入したようだ。


 たまきがどこにいるのか尋ねてきたので、知らないと僕は返した。返信はなく、そのすぐあとで彼女は帰ってきた。


 大家はハヤシライスを作ってくれていた。さくらもお腹が減っていたようなので、僕らは少しだけたまきを待って、でも結局待ち切れずに食べることにした。



「岩手では何をしていたんだ?」


「別に。なにも。食べてるとき話しかけないで」


「ごめん」と、僕は言った。


「見聞を広めるって書いたでしょ」


 お代わりを求めながら彼女は言う。


「だからその見聞を聞かせて欲しい」


 二杯目を渡しながら僕は言う。


 それで訥々と彼女は話してくれた。それによるとさくらは、はじめ郵便局の委託配達をしている老夫婦の元に転がり込んでその手伝いをしていたらしいのだが、彼らがよく行く配達先に、自分たちが所有する山で自給自足をしている人たちがいて、今度はその彼らの家にお世話になっていたということだった。

 何をしていたのかと聞けば、そこの息子の秘書ということだった。まあ楽しくやっていたようだ。



 たまきが戻ってきたのは、それから二時間ほどしてからだった。

 彼女は見るからに疲れ切っていて、僕もさくらもどう声をかけていいのか分からなかった。



「ちょっといいでしょうか」


 風呂から上がってご飯を食べ、少し顔に生気を取り戻した彼女は僕にそう声をかけた。


「なに?」


「明日のことなんですが」


 うんと僕は答える。彼女が明日のなにのことを言っているのかは分からないが。


「もしかしたら、ちょっとお見苦しいものをお見せすることになるかも知れません」


 そう言って彼女は寝室に行ってしまった。



 翌朝僕が起きたときにはもう大家は台所を占領していて(でも茶の間には味噌汁が入った鍋と、おにぎりの山があった)、たまきもさくらもすでに外出していた。深い眠りについていた僕を起こしてくれたのはその大家で、彼女は何故だかとても怒っていた。


「ちんたら眠りくさりやがって!」


 目覚め立ての僕に彼女は言った。


「わしたちのたけのこの取り分が三本になっちまっただ!」


 そんなことを言われても。


「あんの強欲な猫どもが。あーこのままじゃ、めいんでっしゅが…」


 そう言いたいことだけ言って、彼女はまた台所へ消えていく。



 このように周りはなにやら忙しかったが、僕はいつものように仕事をこなし、終わった頃にはすでに日が暮れていた。そういえば今日は家の呼び鈴は一度も鳴らされなかった。



 たまきもいなかったし、洗濯もやる気がしなかったから、家のカーテンはずっと閉められていた。

 だからその日僕が初めて庭の様子を見たのは、パソコンなどを片付けて、縁側で暮れゆく空でもぼんやり眺めようと立ち上がったときだった。


 庭は地面が見えないほどの蔦と葉に覆われていた。よく見ると井戸の中を通ってやって来たようで、蔦は庭に降り立つと、そこから放射状に広がりながら、縁側の上がりの辺りまで伸びてきていた。こういうのが出てくるゾンビゲームをやったことがある。


「ほれみい」


 と、後ろから大家の声が聞こえた。


「匂いにつられて草っこたちが寄ってきただ」


 明日の朝になる頃にはもっともっと増えとるぞと言って、再び彼女は台所に戻っていく。


「庭のサッシはけっすて開けるんでねえど」


 午後七時になって、たまきがさくらと一緒に帰ってきた。

 どこへ行っていたのか聞いても、彼女たちは曖昧な返事をするばかりだった。

 二人は揃ってスポーツ用品店の大きな紙袋を下げている。まあお金もあることだし、隣にはさくらもいる。色々と散財してきたのだろう。


 僕はさりげなくカーテンを開けたままにしておいて、庭の様子(大家が言った通りさっきよりさらに緑が深くなっている)を彼女たちに見せたが、二人はそれほど驚いた様子もなく、さくらは茶の間でスマホに夢中で、たまきは大家の邪魔にならないよう台所で夕食を作ったりしていた。


 八時には大家は帰り、僕らも夕食やお風呂を済ませてしまい、明日のたけのこ取りのために、三時に目覚ましをセットして眠りにつくことになった。

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