九話 怪盗の解答
路地裏は建物の影が濃く、湿った空気と古い油の混じった独特な香りが漂っている。
路地の奥で影が蠢く。
月明かりが路地に差し込み、その淡い光が影の主人の姿を浮かび上がらせた。
「ムッシュポタトだ」
右前足だけ脱げた靴下の模様。
ピンとたった耳。
そこにはマミタスの認めた姿絵と寸分ほどしか違わぬファリニシュが遠目からでも確認できた。
走り寄る我々の音に気が付いたのか、路地の角をひょいと曲がってしまった。
幾許かの違和感がよぎったが、焦った私はそれを考えることを後に回して、
「追うぞ!」
マミタスに向かって叫んだ。
我々はなりふり構わず路地を走り抜け、角を勢いよく曲がった。
すると路地のどんつきで立ち往生していたポタトと思わしき影と鉢合わせる。
おかしい!おかしい!おかしい!!!
ーーーどうなっているんだ!!
我々を待ち構えていたのはポタトに違いない。
何故ならば、我々を待ち構えていたファリニシュはジャーマン氏聞いていた特徴そのままの姿だったからだ。
その体躯を除いて。
対峙した瞬間、先ほど感じていた違和感に答えが出た。遠目から見てスイカほどの大きさだったのだ。況や近影をや。
「アガサさん、デカすぎます!!!」
行き止まりとなっていた路地で立ち往生していたファリニシュはマミタスの声を聞いてゆっくり振り返った。
まずい!!
「やや!人違い、いや犬違いでしたかな。では我々はこれで失敬……」
ォオオオオォオオオ!!!
何が彼の逆鱗に触れたのか知らん。
ファリニシュは雄叫びをあげて前足をかいて今にも駆け出しそうな姿勢をとる。
「マミタス君。こういう時ほど落ち着いて。探偵にはね、こんな局面を乗り越える素晴らしい作戦がある」
私は深く息を吐いてマミタスを見た。
「ぁわ。さすがアガサさん!!それは一体……」
マミタスが期待の眼差しで私の方を見る。
そうしている間にもファリニシュはジリジリとにじり寄ってきている。
ファリニシュが大きく嘶いた。
「三十六計逃げるに如かず!!」
ファリニシュが雄叫びをあげたのを合図に、私はマミタスの手を強く引っ張って駆け出した。
ファリニシュは壁にゴミ箱にその大きな身体をぶち当てながら追ってくる。
「マルス青年のところまで!!」
マルスと別れたレストランまではそう遠くないことに加え、火の手が上がって目印となってくれている。
しかども私は若さに翳りが見え始めた年頃である。
運動なぞは学生の時分以来していない。
もつれかける足を何とか叩き起こして、這う這うのていで逃げる。
マミタスの手を引いていたはずがいつのまにか手を引かれている。
そうして路地から転がり出る頃には目と鼻の先までファリニシュの爪先が近づいていた。
すんでのところで、ガインと金属と硬いものがぶつかる音がして、マルスによって攻撃が弾かれたのだと理解した。
「マルス青年!!」
私はマルスが庇ってくれることをいいことに、その場にへたり込んだ。
「はぁっ……マルスさんっ。おそらくこの子がポタトちゃんですっ……。何故か大きくなってますけど……」
マミタスは息も絶え絶え完結にマルスに報告した。
「!?このファリニシュが!?……まさか誰かが無理やり魔力を充足したのか!?そうでもしないとこんな大きさに急成長する筈がない!!」
「現場にはブリキが散乱していた……こいつが盗人の正体に違いあるまい!」
私とジャンボポタトとの間にはマルスが立ちはだかっているので私は強気に宣言した。
ジャンボポタトが唸りを上げてレストランに近づくと、沈んでいた炎が大きくうねりをあげる。
「盗人……盗人。そうか!さすがは『探偵』だね。つまりそういう事だろう!?」
マルスはファリニシュの連撃をいなしながら声を張り上げる。
「は!そういう事ですか!?アガサさん!」
マミタスとマルスがまた二人で訳のわからん意思疎通をしている。
どういう事だ!どういう事だ!
頼むから今は来る攻撃に備えてくれ……!!
私は少しでも邪魔にならないように頭を抱えてマルスの陰に隠れた。
「ブリキを盗んだのもポタトちゃん、フルーツを盗んだのもポタトちゃん!ジャーマン氏の宝石泥棒はポタトちゃんなんですよ!!」
「おおおお現行犯だ現行犯だ〜!!」
ヒィ!怖い。
私は恐怖を押し殺しながら訳も分からず思いついた言葉を口にした。
私の頭のすぐ上で、見たこともない速さの攻防戦が繰り広げられているのだ。
格好がつかないのも無理はない。
「宝石の中には自然に魔力を含むものがある。そいつを取り込んだんだ。角を折られたファリニシュの中で魔力は行き場を失い……」
次はレストランとは別の建物が爆発する。
「暴走した魔力を無差別に撒き散らしている!そうだね?アガサ君!」
マルスが猛攻を凌ぎながら横目でこちらを見る。
「そうだそうだそうだそうだ!!!」
私は兎にも角にもしゃにむに返事だけは返した。
「であればここにいては街を災禍に巻き込んでしまう!何故かファリニシュは君たちを執拗に追っているようだから、失礼するよ!」
「のぉあ!!」
マルスはそう言って私とマミタスを軽々と小脇に抱えて走り出した。
成人二人を小脇に抱えてこの速力!!
魔法とやらがなんなのかさっぱり分からんが、とんでもない力を秘めている事は分かった。
「しかしどうする!このまま逃げても行く先々で魔力暴走を引き起こすだけだぞ!!」
私は精一杯の大きな声で叫んだ。
マミタスはあまりの衝撃で驚いたヤギのように固まってしまっている。
後ろ向きで抱えられている分、ジャンボポタトの挙動がよく見えて怖い!
「とりあえず郊外に向かう!どこかで魔力を発散させなければ!!この莫大な魔力が尽きるまで!!」
「不可能だ!!どこかってどこだ!!この世界は魔法魔法魔法!右見ても左見ても魔法で溢れているではないか!魔法が使えないのは我々くらいのものだぞ!ふはは!!」
自虐を交えてウィットに富んだジョークを披露した。
もう恐怖やら焦りやらで何が何やら分からなくなってきた。
「……!!」
「それですよアガサさん!溢れんばかりの魔力を吸収できる空っぽの魔石がたくさんある所があるじゃないですか!!」
マミタスが何か閃いたようだが、私にはさっぱり思い当たらない。
「この街にそんな所があるのかい?!」
とりあえず郊外へと走り出したマルスにも思い当たる場所はなかったらしい。
彼は藁にもすがる思いでその情報に飛びついた。
「アガサ探偵事務所です!!誰も魔力供給出来ないので空っぽの魔石しかありません!!」
「!!」
「ならこっちだね!西街を抜けて河川敷沿いのなるべく人気のない道を進むよ!!」
マルスがルートを変更すると、ジャンボポタトも追従……しない!!
しまった!!西街の入り口には八百屋がある!
「ポタトちゃんはフルーツが大好物なんでした!」
ジャンボポタトは八百屋方面へ向かって走りださんとしている。
「くそ!なにかおびき寄せられる物さえあれば……!」
マルスがぎりりと奥歯を噛み締める音がする。
「……ある」
私は小さく呟いた。
「え?」
二人が期待の眼差しでこちらを見ているのを感じた。
この状況を打開することができる物を私は持っている。
そう。
ファリニシュに追われ続けても後生大事に取っておいた、『これ』が。
私は贈答用の箱から編み編みの緩衝材に包まれたプライシプレを取り出した。
「マルス青年短刀を借りるぞ!」
そうしてマルスの腰よりぬらりと短刀を抜きプライシプレの四分の一を切り取った。
南国を思わせる甘美な香りが広がる。
艶々な果肉から果汁が溢れる。
「ぁぁああああ!!一万デルぅうう!!」
私は心を鬼にして切り分けたそれを宙へ放り投げた。
マミタスは両手で口を押さえて悲鳴を押し殺している。
プライシプレは今私が持てる全財産である。
その四分の一がくるくると放物線を描いて、ジャンボポタトの口の中へと消えていった。
私の頬を濡らしている雫はプライシプレの果汁かはたまたそれ以外のものかもはや分からない。
しかし身銭を切ったことが功を奏したのか、ジャンボポタトはこちらへと威勢よく走り出した。
プライシプレは見事にこの大きなファリニシュを魅了したのだ。
ーーーせめて一切れでも残っていてくれ!
その想いは天に届くことなく、探偵事務所の手前で最後の一万デルを放り投げた。
私もマミタスも仮住まいの事務所に着く頃には、マルスの腕の中でがくりと項垂れていた。
ファリニシュはと言うと、内側で暴走する魔力がグングンと事務所に吸い取られていくのが心地いいのか庭先で寝てしまった。
事は計画通り成ったのだ。
「さすがの僕でも……今回は堪えたっ……」
そう言ってマルスはしょぼくれた我々を芝生に投げ出して倒れ込んだ。
こんなところまで人二人抱えて走ったのだ。当然である。
たくさん走って、たくさん肝を冷やした私たちは冷や汗だか何だかよく分からない汗に塗れていた。
我々は三人と一匹で頭を突き合わせ庭に転がっている。
先ほどまで命をかけた鬼ごっこをしていたというのに、実におかしな事である。
しばらくすると探偵事務所の明かりが灯った。
空っぽであった事務所の魔石がポタトの暴走した魔力によって充当され始めたのだろう。
全ての明かりがぴかぴかと点滅すると、時を止めていた魔道具たちが一斉に動き出す。
果ては水やり用の魔道具までが動き出し、熱を持った我々の体に冷や水を浴びせた。
「ははは!ははははは!」
我々は誰からともなく笑い出し、しばらくびしゃびしゃのまま笑い転げた。
こんなことをしたっていいのだ。
だって今日は熱々の風呂に入れるのだから。




