五話 バスクバスク
メアリーは静かに膝をついた。
がくりと項垂れた頬へ夕陽で金に染められた髪の毛が落ちる。
この世界へ来たのは昼時分であったというのにすっかり日々が暮れてしまった。
今日の夕飯、どうするかな……。
寝床さえないのだが。
そんな事を取り止めもなく考えているとメアリーはぽつりぽつりと喋り出した。
「私のお給金だけではあの子を育てていく事ができません。あの人は私が身籠ったこった以上金銭的にに支援してくれると言ったわ。だのにあのような我楽多ばかり集めて!」
メアリーが指し示す方にはコンコンドルが集めたであろう我楽多が飾られている。
小さな時計に、金色の鋏、それに
あれはジッポだろうか。
確かに本人以外から見れば我楽多か。
いや?この世界においては或いは……。
「貴方さえいなければ……。貴方は一体何なのですか?!」
「隠された真実を暴く者、『探偵』アガサですよ」
窓から差す陽が私の影を大きく伸ばす。
ひやりとした風が頬を撫でる。
今日はやはり肌ざむい。
はて、この部屋の窓は空いていたかしらん。
そんな事を考えていると、間もなく空間がぱきぱきと音を立てて凍てつきだす。
マルスの腰紐に縛られた警報のようなものが、ビィビィと不愉快な音を立てて喚く。
「しまっ……!!!」
マルスが私の前へと立ち塞がるよりも先に、メアリーの頭上にできた大きな氷の礫が私へ向かって飛んでくるのが見えた。
世界がゆっくりと流れる。
マミタスの蒼白とした顔や、マルスが必死にこちらへ駆け寄っているのが見えたがその距離では間に合わないだろう。
そうか。これが走馬灯……。
「ぬぅん!!!」
左方からゴロツキーの低くて渋い声が聞こえたかと思うと、彼の肩が私の脇腹に激しくぶつかり、腹に衝撃が走る。
肺の空気が全て押し出された私はもんどりをうちながら窓を破り書斎の外へ飛び出た。
頭上を氷の礫が掠め取る。
し、死ぬかと思った。
どうやらゴロツキーが私の身体を弾いてくれたおかげで難を逃れたようだ。
時間を取り戻した私の心の臓がぱくぱくと脈打っており、生を実感する。
私の身体はちょうどよく生えていた植木に落ちたようで、落下の衝撃を多少は緩和できたようだ。
窓から滑落する過程で体の至る所をぶつけたようでじんじんと体が痛む。
庭木には私の尻がはまってしまっていて起き上がれない。
私がでんぐり返しを途中で止めたような体勢で動けなくなってしまった。
窓を眺めていると、私の後を追うようにメアリーが飛び出してくる。
「ーーーさせない!」
マルスがそう叫ぶとシュルシュルと光の縄がメアリーの足首を掴んだ。
どかりと鈍い音を立てながらメアリーは私の側へ落ちる。
受け身を取れずに地面に打ちつけられたその様は実に痛々しい。
我々はしばし沈黙のまま地面に転がっていた。
何か一言、探偵らしい含みのある言葉をかけたいものだ。
「愛する我が子を守りたかった。その気持ちは彼も同じだったのではないだろうか」
そう言って私は懐のポケットからジッポを取り出した。
メアリーは私をきりと睨見ながら床に突っ伏している。
「何を……」
かちん。
親指でふたを弾くと金属製の筐体が音を立てて火が灯る。
メアリーが何か言いたげに唇を開きかけたが、その火を見つめ口を閉ざした。
「そう言う、事ですか……」
これは私にとっては何の変哲もない着火具だ。
ただ魔法が蔓延るこの世界においては、魔法を使わずに火をつける、ある種魔法の道具なのだ。
「お子さんは魔法が使えなかったのではありませんか?」
彼女は私の手の中で燃える火を黙って見ている。
コンコンドル氏は時計塔をはじめ、科学的な発明品に投資をする事で、マミタスのように魔法の使えない人々、ノーヴが生きやすい社会にしたかったのではないか。
ノーヴだと知っていて尚もマミタスを雇用したのは、案外これらの発明品の実用性を試すためだったのかもしれないな。
「彼は我楽多集めに闇雲にお金を使っていたわけではなく、私たちの、未来に投資していたのですね……」
そう言って静かに涙を流したメアリーは、後から来たマルスによっておとなしく連行されていった。
「初めはとんでもなく変な奴が立ち入ってきたと思ったが……。アガサ君、そしてマミタス君、礼を言わせてくれ。捜査への協力、感謝する」
私はゴロツキーから差し出された手を固く握った。
なんとか私は『探偵』の有用性を体で示す事ができたらしい。
マミタスはとても誇らしげに喜びを噛み締めている。
頬を紅潮させてふんすふんすと鼻を鳴らしている姿はボールを取ってきた犬のようで私は笑わずにはいられなかった。
「本当に、ありがとうございました。何とお礼をしていいやら、私に出来る事があればなんでも仰ってくださいまし」
エレノアと料理長が並んで礼を言う。
「そうですな。それでは……」
私は取り急ぎ彼女らに我々の衣食住の保証をお願いしたのだった。
あの事件から一週間。
我々は故コンコンドル邸で悠々自適な生活を、していなかった。
この屋敷の現主人であるエレノアに冷遇されているわけでない。
彼女達は事後処理の忙しい最中、我々を手厚くもてなしてくれたのだ。
勿論料理長ギンピィが腕を振るったコースもいただいた。
そして彼女らは遺産の整理の中で、財政状況の悪化に瀕しこの屋敷を手放す事にしたのだ。
しかしながら売りに出すにもこの物件は、敷地内で人が死亡した事実のある、所謂事故物件である。
これでは買い手が付かないし、安く買い叩かれてしまう。
従って我々が事件が風化するまでのしばらくの間この屋敷を管理する代わりにタダで間借りさせてもらえる事になったのだ。
事故物件をロンダリングする日本のバイトのようで少し面白く感じたのだが、図らずも当面の宿まで獲得する事が出来たのは不幸中の幸いであったといえる。
この屋敷は私の社畜時代に下宿していた1Kのアパートより遥かに上等である。
二人で探偵事務所として使っても持て余しそうだ。
なぞと異世界生活が一見順風満帆のようにみえるが、我々の苦悩はここから始まったのだ。
何せ魔法が生活に根付いているこの世界の屋敷である。
風呂を入れるにも、何をするにも魔法だの魔力だのが必要になるのだ。
一家には魔石なるものがあり、魔力を供給しておくことで任意のタイミングで家電(魔力で動くのだから家魔だろうか)が使えるそうだ。
魔力を貯める魔石と聞くと少年少女がワクワクしそうな響きだが、私のいた世界で例えるなら蓄電池だ。
こう言い換えてしまうとあまりにも夢がない。
そして私とマミタスは魔法が使えない。
であるならば勿論魔石の中の魔力は空っぽなわけで、我々はこの最高の拠点で原始的な生活をしているのだ。
魔石そのものが魔力を持っているような宝石なぞもあるそうだが、それを買う金があれば、魔力を貯める用の使用人が何人も雇えるそうな。
「あわわ、あわわわわ〜!!!」
奥でマミタスが昼飯と格闘している声が聞こえる。
マミタスは魔法が使えないのを補おうと日頃から書物を読んで知識を蓄えたり、生活魔法なしでもぴかぴかに掃除をこなしていたりとあれでいて努力家であり結構器用なのだ。
「アガサさん。私、また失敗しちゃいました……」
そう、料理を除いて。
「いやぁマミタス君。私がビラ配りに行っている間に昼食を用意してくれるなんて助かったよ。それに見てご覧。こんなにも廊下がぴかぴかだ。これはマミタス君の努力の賜物なんだよ。些細な失敗など気に病む必要はない」
「時間はかかりますがお掃除は得意なんです!お屋敷ではずっとお掃除をしていましたから」
マミタスの曇っていた顔がパッと明るくなる。
「さて冷めない内にいただこうか」
私がそういって食卓へ着くとマミタスは照れくさそうミトンでグラタン皿を掴んで持ってきてくれた。
「少し焦げちゃいました」
グラタン皿の上の焼土が、彼女の戦いの激しさを物語っている。
ふすふすと煙が見えるのは、先ほどまで入念に焼きを入れていたからであろう。
「さしずめバスクグラタンといったところだね」
「ばす……?」
「いや、このような調理法もあるから気にする事はないよと言いたかったんだ」
私が会社勤めしていた頃は、駅の近くにバスクチーズケーキ屋さんがあり、頑張った自分へのご褒美によく購入したものだ。
表面は一見焦げているのだがフォークを差し込むととろりとチーズケーキが絡みつき、ミルクの香りと甘さが疲れた身体によく沁みる。
昔馴染みの味を想像すると少し口寂しくなったな。
まだ数日しかこちらへ来て経っていないと言うのにあの日々が懐かしく思えるのだから不思議だ。
そんな事を考えながらグラタンにスプーンを差し込むと、かさりと乾いた音がして乾燥した小石のような砂利のような焦げが動く。
かさり。
さらに掻き分ける。
かさり。
おかしい!
何度掻き分けても同じ光景が続いているのだ!
「マミタス君。先ほどの発言を一つ訂正させてくれ。これはバスクグラタンではない。バスクバスクだよ」
「……?というと?」
「そうだな。分かりやすく言い換えるなら……炭だな」
我々はがくりと項垂れてしまった。
先日の事件解決に貢献したおかげで、マギアガードからも幾分か謝礼が出ていたのだが、二人が暮らしていくには不十分なのである。
先々を見据えて食費も切り詰めているが、持って一週間といった所だろうか。
故に新しい依頼を求めてビラ配りをしていたわけなのだが……。
やはり知名度というのは大事なのだ。
私が読んできた探偵小説は皆”名”探偵を主役にしていて、こんな探偵駆け出しの下積み時代をどう過ごしたかなんぞ書かれていなかったから、一体何から手をつけていいやら分からない。
途方に暮れていると玄関先でコンコンとドアノッカーを叩く音が聞こえてきた。
ビラ配りの効果がこんなにも早く現れるとは!
私はいそいそと玄関先へ小走りで向かい、重い扉を開く。
「どうもーーー……ってマルス青年ではないか」
そこには大きな紙袋を両手で抱えたマルスが立っていた。
開け放った扉から爽やかな風が部屋に吹き荒ぶ。
「やぁ。警らでこの辺りに寄ったものだから、サボ……君たちの様子を見に来たよ。あの時は随分と世話になったね、アガサ君」
「サボ……息抜きは大事だものな。まぁ入りたまえ。私たちもちょうど暇……いや小休止をしていた所なんだ」
ていよく使われている気がしない事もなかったが、我々の事も心配してくれているのもまた事実なのだろう。
これだからマルスは要領がいい。
私は彼をマミタスのいる部屋へと案内した。
「おっともしかして食事中だったかい?これはタイミングが悪かったかな?実は、かの料理長ギンピィが、エレノアさんと軽食の屋台を出していてね。一緒に食べようと思って差し入れで買ってきたんだけど……」
マルスは机上のグラタン皿を見つけて困った顔をした。
「これは同期にあげる事にすr「いや!是非いただこう!なぁマミタス君」
私は彼の言葉を掻き消す勢いで言葉を被せた。マミタスもあんなにしょぼくれていた顔はどこへやら、まるで救世主を得たりと言う顔で首を縦に振る。
「私っお茶を淹れてきます!」
そう言い残してマミタスはぱたぱたと奥へ走っていった。
マルスを席まで案内すると、グラタン皿の中身が見えたのか彼は少しぎょっとした顔をして得心したように頷いた。
「随分苦戦しているようだね。これは買ってきて正解だったかな?」
お茶目にウインクしながら茶化す様も今の私には仏の瞬きのように映る。
実際のところ我々の空腹はサバンナで生きるハイエナの域に達していた。
目の前の肉の匂いをプンプンさせた芳しい紙袋が私の視界でふらりと揺れている。
私は虚ろな目をしながらマルスが持つ紙袋へと手を伸ばした。(無作法なのは承知している)
マルスはするりと紙袋を持ち上げて私の手を躱す。
むっ。
私はムキになってもう一度紙袋へと手を伸ばした。
するり。
今度は左に紙袋をやったものだから、私の手はすげなく空を切った。
私はとマルスの目をじとりと睨め付けた。
「実は、この間の事件を解決した『探偵』アガサ君に頼みたい事があって来たんだ」
私がいくら視線で訴えても彼はびくともせず、いつもと変わらない清涼なスマイルを向けてきた。
なるほど。
これはお願いではなくて脅迫だ。
あの料理長ギンピィが手がけるご飯を人質、いや飯質に厄介な事件を解決させようと言うわけだ。
「良いだろう。話を聞こう」
私は手を組んで肘をつきながら彼を見た。
まだ新規の依頼一つない場末の探偵からすると、これは願ったり叶ったりの状況である。
依頼も飯も運んで来てくれるなんてマルスはやはり良い奴だ。
私は一丁前に名探偵の雰囲気を醸し出して彼と対峙した。
「お待たせしました!熱いので気をつけて……って何ですか?この雰囲気は」
何も知らないマミタスが茶々を淹れたので、我々はまず昼食を取る事にしたのだった。
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