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二話 コンコルド・コンコンドル殺人事件(1)

「ここは……」

「我々が出会った噴水の広場のようだね。件の馬車はあちらの屋敷に着けられているが……」


私がちらとマミタスの方を盗み見ると、彼女は青白い顔をして俯いていた。

畢竟ひっきょう、彼女はこの屋敷の主と深い関わりがあり、尚且つ魔法が使えないことに関連してこのお屋敷から追放されたといったところだろうか。


「マミタス君はここで待っていてもいいよ。よんどころない事情があって、ここで困り果てていたのだろうよ。然れども魔法を持たぬ私はこの灰色の脳細胞一つでこの世界を生きて行かねばならんのでね」


私は悪戯に微笑んで人差し指で頭をコツコツと叩いて示す。

……決まった。

灰色の脳細胞なぞ日常生活で使うことの出来ない、エルキュルポアロにのみ許されたような決め台詞。

齢四半世紀を超えてようやっと披露する事が出来た。

この世界で語感に釣られてアガサと名乗ってみたものの、私が探偵小説を初めて手に取り、恋のように焦がれたのは物語の中で活躍するポアロその人であり、そのキャラクター性なのである。


私は、私だけの物語が動き出した事にほんの少し不謹慎ながらも胸を躍らせた。


「……一緒に、行きます!私も連れて行ってくださいアガサさん!」


マミタスは逡巡した後、ギリギリと握った拳を握り直すと俯いた顔を上げ、燃えるような赤の瞳で私を捉えながらそう言った。


「では、お嬢さんお手を」


そう言って私は彼女の手を取り、エスコートの如く丁寧に屋敷の方へと連れ立った。



はてさて門前では幾人かのマギアガードとやらが忙しなく出入りしており、我々はそれに乗じて屋敷内に転がり込むことに成功した。

聞くにこの屋敷の主人が書斎で倒れたのだという。

先の馬車は教会から呼びつけた僧侶が乗っていたようだ。

物語で言うところの”回復魔法”なぞが施されるのであろうか?


「マミタス君。書斎へ」


先ほどまでキョロキョロと落ち着きなくあたりを見回し、挙動不審な様子をしていた彼女は、私の指示を聞くと真っ直ぐに屋敷の書斎へと導いてくれた。

我々は開け放たれた扉から静かに中を覗き込む。

中にはマギアガードと思われる様相をした壮年の男が一人、不惑の年頃であろう熟練の雰囲気を纏う男が一人と屋敷の関係者が数人。

床には屋敷の主人だったであろう男が倒れ伏している。


「コンコンドル様……」


マミタスは顔を歪めながら、私にだけ聞こえる小さな声で呟いた。


コンコンドル……

彼が今回の被害者であり、マミタスの元雇用主と言うわけだ。(まだ他殺と決まった訳ではないのだが)

死体の傍らには僧侶らしい白の衣に身を包んだ華奢な少年が寄り添っていた。

翠色の淡い光が、今まさに少年の手元とコンコンドル氏を優しく包んでいる。

少年は回復魔法をかけ続けていたようだが、程なくして腕をだらりと脱力し首を静かに横に振った。

少年のふわふわとした銀の長い髪が少年の表情を覆い隠す。


「……やはり、手遅れでしたか。ルシリュー殿ほどの僧侶でも無理となると、この世界のどの教会を巡っても彼を回復する事など出来ますまい。ルシリュー殿、どうか気に病まれませんよう」


どうやら僧侶の少年はルシリューというらしい。


「ゴロツキー隊長。現場検証に入っても?」

「あぁ。頼む。外傷はないようだから持病があったのかもしれん。……マルス、一応魔力の検知もしておけ」


手際よく部下に指示を出す様はいかにも出来る上司然としており、マルス青年も文句一つ言わずに即座に行動に移っているところが実に好感が持てる。

おっと、このまま眺めていては現場が当初の姿からみるみると形を変えてしまう。


「ちょっ……⁉︎アガサさん何を?!」


私はマミタスの制を振り切って部屋に躍り出た。

マミタスは必死に声を抑えて、探索を始めた私を止めようと手を伸ばしている。

しかしそんなものでは私を止められない。


「ふむ。被害者は食後に一人でティータイムを楽しんでいたようだね。部屋の状況を見るに、誰かが無理に入ってきたような形跡もない。つまり、この部屋には誰でも自由に出入りできたという事ですな?ゴロツキー警部」


私はゴロツキーと呼ばれていたマギアガードの男横にするりと並び立った。


「ケイブだぁ?おいマルス!こいつらは一体何だ?屋敷の人間はサロンで待つよう伝えたはずだが。にいちゃん、好奇心が旺盛なのは若けぇから大目に見るとしても、現場をうろちょろされちゃ困るよ」


ゴロツキーは胡乱な目でこちらをジロリと睨め付けた。


「いえね、ゴロツキー警部。私は実に有能な探偵であって、この様な謎を前にすると全てを詳らかにせずにはおれないのですよ」


そう言って私は丁寧に腰を折り、ゴロツキーへとボウ・アンド・スクレープを披露する。


「……」


ゴロツキーは私の事を値踏みするように見つめてる。


「因みに警部というのは、私の住む地域では優秀な捜査官に付けられる称号の様な物なのですよ。悪しからず」


ゴロツキーの口元が僅かに弛む。


「ほら、警部ご覧ください。この床のシミはお茶で間違いありますまい。この甘美なるお茶の香り……。とても品の良い紅茶の類に違いがありません。是非とも私も一杯頂きたいところではありますが、それはまたのお楽しみとしましょう。問題はこちらです。ティーポットとくればお相手はカップとソーサーでしょう。しかし机の上にはグラスが一つぎり。私はここに強く違和感を感じざるを得んのですよ。はてさて、一体誰が、なぜこの様な事を?この屋敷にいる人たちにも彼の様子を伺いたいものですな。ゴロツキー警部」


私は床に染みている紅茶の香りを手で煽り、ゴロツキーへと届けた。

ふわりと私の鼻腔をもベルガモットのような香りがくすぐり、アールグレイなどのフレイバーティーを想起させる。

私は胸ポケットから革張りの手帳をいそいそと取り出した。

推理物のポアロシリーズを読むにあたって、登場人物や、その行動なぞが全く覚えられなかったので記録するのに使用していたものの、ほとんどまっさらの手帳だ。


割れたティーポットとアイスグラス……。


これによって一体何が判るというのか。ただの探偵気取りである私には皆目検討もつかなかったが、忘れないうちに書き留めることにしたのだ。


手帳へ書き付けるペン先が震えていることに気づく。


私は、ここに来て初めて人が死んだのだと理解したのだ。

何を隠そう現代日本でぬるく育った私は、死体を見るのは初めてだった。

先刻までこの人はマミタスの雇い主として、この屋敷の主人として普段のどおり生活をしていた、生きていたのだ。


他殺か持病かなどはまだ分からない。

分からないが、私は私とマミタスの人生を、この探偵という手段を持ってして牽引していかなければならないのだ。

不安な様子など彼女に見せてはいけないのだ。

私は平静を取り戻すように、手帳の最終行へ『良い香りの紅茶、スコーンといただけばご機嫌な午後が過ごせる』と認めた。


私が徐に手帳を閉じかけたその時、遠くよりバタバタと階段を駆け上る足音聞こえてくる。

その音は急足でずんずん書斎へと近づくと、

「ご主人様!」

開き掛けの扉を大きく開け放ち、その音に負けぬ程の大きな声を張りながら入室する。


みるにこの妙齢の女性は屋敷の侍女か。

いやそこいらの侍女の服装よりもやや格式高そうな仕立ての服を纏っている。

奉公人をまとめる侍女頭であろうか、兎角彼女が息を切らしながら書斎へと転がり込んできたのだ。


「何奴か!」


ゴロツキーとマルス青年は帯刀している腰元へと手を遣る。


「あぁ……。ご主人様、何とお労しいこと……」


彼女は膝からがっくりと泣き崩れる。


「私はこの屋敷で侍女頭を務めておりますメアリーと申します。近頃は氷室の調子が悪く、夕餉の食材を仕入れに出でいたところ、教会の馬車が本邸の方へ駆けるのを見たと聞き及び、もしやご主人様に何かあったのではと思い至り、急ぎ戻って参ったのであります……。一体誰がこの様な蛮行を……あぁご主人様、今朝まではあんなにも元気にいらしておりましたのに」


メアリーは一気に捲し立てると、再びおいおいと取り乱し始めた。

僧侶のルシリューが寄り添って話を聞いてやっている。

まるで我々がこの空間に存在でもしないのかと思われるほどの独壇場だ。


私は本日2枚目のハンケチをポケットからするりと取り出して彼女へと差し出した。


「こちらをお使いくださいレディ」


そう言って彼女の手を取り起こしてやると、彼女は落ち着きを取り戻したのかゆっくりと立ち上がった。


「取り乱してしまいましたわ。申し訳ございません。ハンケチもありがとう存じます」


そう言ってメアリーは丁寧に礼をしてハンカチを手で押し返した。

私はこの所在ないハンカチで滲む汗を拭った。

するとメアリーが大きく目を見開いて私を見ているではないか。

何か作法がまずかったか?

いや、私の後ろに隠れる様にして張り付いていたマミタスを見ているのだ!


「……マミタス・オブリガータ⁉︎貴方が何故ここにいるのですか!暇を出した筈ですよ!」


マミタスは私の袖を固く握っていたのか、身体がびくりと震えたのが私にも分かった。


「あのっ……!その……」

「マギアガードの皆様。彼女は今朝までうちの奉公人でしたが、魔法一つ使えんとてご主人様の命により暇を与えられたのです。それが何故またご主人様の書斎にいるのですか⁉︎まさか貴方……‼︎」


メアリーが口籠るマミタスにそう詰め寄ると、部屋の空気がピリと張り詰める。

マギアガードの2人が互いに目配せをして何やら意思疎通をしている。


まずい。


彼女に今回の事件の嫌疑が向けられている。

彼らからすれば被害者の因縁のある人物がお誂え向きに用意されたも同然なのだから、容疑者とされるのもある意味当然なのである。

探偵素人の私にはそこまで思慮が行き及んでいなかった。

ーーー急ぎ彼女の誤解を解かねば!!

私が口を開きかけたその時、マギアガードの兵によって私の腕が後ろから締め上げられた。


「え」


紳士に没我していたはずの私の口から、なんとも素っ頓狂な声がこぼれ出る。


「そこなよく喋る不審な男も連れて行け」


ゴロツキーの号令により、マルス青年が手慣れた様子で身体を検める。


「ゴロツキー隊長、この男、武具などの不審物は持ち合わせていないようですが、どうされますか?」

「皆が集まるサロンの横の部屋にでも入れておけ。逃げないように見張りを立ててな。マルス、本案件を殺人事件として調査するぞ」


ゴロツキーがくいと手信号をして見せると、マギアガードの連中がきびきび動き出す。


「そういう事みたいだ。申し訳ないけれど、お二人ともこちらへ来てもらうよ」


マルス青年があまりにも爽やかに言うもんで、腕を組んだまま光の縄でぐるぐる巻きにされたと言うのに悪い気がしない。

私はずるずるとマルス青年に引き摺られ、簡素な部屋の椅子に縛り付けられた。


 


マミタスと私は今まさに背中合わせになるように縛られているのだが、がっくりとうなだれているのか一言も発さない。

姿を見なくても相当落ち込んでいるのが分かる。


「まぁそう気にやむ事はない」


私は持ち得る僅かな語彙で彼女を励ましてみる。


「アガサさんは何でそんなに落ち着いているんですか!私たちは殺人犯扱いされているんですよ!うぅ……」


背後から恨めしい声が飛んでくる。きっと顔を赤くして、その小さな頬袋を膨らませてぷりぷりと怒っているに違いない。


「でも我々は犯人ではない。そうだろう?」


少し計算が甘かった故に捕縛されてしまったものの、マミタスは一日中私と街を徘徊してた訳で、その身の潔白は私がよく知っている。

この事件が本当に殺人によるものなのだとしたら、予定通り真犯人を暴き出して釈放されれば良いのである。


「そもそも雇い止めされた使用人が勝手に屋敷の中に入り込むなんて怪しいにもほどが有りますし、本当の事を言っても、誰もノーヴの言うことなんて信じません……。罪を押し付けられて、私たちはこのまま暗くて狭くて怖い牢屋に閉じ込められて、最後は市中引き摺り回しか、絞首刑か、はたまた火にかけられちゃうんです!」


彼女は縛られてない膝下をバタバタと床に打ちつけて私に抗議してくる。


「素晴らしい想像力だねマミタス君。しかしだ。せっかくならば、この事件の事を想像した方がより建設的というものだろう」

「この事件の事……?こんな状況ではマギアガードのように犯人を探すだなんて出来ないじゃないですかぁ!」

「あぁそうだ。しかし幸いにもマミタス君はこちらで働いていたようだから、彼らの関係性やら人間性と言うものを知っているだろう?そこから紐解いたのなら、真犯人に辿り着けるかもしれないよ」


マミタスのバタ足が止む。


「……そもそも、元奉公人だったから今捕まってるようなモノですけど」


おっと。

背中合わせでなければ、彼女にじっとりと睨まれていたかな?


「でもそうですね。私も前へ進むって決めましたから!」


どうやら事件の捜査に前向きになってくれたようだ。

捕縛されてしまった以上、私にはあの書斎で目にした情報しか持ち合わせていないのだ。

元従業員のマミタス無しでは取り付く島もないのである。


「では早速協力してもらえるかな?」

「もちろんです!でももう現場を見る事も出来ないのに犯人を特定する事ができるんですか?」

「勿論だとも。物事には因果関係があるのだよ。一つ一つ紐解いて行けば最後に真実が現れるはずだ」


そう言って私は鼻を掻くために自由にしてもらった肘から下を上手に動かして、先程の手帳とペンを取り出した。


「まずは被害者について覚えている事があれば教えて欲しい。出来るかね、マミタス君」



「被害者はコンコルド・コンコンドル。この屋敷の主人であり、この街では有名な投資家です」

「有名な投資家?」

「はい。ご主人様……じゃなくて、コンコンドル氏は以前は凄腕の投資家として富を築いていたと聞きます。しかし、チッコロの中央広場の時計塔へ投資をした事を皮切りに、近頃は何というか、よく分からない……じゃなくて、前衛的な?発明品に投資をする様になり、今では経済状況がかなり不安定なのではと使用人の間で噂されています。というのも、以前はチッコロの中心部に居を構えていたのですが、昨年末には元いた屋敷を売却して、ここウィンストン通りへと移ってきたようです。私がお勤めさせていただいたのは一ヶ月なので、詳しい経緯は分かりませんが……。世間では我楽多がらくた投資で富と名誉を失ってしまった好き者投資家としてチッコロでは有名なんですよ。それに遺族も奥様しかいませんし、遺産目当てで殺されたとは思えません」


確かに屋敷に忍び込んでから書斎までの道中を振り返ってみても、最低限の調度品があるのみで豪奢な感じは無い。

強ち経済的に余裕がなくなってきたというのも本当かもしれない。

私はカリカリとマミタスの話をいくつか箇条書きにして手帳に記した。


「ふむ。では遺産目当てではないとすれば彼は一体何故殺害されたのだろうね?」

「私怨、でしょうか?といっても屋敷に住んでいるのは奥様だけですし……」


マミタスはうんうんと頭を捻っているのか、椅子が軋む音が部屋に響く。


「屋敷の使用人なぞでムッシュコンコルドに恨みを持つ者は?」

「むしろ感謝している様にさえ思います。ご主人様は人に対して寛容というか、無関心というか、訳ありな人でも気にせずに雇ってくださいます。何せ私のようなノーヴも雇って頂けたわけですし……。でもでも、食には強いこだわりがあって、このお屋敷の料理長は以前中央の一流ホテル『アウストラ・ロピ』で勤めていた方なんですよ!私は賄いの賄いをいただいていましたが、野菜の端くれがほんわり甘くって、こんなに美味しくいただけるとは思いませんでした!」


マミタスの話を聞いて私のお腹がぐうと大きな音を立てて鳴き出す。

そういえば、昼からの打ち合わせの前に昼食を摂ろうと商店街を練り歩いていた途中だったのだ!

それがいつの間にやらおかしな世界へと迷い込み、あれよあれよと事が進み昼食を摂る機会を逸していたのだ。

マミタスの想像を掻き立てる様なレビューを聞いたせいで、そんじょそこいらの御仁よりもグルメである私の胃袋が空腹に意を唱えている。


自覚してはもうどうしようもない。


こいつはぐぅだのゴワゴワだの種々様々な音色で音を鳴らす。

ペンを握る手にも何だか力が入らない。

次第に腹ペコで視界がくるくると回り出し、私は椅子ごと床へ倒れ伏した。


「きゃぁ!アガサさん!ーーー誰か!」


マミタスが叫ぶ声。


「大丈夫か!?一体何があった!?」


部屋の外でいたマルス青年が焦燥感を纏い、乱暴に戸を開けて入室する音。



「……空、腹」



私が力を振り絞ってマルス青年に伝えると、私の腹は今日一番の情けない音でクウと鳴いた。




「すまない。勾留したのはちょうど昼時だったね。昼食を用意させよう」


そう言ってマルス青年はいくつか呪文の様な物を呟いて、するりと私の拘束を解いた。

マルスは開いた戸から部下へ温かいご飯を用意する様に伝えた。


「実はね、ルシリュー殿の協力でコンコンドル氏の死因がオオグンタマの毒によるものだと断定されたんだよ。だから僕は正直2人を疑っていないんだよね」


そう言ってマルスはごめんねとウインクをした。


彼が日本でアイドルをしていたなら女どもがきゃあきゃあと湧いたに違いない。

私でさえオオグンタマなぞいう聞きなれぬ言葉が清涼感のあまり意識外へと流されてしまいそうなほどである。


「オオグンタマ……。即効性の毒を持つ蜘蛛型の魔物ですね。ネザリスなどの湿地に群生しているのでこんな所にいるはずがありませんよね?」

「あぁ。コンコンドル氏が飲んでいた毒は紅茶のグラスから検出されている。誰かが予め用意しておいてお茶の中へ混入させたのだろう」

「フレーバーティーのような香り高い紅茶は毒物を隠すにはうってつけと言うわけだね」


そう言って私はあの時ゴロツキーの鼻腔へと香りを届けた紅茶を思い出した。


あれ。

あの中に即効性の毒が入っていたのか。

とどのつまり、芳香につられて味見をしていたらうっかり死体になっていたという事か?


腹の底が冷石を投げ込んだかのように重たくなる。


探偵ものの作品なんてありふれていて、私はどこか探偵という職業を身近に感じていたが、こうも目の前に死の危機が訪れるなぞいう事を想像した事がなかった。

しかしこの異世界で何も持たぬ私が生きるという事、腹を括る他ないのだ。


「つまり最も怪しいのは紅茶を配膳した者、または紅茶を入れた人物となる訳だが……」


私は気を持ち直してちらりとマルス青年へ視線を向けた。

彼はこちらの意図を理解したのか、頷いて言葉を続ける。


「前者はコンコンドル氏の夫人だね。毎日昼食が終わった後すぐに紅茶を書斎へと運んでいるそうだよ。後者は料理人のギンピィ。なんでもかのレストランで働いていた事もあって、その日の気温や湿度に合わせて紅茶を淹れているらしい」

「なるほど。どちらも毒を入れようと思えば入られる。加えてルーティンがあったのなら誰でも犯行が可能だ……」


ふむ。考えれば考えるほどに推理は始めへと立ち返る。

探偵とは、推理とは斯様にも難しいものだとは。

ペン先をくるくると回していると、廊下の方からなんとも芳醇な香りが漂ってくる。

油と水蒸気の混ざった香ばしく重たい油煙、これはしっかりとメイラードさせた肉に見受けられる事が多い。


耳を澄ます。

ジュワジュワぱちぱちという音がしている。

これは、鉄板の上で踊る肉汁のせせらぎに違いない!


肉塊の乗った鉄皿を持った侍女長が入室した事で私の推理が決定づけられる。


「お待たせをいたしました。夕餉の準備に影響が出ないようこれだけしか用意ができませんでしたが、料理長が腕を振るったので味は確かです。マミタス、あなたも容疑者とはいえ今は客人です。共に食することを認めます」


ノーヴという存在は認められないと食事も摂れないのか。

これはいよいよもってノーヴであることは隠しておいた方が良さそうだ。


「いやぁ。かの高名な料理長の手がけるランチをいただけるなんて君が羨ましいよ。料理長がレストランから引き抜かれてからというものの、彼のレストランが新しく出来るものとばかり思っていたが、出資先のコンコンドル氏があぁなってしまっただろ?もう彼の料理をお目にかかることは出来ないと思っていたよ。一介の屋敷のお抱え料理人で留めておくには勿体無い腕だったと皆口を揃えて言っていたよ。僕がレストランに赴いた時にはすでにレストランを去っていたから、結局一度も彼の料理を味わう事ができなかったんだ。公務でなければご相伴にあずかったのだが……」


マルス青年が恨めしそうにこちらを見ている。

公務中ならば仕方がない。

私はこの素晴らしいランチをマミタスと二人じめする事に決めた。

分け与えたくなかったわけでは断じてないが、彼にお裾分けしてあげる事はできない。

何故ならば彼は公務中なのだから。


それよりもこの食事だ。

早く食べねば焼きたてのステーキに失礼というもの。

サラダとスープもついているではないか!

私はナイフとフォークで優雅に肉を一口大に切り分けて口へと放り込んだ。


「マーヴェラス!!!!」


まるで宇宙に投げ出されたかのような衝撃が走る。

空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだが、この肉に関してはスパイスなどという余計な手心は必要ないであろう。

塩と胡椒。

それだけでじんわりと焼き上げたのであろう。

雑味が一切ないにも関わらず、右フックで顎を揺らしたかの如き旨みの衝撃。

ワンコインのランチを探し彷徨っていたはずの私が、思いがけず一流シェフが手がけるメイン料理にありつけるとは!


マミタスも私も一心不乱に料理を口へと運んだ。

付け合わせの野菜も肉の旨みをふんだんに吸っていて実に美味い!


「おい!マルス!姿が見えないとおもったらこんな所で油を売ってやがったのか!犯人が名乗りを挙げたぞ……ってなんだこりゃあ?」


ゴロツキーがどかどかと足音を立てて部屋に入るなり我々の食卓を一瞥する。


「人道的処遇の最中です。彼ら拘束中に空腹で倒れてしまいまして」


彼は体よく雑談に興じていたと思ったが、上手いこと言ったものだ。

マルス青年は一見実直そうに見えるが、案外要領がいいのかもしれないな。


それより犯人が名乗り出たと言ったか?


私は目だけでゴロツキーの方向をみながらスープを口へ含んだ。

野菜のポタージュであろうか。

香り高いスープがこっくりと舌へ纏わりつく。野菜とミルクの優しい甘味がちょうど良い塩加減で引き立てられている。

ずっと舌の上で転がしていたい味わいだ。


「ここの料理長が犯行を認めた」

ゴロツキーがマルス青年へと報告する。


「?!!!?!」

私はスープを鼻から吹き出した。


今日はこんなにも肌寒いというのに、私の額には汗が滲んできた。

冷や汗だ。

マミタスの顔色がみるみる青くなる。


「あわわわわわ……。私、このお料理食べちゃいましたよ⁉︎ア、ア、アガサさん⁉︎どうしましょう!私まだ死にたくないです‼︎人生で一番美味しいご飯が最後の晩餐となるなら本望かもですけど、これからまたやり直すって決めたところですし、まだまだやってみたい事も、食べてみたい物もたくさんあるというか……」

「落ち着きたまえマミタス君。我々にはまだ出来る事があるはずだ。灰色の脳細胞を働かせて未来の事を考えるんだ。例えばほら、生まれ変わったら何になりたいだとかだな……」

「それじゃあ一度死んでるじゃないですかぁ!」


私はマミタスの肩に手を遣り必死に訴えかけたがすげなく押し除けられてしまう。


「何をやっとるんだお前たちは。オオグンタマの毒なら口にした時点でお陀仏してるだろ」


ゴロツキーのごつごつとした無骨な拳が我々の頭を小突く。


「た、確かに……」


マミタスは目に涙を溜めながら落ち着きを取り戻した。

小さなたんこぶのじんわりとした痛みで、私もまた正気を取り戻す事ができた。


「しかし奴め。何度聞いても自分が犯人と宣うばかりで犯行の詳細を吐きやがらん。もう少し現場検証が必要だ。マルス、お前はこいつらがうろちょろしないよう、ここに居ろ。また訳の分からんことを喋りながら付き纏われては敵わん。帰ったら明日までに一連の報告書をあげておけ」


そう言ってゴロツキーは部屋を跡にした。

外に出すなとは一里ある。

ゴロツキーから見れば我々はさんざ騒いで何故か勾留先で飯を頬張っている部外者なのだから。

しかしこの謎、全てを詳らかにして探偵の存在価値を示しておかねば我々は本当にただの間抜けな侵入者と相なってしまうだろう。


この場を動かずして情報を得る方法があれば良いのだが。


私はこの世界へ来てからの情報を頭で軽く整理する。


「マルス青年。ちとこちらへ」


私は彼を手で招き寄せ、耳打ちの準備をした。

彼も素直にこちらへ耳を寄せる。


「私は普段、中央でチッコロ通信に記事を寄稿している者なのだが、今回の事件も取りまとめて記事にしようと思うのだ。確認のために一部複製してマギアガードに渡しても構わない」


私がマルス青年へそう言うと、マミタスはあわあわと焦った様子で否定しかける。

私は仕方なしに余った手でマミタスの口を塞いでおいた。

記者であるなど勿論大嘘である。

私がこの世界へやってきたのは今日の昼時なのだから。


チッコロ通信なぞマミタスが口にしていたのを一度耳にした程度で、どのような代物か見た事もないのだ。


ただ彼女の口振りから察するに新聞のようなものだろう。

そしてマルス青年は実に要領の良い男だ。

こう言っておけば、帰ってから作成しなければならない報告書の情報を、私が取りまとめるのだと皮算用してくれるだろう。


「……なるほど。それは断る理由がないね。しかしここから君たちを出す事はできないからね?必要な物があればこちらの部屋に用意しよう」


マルス青年は瞬時に損得勘定を済ませてそう言った。


「話が早くて助かる。まずは関係者に話を伺うとするよ」

「料理長は取り調べ中だから呼べないが、それ以外なら一人ずつこの部屋で話を聞く事は出来るだろう。分かった。待っていてくれ」


そう言って彼はそそくさと部屋を出た。

この間に部屋をまろび出て隅々まで捜査しても良かったのだが、彼との信頼関係を良好に保つために辞めておいた。



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