第二章二話 その時間はとても穏やかに
小隊内は、休日で浮かれていた。
前日のクーゲル中尉の言葉に浮かれたり、濃厚な空気を醸し出したりもする。
穏やかな日常の中で、それぞれが人として1段階成長していく二章二話です。
誰もが口を開かないまま、ブーツのかかとが石床を打つ音だけが続いていた。
まだ点呼の時刻には早い。にもかかわらず、4人は全員そろって兵舎にいた。
無言のまま、整えた寝具を見ている者。革手袋の縫い目を指先でなぞる者。
視線は合わず、音もない。
それでも“昨日”の続きは、こうして確かに同じ空間にあった。
中尉の言葉「励めよ」が胸に残っているのか、それとも──ただ、気まずいのか。
「あの……。」
桃矢が口を開く。
考えを整理したかったからだ。
「昨日のクーゲルさんの…。」
言いかける。
しかし、どう整理をつけたものかわからないのだ。
しかし、似たような感情を抱いていた同志にはそれだけで伝わった。
「そうですね……。」
「あんな顔もするんですね、あの人。」
シュピュアが感想を言うかのように呟く。
彼女もまた、感情の整理がしたかった。
「酒を飲みすぎていたのか、単純に勇気を出してなのかはわかりませんが……中尉閣下はとても顔を紅潮させていました。」
「そうですねー!」
トリヒターが同意し続ける。
「は・げ・め・よっ♡って言ってましたね〜!」
トリヒターには他意もなければ悪意もなかった。
実際皆にもそう聞こえていたのだ。
──皆口にしなかっただけで。
「中尉も、可愛い所あるんですねぇ⭐︎」
トリヒターは続けた。
無垢な攻撃に、3名は居た堪れなかった。
「そ、そう言えば皆さん今日はどうしますか?」
バリーレが無理矢理話を逸らす。
今日、というのもこのクーゲル小隊は本日、休日なのだ。
「私は、外出許可を取得して孤児院に行きたいと思います。」
「コーガ上等兵もご一緒にいかがですか?」
「えっ、俺?」
突然の狙い撃ちだ、この返答は流石に仕方ないだろう。
しかし、一番驚いていたのは桃矢ではなく、バリーレだった。
(なんでこんな事言っちゃったの〜!?)
そう、誘う気などなかったのである。
気付いたら誘っていたのだ。
勿論、桃矢と一緒に散歩に行けたら良いなと思っていなかったと言えば、嘘になってしまう。
寧ろ凄く行きたかった。けど、出会ってまだ数日だ。
旧ドイツ人的な感性で言えば、はっきり指名するのは特別な意味がある。
無論、シュピュアとトリヒターが一発で察するのに苦労はなかった。
しかし、まだ17歳。
しかも旧ドイツ人ではなく純日本人の、対女性経験(会話等)の経験値に乏しい桃矢にはこの誘いの真の意味を看破する事は難しかった。
──つまり、社交辞令と思ったのだ。
先述した通り、出会って数日な事もある。
勿論、彼とて健全な男子だ。
まさか、自分に好意を寄せてくれてる!?などと思う事はある。
しかし、流石に勘違いだと、2008年当時流行っていた"ライトノベル"の読み過ぎだと一笑に伏してしまうのだった。
「あー、えっと…ありがとう。嬉しいよ。」
桃矢は言葉を選びつつ断る文章を模索していた。
しかし、次なるバリーレの発言により、事態は急速に明後日の方向へ向かう。
「でもっ!な、何か用事とかあったり先約があったら!別に強制とかじゃないので!!」
これには桃矢も困った。
この返しは明らかにワンチャン狙っている時のやつだ。
流石に鈍い人種である日本人の、更に鈍い桃矢でも気付いた。
過去に年上の先輩に告白した時に似たような言葉を続けた事があるからだ。
勿論その時は振られた。箸にも棒にもかからなかった、というやつだ。
日本人は雰囲気で察するお国柄だ。
寧ろ二言目の方がわかりやすかったかもしれない。
完全に二人の独壇場だった。
話すタイミングを見失ったシュピュアとトリヒターだったが、悲しいかな娯楽の乏しいアイゼンライヒの兵舎においては、突発的に始まったロマンス劇場は絶好の趣向品となってしまっていた。
桃矢は考えていた。
勿論、返事についてだ。
極めて慎重に言葉を選ぶ必要がある。
──桃矢は思い出していた。
中学に入学時、彼はたまたま新入生代表として選ばれてしまい、登壇した。
その時彼は、極めて慎重に言葉を選び、当たり障りなく且つ、今年の新入生は素晴らしい、と。
最悪でも、例年通りの儀式だとスルーして貰えるくらいのクオリティを、と。
それほど慎重に言葉を選んだ。
しかし、今はその瞬間がまるで、自動販売機でジュースを買うくらい難易度の低い事であると認識させられていた。
明らかに滝のような汗が出ている。
心拍数が跳ね上がっているのを感じる。
中学3年の最後、桃矢は団体陸上でアンカーを務めていた。
彼は全力で走り続けた。結果は2位だった。しかし満足していた。
だから高校では走らなくなってしまったのはまた別の話だ。
しかし、今はその走り終わった直後よりも息が苦しい。
心臓は恐らく1歩でも踏み出せば爆ぜるだろう、奇術師にそう宣告されれば違和感なくそれが信じられた。
「あの、です、ね…。」
そもそも、これもまた一つ考えなくてはならない。
仮にここで断れば、今後非常に気まずくなる。
しかし、受け入れればバカップルの完成だ。
否、バリーレがバカ化するか否かを論ずるのは、流石に礼を失する為、前言撤回する。
──バカ彼氏の完成だ。
桃矢の思考は過剰に飛躍していた。
歳の近い女性と散歩一つするだけでカップルが誕生するのであれば、今頃世界中カップルと不倫カップルで溢れ返ってしまう為だ。
しかし桃矢には学──そう、主に対異性関係においての学がなかった。
「ありがとう、ございます。」
少し考えたらわかる事だった。
恋人ができた事のない彼に、異性から好意を持たれたら好きになってしまう。
──彼には耐性がなかった。
「行きたいです!孤児院!!」
心は既に前のめりだった。
想定外の返事だった。
まさか一緒に行く事になるとはバリーレ自身思っていなかった。
だからこそ嬉しかった。
「はいっ!」
バリーレの表情には笑みがたたえられていた。
シュピュアは困っていた。
現状に、ではない。
勿論多少困ってはいたが、それはそれ、見ていて面白いのでそれは構わなかった。
では何に困っていたか、それは、生涯の内で、こんなにも穏やかな気持ちになれる瞬間が訪れた事についてだ。
シュピュアには生まれついて、社交辞令の為に覚えた娯楽は多々あれど、心から楽しいと思えたのはこの小隊に配属されてからだった。
今の彼女には、"家族"以上に"家族"だった。
トリヒターはニヤついていた。
勿論、何か喋れば壊れてしまう。そんなこの空間が心地よく、面白かったからだ。
それは、本当にまるで薄氷の氷のように触れたら壊れそうだ。
しかし、生来彼は黙っている事が苦手だった。
シュピュアを見ると、彼女もまたニヤついていた。
ウインクをしてみると、ウインクを返された。
こんな面白い事はない。
彼の悪戯心に火がついた瞬間だった。
「じゃあ僕とシュピュア伍長は用事があるのでぇ、2人で頑張って下さいねぇ〜♡」
してやられた。
桃矢がそう思うよりも早く、トリヒターはシュピュアの背中を押して風のように兵舎を後にした。
「えっと…いきましょうか。」
兵舎に残された2人は、小さく笑った。
兵舎の扉を開けると、冷たい石敷きの連絡廊下が広がっていた。
天井には裸電球がぽつりぽつりと並び、通路の奥からは誰かの靴音がゆっくりと近づいてくる。
ここはまだ外ではないが、もう“自分たちの空間”ではない場所だった。
「あたしを何処へ連れて行く気だ?」
シュピュアがトリヒターに訊ねる。
当然の疑問だ。2人きりにさせたい気持ちはあったが、トリヒターと2人きりになりたい訳ではないのだ。
「えへへっ、意地悪したくなっちゃいましてぇ。」
シュピュアにはいまいちピンと来なかった。
「でも、あの2人にするのは違うかなぁーって思ったのでぇ、シュピュア伍長にしようと思いまぁす!」
意味不明だった。
代わりにシュピュアに意地悪をする理由が、彼女には皆目見当がつかなかった。
「わかんないって感じですねぇ?」
「じゃあ、もしもあのまま2人がキスし出しちゃったらどうしますぅ〜?」
当然軍規違反の為罰則対象だ。
そう頭には浮かんだが、不思議と声には出なかった。
理由はわからなかった。
「どうせ、軍規違反だぁ〜!なぁんて、考えてませんかぁ?」
図星だった。
「ふふん、顔に図星って書いてありますよぉ?わっかりやすぅーい!ですねっ⭐︎」
「じゃあなんで言えなかったか教えてあげますねぇ〜?」
「簡単な事ですよぉ、人間って居心地よくなっちゃうと"普通"そうなっちゃうものなんでぇ。」
「"普通"に従った、って事ですよねぇ〜!」
シュピュアは驚愕した。
こんな舐めた態度をした人間に"普通"を教わった。
いや、それ以上に自分自身に"普通"の感性があった。
シュピュアにはこんなに嬉しい事もなかった。
彼女の頬を一雫の涙が伝う。
「あっ!?あれれぇ!?僕泣かせちゃいましたぁ!?」
「泣かせたかった訳じゃないんですよぉ!何か気に触ること言っちゃいましたぁ!?ご、ごめんなさい伍長!」
トリヒターは完全に動揺していた。
原因がわからないからこそ、対処も出来ない。
言葉を重ねれば重ねるほど空回りし、より一層彼女を悲しませたり、怒らせてしまうと思った彼に出来る事は、謝る事だけだった。
しかし、シュピュアは軽く涙を拭うと、トリヒターに優しい笑みを向けた。
「君が悪い訳じゃないよ、この涙は自分なりの普通を見つけられたから、かな。」
トリヒターには、その言葉の真意まではわからなかった。
彼はもともと、人の気持ちを深く汲み取るのが苦手だ。
表情や態度から「今、嬉しそうだな」「困っているかも」といった表面的な感情を読み取ることはできる。
けれど、なぜそう感じているのか──その“背景”や“理由”までを想像するのは、どうにも不得手だった。
ましてや涙を見てしまえば焦ってしまい、観察すらままならなくなる。
それでも彼なりに、シュピュアが今は“喜んでいるらしい”と感じ取った彼は、それを信じることにした。
「ごめんなさい、僕にはよくわかんないですけどぉ、伍長が嬉しいなら僕も嬉しいでぇす⭐︎」
シュピュアは彼が苦手だった。
しかし、この小隊が初めて“居心地の良い場所”だと認識させてくれた相手を、本当の意味で“苦手”になることなど、できなかった。
それは、彼女の信念に反することだった。
シュピュアは突然、トリヒターを抱きしめた。
彼は彼女より15センチも小さく、力でも劣っていた。
逃れられるはずもない──これは、シュピュアなりの感謝の意だった。
普通の感性なら、拒絶するなり、慌てるなりしたかもしれない。
しかし、感性の未熟なトリヒターにとっては、「母性を感じる」ことのほうが先に来てしまった。
「伍長……温かいです。」
照れる素振りすら見せなかった。
男としての“性”を見せつけられなかったことが、シュピュアにとっては、逆に心を穏やかにさせた。
「今日は……少し冷えるからね。」
「じゃあ、もうちょっとだけ……こうしていていいですか? 寒いので……」
そこに、からかいも下心もなかった。
シュピュアはトリヒターの頭を、そっと撫でる。
秋の冷えた空気のせいにして、二人はしばらく抱き合った。
互いにわかっていた──本当は、そこまで寒くはないということも。
まるで、仲の良い姉弟が数年ぶりに再会したかのように──二人はただ、静かに抱擁していた。
僕は一人っ子だった。
幼少の頃から、僕は見た目とか声の高さとか、能力のせいでよくからかわれたり、いじめられたりしてた。
……能力が自然に発現した時も、みんな気味悪がって逃げたけど、両親だけは変わらず優しくしてくれた。
そんな僕を不気味がる事なく、両親は愛情いっぱいに、とても優しく、時に厳しく育ててくれた。
そんな両親を僕はとても誇りに思っていた。
アイゼンライヒを守る事は両親を守る事に直結すると思った僕は、兵役認可がおりる18歳になる2年前から筋力トレーニングを始めた。
結果としてはD判定。神学校で言うなら、1点差でギリギリテストで赤点回避した、といった感じ。
教官からは、お前は真っ先に死ぬと何度も言われた。
泣きそうにはなったけど、それでも構わなかった。
知能テストもD判定、これも本当にギリギリだった。
ただし、能力は既に発現しており、アイゼンライヒには開発義務もない事から、どんなに非力な能力でも能力者というだけで価値を上げた。
恐らく電気椅子を使えば生きて帰れなかったと思う、これには感謝せざるを得ない。
しかも、能力はA++判定。
テストで言うなら…1問1点問題、100点満点中98点って感じ。
珍しいとは両親からもよく言われてたけど、まさか有用な能力とは思いもしなかった。
訓練兵になって1ヶ月、異例の出世だと我ながら思う。
……正規兵の中では一番階級が低い二等兵だけど。
それでも別に良かった。
両親をこの手で守れる。
両親はよく言っていた。自分の信じる道を歩みなさい、と。
尊敬する大切な両親を守る事に躊躇なんて起きる筈もなかった。
偉大な兵隊さんにもなれた。後から知る事になるけど、地元では一番の出世株だと持て囃されていたらしい。
ようやく両親の自慢の息子になれて、僕自身鼻が高い。
でも、正規兵としての初の任務は、上官と街中を散歩して食事して、上官は酒を飲んでた。
伍長は軍規違反だって言ってたし、二等兵が口を開けば生意気だと言われそうだったから黙っていたけど、同じ気持ちだった。
──この生活は、憧れの兵隊さんの生活じゃなかった。
励めとは言われても、内心どう励めばよいかも、右も左もわからないのに、どうしろって言うんだと、小さな憤りを覚えた。
でも、ここに来て1ヶ月、忘れかけてた事を思い出した。
「……お姉ちゃん。」
僕は大切な人を守る為に兵隊さんになったんだ。
両親、そしてシュピュア伍長を守る為に出来る事を頑張ろう、そう思った。
顔を上げると、驚いた表情の伍長の顔が見えた。
目と目が合って、なんだか照れ臭くなった。
僕は自然と笑顔になっていた。
この一見女にしか見えない青年に抱擁した瞬間、思った事があった。
ごつごつとした体格、こう見えてちゃんと立派な男性なのだと。
正直少し気まずかった。異性と抱擁くらいは社交界で軽くした事はあった。
性の知識だって、勉強の過程で多くを知ったつもりだ。
だからこそ、胸に彼の顔を沈めさせるこの行動は失敗したと思ったのだ。
しかし、彼は身体を強張らせるどころか、安心感のようなものを身体から発していた。
「お姉ちゃん。」
驚いた。あたしの心はどれだけ、エリートという看板を盾に穢れていたのだろうか。
小さな弟が、出来た気がした。
嬉しくて、また泣きそうになる。
突然彼が顔を上げ、目が合う。
なんだか急に照れ臭くて、微笑んでしまった。
どこかで扉が開く音がした。
次の瞬間には、現実がまた静かに流れ込み始める。
名残惜しさと、少しだけ照れ隠しを混ぜて、私はトリヒターの肩をぽんと叩いた。
「行こっか。“お姉ちゃん”の命令だから、しっかりついてきてね。」
「……はぁい、姉さまぁ♡」
彼はもう、いつもの調子に戻っていた。
しかしどこかくすぐったくて、でも、それでいて悪い気はしなかった。
歩みを止める訳にはいかなかった。
最早散歩ではなく、多分競歩だ。
孤児院がどこにあるのかは知らないが、恐らく通り過ぎている気がする。
古牙桃矢はバリーレと散歩をしていた。
しかし、バリーレは異様に早歩きなのだ。
走るのは違うと思い、選んだ道は、自身も早歩きする、という選択肢だった。
外出許可を得て早3時間。
こんなに遠いなら絶対列車に乗っている筈だ。
……外出許可を得てからもう3回くらい通ってる気がする。
ひたすら同じ所をぐるぐる回ってる。
孤児院の場所を知らないから、自分からアクションは起こせないが訊くのはちょっと……本当になんとなく憚られた。
しかし流石にそろそろ訊いた方がいいだろう。
「バリーレさん。」
「ひゃい!?」
噛んだ。
明らかに噛んだ。
突っ込むのは無粋だと気付かなかった事にする。
「あとどれくらいで着きそうかな?それとも、お土産でも買ってく?」
今の俺に出来る最大限の気配りをしてみせた。
「あっ、そうなんですよ!どこで買おうかなってちょっと悩んじゃいまして!」
3時間同じ所を歩いている。
明らかに苦しい言い訳だが、なんとか乗ってくれた。
はたと見ると、店頭に林檎が山積みになっている。
「あの林檎なんてどうですか?」
「いいですね!!」
りんごを30個程買って、紙袋を2つに分けて持ち歩く。
ようやく自分が同行する理由が出来た、気がする。
孤児院は思った以上に近かった。
軍部から歩いて10分ほどの距離に、奥まった場所にそれはあった。
近過ぎだろ。より一層3時間歩いた事に疑問が残る。
バリーレが扉についた打ち鐘を叩く。
返事を聞く前に彼女が扉を開き、足を踏み入れた。
桃矢もそれに続く。
中に入った瞬間、ひんやりとした空気が頬をなでた。
石造りの壁には、今は火の消えた蝋燭立てが等間隔で取り付けられており、どこか厳かな雰囲気を感じさせた。
扉のない開放的な玄関口の先には、人が五人ほど並んで歩けそうな幅広の通路がまっすぐに延びている。
足元には、深紅の絨毯が敷かれていた。
通路の左手には二階へ続く古びた木の階段、右手にはさらに奥へと繋がる廊下があった。
階段の手摺りは綺麗で、艶を帯びていた。
清掃がとても行き届いているなと一目で思わされる。
それはまるで、教会のような、あるいは修道院のような印象を与えた──しかしそこには、ホームレスのような身なりの人間や、年端もいかぬ子供たち、そしてシスター服を纏った女性が混在していた。
例え方は悪いが、玉石混交という言葉がぴったりだった。
「あらソフィアちゃん!!元気だったの!?」
シスターさんが反応する。
オペラ歌手のようなとても大きな声量と高い声にただただ圧倒される。
どうやら、バリーレの本名はソフィアというらしかった。
「お母さん、ただいま。たった半年いなかっただけなのに大袈裟だよ。」
バリーレは小さく笑うと、林檎が入った紙袋を小テーブルにおいた。
「まぁ!?お土産!?ありがとうねぇ!あなたほんっとにいい子に育ったわぁ!」
「お母さんに似たんだよ。」
喋り方は似なくて良かったね、などと失礼な事を考えていると、小さな子が桃矢に話しかけてきた。
「お兄ちゃんだれ?ソフィアの彼氏?」
刹那、凄い勢いでバリーレが振り向いた。
「コーガ上等兵に失礼でしょ!?」
これまでの印象にはなかった、弟を叱るような大声を出した。
ちゃんとお姉ちゃんなんだ、なんとなく桃矢は思った。
無論、緊張はし続けているが、なんだか肩の力が抜けていく気がした。
「あの、バリーレさん。」
「はっ、はい!」
「俺の思い上がりだったらほんと、ごめん……なんだけど、俺で良ければ、あの……あなたの恋人に、して頂けませんか?バリーレさんと……いえ、ソフィアさんと、この孤児院の子供達の未来を守ってみたくなったんです。」
こんな言葉、言い慣れていなかった。
何度かつまずきつつも、なんとか言い切った瞬間、場所をミスったと悟った。
勿論女児も沢山いるが、およそ同数で男児まみれだ。この後の展開は言うまでもなく予想出来る。
結果はどうあれ一生擦られ揶揄われる。
しかし、元より子供好きだ。
腹をくくる事にした。
「あ、あの別に全然俺の思い上がりだったら断ってくれても──。」
「よろしくお願いします、コーガさん。」
睫毛の端に、光るものが見えた。
換気により無邪気に入ってきた突風が、バリーレの顎下まで伸ばしたおかっぱのようなボブヘアを揺らした。
憧れの気になっていたコーガさんに、告白された。
正直、誘ってしまった手前、申し訳ないけど、告白されても断るつもりだった。
私にとっての全てはこの孤児院であって、自分の事の優先順位は低かった。
でも、気付いてしまった。
自分は恋をしていた事に。
でも、彼は私を尊重した上で孤児院を守っていきたいと言ってくれた。
断る理由なんて、きっといくら探してもない。
「……よろしくお願いします、コーガさん。」
途端に妹達が私のもとに駆け寄ってくる。
「ソフィア姉結婚するの!?」「もう手は繋いだの!?」「ちゅーしたら赤ちゃん出来るんだって!ソフィア姉の娘ちゃん可愛がってあげるね!」
大混乱であった。
コーガさんを見ると、同様の状態のようだ。
「ソフィア姉ちゃんはおれと結婚するんだ!」「ソフィア姉ちゃんを返せー!」「ねぇちゅーしたら赤ちゃん出来るってほんと?」「どこから来たの?ねえどこからきたの?」
2人して顔を見合わせると苦笑した。
暫くすると、子供達も落ち着き始め、桃矢は一緒に子供達と遊んでいた。
男児が来れば勇者ごっこに興じ大魔王役を熱演し、離れていけば女児達とおままごとや砂遊びに興じた。
バリーレは幸せだった。
こんな未来を気付かぬ内に望んでいた事に気がついた。
「ソフィア、あの子いい子じゃないかい。」
「関係性を大切に育てていくんだよ。」
シスターが小さな声で言う。
子供が居ない時は毎回こうだ。
「うん、わかってるお母さん。」
コーガさんと弟妹達を眺めている、この瞬間が何より幸せだった。
「それで、ソフィア姉ちゃんってどんな感じだったんだ?」
バリーレを知る為に、現在桃矢は姑息にも情報収集に勤しんでいた。
「うんとねー、おままごとより勇者ごっこの方が好きみたい。」
「誰かが泣いちゃうまでやるからねー?皆あんまやりたくないって言ってた。」
戦闘狂なのはどうやら今に始まった事ではないらしい。
「でも、遊ぼって言ったら、皆と仲良く遊んでくれるよ!」
「へー、そうなのか。」
砂の山に水をかけて、プリンのような質感を形成した。
小さい頃よくプリンって言って作ったっけなぁ、などと思う。
「隙あり大魔王!」
桃矢の背中にドロップキックが突き刺さる。
前のめりになるが、プリンは潰れていない。危ない。
「不意打ちとは卑怯な!この勇者達めー!」
笑いながら走り出す。
皆蟻の子を散らすかのように、散り散りに逃げて行く。
1人ずつ確実に始末は出来たが、立ち止まって迷う振りをしてやる。
背後から足音がする、これも気付かない振りだ。
「こうも散らばっては、戦えないぞー!」
そして背中から強い衝撃がする。
どうやら背中に飛び乗ってきたらしい。
「くそー!上手く身動きが取れなーい!」
身を屈ませ、這いつくばると子供達が一斉に集まってくる。
「叩け叩けー!」
子供達が木の枝で背中を叩いてくる。
皆楽しそうだ。
不思議と、悪役も悪くなかった。そんな充実感があった。
「やーらーれーたー!」
大の字になって仰向けになる。
勝ったー!と、子供達から歓声が上がった。
どうやらこの孤児院では、勇者側が勝つのは中々珍しいようだ。
中々に現実的な勇者ごっこだなと思い苦笑する。
起き上がると、プリンは誰かに踏み潰されていた。
「やれやれ。」
バリーレの元へ向かう。
「あの子達強いですねー、負けちゃいました。」
バリーレの目を見て、ちょっと照れ臭いがはにかんでみる。
バリーレもはにかみ返してくれた。この距離感が、とても気持ちいい。
「私の弟妹達ですよ?弱い筈ないです。」
「戦闘狂には見えなかったですけどね。」
隣に立って軽口を言ってみると、バリーレは「もう」とだけ言って、笑顔で軽く肩を叩いてきた。
夕方になると、兵舎に戻る為に孤児院から出た。
子供達は、皆大きく手を振りまたねと再会を願ってくれた。
「バリーレさん、子供って、可愛いですね。」
「そうですね。」
ふと、バリーレが立ち止まっている事に気付いた。
「私は電気椅子を使って能力開発をしました。」
バリーレは唐突に話し始めた。
桃矢は向き直って、バリーレの正面に立つ。
「この名を支給された時、その名は責任の意味を持つ。そう教わったんです。」
「勿論、バリーレという単語自体は障壁とか、バリアって意味です。」
異邦人なので、わからないかもしれないと思ったのだろう。補足をしてくれた。
「でも、その時の開発担当者はそう教えてくれたんです。」
桃矢の脳裏には、つぶらな瞳をした骸骨のような人物、クラインが浮かんでいた。
「なんでこの名が、責任という意味を持つのか。訓練兵の頃から考えていました。」
バリーレの目は至って真面目だ。
桃矢の肩にも自然と力が入る。
「けど、今日初めてわかった気がします。」
「守る事とは即ち、守り切る責任を持つ事である、と。あなたを見ている内に不思議とそう思ったんです。」
桃矢は自身の心拍数が上がっていく感覚がした。
「コーガさんは本当に、私と一緒に責任を持ち続けてくれますか?」
石畳が夕日に照らされる中、彼女は真剣な表情で訊く。
この質問の意味が分からない桃矢ではない。
きっと、この質問をする時、多大な勇気が必要だっただろう。
関係性がガラリと音を立てて変わる質問だ。
孤児院の入り口でしたような形式張った質問と答えじゃない。
あの時は確かに桃矢から告白したが、きっと彼女なりに、誠意を見せる為にも言ってくれたに違いない。
だからこそ、裏切る事なんて出来なかった。
「うん、俺に何が出来るかは、今はまだわかんないけど…。少しずつ頑張って模索して行くから、ソフィアさん。あなたの隣を歩かせて下さい。」
バリーレがゆっくり駆け出してくると、桃矢の胸の中に飛び込んできた。
互いに鼓動が早鐘を打っているとわかるのではないか、そう思わせた。
桃矢がバリーレを見る。
バリーレもまた、桃矢を見上げていた。
それに対して、緊張もなければ示し合わせもいらなかった。
バリーレは桃矢の頬に口付けをした。
──道行く雑踏の中、川の中にある岩のように、2人は静かに抱き合っていた。
ご拝読ありがとうございました。
二章の終わり頃には、必要な種蒔きも終えられそうで嬉しいです。
ちょっと早いかな?という気もしなくはないけど、元々この話は短編で出す想定の話だったので、こんなものでまぁいいでしょうと納得させます。
さて、二章二話では、トリヒターのバックボーン。
そして、ちょっとADHD気味な性質を描きました。
作中の桃矢がいた世界は2008年、メスガキや男の娘といった概念が台頭する前だったので、それらの単語を直接書かないように、それでいてちゃんと伝わるようにする事にはかなり苦心させられました。
シュピュア、そしてバリーレという人物の深掘りの甘さも前話で痛感していたので追加描写をしました、が…。
ちょっとした群像劇になり始めているようで相変わらず筆者は振り回されています。
読者の皆皆様方に於かれましては、私と同様に今暫く振り回されて頂けると幸いです。
また、一言でも感想など頂けますと幸いです。
それくらい書いてやるか、と気力を起こさせられるよう私も尽力して参ります。
愚筆失礼致しました。