第一章三話 兵器にあらず
冗談のような力。
試されるのは冗談では済まされない現実。
その先にあるのは、評価か、拒絶か──あるいは、兵器としての烙印か?
酒場を出た瞬間、桃矢は違和感に気づいた。
さっきまで10人程度に見えた軍人たちが、倍以上──いや、三十人近くに増えている。
クーゲルが一歩前に出ると、兵たちは一糸乱れぬ動作で背筋を伸ばし、踵を揃えた。
カッ。 空気が震えるような一斉の音が、黄昏時の通りに響いた。
クーゲルは小さく頷いたあと、前列の一人に尋ねた。
「任意か?」
「いえ……恐れながら、任意では──」
「そうか、ご苦労。」
クーゲルは一瞬、声のトーンを変えた。
そして、まるで演説のように口を開く。
「諸君らの献身により、我が国の血肉は日々保たれている! 今後とも、より一層の精励を期待する。これは激励である。以上!」
酒が入っているとは思えぬほど、淀みのない声音だった。
それから、ほんの一瞬だけ桃矢を見やる。
──その目は、どこか申し訳なさそうに揺れていた。
「連行せよ!」
クーゲルが叫んだ刹那、兵士たちが一斉に動く。
桃矢の周囲を、規則的に、機械のような速さで取り囲んだ。
「進め!」
背後から声が飛ぶと、桃矢はそのまま肩を掴まれた。
「クーゲルさん!!」
思わず叫んだ。
だがクーゲルは、小さく俯いたまま動かなかった。
そしてあれから、体感で一時間ほどが経った。
車はずっと走り続けている。だが、窓から見える景色はすでに夜の帳に沈んでおり、標識も建物も判別できない。
そもそもこの国に土地勘などあるはずもないのだから、どこを走っているかなど最初からわかるわけもなかった。
座席は硬く、車体の振動が容赦なく腰に響く。
まるで昭和の軽トラを粗雑に強化しただけのようなこの軍用車は、舗装の甘い道をゴツゴツと跳ねながら進んでいた。
サスペンションという言葉が存在しないのかと疑うレベルだ。
クーゲルは隣に座っていたが、終始無言だった。
何を思っているのか、こちらから尋ねる勇気もなかった。
ただ一つわかったのは、彼女の足元に置かれた軍帽と、その隣に静かに携えられた細身の短剣──刃渡り15センチほどの、刺突用のそれが、いままで以上に遠いものに見えたことだった。
車がようやく停まった。
扉が開く音とともに、誰かが静かに告げた。
「降車を。」
命令口調ではなかったが、有無を言わせぬ空気があった。
外に出ると、そこは広い敷地のようだった。が、見渡す暇はなかった。すぐに別の人物が歩み寄ってくる。
「こちらで引き取る。」
声には抑揚がなかった。
目の前に立ったのは、軍人とはどこか雰囲気の違う男だった。
制服に似た衣服を着ていたが、印や装飾も少なく、胸の階級章も見当たらない。
顔色は悪く、目だけが妙に乾いている。
何かが違う。だが、何が違うのかまでは、言葉にできない。
その男は、無機質な声で言った。
「視界を制限する。動くな。」
言うが早いか、柔らかくも厚手の布のようなものが頭から被せられる。
息苦しさこそないが、光は完全に遮断された。
(……やっぱり、見せたくない場所を通るってことか)
内心で呟くが、声には出せなかった。いや、出したくなかった。
両腕は拘束こそされなかったが、両脇を固められるように歩かされる。
地面の感触、わずかな風の流れ、遠くから響く足音。
それだけが、自分がどこかに向かっていると証明する全てだった。
何分歩いたかもわからない。
やがて布が取り外され、視界が戻る。
そこは、殺風景な部屋だった。
木製のベンチと、窓も時計もない灰色の壁。
まるで「時間の概念すら意味をなさない」とでも言いたげなその空間に、桃矢はただ黙って座らされた。
五分ほど経っただろうか──そう思った瞬間、変化が訪れた。
コン、コン。
短く、無機質な二度のノック。
即座に扉が開く。
入ってきたのは、大柄な男だった。
刈り上げた髪と無駄のない所作が、軍人であることを雄弁に物語っている。
「突然すまなかった。混乱しているとは思うが、冷静に聞いてほしい。」
その威圧的な外見と野太い声からは意外なほど、淡々とした口調だった。
「俺は短気だが、これは仕事だ。迅速に、素直に、隠し事なく話してくれれば──お前は釈放される。」
言葉の隙間に一拍置き、こう付け加えた。
「……もちろん、また目隠しはしてもらうがな。」
軍人としての言動にすぎないのか、それとも芝居がかった脅しか──判別はつかなかった。
だが、どちらにせよ従わなければならない空気があった。
「わかってくれ。手間取ると、こちらも手段を選べなくなる。拷問──俺は避けたいが、上からの命令があれば従うしかない。」
男の表情は一切動かない。
本当に短気なのかすら怪しく思えてくる。
「……はい。わかりました。俺にわかる範囲でよければ、素直に答えます。」
男は、ではとだけ言い、腰掛けることなく直立のまま、メモと鉛筆を取り出した。
「──あの巨岩を出したのはお前だな?」
肯定。
「どうやって出した?能力か?」
肯定。
「誰の命令で?」
その問いには、慎重に、だが正直に答えるしかないと思った。
「……命令は、されていません。」
言い終えるか否か、男は無言でベンチを蹴飛ばした。
尻餅をついた桃矢は、呆然と見上げる。
「誰に、命令されて出した?」
冷静さを保ったままの口調。怒ってすらいない。
桃矢は悟った。
──これは、「命令者がいる」という筋書きを無理にでも作ろうとしている。
「命令した人なんて、いません!」
その瞬間、視界が明滅する。頬が熱い。
殴られた。早すぎて何も見えなかった。
「同じことを繰り返させないでくれ。これは仕事だ。」
まだ表情は微動だにしない。
「……命令した人なんて……いません!」
言い終える前に、腹に衝撃が走った。
息が詰まる。やはり、速すぎて見えなかった。
「命令者は?」
言葉は返せない。ただ、睨み上げるしかなかった。
男は、ため息をひとつ。
「これはまだ拷問じゃない。今のうちに、言って楽になれ。帰りたいんだろう?俺も残業はしたくない。」
それでも桃矢は黙った。
怒りでも、恐怖でもない。ただ空虚な無力感が、口を塞いでいた。
男は二度目のため息をつくと、踵を返し、扉へ向かった。
「また明日来る。考えておいてくれ。」
閉まる扉の音は、妙に静かだった。
暫くして、痛みが引いてきた頃にベンチを再び立て直し、座る。
すると、ドアが三回ノックされた。
先ほどとは異なるテンポだった。
間を置かずに扉が開く。
入ってきたのは、細身の男だった。
笑顔を浮かべ、緊張感のない足取りで部屋に入ってくる。
桃矢の身体から、一瞬だけ力が抜ける。
「ヴァーグナーの奴、君のこと殴ったらしいね? 酷いことするよなあ。」
男は両手でトレーを持っていた。
その上にはパンと、水の入ったコップが一つずつ。
「隣、いいかな?」
返事を待つ前に、当然のようにベンチの横に腰を下ろす。
「ほら、食べなよ。俺はシュナイダーって言うんだ。よろしくな。」
どこか軽薄な、けれど悪意を感じさせない声だった。
警戒はしたが、喉は渇いていた。桃矢はパンと水を受け取る。
「君、口が硬いんだって? まあ、ここだけの話でいいからさ、教えてくれよ。誰に命令されたの?」
「……本当に、誰にも命令はされていません。」
淡々と答える。
「なるほど。ヴァーグナーの奴、早とちりして君を殴ったのか。そりゃ悪かったね。」
口調はあくまで柔らかい。だが、手元では慣れた動きでメモと鉛筆を取り出している。
「じゃあ、命令した人はいない。……うん、それでいいんだよね?」
桃矢は頷く。
「悪いなあ、こっちも上から急かされててピリピリしてるんだよ。
“早く知りたい情報から順に聞け”ってさ。理不尽だよな。」
はは、と軽く笑う。
「名前と出身、それからID、階級、所属。教えてくれると、すごく助かるんだけどな。」
(ID?……知らない単語だ。保険証の個人番号とか、パスポート的な何かだろうか?)
しかし、桃矢には訊き返すのは憚られた。
この場で無知を晒すこと、それは危険な気がしたからだ。
混乱しながらも、名前、出身、そして通っていた高校の名前を答える。
「ふむ、日本の人か。先の大戦では、同胞の方々には……感謝してるよ、一応ね。」
どこか儀礼的な、表情のない微笑。
異世界……ではない? だが、それにしてもおかしい。
「でもさ、君の言うその高校、おじさんは聞いたことがないんだよね。存在しないんじゃないかな?」
「……嘘じゃないです! 本当のことなんです! 信じてください!」
「うんうん、そう言いたくなるのもわかるよ。でもね、おじさん、君の心の中を覗けるわけじゃないし、心理学者でもないからさ。
嘘かどうか、判断のしようがないんだよね。」
そこへ、コン、コン。
ドアが二度、静かにノックされた。
士官服を着た別の男が、わずかに顔を覗かせる。
「悪いね。おじさんも忙しくてさ。また時間ができたらパン持ってくるよ。」
そう言い残すと、シュナイダーは手を振って部屋を出て行った。
暫くの間ベンチに横になっていると、ドアをノックする音が二度、静かに響いた。
士官が入室するなり、移動だと短く告げる。
命令するような口ぶりではないが、拒否できる雰囲気でもない。
仕方なく立ち上がり、部屋を出た。
廊下には兵士が九名ほど立っていた。
桃矢はその中心に囲まれるようにして歩かされる。
たどり着いたのは、白く無機質な扉だった。
文字が書かれているが、読めない──はずなのに、意味だけが自然と頭に入ってくる。
その瞬間、鳥肌が立った。
(……ドイツ語……。わからないのに、なぜ意味がわかる?)
読めないはずの文字が、脳内に強制的に翻訳されるような奇妙な感覚。
耳に届く言葉も、全て日本語にしか聞こえない。
扉に書かれていたのは──「能力開発研究室」。
そう、意味だけがはっきりと理解できた。
中に入ると、つぶらな瞳の骸骨のように痩せた男が立っていた。
満面の笑みを浮かべ、焦点の定まらない目でこちらに手を振る。
「こっちこっちー! よく来てくれたね!」
丸椅子に腰を下ろすと、男はまるで待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「僕の名前はクラインシュミット! 君はコーガーだったね? 話は全部聞いてるよ!」
「いやぁ、素晴らしい生態データを殴るなんて──兵士上がりは野蛮でいけないね!」
「あっ……」
「僕は個人的に君とお喋りする“権利”を与えられてるんだ。色々聞かないと、わからないことっていっぱいあるからね!」
「あっ、はい。」
「早速だけど、上着脱いでもらえるかな! もちろん、メスでバラバラになんてしないから安心してね! あはは!」
「あの……!」
矢継ぎ早。
一方的なマシンガントークで、こちらに返答する余地を与えない。
「できれば下も脱いでくれるとありがたいんだよね! 電気椅子は初めて? 二回目? 三回目?」
「──あの!! すみません!!」
なんとか割り込む。
クラインはぴたりと止まり、笑顔のままこちらを見た。
その動きは異様に滑らかで、意図的に“停止”したようにさえ見える。
「ん? なんだい? 何か教えてくれるのかな?」
言いながら、いつの間にか手元にはメモと鉛筆。
反射的な所作のように、自然で素早い。
「えっと……その、電気椅子は未経験です。
それと……能力について教えてください。教えてもらえたら、わかる範囲でなんでも素直に答えます。」
クラインは一瞬、目を細めて黙った。
まるで、予想外のお願いをされた子どものような顔をする。
「君が理解できるようになるまでかい?
それとも、さらっと説明すればいいのかな?」
まさか、こんな場所で授業が始まるとは思っていなかった。
桃矢は面食らったが、すぐに思い直す。
(わからないことだらけなんだ。だったら──全部聞いてやる。)
「わかるようになるまで。お手柔らかにお願いします。」
その瞬間、クラインの目が一段階鋭くなった気がした。
それでも笑顔は崩れないままだ。
「いいね。じゃあ、始めようか。君が色々な事をちゃんと理解できるようにね。」
「じゃあ、まず“能力”について教えようか。知ってることは……何もないんだよね?」
クラインは言いながら、机の脇に置かれた重厚な金属製の機械に手を伸ばした。
カチリ、とスイッチをひねると、機械の内部でリールが回り始め、低く唸るような音が室内に広がる。
「マグネトフォンってやつさ。記録用。気にしないでいいよ。上が“君の言葉を全部残しておけ”ってうるさくてね。」
桃矢はこくりと頷いた。重圧のような緊張が、まだ抜けない。
「能力っていうのは──人間が本来持たない、固有の異常性だ。
身体に宿る者もいれば、精神に出る者、視覚や触覚、発声を媒介にするケースもある。」
クラインは身を乗り出し、指を立てた。
「発現には二種類ある。一つは人工的な能力開発。軍が候補者を集めて、刺激を与え、適性を引き出す。よく知られてるのは、電気椅子だね。」
「……やっぱり、処刑器具じゃないんですね。」
「処刑器具!?違う違う!」
クラインは大袈裟に笑ってみせた。
「あれは“開発器”だよ。座ったまま雷のような刺激を浴びせるんだ。神経が反応すれば能力が開くことがある。開かなければ、ただ痛いだけ。結構シビアな世界さ。」
打って変わって今度はクラインは肩をすくめてみせた。
「もう一つは自然発現型。つまり、誰の許可も準備もなしに、ある日突然能力が出ちゃうタイプ。事故とか、極限状態とか、強い怒りとか──ね。感情が引き金になることが多い。」
桃矢は、自分のあの瞬間を思い出していた。
「こっちのタイプはね。軍からしたら“野良能力者”ってやつ。管理されてない分、恐れられてる。」
「……俺は、たぶんそれ、ですよね。」
「多分そう。記録がないしね。多分ってのはどんなものにも必ずしも絶対はないって事ね!」
クラインはひと呼吸置くと、語調を改めた。
「能力は、一人につき一つが原則ね。そして、使えるとは限らない。発現したのに意味のないやつ──たとえば、“指先からマッチ程度の火を出す”とか。“吐く息がいつでも白くなる”とか。兵器にも人命救助員にもなれない。」
桃矢は思わず小さく吹き出した。クラインはそれを見て、満足そうに笑った。
「で、ここからが重要。能力には常時発動型と任意発動型がある。」
「俺の能力は……腕に文字が出て、意識すると発動する感じでした。」
「それなら任意型だね。こっちのほうが凄く少ないんだよ。多くは湧き水みたいに“出っぱなし”だから制御に難儀する。酷いとたまに暴走して、家が吹き飛ぶとかね。はは!」
「えっ、それは……?」
「まぁ死者が出た場合は“戦死”扱いになるだけ。戦時の国だからね。処理もテンプレがあるから楽なんだよ。」
その言葉に、桃矢の背筋が凍った。
人の命の価値が低い、そう思った。
「さらに、能力には持続制限・反動・代償がある場合もある。時間制限、肉体への負担、あるいは精神への影響。なかには“毎回、記憶を一部失う”能力も過去に確認された事がある。強すぎる代償は、軍ですら使いづらい。」
「軍はね、決まった動きを決まったタイミングで決まった通りに行える動作、能力が高く買われるんだ。どう利用するかは上が決めるからね。」
「俺の能力……出した時、時間制限が表示されました。10分くらいで消えました。」
「そうかい、それは君の能力は視覚に直接、内部情報を提示する形式なんだろうね。自覚的に使えて、自己把握もできる──“完成度が高い”んだ。そういうのをフォルトシュリットリヒ、上級と僕は称している。」
クラインは机に置かれた紙束から一枚を抜き、さらさらと何かを書き込んだ。
「君のような能力者は、本来なら軍が数年かけて育てる対象なんだ。だから突然現れたとなれば──まあ、みんな興味津々になるのも当然ってわけ。」
桃矢は、クラインの目に浮かぶ狂気のような好奇心を見た。
「能力は、個人の人生を根底から変える力だ。それが幸運か不幸かは──君次第、かな。」
ひと通りクラインの説明を聞き終えた後、桃矢は少し黙り込んだ。
その間にもマグネトフォンは唸るような低音を立て続け、彼の言葉を記録している。
意を決して、桃矢は手を挙げるようにそっと口を開いた。
「あの……ひとつ、聞いていいですか?」
「もちろん。聞きたいことがあったら、今のうちにね。」
「ヘアテンって……ありますよね? あれって、能力なんですか? 防御系の。」
クラインはその言葉を聞いた瞬間、ピタリと動きを止めた。
つぶらな目が桃矢をじっと見つめる。
さっきまでの笑みが、ほんの少しだけ、真顔に近づいた。
「──違うよ。ヘアテンは魔術だ。能力とは別モノ。」
「魔術……?」
桃矢は言葉の意味を疑った。
それは物語の中の、あるいは歴史の闇の中の単語だ。
だが、ここでは“当然のように”使われている。
クラインは指を一本立て、なぜか声を落として語り始めた。
「魔術ってのはね、もともと錬金術とか黒魔術とか……狂人たちが人柱だの血だの使って試行錯誤した“奇跡”の残りかすさ。偶然に、ほんの一部が“実用”に耐えた。それらを、まとめて“魔術”って呼んでるだけ。体系もなければ、再現性もあやしい。けど、現実に効果がある。」
桃矢は唖然とした。
科学でも能力でもない、第三の力。
そんなもの、自分の世界にはなかった。
「つまり、“うまくいっちゃった呪い”の集まりなんだよ、魔術は。理屈じゃない。ヘアテンもそのひとつだ。見た目こそ整ってるけど、あれも立派な呪術だよ。」
「……ヘアテンも?」
「そう。けど、僕は魔術は専門じゃなくてね。実践部隊のほうが詳しい。」
そこでクラインは、部屋の隅に立っていた無口な士官に目を向けた。
黒の詰襟制服に黒革のベルト──背筋を伸ばして一歩も動かず立っていた男だ。
「アルメン曹長。説明、お願いできるかな。」
それだけ。
階級を名指ししながらも、命令ではなく、ごく自然に「お願いする」ような言い方だった。
しかし、呼ばれた男はすぐに姿勢を正し踵を鳴らした。
「はっ。了解しました。」
その声音には、確かな敬意があった。
桃矢は、クラインという人物の“立場”が少しずつわかってきた気がした。
アルメンはそのまま数歩前に出て、無駄のない軍人の口調で話し始めた。
「“ヘアテン”とは、正式にはHärtenです。防御用の儀式魔術で、展開した瞬間からおよそ24時間、着弾、接触に対して一秒間、物理衝撃に対して絶大な耐性を持ちます。」
「……たった一秒間?」
「はい。その一秒間は、鉄槌で叩いても、銃弾が直撃しても沈まない。感覚としては──プールに大量の水溶き片栗粉を入れ、その上を全力疾走するようなものです。ですが、持続攻撃には弱く、1秒以上の長時間の暴力には破られます。ですが、投擲武器は壁に投げたら0.5秒以内に弾かれる。銃なら弾頭以上に硬いなら0.3秒以内に弾かれる。1秒で充分なのです。」
アルメンは続けた。
「使用方法は、軍で標準化されています。小瓶に入った細かい粉末を──頭頂、両肩、両腕、胴、両脚の順に、順序通り振りかけ、最後に顔と耳へと塗布します。背面は基本的に仲間に任せます。訓練では、互いに背中を塗り合うよう指導されます。」
「……完全に儀式ですね、それ。」
「はい。しかし効果があればそれで良いというのが軍の方針です。」
「ヘアテンの展開後、実際に“効く”のは一撃ごとに一秒間のみ。銃弾のような単発衝撃には極めて強く、たとえアサルトライフルの弾を一マガジン浴びたとしても、一発ごとに別個の一秒で弾かれます。よって、小火器は事実上、無力と化しました。」
「……それって、普通の銃じゃ人間に勝てないじゃないですか。」
「普通の銃どころか、大砲の着弾すら軽度の打撲傷で済みます。人によっては青あざすら出来ません。」
「殴打も斬撃も効かないですよね?何なら効くんですか?」
「兵器の今の主流は、刺突適性が高く、曲がらない短剣と、引っ掛かりがある棍棒や長剣となっております。」
アルメンはひとしきりの説明を終えると、無言で一歩下がり、再び壁際に戻った。
その背筋は、戻ってもなお微動だにしない。
クラインが、満足げに手を叩いた。
「ありがとう、アルメン。君の説明はいつも完璧だね。」
桃矢は、そのやりとりを見て確信した。
──この男、クラインシュミットは、ただの研究者なんかじゃない。
軍人が、敬意をもって従う相手。
その“正体”が何なのかはわからない。
だが、この施設においては確実に、上位者なのだ。
「それで、俺……僕は、これからどうなるんでしょうか?」
ヘアテンの説明を終え、再びマグネトフォンが静かに唸り始める頃、桃矢は勇気を振り絞って問いかけた。
クラインは、目をぱちくりと瞬かせたあと、小さく笑った。
「ようやく聞いたね。それが一番大事な質問だよ。」
クラインは椅子をくるりと回し、引き出しから一枚の書類を取り出して机の上に置いた。
見慣れない書式、鉤十字に似たマーク、そして「仮配属対象者調書」という見出しが目に入る。
「現時点で、君は“能力未登録の発現者”と認定されている。これは軍法上、特異存在扱いになる。」
「特異……って、どういう……」
「簡単に言うと、“即時処理の対象”ってことだ。」
その言葉に、桃矢は背筋を凍らせた。
「もちろん、能力が無害だったり、暴走の危険がなければ、いきなり銃殺なんてことはないよ。ただし──軍の命令に従わない、もしくは黙秘や逃亡の意思を見せた時点で、“不安定対象”として拘束・隔離・破棄という三択が浮かぶ。」
「……破棄?」
「つまりは処分。死ぬってことだね。」
クラインは笑っていたが、冗談ではないことはわかった。
「今、君がこうして椅子に座って、質問に答えられているのは──一つ、協力的な姿勢を示したから。二つ、能力が高位で軍事転用の可能性があると判断されたから。」
桃矢は冷や汗を感じた。
どこかで理解していたが、こうして明言されると、余計に怖くなる。
「これから“査定”が入るよ。能力の再現性、発動条件、安定性、指示への反応──そういった評価をもとに、正式に軍籍に登録されるかどうかが決まる。」
「軍籍……ってことは、兵士に……?」
「うん。君が軍属になれば、晴れて“人間扱い”だ。衣食住が保障され、身分証が発行され、給与も出る。」
「じゃあ……軍籍に入らなかったら?」
クラインは即答しなかった。
代わりに、立てかけられた金属バインダーの背表紙に、黒く書かれた分類名を指でなぞった。
《Abwurfklasse(破棄区分)》
「軍籍登録されなかった能力者が、どうなるか──それはね、君が一番想像したくない方向だよ。」
それは、恐らくもう想像してしまっている。
桃矢の喉が、ごくりと鳴った。
「でもまぁ、安心していい。君は今のところ“協力的な試験対象”に分類されてる。正直、君の能力には上層部も興味津々だ。君の味方は、意外と多いかもしれない。」
言葉とは裏腹に、クラインの目には冷たい光があった。
「ただし、“使える”と思われてるうちだけだよ。」
「じゃあ、次は“見せてもらおうか”。」
クラインがぽん、と手を叩いた。
扉が静かに開き、記録官と技術兵が入ってくる。
背負っているのは測定機材。
それを見て、桃矢は息を飲んだ。
逃げ場はない。
「君の能力を、もう一度発動してみてくれ。」
「……はい。」
不安はあった。
だが、あの時の感覚はまだ覚えている。
「アプヴルフ」と叫んだとき、力が湧いたのだ。
「アプヴルフ。」
声に出した瞬間、ビリッ、と体に軽い電気のような感触が走る。
同時に──腕に、文字が浮かぶ。
《1秒間に50回、鉛筆を微振動させる能力》
そして、右腕には再びカウントダウン。10:00
(──は?)
桃矢は、固まった。
“たこやき”ではない。あれは?能力って、固定じゃないのか?
「出たな?」
クラインが近づく。
桃矢は戸惑いながら、左腕を見せた。そこには、さっき現れた説明が残っていた。
「……これは……?」
クラインが読み上げる。
記録官が速記を始める。
技術兵が鉛筆を取り出して桃矢に手渡した。
「試してみよう。君の意思で、その鉛筆を“微振動”させられるか?」
「……やってみます。」
桃矢は鉛筆を握り、集中する。
力を込めた、その瞬間──鉛筆がブブブブブッと微かに振動を始めた。
「1、2、3……47、48、49、50。おお、ジャスト1秒だ。」
技術兵が目を見張る。クラインも思わず笑った。
「これは……面白い。非常に正確なリズム。神経系じゃない、能力による精密制御だ。」
桃矢は混乱のまま、口を開いた。
「ま、待ってください。こんなの、俺の能力じゃないです。前は、たこやきを──」
「たこやき?」
クラインが眉をひそめた。
「右手から、たこやきが出たんです。小惑星6562たこやき……本当に、巨大な岩が落ちてきて──」
「……それが“同じ能力”なら、随分と幅が広いな。」
クラインの口元が引きつる。
記録官が、何かを呟きながら早口で追記をしている。
「つまり、君の能力は発動のたびに内容が変わる可能性がある……?」
「……そんなバカな。そんなの、どうやって使えば……!」
「使えるかどうかは関係ない。
重要なのは、再現性があるか、制御が可能か、軍が運用できるかだ。」
クラインの目が笑っていない。
たこやきから──鉛筆へ。
たった一回の発動で、すべてが“崩れる”感覚だった。
(なんなんだよ、これ……!)
「10分待とう、もう一度発動して確かめる、これが手っ取り早い。」
クラインがパチン、と指を鳴らす。
誰も口を挟まなかった。
室内は静かだった。唯一響くのは、マグネトフォンの低い駆動音。
桃矢の腕にはまだ《00:06:32》の文字が、ぼんやりと白く輝いている。
タイマーが1秒ずつ減っていくのを、ただ見つめる。
まるで自分の命が刻まれているかのように、数字の変化に神経が集中していった。
(これが“出せる能力”なら……あの岩と同じものが出るはずだ。でも──)
残り30秒。心拍が上がる。
10秒……5秒……
──そして、00:00:00
表示が消えた瞬間、桃矢の左腕に新たな数字が赤く浮かび上がる。
《05:00》
クールタイム──
その意味が、直感でわかった。使い終えた後、次に呼べるまでの“空白”の時間。
赤い数字は、点滅するたびにじわじわと減っていく。04:59、04:58──
「ほう……使用後に5分間の封印時間……“リロード”か、“冷却期間”か。能力の制約を軽かろうが重かろう一律5分無理矢理待たせる事により体へのリスクを減らしているのか。」
クラインが呟きながら、技術兵に目配せをした。
装置の準備が始まる。
やがて《00:00》を示したとき、赤の表示がふっと消える。
「いけるかい、コーガ君。」
彼は、そっと頷いた。
そして、呼吸を整え、発動の言葉を口にする。
「アプヴルフ。」
体の奥が一瞬だけ熱を帯びた。
右腕には、再び白く《10:00》のタイマー。
そして左腕に、文字が浮かぶ。
《利き手・利き足ではない側で触れた対象の時間を停止させ、再接触、または効果時間経過で解除される能力》
「今回は……これ?」
読み上げたクラインの声には、先ほどとは違う緊張があった。
「時間停止、か。……よくある妄想能力だが、実在報告は過去1件と極めて少数。それが君の次の手札とはね。」
「どうすれば、試せるでしょうか?」
「用意してあるよ。ちょっとした実験だ。」
数分後──部屋の中央に、幅広の傾斜板が設置された。
角度をつけ、滑りやすいように表面には樹脂が塗られている。
技術兵が、銀のコップに水を満たして持ってきた。
「これを上から流す。君は左手で触れ、止めてみてくれ。」
水が注がれる。
透明な線が傾斜をつたって滑り降りる。
桃矢は集中し、左手の指をそっとその水に差し入れた。
──その瞬間、水が止まった。
空中で散っていた飛沫はそのままの形で宙に浮き、
板を伝っていた水筋も、完全にその場で静止した。
「……完璧に、止まっている。」
クラインが口元を覆う。
記録官が、唖然としたままペンを動かしている。
技術兵がそっと近づき、水滴に定規を当てようとする──が、止まったまま動かない。
「干渉は不能。触れようとすれば、対象の存在そのものが滑るかのように逸れる。“時間が存在しない空間”に触れようとしているのと同じ……これは本物だ。」
桃矢は、おそるおそるもう一度、同じ左手で水に触れた。
──流れが、再び動き出す。
止まっていた水は、次の瞬間に元の勢いを取り戻し、勢いよく板を流れ下った。
「……解除も任意。君の意志で止め、君の意志で解くことができる。この能力、単発兵器としても、罠としても、極めて高性能だ。」
クラインの声はすでに、軍人のそれだった。
「……評価が、変わるな。コーガ君。次の“査定”は、君を能力者としてではなく──兵器としてどう使うかに重点が置かれるだろう。」
その言葉に、桃矢は思わずタイマーを見た。
《04:03》──あと4分。この力は、あと4分だけ使える。
クラインが突然こう提案した。
「コーガ君、悪いが、彼に触れてみてほしい。」
そう言うと、桃矢の隣にいた男が無言で腕を差し出してきた。
「能力が“書いてある通り”でしかないのなら、彼は止まるはずだ。それ以下でもなく、それ以上でもない──ならば、害はない。」
桃矢の背中に冷たいものが走る。
これはもう、実験体としての扱いだ。
隣の男はまるで気にしていない。
怖がっているのは、自分の方だった。
もし、これで本当に危害を加えてしまったら──
自分は、「危険因子」として分類されてしまうかもしれない。
「さぁ、早く。時間切れになってしまうじゃないか!」
クラインの声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。
まるでおもちゃを渡された子供のように、その目は輝いている。
桃矢は意を決して、左手を差し出し、男の腕にそっと触れた。
何が起きたのか──見た目ではまったくわからない。
次の瞬間、クラインはナイフを取り出し、躊躇なく男の腕へ突き立てた。
だが、鋭い破裂音もなければ、肉を裂いたようにも見えなかった。
ただ、“鈍い音”が、室内に響いた。
「うん、うん。……一秒以上突き刺しても無事か。では──解除してみてくれたまえ。」
桃矢は再び、左手でそっと腕に触れた。
男の瞳が、わずかに揺れる。
今、自分が止まっていたことに気づいていないのか、それとも認識できていないだけなのか。
判断はつかない。だが──確かに、止まっていた。
クラインは満足そうに笑った。
その笑みは、喜びというより──純粋な実験の成功に酔いしれた、無垢な狂気に近かった。
桃矢は、何も言えなかった。
その場の空気に、ただ圧されていた。
実験が一通り終わった頃、クラインはマグネトフォンを止め、技術兵たちに撤収を指示した。静かな室内に、低い声が響く。
「処遇はまだ決まっていない。だが、上では少なくとも“拘束対象”ではなくなったようだ。今後の観察のため、一時的に外に出しても問題はない、との判断が下った。利用価値があると認められたんだ。」
そのとき──扉が二度ノックされた。
「お迎えかな。」
クラインが笑うと同時に、扉が開く。
現れたのは、軍服に身を包んだ、小柄な女──クーゲルだった。
その姿はとても少女には見えなかった。
「引き取りに来た。上の命令だ。」
クラインは慌てて立ち上がると、姿勢を正して踵を鳴らした。
彼女の顔は相変わらずだったが、その軍服のボタンはひとつだけ外れていた。
「コーガくんはとても素晴らしいです、是非有効活用すべきです。閣下。」
「ご苦労、コーガは連れて行く、見送りも同伴も不用だ。」
全員で踵をまた鳴らす。
了解の合図だろう。
桃矢はクーゲルのもとへ歩いた。
廊下でクーゲルは桃矢に謝罪した。
「市民を守るのが軍人の務めだ。私は君を守ってやれなかった。すまない。」
「いいんですよ!ここまで助けに来てくれたじゃないですか!」
「助けに、か……ここに送り込んだ張本人は私だがね。」
「身から出た錆、なんですよね?ここから出られるだけで今は幸せですよ。」
「口の減らん小僧だ。」
彼女はそう言いながら、ズレていた軍帽をかぶり直した。
だがその手つきは、ほんのわずかに震えていた。
まるで、それすら“仕事の一部”であることを思い出すように。
音も無く、彼女のその軍靴は綻び始めていた。
ご拝読ありがとうございました。
14000字です、えー、バカです。
やりたい事書きたい事、書かなきゃならない事色々詰めてたら筆が踊りました。
本当に申し訳ありません。
今回は注訳は特にありませんが、気になる、わからんという部分があればコメントにでも残していただけたら幸いです。
愚筆失礼致しました。