第一章二話 その軍靴は綻び
軍人が語る戦争は、教科書よりも冷たく、そして正直だった。
魔術、能力、そして“勇者”の末路。
主人公、桃矢が見たのは戦う者の背中に貼られた綻びか?
「んで?その能力は名前しか具体的な事はわからない、って?」
夕焼けの日差しが窓に射し込む酒場にて。
彼女は相変わらず不機嫌そうな表情で桃矢に話しかけた。
「あぁ…えっと、はい。わからないことは多いですが、使えないものでもない…かもしれないです。」
「正直、消えるとは思いもしませんでしたけど…。」
彼女に笑顔を向けてみるも、心の壁壊し作戦は失敗のようだ。
「死骸やクレーターは消えていない、恐らく軍が派遣され、林道は封鎖され、記録は軍の手によって揉み消される可能性があるだろうな。」
彼女はふんと小さく鼻を鳴らすとわかった、と続ける。
「いいだろう、質問の仕方を変えよう。」
クーゲルは2杯目のビールを頼むと続けた。
「どういう経緯であの巨岩を出した?」
「えっと、あなたがアプヴルフと喋って…。」
「まずそこだ、私はそんな事言っていない、恐らく幻聴か何かだが…アプヴルフは明確に意味がある単語だ。」
「投下、投下物、放棄などの意味がある単語だ。その単語の意味を貴君は知っていたのかね?」
彼女はビールを受け取ると半分ほど一気に飲んだ。
「いえ、知らなかったです。」
「知らないのにそう言われたと認識したから復唱した、と…。」
「つまりはそういう事か?」
桃矢は肯定した。
しかし、今にして思えば多少おかしな話で、クーゲルは酒焼けした声をしていたが、聞こえた声は酒焼けしていなかった気がする。
気が動転していて気付けなかったのかもしれない。
「こちらの世界にも電気椅子を利用した能力開発機関がある、恐らくそれも能力だろう。」
「それは推察出来る、ならば次はどう出したかだ。貴君はわからないと言ったな?出し方の感覚が掴めていないという事か?」
桃矢は否定した。
そもそも、突如として左腕に字が浮かび、その時は何故か妙な事に出せる自信があったのだ。
その時の感覚を思い出すと、たこやきという概念を出現させる力のように感じた。
だが、自分にはたまたまたこやきという小惑星の存在の知識があった。
食べ物も小惑星も、どちらもたこやきなら出せる。
そんな自信があったのだ。
それらをかいつまんで説明すると、クーゲルは不機嫌そうに額を指先で軽く掻いた。
「まぁいい、問題はそこじゃない、勿論それらも問題だが…10分程であの巨岩は消え、潰れたヴェルトフントの死骸と大きなクレーターを作った林道、あれらをどう説明つける気か?」
「私に言わせればその方が余程気掛かりだがね。」
クーゲルはふんと小さく鼻を鳴らす。
「えっと…いまいちわかってないんですけど、何故それが気掛かりなんですか?」
小さく挙手して質問してみる。
「貴君は何もわからないんだったな。いいだろう、色々教えてやる。」
「まず、知性がない妖怪や怪物退治は小規模な武力介入と見做される。よって国は黙認するが、本来許可を得ない戦闘行為は違法なのだ。」
「そしてあれはやり過ぎたのだ。」
クーゲルは指先で眉間をつまむと、ため息をついた。
しかし、桃矢が知りたかった話はそれ以外にもあった。
「あの、ここって多分日本じゃないですよね?」
「ここはアイゼンライヒだ。」
「あの、魔法ってあるんですか?」
「何寝ぼけた事を抜かしている、ある訳ないだろうが。魔術ならあるがな。」
やっと目当ての話を発掘出来たと桃矢は胸を躍らせた。
「魔術って何が出来るんですか?」
「ヘアテン、硬化膜を全身に貼る魔術が一番ポピュラーだ。使えば銃弾も通さん。故に近代戦は遠距離ではなく白兵戦が主流だ。」
これはまたおかしな話だ。
銃が効かないなら科学技術を発展させる努力をすれば良いだけの事だ。
(銃が駄目、なら剣に退行って意味わからないな…。)
今度は桃矢が眉間をつまんでみせた。
(魔術ってそんな、物理法則を超えるくらいの優れものなのか?普通、効かないなら弾頭の形を調整するなり、火薬量を増やして薬莢のサイズを上げることで威力を上げる…とか、ミサイルだっていいじゃないか。)
(なんで進化じゃなくて、退化の道を選んだんだ?)
「わからない、と言った顔だな。」
クーゲルは初めて、桃矢に悪戯のような笑みの表情を見せると続けた。
「バカらしいと思うが、そういう時代なんだよ。」
「銃は勿論傷一つつかない、砲もちょっとした打撲にしかならなかったから更に改造、口径が大きなものとなった。」
酒を仰ぐと、クーゲルは更に続けた。
「ヘアテンっていう魔術はそういうものだ。何百発も当てたって無傷だ。」
「だが、ある時ヘアテンを使用しているもの同士で喧嘩があった。そして片方は死者となり、もう片方は数針縫う軽傷となった。」
「瞬間的な衝撃を多大に吸収するが、持続的な衝撃には弱い事が浮き彫りになったんだ。」
桃矢は更に首を傾げた。
「あ、あの…だったら何故質量兵器とかを作らなかったんですか?」
今度は不敵な笑みを浮かべた。
彼女はもしかしたら酒と戦いが好きなのかもしれない。
「作った、が正しいな。」
「最初は投石兵器だったが、ちょっとした投石では打撲止まり、だから1トンものサイズの巨岩を投擲しようとした。」
「投擲…なんですか?砲じゃなく?」
最もな疑問だと思っていた。
しかし、次には桃矢は己の考えは浅はかだったと思わされた。
「あぁ、そんなものを飛ばす火薬は莫大な資金がかかるからな。」
「1発2発飛ばすくらいなら別にいい、何千何万発と飛ばすんだ。資金不足に陥る。」
「戦争だよ。」
少し考えたらわかる事だったかもしれない。
個人間の戦いじゃない、国家間での戦いなんだ。
「戦争ってのはな、人命救助と真逆の事をするんだ。」
「人命救助は国庫をふんだんに使って1人を助ける事だ。」
そして、とクーゲルは続ける。
「戦争は人間をふんだんに使って、国を助ける事だ。」
「集金より消費の方が多くなる、そう判断された瞬間に起きる事は、わかりやすく残酷だ。」
「つまり、時代が逆戻りしたんじゃない。戦い方が変わったんだよ。」
桃矢は震えた。
白兵戦をする理由にではない。
授業で聞いていた戦争の残虐性と、実際に戦ったであろう人から直接聞く戦争の残虐性は、全く別物だったからだ。
しかも、ここは日本のような市民は戦争をしなくていいと担保されているのかもわからない場所に今いる。
桃矢自身がそれを次に経験する可能性だって、ある。
「質問はもういいか?話を戻すぞ。」
クーゲルは店主にビールを追加注文すると、いいかと続けた。
「そもそもこんな所で談笑しているのは貴君には実は極めて危険だ。」
「へ?」
「当然だろう、貴君は戦術兵器級の能力を行使したんだ。力には責任が伴う。」
「もしあの場に民間人が散歩に来ていたとしたら?貴君が殺した事になる。」
「青ざめるな、安心したまえ。あんな危険な道に散歩に来る物好きはそういない。」
クーゲルはビールを受け取ると、一口口をつけた。
白い髭ができている。
「それが、力を持つ者の責任だ。」
その目は真剣そのものだ。
「私の責任は、部下が不祥事を起こせば、公に出て謝罪をする、声明を発表する。」
「貴君の今出来る責任は、今頃アイゼンライヒの陸兵が血眼になって犯人を探している。捕まる事だ。」
またしても真っ青になる。
当然だ、調子に乗ったのはあった。
だが、そんな調子乗り一つで逮捕されて、最悪なパターンの想像なら死刑だ。
しかし、クーゲルはご機嫌にビールを呑んでいる。
「慌てるな、恐らく能力のテストで終わるだろう。あんな巨岩を自由に出し入れできる者を利用しない手はないだろう?」
「能力の模倣が出来る日が来れば、文字通りお払い箱になるだろうがな。」
しかし桃矢は必死に食い下がる。
「お願いします!クーゲルさん、俺一時的なあなたの配下…でしょう!?」
クーゲルは鼻で笑った。
「街までの案内だ、と言っただろう。」
「お願いします!助けて下さい!」
「助けて私に金が入るのかね?まさか情で貴君のような危険な存在と仲良く逮捕されると思うかね?」
貴君が私でもイカれてると思うだろうよ、そう小さく呟いた声はビールの中に消えていった。
「そも、私はあの程度の手合いなら1人でやれたのだ。民間人であった貴君は…いや、あの時は臨時兵か…ややこしい。新兵がやれる手合いではないのは、全長5mはゆうにある巨体を見て想像に難しくなかろう?」
「身から出た錆というやつだ、受けたまえ。」
そう言うと、クーゲルはソーセージを齧った。
「そのアプフェルシュトゥルーデル(※1)は奢りだ、食べたまえ。」
耳馴染みが全くないものを勧められる。
とても食べる気分にはなれそうもない。
しかし、豚箱は臭い飯のイメージがある。
(ありがたく、食べとこう…。)
意外にも、一口かじるとただのアップルパイだった。
「私はこの店のヴルストに目がなくてな。」
あまりにも、桃矢とクーゲルとの間には温度差があった。
「ありがとう…ございます。これ、美味しいです。」
正直味なんてわからなかった。
こんな状況だ、味わいたくても味わう事なんて叶わない。
しかしふと思う、ここまで見つけられないなんてあるだろうか?と。
「あの、すみません。ここまで軍が動かない事なんてあるんですか?」
日本なら、一学年の生徒くらいの人数で人に聞いてまわればそれらしい情報だって出てくるだろう。
しかも軍人だ。
見つけられないとしたら、余程市民に嫌われているか、或いは…。
クーゲルは目を閉じ、顎で窓を指した。
桃矢は窓を見る、軍人らしき人が10名は見て取れる。
「なんで捕まえにこないんですか?俺を。」
「簡単な話だ、有名な中尉がご機嫌に酒を飲んでいるのに、よくて上等兵止まりの兵士が声を掛けてくる勇気があると思うか?」
「きっと今頃どう声を掛けたものか、誰が声を掛けるか辺りで揉めているのさ。」
「中尉が容疑者を捕らえた、と考えられないくらいには緊張しているのか、私の顔を立てようとしてくれているのか…やれやれだ。」
「何にせよ時間の無駄だろうに。」
軍の質も下がったな、そう独り言ちる。
しかし桃矢は別の疑問が浮かんでいた。
「あの…なんで中尉ともあろうお方があんな所にいたんですか?」
当然の疑問だ。
危険な場所にお付きや護衛無し、考えられるのは極秘任務くらいだろう。
しかし、返答は想定していないものだった。
「あぁ、一人誰にも見つからない場所で死ねる場所を探していてな。」
「近頃あの辺りに妖怪の出没報告があったからな、身元がわからなくなるまで食い散らかされるかもしれんだろう?」
今、自分が危険な状況なのは理解してる。
しかし、自殺しようとしていた人間を目の前にして、変な正義感のようなものが目覚めた。
「何があったかはわからないです、でも自殺は良くないです!」
「今、軍人は平和過ぎて食べていけないんだ。靴が2足要る。」
二足の草鞋…という事なのかと聞き流す。
「昼は立派な中尉様、しかし夜は娼婦だ。元勇者であるこの私がだ。破綻しているんだよ、この国は。」
「死にたくならない方がどうかしている、とは思わないかね?貴君。」
ふん、と軽く鼻を鳴らすと続けた。
「中尉と言えど、一番の功績者は死者を劇的に減らした魔術者だ。歩兵上がりは低賃金でな。」
「しかも戦後だ、政府は強すぎる力に脅威を感じ、勇者に対する支援制度も打ち切った。」
何も言葉が出なかった。
中尉まで登っても娼婦にならざるを得ない事にだ。
それは桃矢の思考を一瞬停止させるのには難しくない発言だった。
中尉が、夜に娼婦ですか?と、言葉が出そうになったが、なんとか出す前に止める事が出来た。
あまりにデリカシーがないと思ったからだ。
「すみません、でした……。」
何に対してかは自分でもわかってないが、唐突に謝りたくなったのだ。
人間的な、心という器官がそうさせたのかもしれない。
「いや、済まなかった。出会ったばかりの貴君に話すような内容ではなかった。酒に悪い形で煽られたかもしれん。」
「こちらこそ、謝罪させてくれ。」
桃矢はまだ17歳だ。
常識がようやく身につき、地盤が固まり出してきた歳の頃だ。
だが、大人とは酒を飲めて、タバコを吸える以上の印象がなかった。
しかし、未熟な桃矢の目には、小さなクーゲルはどこまでも大人に見えた気がした。
これが大人という確証はなかったが、もしこれが大人という形であるのなら、こうなりたいと思えた。
しかし遅れて、元勇者が娼婦をするという事は、軍人でもない人間に対して余裕ある対応は期待出来ない、という事だ。
こんな悲劇を語ってくれ、かつ大人としての姿勢や責任、弱さを見せてくれた相手に対して、すぐに自分の状況に結びつけてしまう、自己保身に走ってしまう自分に嫌悪感を抱いた。
自分がこうありたい、あってみたいと願った様とは程遠く、真逆に位置していたからだ。
桃矢は思った、どうすれば彼女のようになれるか。
それは短絡的かもしれないが、相手を慮る事から始めてみようと思った。
慮った結果、彼女が何故ここまでよくしてくれるのだろうと桃矢は考えた。
考えてみれば不思議だった。
クーゲルは軍人だ、どちらかというと俺を突き出す側の人間だ。
本当に理解出来なかった。
「なんで、ここまでよくしてくれるんですか?」
「質問ばかりだな、貴君は。」
「岩が消えた後、貴君は真っ先に飛び出した私に対して頭を深く下げ感謝をしたから…これでは不服かね?」
「貴君の文化を知りはしないが、頭を下げる行為の特別性は察せられるさ、勇者とて、人の子だよ。」
彼女はジョッキを大きく振り、底に僅かに残ったビールを飲もうとしている。
「軍人ならば、これは然るべき行動だと、感謝する義理も価値もないと伏さなかったから。貴君は貴君なりに最上の礼をした、私が今出来る最上の礼は、悪いがそれだ。これが質問への答えだ。」
彼女は顎でアプフェルシュトゥルーデルを指した。
そう思うと、ひょうきんかもしれないが、とても美味しいような気がした。
しかし違う世界に来て、色々感情を短時間で動かされたけど、ここまで動かされたのは初めてだった。
「大魔王とやらは討伐し終わった、他国との戦争も緊張状態だが終わった。」
「私は最早ただの使い捨てられた後の空薬莢なのだよ。」
酒場内では陽気にかかる音楽だけが嫌にはっきりと聞こえた。
ご拝読ありがとうございました。
1話では桃矢がドヤ顔で終わったと思うので、2話では伏線回収と設定説明フェイズとさせて頂きました。
まだまだ魔術ってつまりなんぞや?とか、妖怪ってつまりなに?
など回収、説明出来てない部分が散見されて実力の無さを恥じるばかりです。
能力についてはもうちょっと違う場所で細かく説明する場面を設けますので、もう少々お付き合いください。
さて、今回の注訳はとても少なかったですね。
※1→アプフェルシュトゥルーデル
これはリンゴをパイ生地でぐるぐる巻きにしたアップルパイですね。
よくドイツで親しまれてるおやつです。
スペルはApfelstrudelって書きます。
これは実在する食べ物ですね。
クーゲルはヴルストを食べていましたが、ソーセージをドイツではヴルストと呼びます。
スペルはWurstです。ドイツには200種以上のソーセージがあって、ソーセージ好きにはたまらないです。
クーゲルが飲んでいたビールはピルスナー(Pilsner)と呼ばれるビールで、北ドイツやベルリンで主に飲まれているビールです。
苦味がしっかりした淡色ビールで、苦味好きな人はぜひ一度お試しあれ。
以上となります。
愚筆失礼致しました。