転生した有能悪役王妃は男の趣味だけが悪い
私はオルムベルク王国の王妃エルダリア・クラウレッド。
隣国の王女として生まれ、二年前にオルムベルク王国の国王陛下に嫁いだ。
王族に生まれたから死ぬまで栄華と富を約束されている。誰からも傅かれ、誰からも尊ばれる人生よ。まさに人生ガチャ圧勝のウルトラレア。人生イージーモード。
……そう思っていた時期が私にもありました。
半年後に断頭台で処刑されることを思いだすまでは。
なぜなら、この世界は私が前世でクリアした乙女ゲーム『愛と革命の果てに』だったのだから!
(なんてことなの……)
私は前世で普通の一般家庭に生まれた。普通に学生生活を送り、普通に人並みの恋愛をして、普通の企業に就職して、気がつけばおひとり様のまま三十代に突入した。
結婚は特に焦らなかった。独身の友だちも多かったし、おひとり様でもコツコツ貯金していれば平穏な老後を迎えられるから。
四十代になった頃、コツコツ働いていた私は管理職に出世した。出世なんて興味はなかったけど断る理由もなかったし、役職手当で給料が増えるから就任した。
しかし私はぬるかった。
管理職は最悪の仕事だった。
部下の尻ぬぐいは当然ながら、同期に足をすくわれないように会話に細心の注意をし、上司の顔を立てながら忖度する仕事。それが管理職。
コンプラ厳守とパワハラ厳禁で部下と上司に挟まれる中間管理職ほど精神がすり減る仕事はない。もはや給料は慰謝料だと思って受け取っていた。唯一の楽しみはストレス発散のジム通いとゲームくらい。
そんなある日、私は死んだ。
その日は朝から部下のミスをフォローし、パワハラに注意しながら優しく励ましつつ叱るという気遣いの鬼になっていた。疲れた私はお昼休みにコンビニへ行き、新作のスイーツを買ったところで意識を失った。
死因は急性心不全ってことだけど原因はストレスだと思う。そんな気がする。
そんなわけで私の前世は終了した。
しかし転生したのはオルムベルク王国の王妃エルダリア。
最悪すぎる……。
王妃エルダリアといえばゲームのラスボスだった。
ゲームの王妃エルダリアは高慢で傲慢で自己中心的でワガママで意地悪で虚栄心の塊。存在自体がパワハラみたいなものだった。
エルダリアはオルムベルク王国国王陛下に嫁いでから王妃の権力でこの国を好き放題かきまわし、お気に入りの大臣や貴族を厚遇して毎日パーティーの優雅で贅沢な暮らしを謳歌した。臣下や民衆から恨みや妬みを買いまくったのである。
はっきりいって清々しいほど悪役な王妃だったのだ。
しかし王妃の天下も長く続かなかった。
ヒロイン登場である。
乙女ゲーム『愛と革命の果てに』はヒロインが城勤めの侍女になったところから始まった。当初ヒロインは貴族の令嬢や上級女官にいじめられていたけど知恵と勇気と機転で切り抜けた。しかも可愛らしいヒロインは誰からも愛されるので、窮地に陥ってもサブヒーローたちが我先にと助けてくれるのだ。
そんな中、ヒロインは本命ヒーローと出会う。それは公爵家の令息にして騎士団団長。貴族でありながら剣の腕は騎士団最強、カリスマ性と抜群の統率力をもったイケメンだ。
このヒーローとヒロインが愛しあうようになった時から王妃の転落は始まる……。
夫である国王陛下がヒロインに横恋慕してしまったのだ。
陛下は民衆に歴代最悪と噂されるほど暗君だった。そんな暗君陛下はヒロインを手に入れるためにあの手この手をやらかしたのである。ヒロインにストーカーしたり、豪華なプレゼント攻撃をしたり、用もないのに呼び出したり……。権力丸出しの好意の押し付けははっきりいってうざかった。ゲームプレイ中は何度イライラさせられたことか。
こうした数々の悪業を起こすなか、とうとう極めつけの出来事を起こす。それは騎士団長の国外追放。目障りだからという理由で本命ヒーローである騎士団長を追放したのだ。
でも、それが革命の引き金だった……。
そこから先はもう思い出したくもない。
恋人と引き離されたヒロインはまさに悲劇のヒロイン。そんなヒロインのために立ち上がるサブヒーローたち。
横暴な国王夫妻に軍属がキレた。大臣がキレた。侍従がキレた。民衆がキレた。そして怒りのうねりは王国中に広がって革命勃発。革命を率いていたのはヒーローとヒロイン。
ゲームをしている時は自分が起こした革命だったけど、今思いだすとなかなかえげつない断罪イベントだった。
陛下と王妃は名ばかりの裁判にかけられ、縛られて市中を引き回され、石を投げられたり棍棒で殴られたり。全身ボコボコにされながらも断頭台にあがれば民衆からの殺せコール。
もちろん誰にも助けてもらえることはなく、陛下と王妃はギロチンで真っ二つになった。わざわざプレイ画面に飛び散る血潮まで描かれていたくらい派手な処刑シーンだった。
そう、こうして王妃エルダリアはヒロインの愛と革命の果てに処刑されたのである。
(……嫌すぎる。絶対嫌すぎる)
悲惨な未来に頭を抱えた。
それは予言なんかじゃない、このままじゃ確実にやってくる運命。
(生き残りたい)
切実な願いだった。
…………。
………………大きな深呼吸を一つ。
王妃に転生したのは仕方ない。どんなにあがいてもヒロインスタートはできない。
それなら切り替えていこう。
配られたカードで勝負するしかないのよ。
私の武器はゲームをクリアした前世の記憶。
幸いヒロインはまだ現れていない。ということは『愛と革命の果てに』のシナリオはまだ始まっていないということだ。
「……よし、やろう。絶対生き残ってみせる!」
私は自分に誓った。
断罪イベントを全力で回避し、この転生した世界で幸せになる!
前世の記憶を取り戻した私の行動は早かった。
まずは人心掌握。地の底まで落ちている好感度をアップしなければならない。少しでも好感度をあげて、少しでも味方を増やしておきたかった。
断罪イベントでは登場人物全員が敵だった。誰一人助けようとする者はなく、それどころか弱った猛獣をいたぶるようにここぞとばかりに攻撃された。そんなの救いがなさすぎる。
記憶が戻った翌日の朝。
「ごちそうさまでした」
朝から豪勢な朝食を優雅に終えた。
私の側には給仕と女官が控えている。
(……話しかけたい)
なんでもいいから話しかけたい。話しかけることで好感度アップの切っ掛けを作りたい。前世でも新入社員には先輩の方から優しく話しかけるのが鉄則だった。
給仕に優しく話しかけてみる。
「ちょっといいかしら」
「っ、も、申し訳ありません! 不快に思われたことがあればお許しください!」
ガバリッ! 給仕は震えあがって頭を下げた。まだ何も言ってないのに条件反射のように。
えー……。これって私に叱責されると思ったからよね。
たしかに今までの王妃の記憶を思いだすと、こういう時はだいたい叱責していた。しかもどうでもいい理由で。虫の居所が悪いだけで怒鳴っていたこともあったくらい。
見るとこの給仕だけじゃない。広間にいる女官や侍女も青褪めた顔で私を見ている。完全に恐怖が刻まれている顔だ……。
(……まずい。私が予想したより事態は深刻かも……)
この刻まれた恐怖が爆発した時に革命は起きるのだ。
私は給仕にニコリと微笑みかけた。
「なにを謝るの? 今日の紅茶も素敵だったわ。今日は朝から少し暑いと思っていたの。あなたがスッキリした味わいの紅茶を選んでくれたのよね。ありがとう」
「えっ……。あ、いえ、そんなっ、喜んでいただけて光栄です!」
給仕が焦りながらも頭を下げた。
褒められて嬉しそうには……見えない。
どちらかというと混乱。とりあえず叱責じゃなかったことに安心しているようだけど、完全に恐怖を刻まれてる人間の反応だわ……。
褒めることもままならないのかと思うと頭が痛い。
「ところで陛下はどこかしら。朝食に姿が見えないようだわ」
「先ほどお目覚めになったようです。朝食は必要ないとのことでした」
「そう。それじゃあ今はまだ寝所かしら。朝のご挨拶をしないと」
そう言って私は立ち上がる。
向かう先は陛下の寝所。
私の行動に女官や侍女が驚きを隠せないでいる。
朝食に陛下がいないのはいつものことなのに、私が挨拶のためにわざわざ足を運ぶからだ。結婚してから今までこんなことしたことはない。
陛下と私は夫婦だけど、それは政略結婚の形式上の関係。この政略結婚に愛だの恋だのというのは発生しなかった。
ましてや私は悪役王妃だから誰とも恋愛イベントなんて発生していない。誰からも愛されてなかったはず。それどころか陛下はヒロインにベタ惚れするのだから。
しかし今の私とセオドルトは運命共同体。どちらか一方だけが好感度をあげても意味はない、二人で一緒でないと。
好感度アップ計画を練りながら陛下の寝所にやってきた。
「陛下、私です。入ってもよろしいですか?」
「エルダリアか。いいよ、入って」
室内から入室が許可される。
ゆっくりと寝所の扉を開けると、そこにいたのは丸々太ったブタ男。もといオルムベルク王国第六代国王陛下セオドルト・クラウレッドだった。
「陛下、おはようございます」
「おはよう。エルダリア」
セオドルトが朝の身支度をしながら私を振り向く。
そんなセオドルトの背後や左右には女官たち。侍女がせっせと着替えを手伝っていた。
陛下の身支度を侍女が手伝うのは当たり前のことだけど。
「……このシャツきつくなったんじゃないのか?」
「申し訳ありませんっ。すぐに新しいシャツを用意いたします!」
「このズボン、歩きにくいよ。裁縫師はなにをしている」
「申し訳ありませんっ。すぐに仕立て直すように命じます!」
「専属の裁縫師に仕立てさせているのに、どうして三日に一度はきつくなるんだ……」
(それは毎日着々と体積を増やしてるからよ)
誰もが分かっている答えだ。
でも侍女たちはひたすら申し訳なさそうな顔をしている。たった一言「痩せろ」で解決だけど、陛下に対してそんなこと言える侍女などいない。そもそも陛下に面と向かってデブなどと言える人間はいないのだ。
「新しいズボンを持ってまいりました」
「今度は大丈夫? よいしょっ。フーフー、よいしょっ」
セオドルトが両側から支えられながらズボンを履いている。
うんうん、でっぷりしたお腹が邪魔でしゃがめないのよね。
「陛下、腕を失礼します」
「こちらも失礼します」
セオドルトの周りで侍女たちが忙しなくシャツを広げて行ったり来たり。
うんうん、ムチムチの腕だから背中に手が回らないのよね。
着替えてるだけなのに「えっさえっさ」と掛け声が聞こえてきそう。
侍女の苦労も知らずにセオドルトが私を振り返る。
「エルダリアが朝からここに来るなんて珍しいな。なにかあったのか?」
「いいえ、そういうわけでは。朝食の席に見えなかったので、ご挨拶に参りました。ご迷惑でしたか?」
「迷惑なんて、そんな」
(はいはい、迷惑だったのね)
セオドルトのしどろもどろな様子にじとっとした目になってしまう。
さりげなく寝所内を見回して、セオドルトのベッドの下に菓子くずが落ちているのを見つけた。成人男性にあるまじき情けない光景だ。
じっと見つめるとセオドルトがハッとする。
「これは違うんだ! 僕が食べたんじゃない! 昨日、公爵が来たからっ」
「毎日清掃されているはずですが」
「そ、それなら侍女が悪い! 侍女の掃除が下手クソなんだ!」
「陛下、見苦しいですわ」
「そうだ。見苦し、……え?」
セオドルトがぎょっとした顔で私を見た。
身支度を手伝っていた侍女たちも驚いた顔で私を凝視する。
そう、いつもの私ならここで陛下の言い訳におもしろがって便乗し、侍女に罰を与えるくらいのことはやらかしていた。王妃の性格の悪さは陛下以上だったのだから。
でも今は違う。愚かな行為のひとつひとつが、自分を断罪イベントへ一歩一歩近づけていることが分かるから。
「陛下、侍女のせいにしてはいけません。菓子くずが落ちるたびに侍女は清掃してくれていますが、それが追い付かないほど陛下に節度がないのです」
まっとうな反論をした。
そのまっとう過ぎる言葉に侍女たちはざわめき、陛下はぽかんと口を開けている。
でもここで陛下をたしなめて少しでも改心してもらわなければ断罪イベントを回避することはできない。
断罪イベントで王妃が断頭台に立った時、隣には陛下がいた。断罪されたのは陛下か王妃のどちらかが原因ではなく二人の愚行が原因だ。
「陛下、せっかく朝食が用意されているというのに……」
「そ、そうだけど面倒で……」
(なに単位ギリギリの大学生みたいなこと言ってんの)
朝食がいらない理由はお菓子を食べているからのようね。起床してからだらだらお菓子をつまむ癖があるみたい。
しかもベッドの枕元にも菓子くずが散らばっている。就寝前にもごろごろしながら菓子をつまんでいたのね。
夜は夜更かしと夜食のお菓子。朝はぎりぎりまで眠って起床してからもだらだらお菓子をつまんでいる。ここにデブの理由が詰まっていた。
でも一応罪悪感はあるのか私から隠そうという気持ちはあるのね。隠しきれてないけど。
「デブを責めるつもりはありません」
「え、デブって言った?」
あ、しまった。でも華麗に流す。
「しかし食事は広間でいただきませんか? 陛下のために大勢のコックが早くから準備をしています。その料理ひとつひとつを大切にいただくのも陛下の務めではないでしょうか」
「エルダリア……。お前、頭でも打ったのか?」
「打ってません」
「頭も打たずにそんなことをっ……」
セオドルトが信じがたい……と頭を振った。
失礼すぎる態度だけど気持ちは分かる。頭は打ってないけど前世の記憶が戻ったの。
「とにかく、食事は食卓のある広間でいただきましょう。食事は決まった時間にいただくのです。それは陛下のお体にとっても良いことかと思います」
「たったそれだけで?」
「大事なことですわ。陛下御自身のためにご決断ください」
御自身のために、この部分を強調した。
臣下のために食卓につけと言っても無駄だ。そもそも臣下にそんな気遣いができるなら最初から断罪イベントが起こるようなことになっていない。
だから今は自分のためにを強調する。
「…………。……食事を広間でするだけでいいのか?」
「そうです。朝昼晩の食事を決まった時間に決まった場所でいただきましょう。きっと陛下にとって良い兆しになりますから」
「………………。……わかった。善処しよう」
「ご英断です。陛下とご一緒できるなんて私も楽しみが増えました」
これだけでどうにかなるとは思わないけど、とりあえず簡単なことから始めさせる。
万里の道も一歩から。一発逆転できれば早いけど人間はそんな単純な生き物じゃない。コツコツ貯金するようにコツコツ好感度を高めるのよ。
「エルダリア」
「なんでしょうか」
「……こうしてしゃべるのが、なんだか久しぶりな気がして」
「そういえば」
私も頷いた。
私とセオドルトは名ばかりの夫婦。政略結婚してから夫婦らしい会話なんてしたことがない。私がセオドルトを変化させたいのは自分が断罪されたくないから。
でもね。
私はちらりとセオドルトを見た。
好感度アップを狙っているのもほんとうだけど、セオドルトの肥満体型を心配しているのもほんとう。
だってあなた、断罪イベントで市中を引き回されている時に「フーッ、フーッ」て荒い呼吸が苦しそうだったもの。少し歩いただけで痛そうに足を引きずって、重たい体をゆらゆらさせて、汗をだらだら流して……。ゲームプレイ中は敵だったけど冷たいお水を上げたくなったくらいよ。
もちろん今回は断罪イベントなんて回避するけど、あなたのあの姿はあまり思いだしたくないものだから。
翌日からセオドルトの規則正しい生活が始まった。
気ままな生活でなくなったことで侍従は振り回されずに済む。とりあえず陛下はワガママという印象をなくさせるのだ。しかも早寝早起きをしているおかげでダイエットまで成功しつつある。
早く寝る理由は一つ、遅くまで起きてるとお腹が空くから。
早く起きる理由は一つ、空腹で早く朝食が食べたいから。
政務が長引いた時は就寝時間がずれるけど普段の日は早寝早起きを厳守だ。陛下の規則正しい生活は臣下や侍従からの好感度をアップさせるし、ダイエットできるしまさに一石二鳥なのだ。
あまりの厳しさにセオドルトは嘆いていたけれど、私は心を鬼にして規則正しい生活を指導した。これができるのは妻である王妃の私だけだから。
私と陛下の生活が変わって一カ月が経過した。
一人で庭園を散歩していると前から見覚えのある青年が歩いてきた。
「あら、マティアス様。お久しぶりです」
私はほほ笑んで挨拶をした。
青年は王弟殿下マティアス・クラウディア。
そう、セオドルトの弟だ。でも弟といっても腹違いの二人は仲良し兄弟というわけじゃない。マティアスは王弟殿下ということで公爵という爵位を授かりながらも辺境の領地に追いやられていた。私がマティアスに会うのも婚礼の時以来だ。
「これは王妃様。ご機嫌麗しく」
マティアスが私の手を取って恭しく挨拶をした。
王族らしい洗練された動きに目を細める。
腹違いの弟とはいえセオドルトとは似ても似つかない。長身で鍛えた体躯と精悍に整った容貌。しかも聡明なだけでなく剣の腕もそのへんの騎士には劣らないという。
だからこそ王弟でありながら辺境に追いやられたのだけど。
「マティアス様が王都に来ていたなんて驚いたわ。いつからこちらに?」
「昨夜から来ていました。いつもの定例報告ですよ」
「そうでしたか。でも定例報告なら士官でもよかったのでは? マティアス様御本人がわざわざ王都を訪れるなんて」
「さすが王妃様、お気づきですか。じつは噂を聞いたんです。陛下がお変わりになったと」
マティアスがにこりと笑い、意味ありげに私を見た。
「貴族や民衆たちが陛下が改心されたとか生まれ変わられたとか言っているので、自分の目で確かめに来ました」
「そのためだけにわざわざ? では感想を聞いてもいいかしら」
「もちろん。噂は真実だった。今までにない陛下のご様子と城内の雰囲気に驚いています」
「そう、それは嬉しいことです。陛下の努力の賜物ですから」
そう言ってニコリと笑ってみせた。
陛下が自分の意志で変わったのだと伝えることに意味がある。些細なことかもしれないけど、その些細なことが人の心を動かすのよ。元中間管理職の人心掌握を舐めないでほしいわ。
でもマティアスは面白そうに笑いだした。
「ハハハッ、陛下の努力の賜物か。たしかに否定はしない。だが、俺は王妃の手のひらなんじゃないかと思ったんだが」
「私の手のひら? さてなんのことでしょう」
私は笑顔のまま首を傾げてみせた。
そんな私にマティアスが「とぼけるなよ」とスゥッと目を細める。
「たった一カ月で陛下を変化させ、城内にあった陛下に対する不審を塗り替えた。そんな器用なことを陛下ができるとは思えない。なにを企んでいる」
マティアスの射貫くような眼差し。
私の真意を探ろうとするそれに内心動揺する。
まさか気づかれるとは思わなかった。誰にも気づかれていないと思ったのに……。
……仕方ない。認めるしかない。でもマティアスは誤解している。私は断罪イベント回避をしたいだけで陛下を操って王国を思いのままにしようなんて思っていない。
「ふう……」
私はわざとらしいほど大きなため息をついてみせた。
王妃らしからぬため息にマティアスが僅かに目を見張る。
そんな反応に私は口元に笑みを刻み、ガラリと雰囲気を変えた。そして互いの化けの皮を剥がしあう。
「マティアス様は勘ぐりすぎではないかしら。私は陛下の妻です。陛下のために努めるのは当然ではないかしら」
「婚礼の式典で会った時とは別人のようだな。これでなにか企んでないと思う方が無理だろ」
「そうですね、マティアス様に不審を植え付けてしまいました。でも悪いことではないでしょう。国や民のためになっていることは否定できないはず」
じっとマティアスを見つめた。
私の真意を探りたければ探るといい。私に悪意はない。断罪イベントを回避したいだけなんだから。
対峙したまま沈黙が落ちる。
でも少ししてマティアスが「プハッ」と噴き出して笑いだした。
「ハハハハッ、悪い。許せよ。疑ったわけじゃないが、試すような真似をして悪かった」
「……気にしてないわ。でも意外ね、あなたは陛下をあまり良く思っていないと思っていたから」
「陛下がどう思っているか分からないが、俺は王弟としての務めを果たすだけだ。俺と陛下の不仲が原因で内乱なんて起こってみろ、民の不幸だからな」
「それは殊勝な心がけですわね」
「お褒めに預かり光栄です」
マティアスがわざとらしいほど丁寧に一礼した。
完全におもしろがっている。
でも私も怒る気はない。むしろ笑えてきてしまう。
二人して笑うと、そこに今まで漂っていた緊張感はなくなっていた。
「王都に来てよかった。王妃に会えたからな」
「褒められたと思っていいのかしら」
「もちろん。だが急激な変化にいらぬ画策をする貴族もいる。気をつけろ」
「ご忠告ありがとう。もちろん承知済みよ」
この一カ月、変化した陛下を探ろうとする貴族たちの拝謁があった。
貴族たちは陛下に取り入ろうとしていたけど、もちろん私がやんわり排除した。元中間管理職を舐めないでほしいわ。それに陛下は少し純粋すぎるところがあるから気を付けてあげないと。
「陛下は幸運だ。有能な王妃がいるんだからな。……惜しいな、王妃でなければ俺の妻として迎えたかった」
「それはどうも」
「不思議なんだが、あの陛下のなにがいいんだ」
「不敬ですよ。……かわいいところもありますから」
私がそう言うとマティアスがなんとも複雑な顔になった。
じろじろ見られて「なによ……」と睨み返す。
でも。
「有能だが男の趣味は悪いようだ」
「どういう意味よ!」
言い返すとマティアスは声を上げてまた笑った。
なにからなにまで失礼な男ね。
私と陛下の生活が変わって二カ月が経過した。
会議を終えたセオドルトがサロンにいた私のところにやってきた。
「エルダリア、予算会議がようやく終わったよ! 満場一致だ!」
「それはおめでとうございます。お疲れさまでした」
私は窓辺のチェアから立ち上がって出迎えた。
セオドルトは大股で私のところへ真っすぐ歩いてくる。
彼の足取りは自信に満ちた力強いもの。
そこにいたのはすらりとした高身長の美形。溌溂とした雰囲気と美しい目鼻立ちは多くの女性の熱視線を集めるものだった。
そう、これが今のセオドルト。
陛下はこの二カ月で一変した。
規則正しい生活と食事でスルスル痩せだし、しだいに愚痴も不満も言わなくなっていった。それどころか自分が変わっていくのが楽しくなったのか今度は筋トレを始めたのである。
するとあっという間に無駄な贅肉が落ちて、それと入れ替わるように筋肉に覆われた美丈夫に変身したのだ。元々脂肪がつきやすい体質だったということは、逆を言えば筋肉もつきやすい体質だったということだ。肥満の才能は筋肉の才能ということである。
しかも嬉しい変化はそれだけじゃなかった。
体力がついて集中力が増し、今までおざなりだった政務にも積極的に取り組むようになったのだ。
そして会議の中でも面倒ごとが多い予算会議を見事に乗り切ったのである。
「あなたの側近からも先ほど報告を受けました。見事な采配だったと聞きました。私も見たかったですわ」
「ありがとう。エルダリアのおかげだ」
「私はなにもしていません。陛下が毎夜遅くまで務めてらしたからです」
「そう言われるとなんだか照れるな。でもやっぱり君のおかげだ。エルダリアの支えがあったからだよ」
「ふふふ、陛下ったら」
クスクス笑ってセオドルトを見つめると、彼は照れくさそうにはにかんだ。
二カ月前から変化したこと、もう一つあったわね。セオドルトとこんななごやかな会話ができるようになったこと。結婚してからようやく夫婦らしい時間をすごすようになったこと。
そんな私とセオドルトを女官や侍女も微笑んで見守ってくれていた。
誰もが気づいていた。陛下と王妃が以前とは違うということを。女官や侍女など城に従事する者たちの笑顔も増えていることを。
それから一週間後。
うららかな日の午後。私とセオドルトは庭園を散歩していた。
「エルダリア、温室の薔薇が見どころだそうだ。一緒に見に行こう」
「はい、楽しみです。陛下はもうご覧になったんですか?」
「ああ、朝の鍛錬の時に温室に寄ったんだ。ぜひエルダリアにも見てほしくて」
「それは嬉しいことを。楽しみですね」
そう言って笑いかけると、セオドルトも嬉しそうに頷いた。
私をエスコートして温室へと連れていってくれる。
以前とは見違えるセオドルトの姿が誇らしい。彼は私のおかげだと言ってくれるけれど、彼自身の努力がなければ成しえなかったことだから。
私とセオドルトは談笑しながら温室に歩いていく。
時おり側付きの女官や侍女にも話しかけたりして、みなで和やかな会話を楽しみながら温室に入った。
温室の小道を歩いて目的の薔薇園へ。
薔薇のアーチを潜ると、感嘆のため息がもれた。
そこには数えきれないほどの真っ赤な薔薇が咲いていたのだ。視界を埋め尽くすほどの美しい薔薇はどれも輝くように咲き誇っている。
「素晴らしいですね。とても美しい薔薇です」
「今が見頃だそうだ。エルダリアと見たかった」
私とセオドルトは温室の小道を歩く。
薔薇の咲き乱れるそこは夢のように美しい景色が広がっている。
そう、夢のように美しい。
(……ああ、そこにいたのね)
セオドルトの足が止まって、彼の見つめる先には一人の愛らしい少女がいた。
リオナ・ノークス。乙女ゲーム『愛と革命の果てに』のヒロイン。
「そこにいるのは誰だ」
セオドルトが声をかけた。
リオナが振り返って二人が見つめあう。でもすぐにリオナがハッとしたように頭を下げた。
「ま、まさか陛下でいらっしゃいますか!? 申し訳ありません!! 大変失礼いたしました!!」
「謝らなくていい。初めて見る顔だな。名は?」
「……リオナ・ノークスと申します。一週間前から侍女として働かせていただいています」
「そうか、どうしてここにいた?」
「庭師さんにお願いして薔薇の世話をさせていただいていました」
「では、リオナもこの薔薇の世話をしてくれていたのか。ありがとう」
「陛下っ……。……光栄ですっ」
リオナの瞳がきらめきを帯びて、陛下……と恥ずかしそうにほほ笑む。
頬がピンクの薔薇のように色づいて、ぽってりした愛らしい唇は艶めいている。清純な可愛らしさがありながら、瑞々しい花びらのような美しさも併せ持っている。リオナはまるで朝露に輝く花のよう。
今、私の目の前で運命が変わっている。
これはゲームにはなかった展開。リオナのセオドルトを見つめる瞳が明らかに違っているのだ。
このセオドルトとリオナの運命の出会いを私は静かな面差しで見つめていた。
「リオナはとても物知りなんだ」
あの日からセオドルトはことあるごとにリオナの話しをするようになった。
聞くところによると温室の薔薇園で毎日のように会っているらしい。薔薇の世話をするリオナが陛下は気になって仕方ないのね。
私は知っている。これはゲームシナリオの一つ。陛下は薔薇園で出会ったヒロインに横恋慕してストーカーまがいのことをして迷惑がられるのだ。
でも今回、ゲームとは違ったシナリオが動きだしている。
リオナは薔薇の世話を理由に温室に通っているけど、陛下と会うことも楽しみにしているのは明白。二人の心の距離が近づいている。
「リオナは賢いだけじゃなくて、とてもおもしろいことを言うんだ。温室の薔薇が可哀想だと。野に咲いている野生の薔薇のほうが幸せだと。そんなこと言われてびっくりしたよ」
セオドルトが思いだしながらおもしろそうに笑う。
この城のすべては陛下のもの。温室も陛下のもの。その温室にある薔薇を可哀想だと言ったヒロインが気になって仕方ないのね。陛下に向かってそんなことを言う侍女は初めてだから。
私はその会話術を知っている。ヒロインがヒーローの気を引きたいときに使うちょっと奇をてらった会話術。
「温室の薔薇より野に咲く薔薇のほうが色鮮やかだと言うんだよ。とても美しいんだって」
「そうですか。それは興味深いですわ」
(……その美しい薔薇を私と一緒に見ようとはおっしゃってくれないんですね)
私は彼の無邪気な笑顔を見ながら微笑んで聞いていた。
でもある時から、陛下がリオナのことを私に話さなくなった。そして私に優しくなった。
今まで以上に私の機嫌を伺って、不自然なほど優しくなった。
優しくされることは嬉しいことなのに、どうしてでしょうね。その優しさに強烈な空しさを感じたの。
セオドルトが私にリオナの話しをしなくなってしばらく経った頃。
それは雨上がりの蒸し暑い夕方だった。
セオドルトと夕涼みをしようと庭園を探していると、彼が温室にいると女官が教えてくれた。
私はなにげなく温室の薔薇園に立ち寄って、咄嗟に物陰に隠れた。
「っ……」
口を手で覆って呼吸を殺す。
セオドルトは薔薇園にいた。でも一人じゃない、リオナが一緒にいた。
セオドルトはリオナを抱きしめ、二人は呼吸が届く距離で言葉を交わす。
「リオナ、愛しているよ。初めてここで出会った時から僕の心は君のものだ」
「……いけません。私は平民の身分です」
「身分なんて関係ない! 僕が愛しているのはリオナだ!」
「陛下……!」
リオナがセオドルトの胸板に顔をうずめた。
涙を零しながら切々と言葉を漏らす。
「うぅっ、……私は罪を犯しました。陛下には王妃様がいらっしゃるのに」
「リオナ、ああ泣かないでくれ。君は罪人じゃない。君が罪人だというなら僕は大罪人だ」
「陛下が大罪人だなんて、そんなはずありません!」
リオナがハッとしたように声を上げる。
でも無礼に気づいて慌てだす。
「申し訳ありませんっ。陛下に向かって大きな声を……」
「ハハハッ、ならばもう泣かないでくれ。リオナの大きな声が聞けて安心したよ」
「陛下……」
リオナが嬉しそうにはにかんだ。
そんなリオナを見つめてセオドルトが優しく目を細める。
「エルダリアは、その、僕にとって母親みたいな存在なんだ。たしかにエルダリアは僕の王妃だけど、そういう意味で愛しているのはリオナだよ」
「陛下、私も陛下のことが……。んっ……」
二人の唇が重なった。
角度を変えて何度も唇を重ねて……、……ああなんて情熱的な口付け。
蒸し暑さを感じていたのに不思議と体が冷えていく。
どうやら私はセオドルトにとって母親のような存在だったらしい。
たしかに私が計画したダイエット計画はセオドルトにとって大変なものだったかもしれない。口煩くしたし、面倒くさいこともたくさん言った。
私は結構楽しかったんだけど、セオドルトにとってはそうでもなかったのかもね。
「…………」
言葉が出てこない。
恨み言さえでてこない。
そもそも恨み言なんておかしい。だって私とセオドルトは夫婦だけど恋愛して結婚したわけじゃない。どちらかというと運命共同体で、セオドルトがヒロインに恋をすることは分かっていたこと。だからセオドルトはなにも間違っていない。
……それなのに。
涙がぽろりと零れ落ちた。
(……ああ、そうか。私は恋をしていたのね)
初めて気づいた恋は涙とともに気づいて、涙とともに流れていった。
翌日の朝。
私は侍女に命じて荷物をまとめていた。
王妃が突然荷造りを始めたことで城内は騒ぎになってしまい、それを耳にしたセオドルトが慌てて部屋にやって来た。
「エルダリア、入るぞ!」
バタンッ!
部屋に飛び込んできたセオドルトに小さなため息をついてみせる。
「陛下とはいえノックくらいしていただかないと」
「そ、それは悪かった……。って、今はそれところじゃない! 荷造りしているってどういうことだ!!」
「そのままでございます」
私はそう言うと椅子からゆっくり立ち上がった。
セオドルトをまっすぐに見つめ、そして。
「陛下、離婚いたしましょう。私と陛下はこれまでです」
「エルダリア、いったいなにを……」
「理由は陛下自身がご存知かと」
「っ……」
セオドルトが息を飲んだ。
そんな彼の反応に私は優しくほほ笑む。
「嘘がつけませんのね」
「エルダリア……」
セオドルトは黙り込み、私から逃げるように目を逸らした。
私はほほ笑んだまま深々と頭を下げる。
「陛下、今までお世話になりました。陛下の幸せを祈っています。さようなら、これからもどうぞお健やかに」
こうして私はセオドルトと離婚し、王妃の座から降りたのだ。
城から私を乗せた馬車が出発した。
セオドルトが見送ってくれたけれど振り返らなかった。
未練はない。だから振り返らない。
馬車は城門を抜けて街道を進む。
車窓の景色を静かに見つめていたけど、しばらく進んだ時だった。
「待て! 止まれ! 止まれ!!」
一頭の騎馬が馬車の前に回り込んできた。
聞き覚えのある声にハッとして馬車から降りる。
「マティアス! どうしてここに!?」
騎馬で私の馬車を追ってきたのはマティアスだった。
マティアスは騎馬から降りると恭しく一礼する。
「こんにちは。王妃様」
「……もう王妃ではないわよ」
「それは失礼」
マティアスが顔を上げてニヤリと笑う。
相変わらず不遜な顔つきと態度だ。
「この国の陛下は見る目がないな」
「慰めてくれるの? ふふふ、どうもありがとう」
「茶化すなよ。結構本気だ」
マティアスは楽しそうにそう言うと私に聞いてくる。
「ここを出てどこへ行く」
「帰るに決まってるじゃない」
「帰るってどこに」
「実家。これでも隣国の王女よ。出戻りだけどね」
「…………惜しいな」
マティアスが渋面になった。
そして私を見つめて強気に言い放つ。
「俺のとこに来い。妻として迎えたい」
「笑えない冗談ね」
「本気だ。冗談で元王妃を口説くほど命知らずじゃない。帰る前に口説くチャンスくらいくれたっていいだろ。それに」
マティアスはそこで言葉を切るとニヤリと笑う。そして。
「俺の領土は辺境にある。辺境ってのはなかなか面白い土地だ。あんたの手腕を俺の領土で振るってほしい。飽きさせない自信もあるぜ」
「…………」
直球で認められた。……ちょっと嬉しいかも。
特に実家に戻らなければならない理由もないし、離婚して自由の身になったんだから辺境に立ち寄るのもありかもしれない。
「辺境ってことは国境ってことよね」
辺境にある国境の領土はなにかとトラブルが多い。
民族、文化、物流、多くの人流と物流が入り組んでいる土地だ。王都から離れているデメリットは大きいけれど、メリットがないわけじゃない。そんな土地だ。
「分かった。とりあえず物見の客人として行かせてもらうわ」
「充分だ。歓待しよう」
マティアスはそう言うと嬉しそうに笑う。
離婚して王都を離れるっていうのに、その笑顔になんだか気が抜けてしまう。
でもマティアスが振り返って私に手を差しだした。
「どうぞ、エルダリア殿。これからもどうぞよろしく」
「こちらこそ」
私はマティアスの手にそっと手を乗せた。
するとぎゅっと強く握りしめられる。でもそれはすぐに力が抜けて、優しいそれになった。
それがなんだかマティアスらしい。
「今は客人として迎えるが、俺は妻として迎えたいと思っている。それだけは覚えておいてくれ」
「いいの? 私は男の趣味が悪いのに」
私がそう言い返すとマティアスは声をあげて笑った。
私がマティアスの統治する辺境の領土へ行った一カ月後、セオドルトはリオナを王妃として迎えた。
しかしセオドルトとリオナの幸せの絶頂はそこまでだった。
その後、セオドルトの体重は激増してまた元のブタ陛下に戻ってしまった。でもそれは当然で、今まで生活リズムや食事を管理していたのは私だ。私がいなくなれば陛下に誰も苦言を呈する者はなく、あっという間にもとの暗君に戻ってしまった。しかも新たな王妃になったリオナは贅沢三昧で財政を傾けたのだ。
それによって私が沈静化させていた不満が爆発的に膨れ上がった。
こうして中央への不満が日増しに高まり、その陳情と訴えが王弟殿下であるマティアスのもとに各地からもたらされた。
そして一年後。
革命勃発。
オルムベルク王国に革命が勃発した。
革命を率いたのはマティアス。
私はマティアスとともに革命を成功させ、元夫でありセオドルト陛下と現王妃リオナを断頭台に送ったのだ。
こうしてオルムベルク王国には新たにマティアスが陛下として即位し、私はまたしても王妃に返り咲いたのだった。
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