第50話 女はこわいよ
プール当日。
俺はレンタカー屋で借りた車を運転し、待ち合わせ場所であるバイト先のテーヘンへと藤野を迎えに行った。
「おはよう。お待たせ」
窓越しに駐車場に居た藤野へと声を掛ける。
すると彼女から「おはようございます。今来たところなので大して待ってないです」と、機嫌が良さそうな返事がなされた。
「じゃあ助手席に乗って」
「はい」
そうして車へと乗り込んだ藤野の表情が、一気に苦々しいものへと歪む。
そしてこちらへと何やら訴えかけるような顔を向けながら、後部座席を指差して不満を漏らした。
「……なんで。なんで後ろの座席にこの人が居るんですか!?」
「あー、それな……」
実は後部座席には、鈴がシートベルトをつけた状態でぐたりと寝転がって、スヤスヤと寝息を立てていたのだ。
藤野が詰め寄ってくる。
「……どういうことか、説明して下さい」
ち、近い!?
そして狭い車内だとパイ圧がいつも以上に強い!
しどろもどろになりながらも、俺は言い訳をした。
「あ、いやどうもこうも、レンタカーをどこで借りようかパソコンで調べてるところを鈴に見られてさ、それでこの計画がバレて、私も連れてけって話になったんだよ……」
「そういうことは先に言っておいて下さいよ!」
「すまん、昨日の深夜の出来事で……」
「昨日の深夜? なんでそんな時間に二人は一緒だったんですか?」
「……ま、マンガ喫茶で、一緒にネットゲーム? をしててさ」
「ふーん」
……納得したか?
そんなはずがない。
藤野は瞳から光を失った狂気的な視線で、こちらを責めるように見詰めながら言葉を紡ぐ。
「深夜に、男女が、マンガ喫茶の、狭いブース内で、ネットゲーム……ですか? へー?」
「……ソウデス」と小声で返答するのが、俺の限界だった。
これから一時間と少しのドライブか……。
なんだかもう、胃が痛くなってきたかもしれない……。
胃薬持ってくればよかったなぁ。
シートベルトを装着したことにより、パイスラッシュ効果で強調された藤野の胸を楽しむ余裕もなく、地獄のドライブは始まってしまったのだった。
「……」
早速訪れる、ハイパー無言タイム。
気まずい……。
そう思っていたところへ、タイミングよく鈴が目を覚ます。
「ん、んん……」
彼女は眠い目を擦りながら上体を起こすと、一言。
「着いたー?」
「いやまだだよ。さすがニート、時間の感覚イカれてるな」
俺がそう答えると、鈴は返事すらせずに再び眠りに就こうと寝そべった。
そこへ藤野が、後部座席へ顔を向けながらこう声をかける。
「雨宮鈴……さんでしたよね? 今日はよろしくお願いします」
これに鈴は――。
「うん、苦しゅうない」
なぜか超上から目線で答えた。
おいぃぃっ!?
もうちょっと言い方あるだろ!?
案の定、藤野の額に青筋が浮く。
しかしそれを努めて堪えながら、彼女はにこやかに挨拶を続けた。
「私は藤野花枝です。よろしくね?」
だが、あろうことか鈴は――。
「うん、よろしく鼻水ちゃん」
いきなりヤバめなアダ名付けて馴れ馴れしく呼びやがったー!?
誰だこのバカを連れてきたのは!?
俺だー!?
素でそんなノリツッコミを脳内でやりながらも、恐る恐る藤野の表情を覗き見る。
しかし――。
えっ?
意外にもその顔が綻んでいたのだ。
藤野は懐かしそうに言う。
「そのアダ名、小学生の頃によく男子に言われたなー。はなえだから鼻水だーって」
……なんだ、言われ慣れていたのか。
それにこの感じ、むしろそう呼ばれていたことは藤野にとって悪い思い出って訳じゃなさそう? だな。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
だがそれも束の間。
次の瞬間藤野は、笑顔のままではあったが有無を言わせぬ迫力を漂わせながら警告する。
「当時はそう呼んだ男子を、女子の力で精神的に追い詰めたなぁ……。雨宮さん、もしもう一度でもそう呼んだら、次は本気で怒るからね?」
やっぱこんなアダ名に愛着なんてあるわけないですよね!?
その有無を言わせぬ物言いにびびったのか――。
「わ、わかった……藤野」
さすがの鈴も空気を読み、これ以降は藤野と呼ぶにとどめるのだった。
藤野つえぇ……。
絶対に怒らせないようにしよう……。
俺はそう固く誓う。
そうこうしている内にも景色は流れ、やがては目的地へ到着するのだった。




