11 夢にも思わなかった
今年で人生三十九年目。
弱者男性として生きていたときは、いつだってひとりで行動してきた。ラーメン、ファミレス、居酒屋、回転寿司。そこにヒィたんのコラボさえあれば、水族館に行くのを躊躇うことはない。ひとり焼肉を恐れる人間の気持ちなど、ついぞわかず一度目の人生は幕を閉ざした。
そんな俺でも、陽キャ陰キャ問わず誰でも一度は行ったことはあるだろう場所に、足を踏み入れたことがなかった。
カラオケ店である。
好機の視線を恐れ、ヒトカラから逃げてきたからではない。歌うことから俺は逃げてきたのだ。
人生一回目の中学時代の話である。
俺は卑屈な陰キャを拗らせた、スクールカーストの底辺であった。今生のようにクラスで孤立していたわけではなく、底辺同士群れをなすことで日々をやり過ごしていた。その群れは放課後や休みに干渉しない、学校で孤立しないようにするための相互関係である。
そんなスクールカーストの底辺が嫌い、恐れるものはなにか。その上位にあげられるもののひとつが、注目である。
よき行いを褒められるとき前に立たされることはもちろん、授業の発表で教壇前に立つことすら厭うていた。失敗で衆目に晒されるのは、もう地獄でしかない。
その地獄に落とされたのは、合唱コンクールの練習のときだ。いくら音楽の授業は嫌いであっても、合唱コンクールからは逃げることはできない。『ちょっと男子! 真面目にやってよ!』の標的にならないように真面目にやっていた。
ただあのときの俺は音程の意味なんてなにもわかっていなかった。ただ必死に声を張り上げていた結果、
「ちょっと守純さ、音程メチャクチャじゃん。ただうるさいだけなんだけど」
合唱大好きな仕切り屋女子によって、地獄に落とされたのだ。
以来、俺は歌うのを止めた。合唱はもちろんのこと、国歌や校歌も口パクで乗り切ってきたのだ。
カラオケへ誘ってくれる友達なんてひとりもいない。歌うことから逃げてきた俺に、カラオケにひとりで行く理由なんてひとつもなかった。
そんな俺がついに、カラオケ店へ足を踏み入れる日が訪れたのだ。
美少女三人の中に紛れた黒一点。こんな素晴らしいカラオケデビュー体験なんて、この世界でどれだけの人間ができるだろうか。
初めてのカラオケへ臨む歌唱力への不安。そしてどんな結果になっても笑って受け入れてくれると信じている三人への安心感が、この胸にワクワクとドキドキを宿らせた。
というわけではない。
たしかにドキドキはしているが、それはまた別の感情がもたらしたものだ。
葉那が勢いで過去の話を滑らし、色々と里梨に悟られてしまった。どうしたものかと悩んでいると、
「いつまでもこうしてるのもあれだし、カラオケにでも行きましょうか」
葉那が微笑を浮かべながらそう提案した。
どこか困ったようでありながら、観念したようでもあり、開き直ったようでもあった。ふてぶてしさなんてものはそこにはなく、ただ流れに身を任せているかのようだ。その先に憂いを覚えている様子がないのは、ある種の信頼があるのかもしれない。
店員に通されたその部屋は、二十人は収容してもなお窮屈さを感じないほどに広々としていた。どうやらパーティールームらしく、選んだカラオケの機種の関係で、空いてる部屋がここしかないらしい。割増料金を心配する俺に、「よくあることよ」と葉那は言った。
一国一城の主とは言わずとも、VIPにでもなった気分だ。
これだけ広い部屋を与えられながらも、たった四人が隅に集まる様はシュールである。まさにスペースを無駄遣いしているような、贅沢さを感じ入っていた。
「これ」
里梨がそっと、テーブルに一枚の写真を置いた。
子供たちの集合写真だ。人数は三十人ほど。汚れた体操着を誇らしそうにしながら、三列になって思い思いのポーズを取っている。
「この子が里梨ですね」
百合は五秒も経たずに、最前列の真ん中に指を置いた。ラミネートされているから、指紋をつける遠慮はしていないのだろう。
百合の指先を見ると、そこには幼い天使の姿があった。満面の笑みは、可愛い以外の表現が見当たらない。
目ざとく幼い自分を見つけた恋人へ、里梨はおかしそうに首肯した。
「わー、この頃の里梨、すごい可愛い! ……あ、もちろん今の里梨も可愛いですよ」
「はいはい、そういうのはいいから」
「あ、もしかしてこっちが?」
百合は忙しそうに、また写真の最前列の真ん中を指さした。穢れのない天使の隣には、写真の中で一番薄汚れたガキが映っていた。どこか満身創痍であり、そのくせドヤりながら人差し指を高らかに上げている。
「うん、これが当時のマナヒーだよ」
「この頃の愛彦くん、可愛いですね」
何度も見比べてくる百合は、世辞抜きの賛辞を笑顔でもたらしてくれた。
「なんかめっちゃ小汚くないか、俺?」
「マナヒーがコケた後に、すぐに撮った写真だからね」
ニヤニヤとした里梨の顔は、写真を向いた途端懐かしそうな微笑みに変わった。
よくよく写真を見ると、高らかに上げた人差し指の腕を、里梨が持ち上げるように片手で支えていた。まるでおまえが一等賞だと言うように。
ジッと写真を見つめていると、里梨がこちらの顔を覗き込むように伺ってきた。
「どう?」
「……里梨」
「あ、やっと思い出してくれた?」
「ごめん」
「あーあ……」
心底ガッカリしたように里梨は肩を落とした。
やはりまったく覚えていない。小学四年生以前の記憶は無に等しい。
ふと、百合が難しい顔をしているのに気づいた。
「うーん……」
「葉那は見つからないか?」
「はい、まったくわからなくて……」
眉尻を下げた百合は、友達を見つけられない自分を恥じ入っているようでもあった。
葉那は昔から可愛い顔はしていた。それこそおまえが女だったらよかったのにと願うほどに。そして今ならわかる。あんなに昔から可愛い顔をしていたのは女だったからだと。
どこに葉那がいるか一目でわかったから、そんなに難しいかと思った。面影も十分あるし、難しくはないと思うのだが……と、見つけられない理由に気付いた。
「ヒントをやろうか?」
「うぅ……お願いします」
自分の力で見つけたかったが、それよりも早く子供の葉那を見たい。そんな好奇心から百合は頷いた。
「右から三番目」
「え、右から……あ、ほんとだ! もう、葉那ったらこんなところにいて」
百合はどうやら三択には迷わなかったようだ。自分の力で見つけられなかった理由に、百合は腑に落ちたように息をついた。
「まさかこっちにいるとは思いませんでした」
今回の葉那を探せは、先入観に囚われていると難しい問題だ。なにせ写真の子供たちは男女入り乱れてはいない。俺と里梨を境に、男女は右と左にハッキリと分かれていた。
百合は微笑ましさと意外性が入り混じった表情を浮かべた。
「今はこんな美人さんなのに、この頃の葉那って男の子みたいですね。こんな風に映られると、男の子だって言われたら信じちゃいそうです」
「そうね、みんな信じてたのよ」
「……え?」
葉那はそっと写真に手に伸ばした。
「里梨はもちろん、ヒコを含んだクラスメイト全員が、ここに映っているのは男の子だって信じてたわ」
「信じてたって……どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ」
まだ自分の性別を疑いもせず、無邪気に笑っていた幼き頃の写真に目を落としたまま、葉那はうっすらと笑った。
「クラスメイトたちだけじゃない。先生も、親戚も、家族も……そして私を含んだ全員が、実は私が女だったなんて、このときは夢にも思ってなかったわ」
本当に、夢にも思わなかった。
ずっと男だと思って接していた幼馴染が、実は女だった。
夢にまで見てきた、学園モノのシチュエーション。天和が絡んだ四倍役満のような幼馴染である。
これで好きにならないなんて嘘でしょう。
しかしこの役満は、たった一文を追加されるだけで、役の意味が変わるのだ。
ずっと男だと思っていた幼馴染が、実は女だった。しかも当の本人も、自分が男だと思っていた。
このたった一文が、夢見てきた学園モノの役を根底から覆してしまった。
では、この学園モノのジャンルは果たしてなにか?
青春、友情、学園モノ、現代ドラマ、ヒューマンドラマ、コメディー。タイムリープしているし、SFかもしれないし現代ファンタジーと呼べるかもしれない。
ただひとつ言えることがある。
入学式、桜並木、幼馴染との再会。
物語の導入にこれだけの要素が揃っておいて、恋愛とラブコメのジャンルにチェックをつけられないということだ。
長い長い導入になりましたが、次回からようやく葉那編の本題。
過去編に突入します。
いまのふたりの関係がどう完成したのかを楽しみに、
どうか最後までお付き合いください。




