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五話 逃散

「困りました」


 私は呟く。逃げることを想定していなかったわけではないが逃げ切る前に殺すことは可能だろうと思っていた…………だがその予想は甘かったようだ。不意に彼の姿が消えたと思ったらそのまま何の気配も感じなくなった。


 彼は自分の力を技術だと言っていた。それはつまり一つのことにしか使えない私や大橋の才能と違って応用できる可能性が高いということだ。だから私の力を防ぐこともできたし銃も壊せる…………そして姿を消して逃げることだって可能らしい。


「むう」


 耳を澄ませても足音は聞こえないし、目を凝らしても土を弾く足音すら見えない。ならば逃げる方向を予測するしかないが、恐らくは真っ直ぐに参道から山を下りはしないだろう。


 仮に私が同じ立場なら深い山の方に逃げる。そちらなら姿を消していなくても多少の差を付けるだけで追跡は困難だ。先にも言った通り私の才能は殺すことしか能がないので、見えない相手を捜索することはできない。


「仕方ありませんね大橋に…………」


 呟いてスマホを取り出そうとしたところでその手を止める。大橋の才能なら例え相手が姿を消していても見つけ出すことは容易いはずだ。私達の才能は彼の技術と違い一点に特化している分強力なのだから…………しかしそんなことは彼も承知だろう。


 何よりも大橋は数日前から彼を監視しているのだ。そのことに気づいていないほど彼は愚かではないだろうし、気づいているなら何らかの対策をしているとも考えられる。


「だとすれば、リスクが大きいですね」


 無論大橋の力が彼の対策を上回る可能性はある。しかしもしそうでなかった場合は彼を完全に取り逃がしてしまうことだろう。


「…………結局は基本に忠実が一番ですか」


 私は呟く。結局私にできるのはそれだけなのだ。恐らく彼が逃げたであろう山深い方向へと体を向ける。

 そして手に持っていた石をそちらに向けて大きく振りかぶり


 死、ね


 最大限の殺意を込めて、私はそれを投げた。

                

                ◇


 追ってくる気配が全くないことに違和感を覚えつつも透は足を止めずに走っていた。深く荒れ茂る草木に急な斜面。そこを駆け登る彼の足は異常とも思えるくらいに速い。しかし本来の彼の力であればもっと身体能力を引き上げることができた…………それができないのは未だに彼を取り巻く綾瀬の力の影響を抑えることに力を割いているからだ。


 追ってこないのは追いつけないと理解しているからだろうか?


 走りながらも透は状況を分析する。今はとにかく落ち着いた場所に逃げて綾瀬の力の影響から逃れる術を模索する必要がある。その為には彼女から逃げ切ったという確証が欲しい。


 少なくとも彼女に彼に追いつけるだけの身体能力はないはずだ…………それを理解しているから追ってこないというのは理に適っている。追いつけないのに追いつこうとする、それは彼女にとって無駄な行動だろう。


 そもそも追う必要がないと思っている?


 綾瀬に透を見逃すつもりがないことはその言動から理解している。しかし彼女の目的は彼を殺すことであって、今すぐに殺さなくてはいけないということではない。追いつけない相手を無理に追いかける必要はなく、相手が落ち着いて油断したところを急襲して殺してしまえばいい。


 そしてそれを成し遂げる人材を彼女は抱えている…………千里眼とでもいうような才能の持ち主を。


「でも、それならば」


 小さく呟く。対処はできている。何しろこの数日間ずっと透は彼に見られていたのだ。それだけ時間があればさすがに気づくしその対処法だって考える…………もっとも彼の力は強力でありいかに透でも見られることを防ぐのは難しい。しかしごまかす方法は見つけた。


 彼の力は見ることには驚異的だが見分けることはそれほどでもない。その力越しでは見間違えてしまうようなダミーを術式で複数生成してやれば目くらましにはなる。確実とは言えないが十分な時間が稼げるはずだ。


「!?」


 それが起こった瞬間、透は自分が考えていたことが全て間違っていたことを悟った。結局のところ綾瀬は初志貫徹していてそれ以外のことをしようとはしていなかったのだ…………つまりは彼を殺すこと以外。


 山を崩すには莫大な力は必要ない。少しずつ要所を崩して全体のバランスを崩してしまえばいい…………つまりそれは彼女の力がそれを引き起こすのは十分可能な範囲だ。

 それを理解した瞬間にはすでに透の足は崩れゆく土砂に飲み込まれていた。


 そして次の瞬間にはその視界全てが土の中に埋まった。


                ◇


「これは…………最大記録かもしれないですね」


 突如として起こった土砂崩れは私の居る神社の辺りまで押し寄せていた。しかし土はちょうど神社の本殿の辺りで押し留まり私にまで及ぶことはなかった。これは私の特性ゆえかそれともただの偶然だろうか…………それ次第で私の次の行動にも影響がある。


 けれど今の私はただただ目の前の出来事に驚嘆している。私の才能は相手が死ぬ原因は定まっておらず、これまでの相手は様々な死に方をしてきた…………その中でもこれは大規模な死に方と言えるだろう。


「死んでいれば、ですが」


 普通の人間ならまともに土砂崩れに巻き込まれて生きているはずはないが、何しろ相手は神殺しだ。土砂に埋まっていても生存している可能性はあるし、そもそも土砂をよけてしまっている可能性だってある。


 もちろん死んでいる可能性だってあるが…………私にはそれを確認する手段がない。この大量の土砂のどこに埋まっているかなんてわかるわけがないし、その逆も同様だ。だとすればここはわかる人間に確認するべきだろう。


「大橋ですか?」


 私はすぐさまスマホを取り出して大橋へと電話を掛ける。


「あ、先輩! すごい音がして山が崩れたみたいになってるんですけど大丈夫なんですか!」

「問題ありません」


 繋がって来ると共に聞こえてきた大きな声に私は冷静な言葉で切って返す。


「それよりも対象の居場所は確認できますか?」

「え、あ、はい! すぐに…………って、あれ?」

「どうしました?」


 戸惑う声に私は尋ねる。


「それがその対象のいる場所を見たんですが真っ暗で…………」

「真っ暗、ですか」


 彼が土の中に埋まっているのならその場所を見ても真っ暗というのは正しい…………だとすればやはり彼は埋まっているということだろうか。


「場所はわかりますか?」

「えっと…………先輩のいるところから向かって60メートル先の上に30メートルって辺りですかね」

「…………」


 見上げるとそこには木々や岩の入り混じった崩れた土砂が見える。大橋の言った辺りはそのさらに内部の方だろう。


「これは無理ですね」


 取り敢えず私には現状彼の生死を確認する術はない。そして生きているか死んでいるかわからない相手に殺意というものを私は向けにくい。死んだ人間を殺すことはできないわけで、その境界があやふやだとどうにも私の才能は機能しないのだ。


「大橋、これから私は本部に連絡して土砂の撤去作業とこの件の情報処理を頼みます。貴方はその間も念のために対象の位置を把握して変化があれば報告してください」

「わかりました!」

「ではそのように」


 私は電話を切る。そして本部に掛けなおす前にもう一度だけ土砂を見やった。生きていれば私は彼を殺すしかない。だから死んでいるのが一番いい…………けれど本音で言えば生きていて欲しいと思ってしまう。


「面倒ですね、本当に」


 いったいいつまで私はこの矛盾を抱えておけるのだろうか。


 それは私にもわからないのだ。


                ◇


 完全な暗闇の中で透は生きていた。広く展開していた障壁を体の薄皮一枚まで絞り、術式で空気を生成して土の中でも窒息することなく潜む。それ自体は大した労力ではないが確実に精神力を消耗はしていく…………このまま土の中に潜み続ければいずれ力尽きて死ぬのは間違いない。


 しかし外に出るわけにもいかない。このまま外に出れば綾瀬に生きていることが知れて再び彼女の力を受ける羽目になる。今もまだ彼女の力の影響は残っているというのにこれ以上追加されたら次は何が起こるかわからない。


 どうする?


 透は必死で頭を巡らせる。けれどそれは答えのない思考の堂々巡りではない。一応の答えが出ているからこそそれを実行してよいのかと悩んでしまう。時間と余裕があれば恐らく別の方法も考えついた…………しかし今この場で思いつき実行できる手段は一つしかない。


 綾瀬の才能は対象を限定している。彼女の才能は人であり彼女が殺意を向けた相手を対象として世界に影響を与える。その場に別の人間が居ても影響は受けない…………今回のようなケースなら巻き込まれることもあるだろうが、基本はそれで間違いないはずだ。


 対象を限定する代わりに綾瀬の能力は相手が死ぬまで影響を与え続ける…………それから逃れるには別人になるしかない。恐らくはそれほど大きな変化でなくていいはずだ。

 少し、そうほんの少しだけ自分という存在を作り変える…………だが少しでも違えばそれはもう元の自分ではない。別人と言っていい。


 つまり結局のところ今の透という存在は死ぬと言っていい…………しかし透に似た存在は残って彼のしようとしたことをしてくれるだろう。

 だから、あとは選択するだけだ。


 けれどその選択がこれ以上ないくらいに重い。


                ◇

                

「死体は見つからなかったようですね」


 あれから丸一日かけて諸々の事後処理を終わらせ戻ってきた私に、上司は開口一番そんなことを言った。事前に電話で報告はしているし、現地に派遣された他の部下からも報告書は上がっているだろう…………つまりは全てを理解してうえで彼女はそんなことを尋ねているのだ。


「それはつまりあなたが対象を殺せなかったということですか?」

「…………そういうことになりますね」


 それは事実であり変えようのないことだ。大橋の把握していた居場所の通りに土砂を掘り起こしたが、そこには誰もいなかった…………しかもその後は彼の才能で探しても対象の居場所は把握できなくなっていたのだ。


 つまりは完全に逃がしてしまったということである。


「何やら納得してない顔ですね」

「彼は死んでいない…………そのはずなんですよ」


 その事実をもう一度私は口にする。


「何かおかしいことでも?」

「それがわかって私はすぐに彼に力を使おうとしました」


 生きているか死んでいるかのあやふやな状態では無理でも、生きているとわかったなら私は殺意を抱くことができる。だからすぐに私は彼を殺そうとした…………居場所のわからない相手にだって殺意は抱ける。


 私の力の影響がどこまでなのかを調べようと思ったことはないが、取り敢えず試してみるにこしたことはないのだから。


「それで?」

「なんというか、手ごたえがありませんでした」


 的に向かって投げたが的そのものが姿形もなくなっていた…………そんな印象だ。


「つまり、対象は死んでいると言いたいのですか?」

「あくまで感覚ですがその可能性はあると私は思います」


 だが死体は見つかっていない。他の位置の土砂に埋もれている可能性もなくはないが、死体になってまで大橋の感知に引っかからないというのは可能性としても考えにくい。


「生死不明、ですか」


 上司は呟く。私の意見を汲み入れるならそう判断つけるしかない。


「まあ、私は生きていると思いますが」

「…………何か嬉しそうですね」


 任務失敗だというのに。


「だってその方がよいと思いませんか?」


 しかしそんな私に上司はそう問いかける。


「あなたにも殺せない相手がいる…………そんな事実があった方が安心できるでしょう?」


 そして今度こそ楽しそうに私へと微笑んで見せた。

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