十二話 対話
「私が神殺しの一族の分家が一つ、神来家の当主である帷です」
私たち二人を応接間に案内し、姿勢よく腰を下ろしたところで改めるように彼はそう名乗った。応接間はいかにもと言った畳の和室であり彼も私も正座して相対している…………隣の奏多は慣れていないのかやや辛そうに顔をしかめているが。
「楽にして構いませんよ」
そんな彼女に気を遣ったのか帷さんはそう勧めて来る。
「いえ、彼女もこういった場に慣れる必要がありますから」
あからさまにほっとした表情を浮かべた奏多を横目で叱咤し、私は帷さんに答える。この仕事で人と会う時は和式の場が多く、彼のように優しい応対をしてくれる相手は少ない。そんな場で相手に見咎められるような要素は減らしておきたい。
「せ、先輩」
「慣れなさい」
縋りつくように私を見る奏多を斬って捨て
「部下が恥ずかしいところをお見せしました」
私は帷さんへと頭を下げる。
「いえ、先も言いましたがこちらは構いませんのでお気になさらず」
あちらからすれば配慮を無下にされた形になるが、彼は気にした様子も見せなかった。不快を隠している様子もなく、事前の情報通りこちらに敵愾心は抱いていないらしい。
「挨拶が遅れました私は御守綾瀬と申します。こちらは部下の切沼です」
「切沼奏多です! よろしくお願いします!」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
元気よく挨拶する奏多に初めて帷さんの表情が少し崩れる…………苦笑だったが。
「見ての通り彼女はまだ新人です。至らぬところがあるかもしれませんがご容赦ください」
私は溜息を吐いて弁解を口にする。元気と威勢は新人の武器でもあるだろうが相手による…………私ならいつか自分を殺すかもしれない相手が元気よく挨拶してくるのは嫌だ。
「いえ、何度も申し上げますが私は構いませんので」
「ありがとうございます」
私は再び頭を下げる。帷さんは本当に寛容な方のようだ。
「それで、わざわざ新人の方をお連れになったという事は、今日は私に会うことそのものが目的であると考えてよろしいでしょうか?」
「はい、神殺しの一族というものを彼女に見せたいと思いまして」
「なるほど、確かにそれは必要な事でしょうな」
帷さんは頷いて奏多へと視線を向ける。
「切沼さんでしたか、私を見て何か感想はありますか?」
「あ、その…………」
「正直に答えて構いませんよ」
言い淀む奏多に私は横から許可を出す。ここまで寛容に対応する姿勢を見せてくれる相手に下手な誤魔化しをする方が失礼だ。
「えっと、思ったより普通の方だなって…………それと、少し斬り難そうに見えます」
私は少し正直に答える許可を出したことを後悔した。
「ははは、神殺しの一族の者は頑丈ですからね」
しかし帷さんは笑ってそれを流してくれた。本心かどうかは別としても本当に人間が出来ている人だ。
「ですがまあ、あなたの言った通り私達は普通の人間でもあります。特別な力を持ってはいますがそれを使うこともない…………私もこの年齢になるまで神殺しの業を振るったことは一度もありません」
「それは我々としてもありがたいことです」
持って生まれた才能を使えないというのは歯がゆい思いがあるかもしれないが、神との契約が結ばれて以降で神殺しの力が公認の元に使われたケースはほぼない。それは神が契約に対しては忠実であることの証明であるが、残念なことに非公認な形であればそれはゼロではないのだ。
そして神との契約を破った神殺しは当然の如く排除されている。
「私の場合はまあ、運がよかったようなものですがね」
自嘲するように帷さんは目を伏せる。この地の神は珍しく温厚だと聞いているから、他の神殺したちと違って恵まれていることを申し訳なく思っているのだろう。
気にしても仕方ないことだと私は思うが、そう簡単に割り切れるものでもない。
「あのでも、力って使わないと衰えちゃいますよね?」
「いえ、我々の力は血による面が大きいですからね。使わなくても衰えるということはありませんよ」
奏多の疑問に帷さんはそう答える。私も神殺しが実際に力を振るっているところを見たことは無いが、それは技能というよりも神殺しの一族の本能的なものだと聞いている。想像するにはそれは自動的な排除に近いものであろうから、それならば確かに修練は必要なく衰えるようなことも無いだろう。
「ですがまあ、だからこそ別の形で衰えることはあるわけですが」
「やはり薄まっているのですか?」
私は以前に上司から聞いた神殺しの一族に関する懸念問題の一つを思い出す。それは不要な神殺しを行うことに対する監視とは別の…………その存続に関する問題だった。
「ええ、その通りです」
それに帷さんは静かに頷く。
「神殺しの一族の一族が分家として日本中に散って以降、その血は薄まり続けています」
「…………血が薄まれば力も衰えるのは当然のことですね」
そんなことは考えずともわかる話だ。
「本家から分かれて以降分家は独自にその土地で伴侶を探してきました。本家からは分家同士で婚姻を結ぶよう指示はされていましたがそう簡単にいくものでもありませんから」
神に対して神殺しの一族の数が少ないこともあり各地の分家同士の距離は遠い。距離があればそれだけ分家同士が結びつくのは難しくなるし、それぞれの分家にも現地で地域住民との関係がある。
その土地に馴染むのは現地の住民を伴侶とするのが手っ取り早かっただろうし、単純に接することの多い地元の人間の方が恋愛関係になることも多かっただろう…………そして力の為に血の濃さを維持させるような仕事が分家には無かった。
先ほど帷さんが口にしたように基本的に使うことのない力なのだ。それに固執するよりも身近な生活を優先してしまうのは当然のことだろう。
「ですがそれでは神に対する睨みが効かなくなります」
神が人との契約を守っているのは彼らにとってその縛りが物理的な事もあるが、何よりも神殺しを恐れているからだ。契約を守っている限りいざという時にも神殺しからは人が守ってくれる…………だからこそ彼らは契約を守る。
その抑止力たる神殺しの一族が弱体化すれば神々は契約を破棄する方法を模索するかもしれない。
「ええ、ですので最近は薄まった血を濃くする試みも行われています…………そちらからも本家の方に強く要請したとか」
「そうらしいですね」
最近といってもここ十数年の話ではあるが…………まあ、神殺しの一族の長い歴史からすれば最近ではあるだろう。逆に言えばそれだけの年月をかけて薄まってしまった血を濃くするのは中々難しい。
それこそその血を濃く残して来た神殺しの一族本家の介入は必須だっただろう。
「そう言えばあなたのお子さんの年齢はちょうど」
その試みが始まったくらいの生まれではなかったかと私は思い出す。
「はい、私の妻はそちらの要請を受けて本家から私の下へ嫁いできました…………生憎と体が弱く息子を生んでしばらくして亡くなってしまいましたが」
その表情に忌々し気な感情が見えたことで私は何となく事情を察した。正直な話神殺しの一族の本家と分家の仲はあまり良くない。遠い昔から神への備えとしてその血筋を努力して維持して来た本家は血の薄まった分家を使命を放棄した裏切り者として見下している。
確か分家の血を濃くするために本家筋からの婚姻相手を出すよう神霊省から要請した際にもかなり渋ったと聞く…………それで体の弱い娘が嫁に来たという事はつまりそういうことだ。
帷さんの人柄を見れば決められた婚約相手であっても誠実に接したことは想像できる。そんな人が妻を分家にくれてやっても惜しくない出来損ないと見られれば本家に反感を覚えても仕方のない話だ。
「失礼を承知でお聞きしますが息子さんのお力は?」
「…………本家の人間と比べても遜色ないでしょう」
「そうですか」
つまり結果だけ見れば分家の血を濃くするという試みは成功だったらしい。もっともこの様子では本家と分家の関係改善はされていないようなので、将来的な不安が無くなったとは全く持って言えないのが現状のようだ。
そして何よりも帷さんはその事実を快く思っていない様子だった…………まあ、普通に考えれば余計な力はトラブルの元でしかない。親からすれば自分の息子が厄介ごとに絡まられやすいような力を持ってしまったら不安に思うことだろう。
「差し支えなければ息子さんともお話したいのですが」
けれどできればその思想の確認くらいはしておきたい。帷さんには申し訳ないが神に対して敵対的な意思があるなら厳しく監視する必要も出て来る…………言っては悪いが思春期の神殺しというのが一番厄介極まりないのだから。
「ああ、すみませんが息子に会うのはご遠慮願います」
「おや、何か不都合でも?」
私は帷さんに好印象を抱いているが、仕事柄必要な事には突っ込まざるを得ない。確かに息子さんは未成年ではあるが中学生ともなればそれなりに分別も付いているはずだ。それに会わせないとなると何か隠しているように勘ぐっても仕方のないことだろう。
「息子には神絡みの話は一切話しておりません…………もちろん神殺しの一族についてもです」
「そ、れは…………」
私にとっても予想外の話だった。確かに事情を一切知らないのであれば会わせることも躊躇うはずだ。私達の訪問が昼間だったのも息子が学校で鉢合わせしない時間を選んだという事なのだろう。
「確かあまり幼い内には事情を説明しないという話でしたが」
「ええ、他家であれば当に聞かされている年齢です」
つまりは特別な事情があって息子には隠しているという事だ。
「あの、先輩何か事情があるんじゃ…………」
「そんなことはわかっています」
心配そうに奏多が私を見るが、それをわかった上で踏み込まねばならないのが我々の仕事だ。
「その事情を説明して頂く事は出来ますか?」
正当な理由なく拒否されたならば実力行使も厭わない、その覚悟を持って私は帷さんへと尋ねた。
「あなた方がここへ来る前に何の説明も受けなかったというのなら、私が話すことはできません…………知る必要はないと判断されたという事でしょうから」
「つまり上は事情を知っているんですね?」
「ええ」
「そうですか」
で、あれば私がこの場で無理して聞き出す必要はない。
「失礼しました」
「いえ、お気になさらず」
私が頭を下げると気にした様子もなく帷さんは返す…………本当に良く出来た人だ。
「では我々はそろそろお暇いたします」
聞くべきことは聞いたし、そういう事情があるのなら万が一にも遭遇の可能性は減らした方がいいだろうと私は立ち上がる…………しかし奏多は泣きそうな表情で私を見上げた。
「せ、先輩」
「なんですか?」
「…………立てません」
その返事に私は大きく溜息を吐いた。




