九話 被害者
翌日に飛行機で飛んだ先は地方の小さな田舎町だ。日にバスが数本のような場所なので空港からは手配していあった車で移動している。
基本的にあるのは山と田んぼだけというような場所で一番栄えている街中でも小さなスーパーや雑貨屋が並ぶ程度…………そんな所では余所者は当たり前のように目立つので、私は事前に資料にあったキャンプ場へと車を直行させた。
「だからキャンプカーだったんですね」
空港で用意された車に面食らっていた旭が納得したように頷く。
「こういった地方の仕事では便利ですから」
所定の場所に車を停めながら私は答える。予約したキャンプ場はシーズンオフという事もあって他の利用客の姿は見えない。管理人も日に数度見回りに来る程度という話だったので周りの視線に気を遣う必要はないだろう。
「ホテルや旅館があるならそちらを使えばいいんですけどね、それが使えないような地方の仕事も多いです…………奏多も暇な時に運転の練習をしておくといいですよ」
基本的に仕事の割合としては地方の大した力も持たない神を守るものが多い。それは別に地方の神程悪辣であるからというわけではなく、その理由としては単純でそこに住まう人口の差だ…………十万の内の一人よりも千人の内の一人が死んだ方が目立つというだけのこと。
つまりは地方の方が神の犯行が発覚しやすく、その復讐者も生まれやすいという話なのだ。
「免許は持っていましたっけ?」
「あ、まだ原付だけです」
「そうですか。では今後の待機中に練習しておきましょう…………ある程度の目途がついたら上に免許の申請をしておきます」
「えっ、申請…………ですか?」
「ええ」
私は頷く。
「いくらこの仕事の待機時間が多いと言っても真面目に自動車学校に行っては時間が掛かり過ぎますからね」
人手不足の状況でその間単独の仕事をさせられないというのも困る。だから省内には最低限の実技練習とテキストで免許を申請できる仕組みが作られている。
よっぽど運転センスが無いような人間でもない限り正式な免許がそれで手に入るのだ。
「まあそれも初仕事を終えてからです」
奏多がこの仕事をやっていけるという確証が得られない限りはまだ意味のない話だ。私は運転席を離れるとキッチンに備え付けのコーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れる。インスタントの簡単なものだがないよりはマシだ。
「どうぞ」
「あ、すいません!」
自分が淹れるべきだったと思ったのか旭が殊更に申し訳なさそうにコーヒーを受け取る。
「別に構いませんよ」
奏多は新人ではあるがこの仕事にあまり経験は関係ないし、下の人間に小間使いをさせて喜ぶ神経も私は持ち合わせていない。
「それよりもいつ対象の家に向かうかは決めましたか?」
だからさっさと仕事の話を私は口にする。
「ええと、本当に私が決めるんですか?」
「当たり前でしょう」
初仕事だからとお膳立てを全て上の人間がすることもあるだろうが、私に関しては初仕事だからこそ全てを自分でやらせる…………もちろん出来ないことまでやらせるつもりはない。必要な部分のフォローはするが、主体は奏多にある。
「ですが急ぎの仕事ではありませんのでゆっくり決めて構いませんよ」
時間的猶予はたっぷりある。もちろん時間は無限というわけでもないが、それでも奏多が覚悟を決めるか断念するかを決めるくらいの時間はあるだろう。道中で資料に目は通させてあるし、必要であればこの場で再確認もできる。
「今日の、夜に行きます」
それでも奏多は間をおくことなくそう答えて見せた…………多少の躊躇いはあるが及第点だと言える。その表情には不安と期待。やはり忌々しいほどに逸材という事か。
「一応確認しておきますが説得の成功率はほぼゼロです。もちろん事前に説得交渉は行いますがその場で対象の命を奪うのは確実だと思ってください…………それを理解した上での答えですね?」
「はい」
「よろしい」
私は頷く。
「それでは夜に…………それまでは自由に過ごして構いません」
私は彼女にそう告げて今晩の夕飯をどうするかとキャンピングカーの冷蔵庫の中身に思いを馳せる。夕食の時間は少しばかり早めにしておくべきだろう。
仕事が終わった後では、恐らく奏多は何も口に出来ないだろうから。
◇
老人の家は山のふもとを少し登ったところにあるらしい。車道は整備されていない上に狭く、キャンピングカーでは少し不安を覚えたので下に置いて歩いて登ることにした。
「…………」
暗い山道を奏多は緊張した様子で上がっている。それはこの場の雰囲気がもたらす本能的な脅威ではなくこの先に待ち受けているものに対する緊張だろう。しかしその反面山道を歩くことに対する疲れなどは見えない…………これまで特に運動系の部活はやっていなかったようだがこれも才能だろうか。
「あの家のようですね」
しばらく登ると急に木々が開けて平地があり、そこにぽつんと茅葺の民家が建っていた。見るかに年代物で所々補修や建て増しした後が見受けられる…………軒先に停まった軽トラックと中から覗く薄っすらとした光が、家主がそこにいる事を伝えていた。
「説得の主導は私がやりますが、あなたも思ったことは口にして構いません」
「…………はい」
「流石にこればっかりは経験が物を言いますからね」
説得の成功率はほぼゼロとは言ったが逆に言えばゼロではないのだ。流石にそれを何の経験のない奏多に任せてゼロにはしたくない…………私だって助けられる可能性があるのならそれに縋りたい気持ちはあるのだから。
「あなたの仕事はその後です」
「…………」
「失敗を押し付ける形になりますが、あなたが躊躇うようなら私がやります」
それは私の当然の役目だ。奏多が躊躇ったとしても仕事そのものは果たす必要があるのだから。
「わかって、ます」
「では行きましょう」
奏多を促して私は民家へと向かう。外見は年代物だが近代化はされているようできちんとチャイムが備え付けられていた…………それを押す。
「誰じゃ」
「電話でお伝えした神霊省の者です」
事前にアポはとってある…………もちろん、馬鹿正直に目的の全てを伝えてはいないが。
「…………入れ」
渋い声と共に玄関のドアが開いて厳つい顔つきをした老人が姿を現す。こちらを見る不機嫌なその表情に普段着であろう着流しからしてこちらを歓迎していないのは明らかだ。それでも最低限の礼儀なのか老人は整った和室へと私と奏多を案内する。
「で、何の用じゃ」
「電話でもお伝えしましたがあなたにお願いがあって参りました」
正座で老人に相対し、私は努めて真摯な表情を浮かべて口を開く。
「なんじゃ」
「神に仇名そうという行為を止めて頂きたいのです」
私は真っ直ぐに老人の目を見つめて懇願する。
「それは、わしに娘と孫を奪われた恨みを忘れろという事か?」
「不躾なお願いであることは百も承知しています」
頼んだくらいで晴れる恨みなら最初から行動に移そうなどとは思わないだろう。
「それでも恥を忍んでお頼みします…………忘れてください。あなたが無為に命を落とすことを亡くされた家族も望んでいないはずです」
「無為、とまで言うか」
「無為です」
睨むように帰された視線に私は怯むことなく答える。
「あなたが今行っている儀式を完遂しても、あの神には届きません」
仮に私達がその阻止をしなかったとしても意味は無い…………本当に神と言う存在はクソッたれなのだ。
「なぜ言い切れる」
「それはその儀式そのものがこの地の神が流布したものだからです」
「!?」
流石に老人も驚愕の表情を浮かべた。
「なぜじゃ」
老人に浮かんだ疑問は簡潔であり全てだった。
「自分への復讐に立ち上がらせるためですよ。神相手に何の武器も持たず立ちがあろうとする人間は少ないですから」
「なぜ自分の身をあえて危険にさらす」
疑問を口にしつつも老人は一つの確信だけは抱いているようだった…………つまりはそれが罪悪感のような物ではないという確信だけは。
「危険ではないからです…………人一人の命を捧げた程度で神には届きません」
老人が行っているであろうその儀式は己の命を武器に込めて神に届きうるものにするというものだ…………けれど神を討つなら老人のその命程度ではとても足りない。
いくら相手が地方の大した力を持たない神と言えど、それでもただの人より遥かに強大な存在なのだから。
「そして何よりも契約により我々が自分を守ると知っている…………最悪、あなたを排除してでも我々は神を守らねばなりませんから」
「契約とはなんじゃ…………なぜ国があの外道を守る」
罪悪感に顔を伏せる私に老人は詰め寄る。私は奏多にしたのと同じ神と人との関係から結ばれた契約について説明した。
「世界の安寧の為にわしに恨みを捨てろと?」
「そう願います」
無理を言っているのはわかっているが、それが最も穏便に済む方法だ。
「捨てねばわしを排除すると言っておったな」
「脅しと取って頂いても構いません」
老人からは恨まれるだろうが、それで済むなら安いくらいだと私は思う。
「遠い昔に結ばれたとはいえその契約を結んだのはこの国でありあなたはその契約の粗の犠牲者だ…………それでもなお、我々には神を守る義務がある」
より多くを救う為に少数を犠牲にする。その正当性はよく口にされるが実際に犠牲にされる側に立たされた人間からすれば冗談ではない話だろう…………だが、納得してもらうしかないのだ。
「どうせ神を殺せぬというのなら、意地を通させてはもらえんか?」
その命を全てかけたところで老人に神を討つことはできない…………しかしその意地を通し家族の為に一矢を報いたと思ったまま死ぬことはできる。
不意に隣から手を引かれて私は奏多を見た。彼女のその視線はどうにかならないのかと訴えていたが、私は静かに首を振った。
「認められません、それは我々と神との契約違反になりますし…………ひいては神に利する結果となります」
それこそが神が自らを害する方法を流布した目的でもある。もしも人が神を傷つけたならそれを契約違反として自分に有利な要求を押し通すことが出来る…………そして失敗しても、守るべき人々を殺して苦しむ私達を見て楽しむことが出来るのだ。
「つまり、どうにもならぬと?」
「そうなります」
私は目を伏せる。被害者である老人には全てを呑み込んでもらうしかないのだ。
「そうか」
老人も目を伏せる。
「ではわしを殺せ」
そしてそう口にした。
「諦めては貰えないのですか?」
「できん」
その声は頑なだった。
「わしを止めたいなら殺せ」
「わかりました」
残念ではあるが仕方ない…………私は、国の意思に従って行動すると決めている。
「抵抗はなさらないのですか?」
「意味がない…………それに、お主らに恨みはない」
はっきりと言い切る老人に私は感嘆の念を抱かずにはいられなかった。いくら公共の利益を説いても個人の恨みの前には意味のないことがほとんどだ。老人からすれば私達は自分の恨みを晴らすことへの邪魔者以外の何者でもない…………それなのに老人は私達を恨まないのだという。
世の不条理を完全に理解した上で、老人はその恨みの対象を広げようとはしなかった。
「わかりました。これ以上の説得は無粋ですね」
「うむ」
老人は立ち上がると隣室の襖を開けてその部屋の中央へと座り込む。そしてその傍らに置かれていた、恐らくは儀式の対象であっただろう猟銃を手に取る…………けれどそれをこちらに向けるわけでも無く、そのまま静かに目を閉じた。
「さて」
私は隣の奏多を見る。
「仕事の時間ですよ」
告げたその言葉に彼女はびくりと震える。今の話からいきなり覚悟を決めろというのは新人には難しいのは理解できる…………だが、老人の覚悟を前に彼女の決断を悠長に待つことなど出来ない。
「できないのなら私がやります」
速やかに終わらせる…………それだけが、私が老人に報いる唯一の事であるがゆえに。




