ゲームのヒロインと言われても、気持ちはついていきません
春といえど、生憎の雨で肌寒い。エマは、なかなか布団から出られなかった。ぐずぐずと支度をしながら、徐々にペースを取り戻す。早く店に行かなければ、母親であるカルラが一人で開店準備をすることになってしまう。
「勘弁してください」
一階にある店舗へ下りようとしたときだった。何が起こっているのか疑問を抱きつつ、足音を立てないよう、そろそろと階段を下りていく。
「うちに娘はおりません」
ドアを少し開け、そっと覗くと、店の入り口にカルラと知らない男性が立っている。
「エマはここにいる」
「ここは私と旦那、二人で住んでいます」
エマは耳を疑った。知らない男性が自分を探していることは当然、自分はいないとされていることが信じられない。物心ついたときからずっと、同じ家に住んでいるというのに。真意を掴もうと、より一層、耳を欹てる。何度繰り返されているだろう。どちらも一切引かず、カルラを助けに行こうかと考えるも、姿を現せば意味がないと身動きが取れずにいる。
「はー。やっと追いついた。どうしてオリバーだけ先に行くの」
男性の背後から一人の女性が現れた。丁寧に施された化粧、よく梳かされた艶のある長い髪。エマの目にも上質な生地が使われているとわかるのに、飾り気もない簡素な服。まるで貴族のお忍びのようだとエマは思う。
「悪い。イザベラ」
「それでどうだった? 会えた?」
「ここにエマという方はおりません。店の準備もありますので、どうかお引き取りください」
「なんだ会えてないじゃん」
「お前、口調」
よくよく見れば、男性は端正な顔立ちで、鍛えられた体躯をしている。こちらも、生地に反して素朴な出来の服。気安く話す二人は、釣り合いの取れた美男美女だ。どうしてこんな町中で自分を探しているのだろうとエマは考え、ここ暫くの行動を振り返る。家と買い出しの往復。目立つ二人と遭遇することがあれば、やすやすと忘れることはない。早々に結論付け、店内に視線を注ぎ続ける。
「何でそんなところに居るんだ。入らないのか?」
「あ。ああああーっ」
「おっと」
ドアを開けられ、もたれていた体のバランスを崩した。店内に倒れ込みそうなところを間一髪、父親であるデリーに支えられる。呼吸を整えながら顔を上げると、驚いた顔が三つ、エマを見つめていた。
「居るじゃん」
「エマちゃんだ」
しまった、とバツの悪そうなエマとは対照的に、二人は相好を崩す。カルラは溜め息を一つ吐くと、渋い顔で天を見上げる。この状況をどうしたらいいかわからず、デリーの顔を見上げると、困惑した表情で頭を掻く姿が映る。
「すまない。まさか、こんなことになっているとは思わなくて」
デリーの発言にエマは目を白黒させる。
「誰も悪くないわ。そうね。店先で話すわけにもいかないから、上がってもらいましょうか」
カルラが言い終えると同時に、突然の訪問者二人は、これ幸いと喜ぶ。臨時休業、と書いた紙を入り口に貼り、エマは二階に上がる。雨はいつの間にか大粒となり、強く音を立てている。デリーは、外での仕事が中止になり帰ってきたそうだ。
「いやいやいやいや。あり得ない」
部屋に入ると五人は改めて挨拶をし、なぜエマを探していたのかという話しとなった。
「転生って何。いや、聞いたけど」
「いいね。そのリアクション」
エマの飾らない態度に、オリバーは軽くウインクをする。同じテーブルを囲む自分以外の四人が、同じ世界の記憶を持つ転生者だという告白に、エマは頭がいっぱいだ。
「よくわからないんだけれど。その前世、のゲーム、とかいうもののヒロインが私。恋に落ちる可能性のある一人がオリバーさん。イザベラさんはオリバーさんの婚約者……」
「エマちゃん。その通り!」
「何で邪魔したんだよ」
オリバーの呟きが漏れる。イザベラが立ち上がると、ゴツンと大きな音が響いた。
「いてっ」
「馬鹿。ゲームのエマと目の前のエマちゃん、幸せそうなのはどっち」
エマはコップを持ったまま、四人の顔を順に追う。自分の幸せを天秤にかけている意味がわからない。
「そうだよな。ごめん」
バツの悪そうなオリバーに、デリーは首を横に振る。
「今のエマを幸せに思ってもらえるなら、よかった。私自身、家族と過ごせて嬉しいんだ」
何のことか気になる。聞いていいものか見計らっているとカルラと目が合う。ゲームでは、家の都合により子爵家の養子となり、王侯貴族御用達の学園へ通うことになるのだと告げられる。入学式当日、校内で迷子になり途方に暮れていたところで、オリバーと出会うらしい。最初のイベントでヒロイン不在。バグか。オリバーは戸惑い、既に婚約関係にあったイザベラにすぐさま報告し、二人で頭を悩ませていた。とにかく、エマを探さないとと躍起になったところ、今に至るらしい。
「イザベラさんは、オリバーさんと結婚したいんですよね」
「まったく」
オリバーとイザベラの関係を考えると、エマは完全にお邪魔虫だと思ったのに、真顔で即答される。
「俺も、イザベラと結婚する気はないな」
「親が決めた政略結婚よね」
「仕方ないとは思っていたけれど。俺もイザベラも、この世界に気づいてしまったら、余計にその気は失せたね」
顔を見合わせた二人は見た目以上にお似合いで、エマは半信半疑になる。
「私たち、エマちゃんが好きだから」
「へ?」
オリバー、カルラ、デリーは大きく頷く。エマは丸くした目をぱちくりさせると、お茶を飲まずにコップを置く。カルラとデリーはわからなくはない。しかし、初対面であるオリバーとイザベラに好かれている状態は、明らかにゲームによる影響だ。
「エマって子は、何やってるの!」
そのせいでオリバーとイザベラが探しに来たのだ。思わず叫んだエマに、四人は吹き出す。慣れない貴族社会に放り込まれるも、屋敷で懸命に淑女教育を受ける姿。懐の深さで、分け隔てなく級友に接する態度。攻略対象に見せる、あどけない笑顔と涙。憎まれないヒロインとして人気を博したらしい。
「もう愛しいの」
「エマの母親だって気づいたときは、絶対手放さないと思ったわ。だってエマよ」
「そうだ。そもそも、我が子を手放そうなんて考えられなかった。俺は三人で暮らしたい」
テーブルの上に乗るデリーの手を、カルラはしっかり包み込む。養子になるきっかけは分からないが、三人で暮らせない事情があったことは分かる。
「でも、随分と状況は変わっているようね」
カルラが思いついたように言うと、お陰様で、とオリバーは返す。家族が揃う。たった一つの条件は、本来のストーリーを遠ざけた。出会いを待ち侘びていたオリバーは、無邪気な表情を見せるエマの様子に、複雑になる。
悪役令嬢であるイザベラも、エマを待っていた。登場されれば断罪まっしぐらだが、意地悪なんて到底するつもりはない。持って生まれたものを行使してでも守るつもりでいた。強制力により不本意なことを起こせば、即座に対処してくれ、とオリバーに伝えている。
「エマを迎えてもいいのか」
カルラとデリーは目を合わす。叶った時を得ているものの、ストーリーからは離れている。今の生活が続くのか、子爵家に行ってしまうのか、それとも。
「ちょっと待って。迎えるって何?」
「そのままでしょ。エマちゃんが、うちの一族に養子入りする準備も出来ているし」
「それは安心ね」
再び目を合わせたカルラとデリーは大きく頷く。元より覚悟はしていた。
「じゃあ、決まりだな。今日って言いたいところだけれど、急に連れ去るほど俺も非道じゃない。来週、正式に迎えに行くよ」
「えっ。あっ、」
「どうした?」
「いや、あの、私の気持ちは」
「俺が嫌いなのか?」
初対面の美形にじっと見つめられ、顔を赤くしないことなどエマに出来るだろうか。
「徐々に好きになってくれたらいいよ。俺は生まれる前からエマが好きだけど、今日会ったらもっと好きになった」
いよいよ真っ赤になったエマは、前を向けない。
「書類や手続は全て、こちらに来てからでいい。寧ろ、その方が安心だ」
「確かに。ここだと不用心だ」
俯いたエマを置いて、話はどんどん進んでいく。オリバーは、婚約期間中は月に一度、実家に帰ることを提案してくれた。思わぬ約束に、エマの顔は綻びを見せる。
身一つで大丈夫だと言われたが、お気に入りのリボンや、カルラから譲り受けた手鏡を鞄に詰め込み、その日を待つ。前日の夜は、大好きなシチューを作ってもらい、三人でゆったりと過ごした。
一体何事だろう。朝から町は騒然としている。エマは、玄関を出て、迎えの馬車を見ると、大きく口を開けた。
「あれ?気づいていなかったの」
「お母さんっ。オリバーさんは、貴族だって覚悟していたよ。それに、同じ名前だなーとは思っていたけれど。流石にそんなことないと」
「殿下。娘をよろしくお願いします」
エマとカルラをよそに、デリーはオリバーに頭を下げている。顔を上げるよう促したオリバーは、デリーと固い握手を交わし、さっと振り向く。
「帰ろうか」
真っ直ぐ差し出された手。この手を取れば、行き先は一つ。馬車の周りを、馬に跨った近衛騎士が囲んでいる。今更嫌だと言うつもりはないけれど、絶対に逃げられないと肌で感じる。エマは目を瞑り、一度深呼吸をする。瞬間、頬に手を添えられ、額に柔らかなものが触れた。空は青いまま、小雨が降り出す。
「風邪引いちゃうな」
思わず平手打ちしそうになった手を、寸前でオリバーが掴む。
「ごめん。お叱りは後でしっかり受けるから」
エマの手を取ったまま、オリバーは馬車へと乗り込む。向かい合って座ると、オリバーは真っ直ぐ見つめてきた。
「ごめんなさい。あのまま、あなたを引っ叩いていたらどうなっていたか」
「いや、悪かった。エマを迎えに来れて調子に乗っていたんだ」
エマは首を横に振る。
「私は父や母、イザベラさんと違うの。何も知らないのよ。それなのに、こんなところまで来て、馬鹿みたいでしょ」
「触れていい?」
そっとエマの手を包むと、親指で優しく甲を撫でる。
「確かに俺たちは知っていることがある。でも、現実であるということも理解している。エマの両親は、ゲームのエマだから大切に育てたわけじゃない。俺だって。君に会って改めて恋をした」
知らずに流れていた涙を、もう片方の手でオリバーが拭う。
「エマについて俺は知らないことだらけだ。攫っておいてなんだけど、少しずつお互いを知っていけたらいいなと思っているよ」
顔を上げたエマはオリバーを食い入るように見る。まさか、耳まで真っ赤に染めているとは思っていなかった。思わず頷いたエマに、オリバーは、ありがとう、と微笑んだ。