第7話 ヴァーグンハイルナンにて
とりあえずの目的地であるその街は、真新しい城壁に囲まれていた。
巨大な石の壁は重々しい雰囲気を醸し出しているものの、そこに並ぶ人の列がその排他的な空気を和らげている。
名をヴァーグンハイルナンというその街は、村を治めているヴァーグンハイルナン公爵の屋敷がある巨大な街だ。
この領と他の領の境にほど近い平野に位置し、街の中央を貫く大きな川が流れている。
陸路と航路の両面から通りやすい場所にあるこの街は、むかしから宿場町として栄えてきた。
近年ではその経済的価値に目をつけた領主が自らの屋敷をこの街に移し、それを追うように多くの貴族が別荘や本廷をこしらえたのもあってか商人が集う有数の経済都市となりつつもある。
冒険者ギルドはもちろん、商人ギルドをはじめとした多くのギルドが支部を建てているため、情報収集や小銭を稼ぐには最適だと思っていたのだが……。
「ハァ……まさか一歩目でつまづくことになるなんてな」
「とんだ災難だったね。ま、こういうのも旅の醍醐味ってモンだろ」
ハッハッハッ! と快活に笑うエリザベスを恨めしそうに見ながら、俺は次の一手を考える。
街に入る前に宣言したように、どうにかあの横柄な王の弱みを握るのが当面の目標だ。というより、それをしなければ埒が明かないというのもある。
うまく行かなかった場合も無理やり国外に出れば良いのは確かだが、冒険者ギルドは一国に収まる組織ではなく、世界中に支部を持つ巨大な組織だ。
国王からの勅令が他国にある冒険者ギルドにも通達されている可能性もあり、そうなってしまうと勝ち目はない。
厄介な点はそれだけではない。
仮に冒険者ギルドだけであれば、かなりキツいが何とかはなった。
しかし今回は商人ギルドも使えないのだ。
商人ギルドも冒険者ギルドと同じく世界的に手を広げているギルドであり、こと経済に対してはその影響力は他ギルドをはるかに超える。
商人ギルドの一員にあらずんば商人にあらず。そのような風潮さえあるほどと考えれば、どれだけの力を持つかわかるだろう。
ここが使えないとなると衣食住の確保が一気に困難になる。
裏路地に存在している怪しげな店を使うか、はたまたリーブル教……リーブル教?
「……エリザベス。リーブル教にもその勅令が来たって話はあるか?」
「うん? ないけど」
やはり。俺は口角を上げる。
リーブル教は巨大な組織であることに間違いないが、ギルドなどといった特定の目的のために集まった連合や営利目的の組織ではなく、あくまでただの宗教団体だ。
回復魔法の使い手を多く囲い込んでいるという事実から同一視されることも多いが、本来の目的を考えればまったく別の存在なのである。
そして、リーブル教は貧しいもののために、小規模な宿を教会内部に持っている。
つまり、だ。
「あそこなら泊まれる……」
エリザベスからの生暖かい目が痛い。
確かに言いたいことはわかる。
リーブル教はこの最大の宗教であり、その影響力は時に国王すら超えるほどだ。
彼らの協力を仰ぐことができれば、これから俺の身に起きるであろう苦労の一切合切がなくなるのだ。
とはいえ、その道のりは遠い。
俺の地位は、せいぜい辺境の村の一員といったところだ。王の不興を買ったとなるとさらに悪い。
【鑑定】スキルを見せてしまえばなんとかなるかもしれないが、さすがのリーブル教でも表だって王室と対立するとは思えないし、庇護下に置かれるということは今後リーブル教の教徒として一生を過ごすのとほぼ同義だ。見識を広げるため旅に出たというのにそんなことになってしまえば本末転倒である。
だから、今は彼らの力を借りることはできないのだ。
とはいえ泊まる場所が増えるというだけでもありがたいことだ。拠点を街に構えられるというだけでも情報収集などの難度はグッと下がるだろう。
俺は急に静かになったエリザベスの顔を見る。
はじめは困惑した様子だったが、しばらくすると合点がいったとばかりに笑みを浮かべる。
悪だくみの気配を隠さない目元と、裂けたと勘違いするほどに大きく広げた口の組み合わせは不気味の一言だ。
「なるほど。それは良い考えだねぇ」
エリザベスは俺の考えを褒めてくる。
口調こそ柔らかいものだが、それなりに共に過ごしてきたのだ、彼女がろくでもないことを考えているのがわかる。
「……よし、アタシが良い部屋を取れるように交渉してやる。だからさ、後でアタシの『頼み事』を引き受けてくれないかい?
彼女の有無を言わさぬ口調に、俺は首を縦に振ることしかできなかった……。
◇
(ここがリーブル教の教会か……)
俺は青空を貫くように建つ巨大な教会を呆然としながら見上げていた。
1か月ほど前、王都で見たものもすさまじかったが、こちらも規模は小さいながらもさすがの一言だ。
他と比べても異彩を放つ白色の石材に、翼を広げたような特徴的なファザード、そして槍を思わせる細く鋭い尖塔が、四隅から空に向かって伸びている。
昔聞いた話によると、この独特のシルエットはリーブル教の教義である『裁定』を意味する天秤と、神話の中に謳われる神の遣いを組み合わせた姿なのだとか。
なるほど、奇抜でありながら荘厳で、あまり信仰心のない俺でさえ頭を垂れてしまうような神秘的な姿だ。
近くには礼拝におもむく町民たちや、併設された学校で学んでいるのであろう子どもたちでごった返している。
子どものころ、はじめてこの町であの風景を見た時は、何かあったのかと一緒に来ていたフランツに聞いてしまったほどだ。
村ではあまり見ない風景だが、一定以上の大きさの町ではよくあることだと諭されたが、結局理解するまでには数年の歳月を要した。
多くの子どもたちがいるのは、リーブル教が学校を設けて教育を施しているからだけでなく、孤児院も併設していてそこに住んでいる孤児たちも通わせているからだと知ったのは、それからさらに先のことである。
何はともあれ、人口の少ない村で生まれ育った俺にとって、この光景は本能的に後ずさってしまうものなのだった。
これではいけないと、パシンと頬を叩く。
旅に出るのであれば、ここよりもうんと大きい街に向かうことだって当然ある。
その度に臆していたらキリがない。
俺は大きく深呼吸をすると、意を決してその神聖な怪物の中に飛び込んだ。
教会内部は巨大なエントランス兼礼拝堂となっており、整然と並べられた木製の長椅子の向こう側に説教を行う司祭の姿が見える。
床は絨毯が敷かれていてよく見えないが、床材を組み合わせてモザイク柄を作っているようだ。
がらんどうとした空間では声がよく響き、司祭の背後に飾られた、女神リーブルの神話を現す四枚のステンドガラスが日光を複雑に反射する。
さまざまな色に染まる光の姿は神秘的で、かつての信徒がこの素材を良く好んだ理由がよくわかる。
礼拝堂を避けるように、傍らに作られた通路を進むと、そこでは受付と思われるシスターたちが女神のごとき微笑みをたたえて立っていた。
「こんにちは、祝福されし神の子どもよ。この教会に何用でしょうか?」
受付の前に立つと、シスターが小鳥のさえずるような優しい声で呼びかけてくる。
おそらく彼女は案内人のような役割を持っているのだろう。
宿屋のような機能を持っているとはいえ、本来は宗教施設だ。
儀式などの集中を要する行事の邪魔にならないように、村の中のそれは教会の中でもひっそりとした場所に置かれていた。
「この年になると、食事が大変で叶わない」と笑っていた老年の司祭の姿を思い出す。
そこは小さな教会で泊めるような土地を用意できなかったため、向かい側にある司祭の屋敷で代用していた。
あそこと比べればこの教会は圧倒的に大きく、おそらく勤めている人数も多いが、その分大変なことも多いのだろう。
(……まあ、これは俺の妄想だが)
「セーレ・アンデルセンだ。寝床を貸してもらいたい」
「……! しばしお待ちください……」
俺の名を聞いて目を見開いたシスターが教会の奥に走り出す。
どうやら件の命令は、この教会まで届いているようだ。
……もっとも、ここが国家的な宗教であることを考えるとおかしくないことではあったが。
しばらくすると教会がにわかに騒がしくなる。
(想定していたよりも難航しているのか?)
コツ、コツと足音が聞こえるようになると、先ほどのシスターが戻ってくる。
……そばに可憐な、金髪の少女を連れて。