第4話 修練と帰還
エリザベス・メーシャ。
その名を知らないものはいないといわれるほどの大商人だ。
幼少期の経歴は不明だが、今から約50年前、かつてはまだ一地域の小さなギルドにすぎなかった商人ギルドに所属して以来、次々と有力な取引を成功させ、王国内どころか大陸全土に轟く大ギルドにまで発展させた実績を持つ。
Lv70という別次元の【鑑定】スキル、そして本人の審美眼の高さから『黄金の眼』の二つ名を持ち、現在は終身名誉顧問を務める、生きる伝説だ。
「さて、着いたよ」
そこは村の近くにあり、多くの村人が迷うため子どものころに必ず注意を受ける森だった。
特殊な土地と鬱蒼とした環境が方向感覚を狂わせ、迷わせるのだとか。
なるほど、確かにここなら村人たちを気にせず修行できるだろうが……。
「今日からアンタが制御できるまで、ずっとここで修行してもらう。いいね?」
俺は背筋が凍るのを感じた。
◇
「遅いよ! そんなのろまな足で今まで何をしてたんだい!」
「今動いたね。体の乱れは心の乱れ、やり直しだよ」
「……よし、もう大丈夫だね。明日からはこれまで通りやっていくよ!」
鬼だ。
それが、俺がこの1か月の間に抱いた、エリザベスへの正直な感想だった。
森に辿り着き、最初に命じられたのが100キロを全力疾走。
エリザベスが言うには「スキルの制御には強靭な精神が必要であり、またその精神が崩れないために強靭な肉体が必要」だかららしいが、だとしてもやりすぎに思える。
いくらなんでも無理だと抗議したが、限界になったらこちらで止めると聞く耳を持たない。
一応、水や食料は用意してくれるが、さすがにそれで帳消しになるようなものではないだろう。
へとへとになりながらもなんとか100キロを走りきると、早々に回復魔法をかけられ、そのまま3時間の瞑想を命じられる。
なぜ瞑想の必要が――と思っていたのだが、どうもこれがスキルの制御をするための修行であるらしい。
厳密には、今までのものを全て含めてスキルの制御を兼ねているとのことだが。
この時はエリザベスの【鑑定】スキルによって心の動きが監視されており、すこしでも動揺が走ると一からやり直しというひどい内容だ。
これが終わると昼食の時間となり、その後は腹筋とスクワットを1000回、そしてエリザベスを相手にした実戦練習を1時間行う。
それだけではない。
「ほら、もう終わりかい!」
「……まったく、仕方ないねえ」
負けてしまうと、エリザベスからの説教が待っているのだ。
その上、反省点を要約して書き出さなければならず、そして勝っても負けても後にはスキルや魔法の歴史や原理についての勉強が待ち構えている。
正直、もう帰りたい。
確かにこのスキルを使いこなせた先に興味はあるが、ここまで大変な思いをしなければならないとは思わなかった。
ある日、他のスキル保持者もこのような目にあっているのかと聞くと、
「いや? ここまでするのはアタシとアンタぐらいだね」
と何でもないように返されたのは記憶に新しい。
あまりのハードスケジュールに一度暴走してしまったが、それもエリザベスによって一瞬で対応され、2日の休暇の後すぐに修行が再開される。
しかもその暴走も、一度経験することによって二度目が起きないようにするという意図を持ってわざと行われたものなのだというから末恐ろしい。
寝る場所こそ先に用意してもらえたが、それ以外は自分で動かなければならない。
食べるものだって自給自足だ。
そんな地獄のような、いや地獄そのものといってもいい生活を行って早1か月。
なんとか100キロを走り切り、息も絶え絶えで大の字に倒れている俺にエリザベスが近づいてきた。
「……そろそろか」
いつになく厳しいエリザベスの表情に、俺は危機感を覚える。
何かよくないことでもあったのだろうか、それとも愛想をつかされて破門に――。
――ザワ、と、皮膚が逆立つのを感じる。
反射的に横に転がると、先ほどまで俺が倒れていた場所に大きなくぼみが生まれていた。
急な出来事に混乱する俺を横目に、エリザベスは重々しく口を開く。
「今から最終試験を行う」
◇
エリザベスの両手から、巨大な火の玉が放たれる。
俺はそれを必死に避けつつ、回避が不可能なものに対してはバリアを張って火の玉を防ぐ。
急な試験――俺にとっては死刑だが――の宣言から早くも1時間が経った。
少しでも息が聴こえないよう静かに呼吸をしながら、俺はこの地獄を生み出した女の方向を向く。
「へえ! 中々避けるじゃないか! さすがは【幸運】と【魔力ブースト】の持ち主だね!」
エリザベスは思った以上に歯ごたえのある相手に興奮しているようだ。
俺としては、なんとしてでも冷静になってほしい。
……それはさておき、俺がここまで戦えているのは彼女の言う通りだった。
【幸運】と【魔力ブーストLv8】。いずれも【鑑定Lv100】ほどではないが、便利なスキルだ。
【幸運】は文字通りそのスキルの持ち主に幸運をもたらす。
くじを引けば一等賞、事件があればどうにかすり抜けられる。
それだけではなく、自分から攻撃すればなぜか都合の良い方向へ向かっていく。
もちろん限度はあり、あくまで豪運の持ち主になれるだけのものだが、その運が必要な冒険者たちなどには大変重宝されているスキルだ。
そして【魔力ブーストLv8】。こちらも文字通り、魔力を増強してくれるものだ。
その効果はLv1でも強力で、低位魔法でさえあればスキルを持たない者と比べて5発は多く撃てる。
このスキル自体はありふれたものだが、Lv8という高レベルであることを考えると、非常に有用なスキルだと言えるだろう。
これらのスキルが無ければ、きっとすぐにやられてしまっていたはずだ。
恐るべき魔法の波をかいくぐりながら、俺は必死に考える。
彼女の攻撃の隙を、そしてその弱点を……。
ふと、さっきまで一部の隙もなく放たれていた魔法が止まる。
きっと埒が明かないと判断して、より強力で避けづらい魔法にシフトしたのだろう。
しかし、この瞬間こそが俺の待ち望んでいたものだった。
ほんの数秒の隙に、俺は『ワープ』を使ってエリザベスの背後へ瞬間移動する。
すぐに気配を察知し臨戦態勢をとるが、もう遅い。
おれはその背中に『ショック』を撃ち込んだ。
『ショック』は魔力で生み出した衝撃波を放つ魔法で、威力は低いものの使い方次第で色々なことができる。
今回はその衝撃波を利用して、相手の意識を刈り取ることにした。
普通であれば不可能だろうが、【魔力ブーストLv8】を持った俺にとっては難しいことではない。
……エリザベスが膝を着いた。
どうやら俺は、試験に合格したようだ。
◇
「ハッハッハッ! してやられたねえ!」
エリザベスはそれからすぐに立ち上がると、ご褒美だと言って俺の頭を撫でてきた。
どうやら先ほどの様子は演技だったようだ。
薄々感づいてはいたが、やはりショックを隠せない。
「さて、これでアタシの教えられることは終わりだ。アンタすごいね、短くて半年だろうと計算していたのに、ほんの1か月で全部終えちまった」
「……やはりそれくらいの予定だったのか」
「いくらなんでも全部パパっとやれるやつなんて滅多にいないからね!」
ハッハッハ、と快活に笑うエリザベスに、思わず膝から崩れ落ちそうになる。
ここまでキツい修行を短期でやる訳がないだろうとはなんとなく思っていたが、あまりにもあっけらかんとした様子だ。
精神の構造が違うとしか思えない。
「……そんじゃ、そろそろ村に帰ろうか」
「ああ……」
「そうかい。じゃあ用意するよ」
そう言うと、エリザベスはてきぱきとテントを畳んでゆく。
設置の苦労はなんだったのかと思うほどの早業だ。
己の無力さをかみしめながらボーっとその様子を見ていると、エリザベスがおもむろに口を開く。
「ああそうだ、1つ言い忘れてたことがあった」
「なんだ?」
「アンタのそのスキルはとてつもない力だ。それさえあれば何にだってなれるし何だってできる……アンタはどうしたいんだい?」
(俺のしたいこと……)
「……今はまだ分からない」
「……そうかい。ま、焦らないことだね……さあ、帰るよ!」
エリザベスに背負われながら、俺は森を出る。
それから村に到着するころには、すっかり日が暮れてしまっているのだった。