第2話 鑑定と失望
「セーレ様。お時間ですよ」
宿泊客を不快にさせないためか、抑え目ながらもよく通る声が扉越しに聞こえる。
聞いたことのない声だ。この宿はルームサービスが充実しているとマルグレットに聞いたが、その1つだろうか。
「セーレ様?」
まるで身体を包み込むような心地よいベッドの感触にもう少し眠っていたいという考えが頭をよぎるが、王城へ向かうために泣く泣くベッドを降りる。
仕方ないのだ。相手は国王、対する俺は村人。身分の差は歴然なのだから。
「ありがとう。今起きたよ」
「かしこまりました。それでは朝食をお持ち致します」
朝食? と壁に備え付けられている時計を見ると、7時を指している。
先日マルグレットから面会は午前11時頃だと聞いたので、移動時間を考えても早い時間だ。
(なるほど、こういった宿では朝食がそれぞれに用意されるのか)
大体の宿屋では朝食は会食形式を採用しており、そもそも寝泊り以外のサービスを執り行ってない場所も少なくない。
宿と言えば駆け出しの冒険者が泊まるような安宿くらいしか見たことのない俺としては、異世界といってもいいほどの体験だった。
朔日聞いた話によると、ここは王族や上級貴族、そして王族から直接招待された来賓客――他国の王族や有力商人、そしてリーブル教の司祭などが含まれる――を泊めるための宿なのだとか。
上流階級はこのような扱いをいつも受けているのだと思うと、羨ましいと同時に憐れむ気持ちが浮かんでくる。
「セーレ様。朝食の準備が整いました」
コンコンコンと扉を叩く音がして、続いて先ほどの声が聞こえる。
「分かった。入ってくれ」
俺は扉の向こうの声に答えながらも、やってくる食事をウキウキしながら待っていた。
一体どんなものがやってくるのか。皿一杯のステーキ? カゴからあふれそうな果物? それとも――
妄想の世界に旅立ってしまった俺の目の前に、いくつかの皿が置かれる。
(……なんだこれは?)
目の前にあるあまりに珍妙な料理……料理と言っていいのだろうか?
何はともあれ、一応『料理』ということにされているらしいそれの異様さに、思わず顔がヒクつく。
初めに大きな皿へと乗せられた……これはなんだろうか?
形状的には魚と思われる異様に細長く、そして牙が顔を突きささんばかりに鋭くとがった凶悪な顔をした生物が焼かれ、そして何かも折りたたまれたような形で無理やり皿に押し込まれている。
スープと思わしきものも中々の見た目だ。
深皿一杯の真っ青なゼリー状の液体の下に、もはや色すら判別できず、とりあえず小さな球形であることだけがわかる何かが十個ほど沈んでいる。
その上には香草がちりばめられていて、それと横に置かれたパンだけがかろうじて食材と判断できるものだった。
「『メドゥーサフィッシュの髭のムニエル』と『ソーマスライムとアムリタスラッグのスープ』でございます」
「ええと……これは……」
「国王陛下直々に、貴方様のためにとご要望をいただきました」
……どうやら食わないという選択肢は残されていないようだ。
◇
冒涜的とさえ思えた朝食をなんとか胃に流し込んだ後、宿まで出迎えに来てくれたマルグレットと共に王城へ向かう。
ちなみに、見た目こそ恐ろしいものだったが、味に関しては絶品であった。
踏みなれない石畳の感触に違和感を感じ、侵入者を防ぐためにかぐにゃぐにゃと曲がりくねった道に苦戦しながらも、俺たちはどうにか城の門まで辿り着いた。
「待て! 要件は何だ!」
「国立魔法研究所所長のマルグレット・フォン・グナーダと申します。こちらのセーレ・アンデルセンという若者に稀少なスキルの発言が確認できたため、詳細な検査のために参りました」
マルグレットの答えを聞いた衛兵が、確認のためか王門の横に建てられた宿舎の中に入っていく。
おそらくあの中で王城の役人と連絡を取っているのだろう。
「……確認が完了した。入ってよし!」
目の前の巨大な門が、重々しい音を立てながらゆっくりと開いていった。
◇
「良いですか、国王陛下は大変礼儀に厳しい方です。決して無礼のないように」
「はい」
精巧な金細工が施され、ところどころに宝石がちりばめられた豪華な扉を目の前にして、マルグレットは俺に忠告した。
当代の国王は少々短気――言葉を選ばなければわがまま――であるという話は聞いている。
だが俺の故郷は辺境の田舎のため、国王が代わってもあまり影響がないのだ。
そのため国王の噂は聞いていても、気に留めることは無かった。
ただ目の前でこう言われるのだ、実際は相当なのだろう。
そう思ってしまうほど、先ほどの声色は切実なものだった。
ギィ、と蝶番がきしむ音と共に、目の前の扉が開く。
いつもよりも背筋を意識し、ピンとまっすぐにすると、そのまま真っ赤な絨毯をゆっくりと歩いた。
俺は他の村のヤツよりは礼儀作法について知っているとはいえ、所詮は田舎の子どもでしかない。
マルグレットの様子をそれと気付かれぬよう横目で見ながら、それを参考にして歩いていた。
「おぬしらが、マルグレット・フォン・グナーダとセーレ・アンデルセンか」
不意に頭上から低い声がして、急いでその場にひざまずく。
「ふむ、そこの者は少し遅かったが……田舎者だと聞くからな、許してやろう」
あまりに尊大な物言いにカッと頭が熱くなるが、相手が相手だとすぐに冷やす。
確かにこの国王は面倒な性格のようだ。おそらくは、その中でも特大の。
「陛下」
「ああそうだったな。グスタフ、魔術師を呼べ。ああ、それと……マルグレット、だったか。下がってよいぞ」
「はっ」
さらに話を続けそうだった国王――アウグストと言う――を諫めるように、白髪の男が声を上げる。
どうやら名をグスタフと言うそうだ。
グスタフは国王に一礼すると、綺麗な姿勢を維持しながらマルグレットと共に扉の向こうに消えていった。
……しかし恐ろしく洗練された動きだ。マルグレットを参考にしてなんとか動いていたが、これからは彼の動きを手本としたほうが良いだろう。
それなりに年齢を重ねていそうだし、この国王に意見できると考えると、おそらく長い間仕えているはずだ。
言ってはなんだが、ここまで面倒な人間にあのような優秀な者が自ら仕えるとは思えない。
「さて、魔術師が来るまで暇じゃのう……そうだ、お主、何か話せ」
退屈そうにあくびをしながら、アウグストが俺を指さす。
非常にいやだが、国王直々となれば応じない訳にはいかない。
(今に見てろよ……)
俺は内心で呪詛を吐きながら、故郷での出来事を語るのだった。
◇
「お待たせしました」
「遅いぞグスタフ。おかげでこやつの退屈な無駄話を聞くはめになったではないか」
しばらくして、グスタフが玉座の前へと戻ってきた。
アウグストが何やら愚痴をたれているが無視だ。こういう手合いは相手しないに限る。
連れてこられた魔術師はローブで顔を隠しており、呪文が書かれたいわゆる魔術書を片手に持っている。
「さてセーレ、これからお主のスキルを調査する。……さて魔術師」
「御意」
アウグストが尊大な口調で魔術師に命じると、彼(あるいは彼女)はおもむろに魔術書をめくりだす。
『我、汝に宣言する
神の恩寵を受けしもの、はるかなる星辰に選ばれしもの
その顎を開き、汝、その祝福を詩わん――
――【鑑定】!』
呪文。
それは俺たちの世界にありふれたもので、同時に畏怖の対象であった。
基本的には魔法に使われるものだが、今回のようにスキルの一部には詠唱文が存在するものもある。
そういったものは、詠唱を行うことで本来のスキルの力よりより高い領域に至ることができるという効果を持つものが多い。
今回の呪文もそういったもので、おそらくは本来見ることのできない、スキルの詳細を調べるために使っているのだろう。
魔術師の眼前に彼を覆うほどの巨大な魔法陣があらわれたかと思うと、周囲に小さな四角形が出現する。
魔術師がそれを指で触れると、それは大小さまざまないくつかの四角形へと変化し、俺たちに見えやすい場所へと移動した。
四角形の中にいくつかの魔法文字が走り出したかと思うと、すぐに治世文字へと変換される。
最終的に俺たちの目の前にあらわれた結果は、こういうものであった。
・対象:セーレ・アンデルセン
・スキル:
SSR【鑑定Lv100】:ありとあらゆるものの本質を見出すことができる
SR【幸運】:天の寵愛を受ける
SR【風の神の加護Lv4】:風の神の加護を受け、流浪の民としての才能に長ける
R【魔力ブーストLv8】:その体の内の魔力が強化される
周囲に気まずい沈黙が走る。
【鑑定】とは、スキル保持者の大半を締めるスキルで、さまざまなもの、ことの価値を文字通り鑑定するものである。
後ろに【Lv】という文字が付くときはそのスキルが他の者より強いことを意味し、鑑定では鑑定できるものの幅が広がる。
何もついていない、俗にLv1と呼称される場合では状態の良し悪し程度しか判別できないが、Lv2では宝石などの稀少なものの価値、Lv10ともなると人の才能を見出すことさえできる。
一般的にはLv10が最高値と呼ばれ、ごくまれにそれを超える者があらわれるものの、特別稀少なものを鑑定できたという記録はない。
Lv100ともなれば確かに最高クラスのレア度だが、あくまでそれだけで利用価値があるとは言い難い。
そして他のスキルも、強力なものではあれど、すさまじくレアという訳ではない。
この結果は、つまり期待はずれを意味するものであった。
誰もが苦い顔をしながらその場に立ちすくむなか、アウグストがプルプルと震えだす。
グスタフが異常を察知して止めようとするが、もう遅かった。
「この儂がこれほどまでに時間を割いてやったというのにこの結果は何だ! グスタフ! 早くこやつをつまみ出せ!」
――こうして今に至る。