第16話 第3王子エルンスト(上)
「……まさか、ライヒュース家の令嬢から資金援助をしてもらえることになるとはな」
「まったくよ。アタシだってビックリしたわ」
フルーの言っていた「昨日お話し忘れたこと」とは、資金援助の申し出だったらしい。
妨害を受け、ギルドさえまともに出入りできない俺に対し、いくらかの金銭を渡したいのだと。
急な申し出で驚いてしまったが、金はいくらあっても困らないということ、そしてフルーの様子があまりにも真剣だったので、承諾をしてしまった。
「本当に大丈夫なんだろうか……」
「貴方、変なところで小心者ねえ。向こうが良いって言ってんだから良いに決まってるでしょ」
フランが呆れた表情でこちらを見る。
そう言われても、ほんの少し前まではただの村人でしかなかったのだ。抒情酌量の余地はあるはずだ。
「……ま、貴方のそういうところ、嫌いじゃないわよ」
「初対面であれだけ敵意全開で接してきた奴に言われてもな……」
「う、うるさいわね。あの時は余裕がなかったのよ」
互いに軽口を叩き合いながら、俺は思う。
ここまで打ち解けた仲になれて、本当に良かったと。
決して良い初対面ではなかった。
今でも監視役とその対象という関係には変わりない。
しかしそれだけの関係ではなくなったのも確かだ。
少し気分が良くなったので、勢いのままフランの顔を眺める。
すると露骨に嫌そうな顔をして、「止めて欲しい」などと言われてしまった。
顔を赤くして照れているのはバレバレなのだが。
◇
ヴァーグンハイルナンに戻ると、いつもと様子が違う。
大通りはさほど変わらないのだが、門近くの市場が騒がしいのだ。
「何かあったのか?」
「どうなのかしら……いえ、1つだけ心当たりがあったわ」
フランが何かを思い出したようで、酒場の方をうんざりとした表情で睨む。
品行方正な彼女がそこまでするということは、ずいぶんと嫌な心当たりなのだろうか。
「どちらにしてもアタシ達には関係ないわ。さっさと教会に戻って……」
市場から人が飛び出してくる。
その中に、品があるものの、どこか軟弱そうな少年が1人いた。
俺たちよりも年下だろうか。
「……ん? おお! フランベルクじゃないか久しぶり! 元気だったかい?」
「たった今元気じゃなくなったわ。貴方のせいでね」
(……嘘だろ)
飛び出してきた少年の正体に、俺は1人驚く。
彼の名はエルンスト・フォン・シュヴェルトヴェヒター。
現国王の息子、継承権第3位の王太子であった。
◇
「……君がセーレ・アンデルセン君だね。話は父上から聞いているよ……ああ、大丈夫さ。彼が虚言癖持ちなのは僕も知っているからね。さて、君も知っていると思うが、僕の名はエルンスト・フォン・シュヴェルトヴェヒター。この国の第3王子だ。フランベルクとは……」
「『元』婚約者よ」
この王国の貴族にとって、政略結婚は一般的なものだ。
家の血を継ぐため、あるいはより高貴な血と交わることで権力を手に入れるためにと、さまざまな理由で婚約は行われる。
早ければ生まれる前から結婚相手が決まっているものもいるという。
とはいえすぐに同棲を始める訳ではない。
一定の年齢に――時代によって変わるが、大体15歳前後である――至るまでは互いに生まれた家で育てられ、後に夫か妻か、家の位が高い方の家で共に暮らすこととなる。
それが一般的な貴族の生活であった。
そういった事情もあって、貴族夫婦に恋愛感情があることは稀だ。
実際、フランの方には愛情などといった類のものは一切ないようである。
しかし、エルンストの方は違うらしい。
フランを見つめる熱っぽい視線。独占欲をにじませた発言。
どれもこれもフランを愛しているとしか思えない。
俺としては別にどうなろうとかまわないのだが、こうも全身で『好きです』などと表現されてしまうと、さすがにおぞ気がたつというものだ。
さて、どういなそうかと考え始めたその時。
「坊ちゃま。ここで何をしていらっしゃるのですか」
右側に、ぬるりと影ができた。
見上げてみると、そこには赤い髪をした、ショートヘアのメイドの姿が。
高い背丈にメイド服をまとい、緑色に輝く知的な目が、眼鏡を付けることでより引き立てられている。
どうやらそこの王子の関係者であるようだ。
「ア、アン! こ、これには海よりも深いわけがあってだね……」
「言い訳は無用です。早くお城に帰りますよ」
「ま、待ってくれ!」
「……なんですか?」
「この2人を屋敷に連れて行ってはいけないか?」
アンと言うらしい女の視線が冷たくなる。
おおよそ、「こいつは何を言ってるんだ」とでも思っているのだろう。
俺だってそう思っている。
しかし、すぐに却下をすると思われたアンの様子がおかしい。
俺たちを値踏みするように眺めたまま、何も言わずに黙っているのだ。
嫌な予感がする。
「……かしこまりました。お2人を客人としてお招きいたしましょう。どうぞ、こちらへ」
◇
「……どうして、アタシたちを呼んだの?」
フランがエルンストに尋ねる。
事実、俺としても理由が読めないのだ。
それなりに執着している様子のフランはともかくとして、俺にいたっては偶然出くわした通行人にすぎない。
裏表のなさそうな印象を受けるので必要なさそうでもあるが、少し気味がわるいのも事実だ。
使い慣れてきたのか、【鑑定】スキルの結果を制限できるようにもなってきたので、少し試してみたいというのもある。
今回の目的に鑑定結果を制限して、エルンストを【鑑定】してみることにした。
・対象:エルンスト・フォン・シュヴェルトヴェヒター
・目的:フランベルクの気を引くため
(…………ハァ)
どうやらこの第3王子は、俺が思っていたよりも少し、いやかなり馬鹿らしい。
このような強引な誘いなど、警戒心を高めるだけだろうに。
「坊ちゃま、歓談の途中失礼します」
「なんだいアン。僕は2人と話すのに忙しいんだ」
嘘を吐け。
俺のほうなど見向きもしていなかったくせに。
「それは申し訳ありません。しかし、もうすぐマナーの時間ですので」
「そうか、もうそんな時間か。しばらくここを空けるから、好きなようにつかってくれ」
そういうと、エルンストは部屋の扉を開き、廊下の奥へと消えていった。
エルンストが部屋から出るのを見届けると、アンはふぅとため息を吐く。
そして、俺たちへと顔を向けた。
「申し遅れてしまいました。私の名はアンと言います。苗字はございません」
この国では、平民にせよ貴族にせよ、苗字を持つのが一般的だ。
それがないとは、彼女は珍しい地域、あるいは国の外の出身なのかもしれない。
「それで」
フランが、機嫌が悪そうに言葉を返す。
エルンスト側はともかく、フランはずいぶんと彼を嫌っているようだ。
いったい何があったのやら。
「マナーの時間にはまだ早かったはずだけど?」
なるほど、彼女は嘘をついていたようだ。
しかし、あのエルンストとは違い、何かしらの目的があることは事実。
彼女の口が開くのを、俺はただ待っていた。
「お2人に頼みたいことがあります」
「何かしら?」
「エルンスト様の教育係を勤めていただきたいのです」