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2-1


2 能力診断


     1


 それは質素な部屋だった。部屋の中にあるものは茶色い勉強机と、付属品としての背もたれ付き回転いす。あとは大きめの本棚があり、その中に数冊の黒いファイル。そのファイルも本棚を埋めるほどはなく、また少し大きい日記のようなものが入っている。

 あとあるものは今ヒュルクが小さな寝息を立てながら眠っているベッドと、その近くの壁に寄りかかっている黒い長槍。


 他にはカーテンと携帯電話、勉強道具とカバン以外だけ。内装も小物も、他には何もなかった。

 朝の陽ざしがカーテンの僅かな隙間から漏れていたが、それが顔に当たっていてもヒュルクは目を覚まさなかった。


 この部屋には時計もなく、携帯電話でアラームをかけているわけでもなかった。そもそもヒュルクにはアラームのようなものは必要なく、いつも決まった時間に起きていたのだが、今日は珍しく寝過ごしていた。

 そんな中、部屋のドアが開きすでに制服を着ていたソラウが中に入ってきた。ヒュルクがまだベッドの中にいることを確認し、掛け布団の上から軽く揺らしてみた。


「起きなさい、ヒュルク。寝坊するわよ」


「んっ……?」


 ようやく、ヒュルクは瞼を開いた。ヒュルクは習慣で左眼を手で塞いでいたが、ソラウはヒュルクに覆い被さるような体勢を取って、その左手をどけた。


「見せなさい、ヒュルク」


 ヒュルクは完全に左眼の能力を使っていた。眼の輪郭に緑色が浮かび上がっていたのは事実であるし、ヒュルクも能力を使っている自覚はあった。

 眼と眼が合っていたが、それでもソラウが死ぬことはなかった。ソラウの黒い瞳には赤い輪郭が現れており、その力によってヒュルクの眼から緑色の線が消えていった。


「……ありがとう」


「日課だもの」


 ヒュルクはすぐにコンタクトレンズを左眼に入れて、眼鏡をかけた。

 このコンタクトレンズは理事長が作ってくれた物であり、これを付けている限り魔眼は発動しないという代物だった。どういう原理でできているのかはわからないが、世界で作れるのは理事長だけだということ。


 眼鏡も理事長が作った物であり、これは魔眼の効力を半減させる物。月の兎は肉体強化系としては破格であるため、制限をつけるためであった。ただこれは学校にいる時だけであり、軍からの招集が入ればつけることはない。

 この眼鏡の欠点としては使用時間まで半減されてしまうことだった。インターバルは変わらないのだが、使用時間が短くなるのは明確な欠点だ。

 あとは、直死の魔眼の予防という意味もある。効果があるかはわからないが、念のためであった。


「珍しいわね。こんな時間まで寝てるだなんて。いつもなら私より早起きなのに」


「ああ、悪い……。三時過ぎに軍司令部から緊急連絡が来て……。寝たのが六時半だったんだよ」


 ソラウがもう一度確認のために自分の携帯電話を取り出し、今の時間を確認した。時刻は七時を指していた。つまり、ヒュルクは現状三十分しか寝ていない。


「大丈夫?遅刻してもいいのよ?」


「一週間寝れないで任務をしていたこともあるから寝れただけましだよ。……ハイナとの争いに明日中には招集される。国家魔眼士も二人招集されるらしい」


「二人ね……。クレイネスさんと、フォルナさんでしょう?今日中には家を出る?」


「そうなると思う。ちょっと日が悪いよな……。能力診断の期間に来るなんてさ」


「頑張って。私関係ないから」


「他人事だなぁ」


 ソラウは教室での自己紹介と同じで、学校では盲眼として情報登録されている。身体測定以外、つまり魔眼測定においてはただ見ているだけでいいのだ。

 そもそもこの能力診断は三日間かけて行うものである。学年ごとに魔眼診断、身体測定、運動技能測定を一日おきに行う。初日の今日は一年生が魔眼診断なのだ。


「他人事だもの。……そろそろご飯よ。あと私に話すことってある?」


「ある。……また人を殺す。能力を借りるよ」


「……ええ。知ってるわ。あなたの家はここよ。いい?戦場にいる時はヒュルクでいなさい。でもここに帰ってきたら……本当の自分(ナナシ)に戻っていいから」


「……ありがとう。ソラウ」


 ソラウは先に部屋から出ていってくれた。

 ヒュルクはまだ寝間着のままだった。この家から出ていくと、すぐに学校の敷地内に出る。そのため、部屋から出るときは制服でいるべきなのだ。他の場所から家の中を見られるようなことはないであろうが、念のためだった。


 ヒュルクが男子用の制服に着替えて一階に降りると、食卓にすでに朝食が並んでいた。

 目玉焼きのターンオーバー、少し焼き目のついたハム、トーストに各種ジャム、皿に取り分けられたシーザーサラダ。

 これを用意したのはソラウではない。ハウスキーパーとして雇っている中年の女性だ。


「おはようございます。マーサさん」


「おはようございます。ヒュルク君。冷めないうちに食べてください」


 マーサは本当に盲眼であった。能力が何もないただの人間。だからこそ、こうしてハウスキーパーとして雇っているのだが。

 ソラウはもう席について食べていた。紅茶を飲み終えるのは待て、という彼女だが、食事の始めは待ってくれないらしい。


 それがソラウらしいといえばソラウらしいのだが。


 ソラウの食べ方には一々上品さが伺える。思わず見惚れてしまう。何度も、それこそ一番多く一緒に食事を取っているはずなのにそれでも一つ一つの仕草に目が奪われてしまう。

 この上品さはヒュルクが出会った頃にはすでに獲得していた。理事長に教わったのかどうか本人は覚えていないらしく、この上品さが今では当たり前らしい。


「……何?早く席について食べれば?」


「口元にジャムついてるよ、ソラウ」


「……ッ⁉」


 ソラウは耳まで真っ赤にしながら口元にナプキンを当てたが、ジャムは取れなかった。

 そもそもついていないものをどうやって取ることができるのだろうか。


「冗談だよ。いただきます」


 ヒュルクは平然として自分の席に座り、朝食を食べ始めた。ソラウは頬と耳を赤くしていたが、さっきまでのように食事を再開していた。

 そんな二人の様子を見て、マーサがクスクスと笑っていた。


「あなたたち、本当に仲が良いのね」


「そうですか?マーサさんはここの生活に慣れましたか?」


「ええ。ちょっと買い出しとか面倒ですけど、それ以外は他の家庭とあまり変わりませんからね。ハウスキーパー歴は長いですから平気ですよ」


「それは良かった」


 実のところ、二人はこのマーサと会ってまだ五日ほどしか経っていない。ここに引っ越してきたのが入学式の二日前であり、その時に理事長から紹介されただけだ。

 前の家に住んでいた頃のハウスキーパーはさすがにこの学園は遠いことと、この家へ入る方法が特殊すぎたために断られてしまった。

 そのための新しいハウスキーパーであるため、マーサとは二人とも未だに距離感を掴めていなかった。


「今日は能力診断だそうですけど、帰りの時間は変わりありませんか?」


「はい。ただ軍からの呼び出しがあったので、今夜家を空けます。俺たちが家から出る前に今日は帰って大丈夫ですよ。三日間は来る必要もありません」


「三日間ですね?わかりました。ではお暇をいただきます」


 ヒュルクは食べながら返答をして、すぐに食べ終わってしまった。別に量が少なかったわけではなく、いつでも戦闘準備ができるようにと早食いの習慣を軍事学校で身につけてしまっただけであった。

 だからまだソラウは朝食を続けているし、よく食べ方が汚いと注意される。それでも作戦行動中などはゆっくり食べている暇がないのだから仕方がないことなのだ。


「ご馳走様でした」


「お粗末様でした」


 ヒュルクは食器をシンクに置いて、自分の部屋へと戻っていった。今日は能力診断を一日中行うので、荷物は運動着だけで良かった。

 カバンの中にハーフパンツと半袖の体操着、それに紺色の学校指定のジャージと、ペンケースだけを入れた。


 あとは手持ちとして壁に寄りかかっていた槍を持ち、近くに置いておいた布で刃先を包んで、その上で野球部が持っていそうな革製のバットケースのような物に槍を入れて肩で抱えた。

 入学式の日は中央棟の職員が七時前に出勤だったため持っていくことはなかった。だが、今後は毎日持っていくヒュルクの愛用の武器。


 この槍はヒュルクが軍事学校の時に選択した近接用の武器だった。一応全部の武器は試し、また銃器関連と体術は必須項目として習得したのだが、近接武器は自由選択であった。

 最初は剣やトンファー、ナイフなどを選んでいたのだがどうしても槍には長さ的な意味で勝てなかった。また、剣やトンファー、ナイフを使うような間合いにまで入られてしまったら、月の兎を用いた体術の方がヒュルクとしては向いていた。


 あとは、教官の槍捌きに憧れたということもある。その一つ一つの繋がった、華麗とも呼べる槍捌きに単直に惚れたということもある。

 剣などの扱いがイマイチだったということもあるのだが。

 ちなみにこの槍に名前はなかった。名のある武器職人に理事長が依頼して作らせたのだが、二つほど条件を言われてしまったのだ。


「この槍を創ったのが儂だと誰にも悟られんように。あと、名前も付けん。いわゆる無銘だ。この槍は儂の生涯でも最高の逸品であろうよ。だがな、殺人鬼のために創ったとなれば儂にとっては名折れじゃ。武器は象徴であり、芸術品であり、兵器じゃ。たとえ兵器であっても、それは戦場に咲く大輪でなくてはならん。……それが、殺人の補助品だと?戦争を止めるための殺人と、戦場を駆けた結果の殺人は異なる。儂はお前さんたちのような殺人は好まん。……もし名前をつけたければ好きにするがいい」


 と、理事長と二人で受け取りに行った際に言われたのだ。


「名前は大事だけど……。俺には名付けなんてできないよ。俺自身の名前すらないのに」


 独り言を呟いた後に一階へ降りて歯磨きをした後ソラウの支度が終わるのを待っていた。

 ソラウの護衛こそ、ヒュルクや理事長がするべき全てのことなのだ。そのためのヒュルク、そのための学園である。

 ソラウと共に登校を始める。家を出た後、近くの洞窟に入り、そこから表向きの学校の敷地へと向かう。


 洞窟を少し進むと機械化されて整備された道が見えてきた。そこをさらに進むと、分厚い機械の扉が見えた。その近くに鍵を差して、さらに指紋認証をしてから扉が開いた。

 ここまでしないと、ソラウの力がバレた時に守り通せないと踏んでいるのだ。


 ソラウの魔眼は世界のバランスを崩してしまう。もし研究されて、他人でも使えるようになってしまった場合、その人間たちだけで戦争ができてしまう。

 たった一人でソラウは戦争の不利な状況を覆すことができるが、それがもし二桁いたら、世界の地図が確実に変わってしまう。


 ヒュルクの直死の魔眼も使える人間が増えてしまったら世界のバランスを壊してしまう。だが、直死の魔眼は四桁以上いなければ世界の情勢は変えられない。

 ヒュルクが脅威とされているのはさらに月の兎もあるからなのだ。直死の魔眼自体は相手の眼を直接見なければ発動しない。


 つまり身体能力の絶望的な人間が直死の魔眼を持っていたとしても、戦場では役に立たない。日常生活では確かに脅威だが、殺傷能力があるのは他の魔眼も変わらない。


「ヒュルク。今日何かやらかしたら許さないわよ?」


「大丈夫だって。適当に月の兎使って終わりだからな」


 いつも使っている中央棟へ繋がっている扉の前に着くとそんなやり取りを交わしていた。ヒュルクは直死の魔眼のことも含めて目立ちたくはない。だから今日の試験だって手を抜くつもりだった。


「じゃあ、先に行ってるわよ」


「ああ」


 中央棟の一階に着くと、ソラウだけ外へと出ていった。ヒュルクは肩に下げた槍を理事長室の近くに置きに行くためだ。

 これで一緒に家を出ても、教室へ同時に入ることはない。変な誤解をクラスメイトに与えることもない。その変な誤解がよくわかっていなかったが。


明日も18時に一話投稿します。

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