弐
中々に設備の整った神崔学園。
単純な学校なのだが、そのどれもが高水準で配置されており、人気校でもある。
「……………………はぁ…………」
桜のチラチラと舞う校門から生徒用玄関へと通じる一本道。
生徒の自主性をなるべく重んじる校風だからか、あからさまに乱していない限りはある程度の制服の着崩しを認められている。
結果、道行く生徒たちは各々が個性を滲ませる格好をしていた。
友人との朝の出会いから和気藹々とした様子で道を行く彼ら。
その中で浮くのは片手に文庫本を開き、空いた手はポケットへ。耳にはイヤホンを差し、銀縁の眼鏡の下では隈のある三白眼で文字を追う少年。
先程、人の多さにため息をついてしまった坂口夏樹その人である。
というか、登校二日目の新入生が浮かべるような顔ではない。どこぞの勤続20年の社畜が浮かべるような、そんな疲れた顔をしていた。
「おーっす!夏樹ぃ!」
そんな彼の後ろから声をかけるのは、駆け寄ってきた美作大悟。肩には大きなエナメルが掛けられ、手には学生鞄を提げている。
未だに少し肌寒い気候の中で学ランの前を開け、袖まくりをしている彼は見ているだけで暑苦しい。
少なくとも夏樹はそう思ったのか、肩を叩かれた時人も殺さんと思えるほどに睨んでいた。
だが、その睨みも彼には通じない。
「おいおい、そう睨むなよ。朝の挨拶は大切だろ?」
「……………………そうだな」
「て、事でおはようさん、夏樹」
「…………おはよう」
「朝から辛気臭いぞ?お前って低血圧だっけ?」
「いつも通りだろ」
「…………………そういやそうか!」
快活にカラカラと大悟は笑う。
彼はこんな性格だからこそ、対人能力に難のある夏樹とも交遊を保てている。
実際、大悟の周りでは夏樹との付き合いを不思議に思うものも少なからず居る。
ぶっちゃけ夏樹の態度は万人受けしない。むしろ嫌われる。
印象も悪く、愛想も悪く、返答も素っ気ない。
少なくともガワだけを見れば彼の評価は宜しくない。
しかし、一度でも手を貸されるとその印象は一転する。
何というかやることなす事全てが巧いのだ。更に初対面こそ無愛想だが、交流を少しでも長く続けているとその良さにも気付かされる。
幼馴染みの大悟にとっては、既にこの無愛想さも慣れたもの。むしろこの無愛想が無くなれば、本気で心配する程度には慣れ親しんでいた。
「…………サッカー部」
「ん?」
「サッカー部入ったのか?」
「おう!というか、俺は春休みの後半位から練習に参加させてもらってたぜ?」
「そうか」
「聞いた割りに興味ゼロかよ」
全くこいつは、と何処か親のような心境になりながら二人は並んで玄関までやって来た。
ここは幾つかのくつ箱が並び、須ノ子がその下に敷かれている。まあ、普通の高校とそう変わらないだろうか。
一年の教室は三階。階段が億劫になることもあるが、まあ、若い高校生。友人との会話も弾めばそんな距離に疲労など感じたりする筈もない。
クラスの配置は階段を登って右手にA、Bクラス。階段を挟んでC、D、E、となる。
教室に入れば、既に幾つかのグループが形成されており、クラスの三分の二は登校を終えているらしい。
後ろの扉から入って直ぐの自分の席に鞄を置き夏樹は椅子に腰を下ろす。大悟はその一つ前の席だ。
そこで彼は昨日の事を思い出す。
鞄の中身を整理するふりをしながら然り気無く辺りを見渡せば、目当ての生徒は直ぐに見付かった。
位置的に教室のほぼ中央、よりも若干窓よりの地点。ショートボブの小柄な少女はそこで静かに本を読んでいる。
世良茜。何の因果か図書室で出会った少女。
昨日借りたであろうハードカバーを読んでいる事は確認できる。驚くべきは、その傍らに辞書が無い点。
どうやら、和訳することなく読めているらしい。
(頭が良いのか。それとも、何度も読んでるのか)
確かに勉強出来そうな見た目だ、と夏樹は席につく。
本一つで頭脳を測れるのか、とも思われるかもしれないが存外、本の中身を理解し、尚且つ読み進める、というのは難しいのだ。
例えば、方言を幾つも放り込まれた本。同じ日本語でも理解どころか読み進めることすら難しい。
そして方言は日本語のみならず、外国語にも存在する。更に単語一つでも複数の意味を持つのだ。
少なくとも学校の英語程度の知識では完璧に理解することは難しい。
「何見てんだ?」
「…………別に」
「んー……………………あ、世良さん見てたんだろ」
「…………知ってるのか?」
「名前だけだけどな。てか、昨日自己紹介あったじゃねぇか」
「聞いてなかった」
「はぁ~~~、あいっかわらずだな。それで?何か気になるのか?」
「なんのことだ?」
「惚けんなよ。お前が誰かをジッと見てるときは気になってるときだ」
分かってんだぜ?、と大悟はニヤニヤと笑う。
時折こうして、夏樹が誰かのために動くことを大悟は知っている。
「で、何が気になるんだ?」
「……………………世良さんの袖見てみろよ」
「袖?」
言われて、気付かれないように目を凝らす。
そして気が付いた。確かに、彼女の袖から白いモノが覗いている。
「包帯か?」
「多分、な。左腕だけだが」
「…………因みに聞いたりは」
「してない。初対面で突っ込めるかよ」
だよなあ、と大悟は椅子に大きく伸びをしながら寄りかかる。利き手にもよるが、片腕のみに包帯など嫌な想像をさせられる。
「夏樹的にはどうなんだ?」
「…………嫌な予感はする。けど、家族の事なら首を突っ込むは筋違いだろ」
「ま、今は情報収集、だな」
「オレもやるのか?」
「夏樹がやると情報よりも先にヘイト集めそうだから俺がやるよ」
そう言うと大悟は席を離れていく。
その背を見送った夏樹は少しその背に憧憬を感じながら、頬杖をついて教室内に視線を這わせるのだった。
※※※※※
昼休み。生徒たちは新たな友人たちと集り昼食をとったり、部活の練習に顔を出すものが居たり、と各々が自由に過ごしている。
「で、何か分かったか?」
「んー、まあな。そっちは?」
「大したことは分からねぇよ」
大悟は購買のパンを、夏樹は持参の弁当に口をつけ、情報交換を行っていた。
「同じ中学出身の娘が居たから聞いてみたんだけどよ。どうも世良さんは浮くタイプみたいでさ」
「本ばっかり読んでるから、だろ」
「そうそう。けど、嫌われてはないみたいなのさ。話しかけると小動物みたいに反応するから、可愛いってな」
「虐めはない、か」
「多分な。まあ、裏まではまだまだ探れないしな」
虐め。それはどこでもあり、そしてふとした拍子にやって来る。
虐める側は罪悪感が薄かろうと、虐めを受ける側のダメージは計り知れない。
「オレから見ると、世良さんは浮いてたな」
「夏樹みたいにか?」
「…………」
「悪かったって、そう睨むなよ」
「……………………はぁ、続けるぞ。世良さんは確かに浮いてる、けど、まだ二日目だ。完全な切り離しは受けてない。何人か声もかけてたしな」
クラスに一人は居るであろうお節介焼き。クラス委員に抜擢された彼女が声をかけるのを夏樹は見たのだ。
「四季沢さんだろ」
「知ってるのか?」
「クラス委員だぞ。まさか寝てたのか?」
「聞き流しただけだ」
相変わらずの態度。
よくも悪くも、いや、今回は悪いが変わらなすぎではなかろうか。
大悟は苦笑いした。
「話を続けるぞ。今のところ悪感情は向けられてない。だが、」
「これから先、バレてからが怖いと」
「怖くはない。ただ面倒が出るのは嫌だがな」
「ツンデレ乙」
おどける大悟。キャラじゃないだろうと思わないでもないが夏樹は口には出さなかった。
「で、どうする?動くならこういうのは早い方が良いだろ?」
「出来ればこのまま、何事もなく終わってほしいんだがな」
「それは無理だろ。夏樹の勘はわりと当たる。…………悪い方限定で」
「ヤダヤダ…………」
弁当を食べ終わり、お茶で口内を流した夏樹は鬱屈とした息を吐いた。
実際、大悟に指摘された通り彼の悪い予感はよく当たる。当たってほしくない時には、九分九厘的中してしまうのだ。
「取り敢えず、放課後だ。対人関係が固まりきる前に、終わらせるか」
※※※※※
世良茜にとって、世間というのは生きづらい。
人見知りの酷い彼女にとっては自己紹介一つとっても息が詰まってしまう。
だからか、茜は本や漫画に逃げてしまった。
本も漫画も、創作物の世界というのは何とも心地よかった。
誰も邪魔をしない、されない世界。それだけが彼女の呼吸ができる場所。
茜が神崔学園を選んだのは、その広大な図書館があったから。
基本的に読むのはファンタジー等。逆に現実に近いもの、エッセイや評論、医学書などには手を出さない。
入学式のその日、彼女は周りの目が気になりながらも、放課後に向かった図書館で有意義な時間を過ごしていた。
彼女が本を得るには学校、若しくは市立図書館しかない。
最初にその本の森を見たとき、心が激しく踊った。前髪の下に隠れた瞳も見えたならばキラキラと輝いていた事だろう。
どれもこれも目移りしてしまう。
ふらふらと誘蛾灯に誘われる蛾のようにいろんな場所を見て回った。
そして、出会った。
第一印象はスゴく無愛想で怖そうな人。
同じクラスの男子であることは直ぐに分かった。何せ、いろんな意味で目立っていたから。
特に騒ぐでもない。だが、何というか独特な雰囲気を常に放っている。
そう、あれだ。クラスの中に一人は居る。ボッチなのにその雰囲気のお陰で虐めの対象にならない。むしろ周りから重要なときに頼られるお助けキャラ的な存在。
「お助け、キャラ…………」
大分二次元へと傾倒している茜にとってそれは心惹かれるワードであった。
無意識に右手が、左の手首辺りに添えられる。
鈍い痛みが走った気がした
※※※※※
「ったく、姉貴の奴。直ぐに人をパシりやがって」
夜、時刻は8時を少し回ったところ。夏樹は外に出ていた。
白のラインの入った黒いフードつきのジャージを着ており、長めの髪を纏めるために灰色のヘアバンドを着けている。
足元の、子猫便所サンダルも相俟ってヤンキーにしか見えない。
何故こんな時間に出歩いているのかと言えば、ポケットに突っ込まれた右手の手首に提げられたレジ袋が雄弁に語ってくれる。
レジ袋の中味は、彼の見た目にそぐわないスイーツと小さめパックのコーヒー牛乳。
彼より3つ年上の姉にパシられたのだ。何というか、姉弟間に存在する一種のヒエラルキー格差とでも言うべきか。それはどうやら夏樹も例外ではなかったらしい。
何だかんだとぶつくさ文句を言いながら帰路を遡っていれば、いつの間にか広めの公園の近くへとやって来ていた
昼間ならば複数の子供連れの親やカップルやら、とにかく人の活気があるというのに、時間が時間だからか閑散としている。
「─────やあ、少年。いい夜だね」
「……………………」
「そう警戒しないでおくれよ。お姉さん、困ってるんだ」
いつの間にか、と言うべきか。夏樹の前に不審者が現れていた。
春先で未だに気温は低いとはいえ、黒いコートにミトン、ニット帽という明らかに季節間違っている見た目。
そして、声色からして女性ということが理解できた。
「……………………で?」
「うん、無愛想だねぇ君。まあ、良いや。道を教えてほしいんだよ」
「…………」
「ここの近くに神社があるはずなんだけど、何処か分かるかな?」
「神社?……………………そこの道真っ直ぐ行って突き当たりを左。後は真っ直ぐ行けよ」
「おお!これはご丁寧にどうも」
簡素な道案内に不審者は片手をあげて礼を良い示された道を進み始める。
交番に繋がるその道を、だ。