神秘と相対するとき
俺達はヴェッツ夫妻宅の台所を借りて一晩休み、日の出とともに調査隊詰所へ戻った。
メレナの母アベイラは三年前、六十五才の時に流行り病で亡くなっている。
メレナ自身、アベイラの妹カテノアの存在を知らされていなかった。
ユーカと一緒に精霊の腕輪に関する報告書を探す。
膨大な量の書類だが、ユーカは腐らず真剣に仕事をしているようだ。
騎士団で記録された行方不明者の名簿を、同僚のヘクスが持ってきてくれた。
「進展はどうだ、リート」
「先は見えているからなんとかなるはずだ……と思う」
他の隊員より一回り背が高くて強面。腕っ節に自信があって得物はなんでも使える。
我が調査隊の中でも、子供に怖れられる隊員第一位だ。堅物な性格も迫力を増すのに一役買っている。
同期配属の頼りになる相棒、と、俺は思っているが向こうの心中は知らない。
名簿を受け取り、カテノアの文字を探す。
あった。
行方不明になった日付は今から五十七年前の晩夏。
室内で目を離した隙に居なくなり、そのまま行方不明。
当時カテノアは毛布を被り、寝台の上で遊んでいた。
「リートさんが話してくれた事件以外、腕輪に関する事件はなさそうですね」
ユーカが書類の再調を終えたようだ。
ふう、と肩で大きく息をついている。
「ヘクス、サーラ先輩に精霊の腕輪に使われる植物について聞いてきてくれないか。俺達は隊長の所へ行ってくる」
「了解。ユーカもあまり無理をしないようにな。リートにいじめられたら俺に言うんだぞ」
うるせえ。
ユーカと連れ立って早歩きで隊長室へ向かう。少女を助けたいという思いはユーカも同じようだ。
新人の初仕事、それも人助けを失敗するなんて俺は絶対にごめんだ。
苦労と後悔は少ないほど良い。
なんとかなればいいんだが。
「……報告は以上です。現在、精霊の腕輪の対処法について調査中」
「了解した。過去、俺が担当した《精霊の腕輪事件》では確実な対処を見つけられなかった。当時こんな言い伝えも聞いた。“向こう側”へ行った人間は腕輪に守られているのだと。もし“向こう側”で自ら腕輪を外せば戻ってこられなくなるとも」
ランジャック隊長でも対処法を知らないのか。
いや、これは仕方がない。事例が少なすぎる。
燐光石の欠片を用いた精霊の腕輪が、暗闇の中でもたらす現象。
あまりにも限定された条件だ。
腕輪を刃物で切る方法も考えたが、これは最終手段である。
神秘が絡んでいる以上、何が起きてもおかしくない。
カテノアが永遠に“こちら側”へ戻ってこられなくなるかもしれないし、腕輪を切った俺まで巻き込まれる可能性がある。
最悪その場にいる全員が“向こう側”へ行ってしまう事もありうるのだ。
神秘と相対するとき、手順を違えてはならない。
「ヘクスです。失礼します」
と、扉を開きヘクスが隊長室へ入ってきた。
何でもいい、俺に手がかりをくれ。
「サーラさんの調査によると、精霊の腕輪に使用される植物の蔓は、暗い場所から突然明るい場所へ移すと極端に収縮する性質があり、その際に繊維が脆くなる、とのことです。夜間に落雷が発生すると落雷地域のその植物は壊滅状態になると」
繋がった。
ランジャック隊長が熱っぽく早口でまくし立てる。
「過去の事件では、少年は窓辺で満月を見ている時に“こちら側”へ帰ってきた。扉の外は暗闇だった。ってことは窓の外も暗闇だ。なのに月が見えた。……月が見えたその時、少年は“こちら側”に出現していたはずだ。そして“こちら側”の満月の光を浴びて腕輪が切れた」
「つまり、少女が現れるわずかな時間を狙って腕輪に光を当てる、というのが対処法ですか?」
と、ユーカが言った。
暦表の前に俺達四人が殺到する。
昨日が上弦の月だから満月は今から五日後。
二十一日前に突然少女が現れた、とヴェッツは言っていた。
今は毎晩現れているとも言っていたから、カテノアの出現には波がある。
いや、待て。冷静に見極めろ。
カテノアは五十七年前に行方不明になり、二十一日前に突然現れた。
その間、ヴェッツ夫妻宅にはずっと人が住んでいたはずだ。
過去の精霊の腕輪事件では、“向こう側”へ行った少年は家の外に出られなかった。ということは、カテノアも家から出られなかった可能性が高い。
それなのに約五十七年、そこにいながら住人の誰にも目撃されていないのだ。もし目撃されていれば行方不明者の情報として騎士団へ連絡が来る。
「隊長、次の満月まで待てません」
カテノアの出現頻度に波がある、わけではない。おそらくまったくの偶然か、五十七年を経て出現の条件が揃ったとみるべきだ。
二十一日前、何かのはずみで条件を満たし“向こう側”から“こちら側”へ出現した。
また何かのはずみで条件を欠けば、満月の夜になってもカテノアは現れない、ってことだ。
条件が不明な以上、急がなければカテノアを認識できなくなるかもしれない。
そうなったらお手上げだ。
「しかし満月以外で夜間の強い光など、どうやって用意する?」
ランジャック隊長の言葉に俺達は思案する。
光。
落雷は奇跡でも起きなければ無理だ。
篝火で硫黄か火薬でも炊くか?
……雷や火を使うのは確実な方法とはいえない。何が作用して何が影響するか、まるでわからない。
目的は腕輪の切断ではなく、カテノアが“こちら側”へ帰ることだ。
“神秘と相対するとき、手順を違えてはならない”
調査隊の鉄則が、何度も俺の心の中で繰り返される。
ただでさえあやふやな情報しかないのだから、やはり過去の事例にならい月光を使いたい。
俺とヘクス、隊長が向かい合わせて首を捻っていると、ユーカがおもむろに呟いた。
「月光を増やせればいいんですけどね」