獣爪の独楽事件
「魔法的事象、神秘現象、奇跡を調査して場合によっては確保するのが俺達の仕事だ」
「魔法って演劇や民話に出てくるあの魔法ですか? 御伽噺の調査?」
ユーカが訝しげな目でこちらを見てくる。珍しい反応とも言えるし、一般的な反応とも言える。
信心深い環境で学んだならば神秘は現実的なものだ。しかし理性を重視する学問を修めていれば、神秘をあるがまま受け入れるのは難しい。
「民間では神秘や魔法の存在が信じられているよな」
「夜になると悪魔が出るとか、魔術で病が治ったとか聞きますね。個人的にはあまり信じていません」
なるほど、理性重視だ。考察や推論を立て、矛盾の解決ができる人間はこの仕事に向いている。だから調査隊へ寄越したのか。
「ほとんどの噂話は俺も根拠のない迷信だと思っている。だが一つ話をしよう。今から十八年前の夏、実際にあった事件だ」
姿勢を正して真面目な顔を作る。本当の話だからいくら観察されても俺の表情は変わらない。さて、俺の後輩はどんな反応を見せてくれるのか、楽しみだ。
「ある商人の男が自宅扉前の路上で死体となって発見された。身元はすぐに判明した」
ユーカの瞳に好奇心の光が宿った。手を膝に置いて肘をピンと伸ばし、前のめりになって聞いている。
意外と肝が太い性格なのか。少し探ってみるか。
「被害者の解剖記録にはこうある。外傷は無し。体内の血液はすべて真水になっていた。胃には限界まで塩が詰め込まれ、両の肺には内側から抉るように獣の爪が刺さっていた。獣の種類は不明」
先ほどまで不信と好奇を繰り返していた顔が見事に青ざめている。いきなりこの話をするのは失敗だったかな。
「当時の衛兵が捜査をしたものの結局何もわからずだ。だが三人の学生が事件に興味を持ち、独自に捜査を始める。そうして学生達は被害者の自宅で、不思議な模様が描かれた独楽を見つけた」
今度は思案顔だ。表情がころころ変わってわかりやすいな。可愛いやつめ。
「学生の一人が何の気なしに独楽を回した。別の一人がその様子を傍で見ていた」
深く息を吸いながら記憶を整理する。
「独楽を回した学生は、人の皮膚に覆われたムカデのような生物を吐き出して意識を失った。もう一人は突然走り出し、土間で自分の身体に火を着け死亡」
「あのっ、ちょっと待ってください!」
顔が近い。近い。
「その話は三人目の学生による目撃証言でしょう? 信憑性はあるんですか?」
「三人目の学生は俺の兄だ。当時五才の俺も、兄に連れられてその場にいた」
そう。間違いなく、これは実際にあった事件だ。兄と俺が直接体験したことだから信憑性は高い――と思う。
「俺達兄弟は衛兵に報告、三日後には識者が集められ実験が行われた。実験記録の写しはここにもある」
俺は書棚の左端にある報告書の束を掴み、机に乗せた。
束の一番下にある書類を引き抜いてユーカに手渡す。調査隊に残る最古の調査記録だ。書類にはこう書いてある。
一、魔術学者一名が検査を実施。人選は当人の志願によるものである。
独楽の回転開始から停止までの間、被験者に異変あり。異変は約一分間継続。測時には水時計測を用いた。獣爪が被験者の内部から胸部及び前頚部を貫通。肋骨の露出を確認。被験者は間もなく死亡した。
二、解剖により、計八本の獣爪を確認。すべて茶褐色で湾曲形。獣爪は『証拠品、一』と同様に思われる。最小で成人の手の小指ほど、最大で成人の腕と同長であり、被験者の心臓に獣爪の爪根が認められる。
臓腑一部が変色し、腸の大部分が消失、発見できず。
三、以後、当該品の独楽をけっして回すことなかれ。王命である。
「この《獣爪の独楽事件》がきっかけで調査隊が結成され、現在に至るというわけだ」
上げ下げ窓を開いて空気を入れ替える。
昼下がりの通りは買い物客で溢れ、道行く人達の世間話と雑踏が聴こえてきた。涼しくなってきたな。首筋を風が通り抜けて気持ちが良い。
「独楽は一体何だったんでしょう?」
「南方の島に伝わる祭具だ。独楽を回転させると、表面に描かれた模様の残像に魔法陣が現れる。祈祷師が魔法陣を使って、自身に神霊を憑依させ託宣を行う、というものなんだが、独楽自体は現地の土産屋にも売っている」
「それってすごく危ないのでは……」
「不思議な現象を起こすのは、現場にあった当該品だけ、だそうだ」
「誰かがわざと作ったものなんでしょうか?」
「作為や意図があったのか不明だ。現在も調査を継続しているが、何もわかっていないんだ」
今、嘘をついた。
十八年の調査で判明したことがたった一つだけある。当該の独楽を作ったのは、人間ではないことが判明している。
「事件の証拠は残っているんですか?」
もちろんある。ああ、あるとも。
「倉庫に独楽と爪、ムカデっぽい謎生物の薬液漬けがあるぞ。見に行くか?」
「いえ! 結構です!」
不思議道具が積まれた地下倉庫は俺にとってワクワク素敵空間なんだが。
調査隊では、この不思議道具を総称して“遺物”と呼んでいる。ちなみに、ガラス瓶に入った薬液漬けの謎生物は、指で突くとたまに動く。
「でも、何故騎士団が神秘の調査をするんでしょう? 市井の学者に任せればいいのでは」
「遺物の中には厄介なものもあるんだ。流行り病のように伝染するもの、人心を操るもの、強力な兵器に転用できるもの」
前々回の任務では山の地形を変えてしまった。誰にだって失敗することは、ある。
「調査隊が結成されてから向こう、他国でも同じような組織が作られてな。諜報員の間では既に神秘の奪い合いが起きているそうだ。近頃は窃盗団や外国の宗教組織まで首をつっこんでくる」
戦闘の可能性もありそうだと聞いたユーカは、唇に手を当て考え込んでいた。真剣な横顔は第一印象よりもずっと大人っぽく見える。やはりこの娘も、国を守る騎士の一人なのだ。
「リート! いますか! あ痛っ」
詰所の窓から顔を覗かせたのは、我が隊が誇る“逃げ足副隊長”、補佐役のアンルカさんだ。
陶磁のバレッタで雑にまとめた茶髪が窓に引っ掛かっている。
かつては頭脳派でならした文官志望だったが、何の因果か、騎士団に勧誘され調査隊へ配属された。
甘党かつ酒好き、しかし絡み酒なので飲みに誘う男は少ない。
「ユーカさんもいますね。お待ちかねの初仕事です」
王都の北地区、川に面した通りの古い一軒家に見知らぬ少女が現れるという。
その家に住む若い夫婦はある夜、寝台に横になると突然傍らに現れた少女に驚いた。夫婦が声を出せずに固まっていると、目の前で少女がぱっと消えた。
すわ幽霊だと夫婦は恐ろしくなり、靴も履かずに家を飛び出したのだという。
そんなことが幾晩も続き、あまりの恐怖に寝るに寝られず夫婦は憔悴していった。
引越しができるほどの金はない。しかし夜になるたび、怖い思いをするのでどうにも困っている。
現れては消える不気味な少女の幽霊は、まだそこにいるのだ――
「イーッヒッヒ、というわけで、リートとユーカの二人は調査に向かってください」
「アンルカさん、その物語調の説明やめません?」
「あら、わかりやすくていいじゃない」