願いの跡継ぎ
無事一人も欠けることなく王都に戻った俺達は、そのまま任務完了となった。
欠けるどころか、俺の背中に一人増えているのはさすがに予想できなかったが。
新人達はサーラ先輩、ウィネットさんと共に解体したローブを馬車に乗せ、一足早く王城地下倉庫へ運んでいった。
俺とユーカは報告のため、事務所へ向かう途上である。
「大きくてきれいな街じゃの」
「グラスランドという名前の街だ。アトリアナが住んでいたのはどんな所だ?」
「アトリと呼ぶがよい。わしはロンダーンという村の出よ。あの島……山に居を移したがの」
この辺りが海で、ロンダーンが村だったのはどのくらい昔だろう?
地名がそのまま残っているし、言葉が通じているのだからせいぜい数千年ということになるが。
せいぜい、じゃないな。数千年も経っている、だ。
人の身には長すぎる時間である。
隣で歩くユーカが口を開く。
「あの、もしかして、アトリさんって神様だったりするんですか?」
「何のことじゃ? わしは歴とした人であるぞ。そんな大それたものではない」
「でも巨人だったんですよね?」
「そうなるかの。珍しい種族じゃったが昔はあちこちにでかいのがいたぞ」
巨大生物の伝説はいくつも残っているが、現存を確認できるものはそう多くない。
それでも、海で巨大な魚を見たとか、砂漠で巨大な蛇を見たなんて話が毎年報告されるので実在の信憑性は高いとされている。
残念ながら、どれも調査隊が請け負う内容からは外れるので、俺達が出動して巨大生物を発見することはない。
人食いの生物だったら騎士団に出動要請がくるんだけどな。
「化物退治をしたと言っていたが」
「うむ、退治したのはカロウルという竜じゃ。でかくてしぶとい奴じゃったー」
「毒蛇じゃないのか?」
「そう言われると蛇だったような気もするのう……」
竜の実在を証明するのも難しそうだな。
元は巨人だったとはいえ、こんな小さく軽い女の子が化物退治とはいまいち想像できない。
物理的な殴り合いではなかったのだろうか。
「魔法を使えるのか?」
「わしに魔法は使えん。あの布に魔法をかけたのは、わしよりずっと昔の時代に生きた魔法使いの女じゃ。確か、レスタナといったかの」
おお……、歴史の真実を垣間見てしまった。
アトリが元いた時代、レスタナはただの魔法使いとして伝わっていた。
ところが現代では、国名になるほど立派な神の一柱だ。
それを踏まえると俺が背負っているこの娘も、慈愛の神アトリアナ本人かもしれないな。
魔物からこの地を守ったという逸話が後世に残った結果、いつしか神として奉られるようになったと考えれば成り行きとしては自然である。
兄貴の所へ連れていったら拝まれそうだ。
「カロウルを倒すのに魔法のローブを使った、ということでいいのか?」
「そうじゃ。わししかローブを着れる者はおらんかった。それに、……カロウルが撒き散らす毒で不漁不作が長く続いての、ひどい飢饉で大勢の人が死んだ。友を失った者、子を失った者、皆が大切な者を失った。わしもそれを見ながら、何日も食えずに死を待つだけの身じゃった。じゃが、わしがカロウルを退治して肉が手に入れば、残った者は皆助かる。ちょうどよかったんじゃよ」
アトリの話を聞きながら、俺は石碑に残された民話の最後の一節を思い出していた。
――“大きな人は毒蛇を食べて眠りについた”
ずっと不思議だった。
魔法で意識を失い、残された意志を遂行するだけの身だというのに、『食べた』とはどういうことなのか。
カロウルの肉を食べて命を繋いだ人々は、自分達を救ったこの娘にも食べさせてやりたいと、強く願ったのではないか。
どうか、お腹を一杯にして安らかに眠ってほしいと、祈りを捧げたのではないか。
民話を後世へ残した人々の切実な願いが、胸の張り裂けるような想いが、この短い一節に詰まっているように思う。
俺の背中にいる小さな英雄は、やはり慈愛の神だ。
例え事実とは違っていても、俺はそう信じる。
調査隊事務所が、通りの先に小さく見えてきた。
道の向こうから来た王城で働く通いのメイド達が、夕飯の話をしながら俺達の横を通り過ぎていく。
子供の手を引く母親が大きな編み籠を片手に立っていると、男が近付いて子供を抱え上げた。
仕事を終えた父親を迎えに来ていたようだ。
絶えない人々の流れを目で追いながら、アトリは小さな声で呟く。
「人がたくさんいる街じゃ。もうすぐ夜が来るというに、皆笑っておる」
「ああ」
「この中にわしの知り合いは、もう、一人もおらんのじゃな」
「そうだ」
「リートさん!」
アトリはひとりぼっちで、この時代に復活した。
人々との間に結ばれた絆を、過去へ置き去りにしてしまった。
厳しいようだが、これが現実だ。
しかし、縁という名の頼りなく細い糸は切れることなく、俺達へしっかりと結ばれている。
「ここにいるのはみんな、アトリが救った人たちの子孫だ。もちろん俺とユーカもな」
「……そうか、わしが救った……」
アトリはもう一度「そうか」と呟いて、俺の首へ回した腕に少しだけ力をいれた。
表情は見えないが、きっと悲しいだけの顔ではないはずだ。
アトリが残した意志は、もしかしたら、大切なただ一人の存在を守るというありふれた願いだったのかもしれない。
だが、その意志は長い時を越え、今もこの国に生きる人々の命を繋いでいる。
それなら、この小さな英雄を賞賛するのは俺の役目だ。
大昔に生きた、ご先祖様の願いを俺が継ごう。
それがいい。
「何か食べたいものはあるか? この街にはうまい食い物がたくさんあるぞ」
「ほう! それは良いことを聞いた。まず肉じゃな! 果実も良いのう、ふふふ」
二、山の異変と魔法遺物、了