魂の解放
「ギュウォード君からよくデートに誘われてたよ。でもねー、同じ部隊の先輩だったしねえ。ヒゲも生えてたし」
なんだと! 騎士団長はウィネットさんに惚れていたのか!
サーラ先輩も興味津々な様子でもじもじしている。
ほら、ユーカさん、もっとつっこんで!
「団長のことは好きではなかったんですか?」
「好きだったしすごく格好良かった。だけど何か違うなーってね。一緒にいたら疲れそうじゃない? ヒゲだし」
ヒゲに何か深い意味が!?
隣に座るサーラ先輩にこっそり耳打ちをする。
「先輩、ヒゲってダメなんですか」
「わかるわけないじゃないかそんなこと」
現在、現場の谷でローブの切断を終え、昼の休憩中だ。
実際に布を切ってみるとかなりの量で、調査隊の四人だけでは運べそうにない。
騎士団の新人を五人も借りられたのは僥倖だった。
この人数なら、少しばかり大変だが一度に持って帰れる。
新人達は巨人の骸骨を見て、さすがにおっかなびっくりといった様子だったが、作業は滞りなく進み、あとは目の前でうつぶせに寝ている巨大な躯をどうにかするだけだ。
「ユーカちゃんとサーラちゃんもね、相手は一緒にいて楽な人を選ぶといいよ。どうせ恋の熱なんてすぐに冷めるんだから」
「そういうものですか」
「そういうものです。子供ができたら旦那のことなんかどうでもよくなるしね、あっはっは」
世の父親達には少しつらい発言が飛び出したが、俺は知っている。
ウィネットさんが再婚しないのは、亡くなった旦那さんのことを今でも大切に想っているからだ。
息子達を残してくれた旦那に最高の感謝をしていると、そう言っていた。
恋の熱は冷めたが、まだしっかりと愛情が息づいているのだ。
この性分が周囲に良い女と呼ばれる理由なんだろうな。
俺達がこんな暢気にしていられるのも、前日カラウ山麓の集落にある、鉱山組合所有の休憩所に泊まることができたからだ。
鉱山組合に掛け合ってくれたランジャック隊長のおかげである。
このまま予定通りに作業が進めば、今日中に王都へ帰れるのでまだまだ余裕があるというわけだ。
有能な上司の下で働けるというのは幸福なことであるなあ。
さて、いい加減、女達の話を切り上げて作業を進めよう。
本番はここからだ。
「サーラ先輩、これからどうするんですか」
「大丈夫、ちゃんと準備してる」
そう言って鞄から取り出したのは、黒曜石の短杖だ。
俺が神殿遺跡の奥で、使者の像の呪いを受けながら確保した遺物である。
使い道は……まだ聞いていなかったな。
「それ、俺が持ってきたやつですよね?」
「うん。この杖の正式名称は『ラクワナの杖』という。リートならもうわかったんじゃないかな?」
大体予想はついている。
ラクワナ、とは古語で『門扉』を意味する。そして冥界の使者、死神が持っていた杖なのだから使い道は一つ。
死んだ人間の魂を冥界へ連れていくためのものだ。
立ち上がったサーラ先輩は手を叩いて皆の注目を集めた。
「はい! これから、この躯に留まっている魂の解放を行うよ」
そういって新人五人と俺達を、躯を取り囲むようにバラバラの位置へ立たせた。
「その場から動いちゃダメだよ。あと新人君達は目を瞑っておいた方がいいね。……何があっても動いちゃダメだからねー!」
騎士団の新人達は周りをきょろきょろと見渡し、困惑している。
いきなり魂の解放と言われても、わけがわからんよな。
「サーラ先輩の言うことは聞いておいたほうが得だぞ」
ぎゅっと目を瞑る新人達。
大変素直でよろしい。この件が切欠で騎士団を辞職しなければ良いのだが。
おっと、一応こちらも注意しておこう。
「ユーカ、これから色々起こるが、すべて幻影だから問題ない。怖くなったら目を瞑って耳を塞ぐといい」
「え!? 何かあるんですか?」
それじゃいくよー、とサーラ先輩が杖を掲げた。
そのまま杖の先を骸骨の額に当て、何か文字をなぞっている。
空気が変わった。
鳥達が羽ばたき、慌てて山向こうへ飛び去っていくのが見える。
大合唱していた虫の鳴き声がぴたと止み、山の動物達も息を潜めた。
黒い色ガラスを透かしたように視界が暗くなり、生ぬるい風が頬をなでた。
俺が立つ横を、何かおぞましいものが通り過ぎる気配がする。
「うわ!」
谷全体を異質な何かが支配しており、存在の気配が徐々に増えてきた。
身体の底から湧き上がる根源的な恐怖。
後ろから、乾いた硬質なものに右足首を掴まれる。
左耳のすぐ後ろから男のうめき声が聴こえた。
「きゃっ!」
ユーカは耐えられなかったようで、目と耳を塞いだ。
俺の方は不測の事態に備え、感覚を遮断するわけにいかない。
何かあれば、この場にいる全員を守る必要がある。
怨嗟の声が遥か遠くからありえない速度で近付き、耳元で叫ぶ。
肉の腐臭が鼻を突いて、顔をしかめた。
何十という手が、俺の身体にすがりついて指を動かしている。
冷たく黒い何かが身体の中を通り過ぎると、手は一斉に俺から離れた。
不意に、首筋に暖かい息が掛かる。
顔のすぐ横で、何者かが口を大きく開け、俺をじっと見ていた。
「ユーカ、もう目を開けても平気だぞ」
視界は徐々に光を増し、身体が暖かい初夏の空気に包まれる。
巫女の躯の上には一際眩い輝きを放つ、小さな光が浮いていた。
「リートさん、今のは何だったんですか?」
「現世と冥界の狭間とされているものだ。俺達は冥界に繋がる境界にいたんだ」
「……されている、ということは違う可能性も?」
「ある。だが、あの世界に迷い込んだ者達の証言から、おそらく冥界で間違いない」
俺達が体験したあの世界へ迷い込んだ者は皆、共通の証言をしている。
最初に闇と悪霊、次に川と渡し舟、最後に川の向こう岸に立つ、死んだ肉親や友の姿を見るのだそうだ。光にあふれた向こう岸からは、花の香りがするのだという。
俺達が立たされた場所は、魔法陣の線の交点になる場所だ。
皆の間に引かれた線が境界になり、冥界へと繋がった。
冥界の入口には現世へ戻ろうとする悪霊が大量に漂っていて、たまに現世へ来てしまう奴もいるから困ったものである。
だが実体のない霊達が、実体を持つ俺達に危害を加えることは難しい。
肉体を持たないということは、力を持たないことと同義なのだ。
「サーラ先輩、これで終わりですか?」
「うん、いや、……あれ? おかしいな。魂が留まっている」
躯の上には小さな光がまだ輝いている。
あれが巫女の魂でいいのか?
「手順を間違えたんじゃないですよね」
「うん、手順は完璧だったよ。……何か基本的なことを見落としたのかもしれないね」
基本的なことか。
もし、そうなら俺も見落としている可能性がある。
ユーカと王都を周ったあの日から、見たこと、聞いたこと、その中に手掛かりがあるはずだ。
この辺りが海だった遥か昔、連峰に住む巨人の巫女が、やってきた魔物カラウと争った。
魔法のローブを着て意識を消失した巫女は、魔物カラウを倒して眠りについた。
それから、何かの拍子に谷底の土砂に埋もれ、長い時間が過ぎる。
現代になり、再び魔法が動き出して今回の異変が起きた。
そうだ。
どうして忘れていた。
巫女は死んでなどいない。不死の魔法で意識を失い、眠りについただけだ。
蘇った死者でもないし、そもそも死んでいないのだから冥界へ行くはずがない。
身体がどう見ても骸骨だから、てっきり死んだものだと思い込んでしまった。
「先輩、巫女はまだ生きていたのかもしれません」
「ああ、なるほど、それなら合点がいくね」
ははは、と二人で顔を見合わせ大笑いをした。
笑い事じゃねえ。どうすんだこれ。