騎士団長ギュウォード
あー、緊張する。
深呼吸だ、深呼吸。
ランジャック隊長に話を通してから、兵士長に挨拶、守衛隊長に伺いをたて、近衛隊長に頭を下げ、どうにか王城二階の騎士団長室へ辿り着いた。
規律厳しい縦社会において、要人と面会するという行為は大変面倒なのである。
そもそも、まだ命令が下っていないのだから、面会する必要はまったくない。ないのだが、ユーカに上への接触方法を教えるため、一通りやってみせた。
こうして根回しをしておけば、つまらない会議を開いたり、何日も許可を待たなくて済むのだ。先達の知恵である。
「失礼します。万象調査隊、リート、ユーカ参上いたしました」
団長室には高級な調度品がいくつも見て取れる。
我が調査隊の隊長室とは雲泥の差だが、書類の山が築かれている所は似ているな。うわ、絨毯がふかふかだ。さては買い換えやがったか。
目の前には執務机で書き仕事をしている一人の中年男。綺麗に頭を刈り込んだ、立派な口ヒゲのギュウォード騎士団長閣下だ。
不精ヒゲに見えないのは何故だろう。毎朝、長さを揃えているんだろうか。
グラスランド衛兵騎士団を率いる騎士団長ギュウォードは廉潔で有能、団員の信頼を一身に受ける、それはもう素晴らしい男である。
もちろん俺も尊敬しているが、隙が無さすぎて少しだけ苦手だ。
……この前叱られたし、年齢も親父と同じくらいだし。
「来たか、我が騎士団が誇る最新鋭戦略兵器よ。……ここへユーカが来るのは叙任式の日以来だな。リギン殿にはいつも世話になっている」
低く力強い声が、豪勢な部屋で反響した。
「ふふっ、祖父もお元気かどうか案じておられました。また、お酒をご一緒したいと」
そうか、ユーカは剣豪の孫だから元々知り合いなんだな。
なんで笑ってんのユーカさん。
「今日はカラウ山の異変についてお伺いに参りました。ギュウォード団長は何かご存じでしょうか」
物怖じせずにユーカが話を切り出した。すごいな、さすが剣豪の孫。
俺みたいな小物にはずいぶんと頼もしく見える。これからは先輩面するのを少し控えるか。
「うむ、話は聞いている。報告は一通り目を通したが……気になるのはこれだな」
団長がこちらへ一枚の書類を見せてくれた。
書類には、“カラウ山第二渓谷で発生した事象について”とある。
測量の部隊がカラウ山第二渓谷そばにある小川の畔にて野営中、荷物持ちをしていた人夫の少年がおかしなものを目撃した。
早朝、少年は一人、野営地を離れて用を足していたら谷の底に白いものを発見。霧が煙っていたがよく見えた。曰く、あれは巨大な人骨である。
翌日の夕刻ごろ部隊員三名が作業中、茶色の何かが谷から空へ向かって生えるのを目撃、丸太を打ち合わせたような鈍い音が聴こえた。部隊が恐慌状態に陥ったため、隊長権限で即座に下山を発令。確認には人員足りず日程の変更はなし。調査を継続するならば支援されたい。
「通常なら調査の必要なしとして処理するんだが、組合からもカラウ山の異変報告が届いているからな。さすがに無視できん。……リート、神秘が絡んでいると思うか?」
「それはまだわかりませんが、調査隊が扱うべき案件だと愚考いたします」
「うむ、ではその報告書を命令書と一緒に持っていけ。ランジャックとサーラに目を通してもらうように。測量の部隊はもう引き上げているから、現場の引継ぎはいらん」
新たな情報が出てきたな。
しかし、“巨大な人骨”ときたか。見間違いであって欲しいが、報告が真実ならば重要性は高い。
自然現象の調査をするつもりでいたが、考えを修正しなければならないな。
「山道の整備を開始するのは十日後だ。それまでに終わらせないと面倒だぞ」
そうだった。そのための測量だった。
道の整備は人海戦術で行うので、とにかく費用がかかる。王都内であれば経費を圧縮できるが、今回は大部隊が山へ出張だ。整備が始まると、間違いなく近衛や俺達調査隊へ皺寄せが来る。
そうなれば追加の調査費は、絶対に、レスタナ神とアトリアナ神に誓ってもいい、絶対に出ない。
解決が遅れれば、次の予算会議まで調査は先延ばしである。次の予算会議は二ヵ月後。
もしも緊急の案件だったなら自費で賄うはめになるのだ。
仮に費用が不足しても持ち出しはしない、と心に決めた。なるべく焦らずに急ごう。
戻ろうと扉に手を掛けたところで、団長に呼び止められた。
「カラウ山には伝承が多い。噂話だけでも、異界へ繋がる門があるとか、魔物が住んでいるとか、古代の宝が埋まっているなんて話もある。気を付けろよ」
「伝承も恐ろしいですが、俺は熊の方が恐ろしいですよ」
「ははは、もっともだ。まあ、とにかく二人とも気を引き締めて任務に当たれ。良い報告を待っている」
了解です閣下殿。