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怪奇!衛兵騎士団調査報告  作者: 菊介
十七、開封厳禁
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さらば、遊蕩の日々


「サフタ! あとは留め具を外せばいいんだな!?」

「おうよ! ふたは重いだろうから気ぃ付けれ」


 俺、ユーカ、ランジャック隊長、そしてサーラ先輩の四人で、事務所の入口土間に置かれた鉄の箱を囲んでいる。事務所の外には職人サフタとアンルカさんが待機しており、ガラス越しにこちらを見ていた。雪がしんしんと降り積もる中、午後の寒さに震えているようだ。


 今朝、箱を開けられるようにしたとサフタから連絡があり、工房へ取りに向かった。俺としては王城地下倉庫で開封する予定だったのだが、王城に何かあってはならないというサーラ先輩の進言により急遽事務所へ場所を移した。仮に影響が出ても最小限で済むように、という考えだ。すでに事務所周囲の避難は完了している。

 ランジャック隊長が口を開く。


「事務所の窓はすべて密閉した。出入りできるのは入口だけだから、逃げる際は落ち着いて行動するように」

「了解」


 もしも兵器の類が入っていたら、ただちに問題はない。罠や毒物が入っていたら、すぐにふたを閉める。ふたを開けた瞬間に爆発でもしたら、どうしようもない。その時は一巻の終わりだ。

 サーラ先輩が一歩前に出て、箱に触れた。


「火薬や燃料は時間が経てば変質するんだ。だから爆発する可能性はほとんどないよ。……中に入っているのが遺物でなければね」


 要するに遺物なら何が起きてもおかしくないということだ。

 せめて死の瞬間は自覚しておきたい。この仕事を選んでから死ぬ覚悟は常にしているが、何もわからないまま死んでいくのはごめんだ。

 箱の横に立ち、ふたに手をかけた。反対側のふちにユーカが手をかける。


「ユーカ、準備はいいか?」

「はい。……リートさん、逃げるときはおかしです」


 おかし? こんな時に菓子の話でもするのか?


「“おさない、かけない、しゃべらない”です。昔、避難訓練でやりました」

「ああ、あれか。……“おいてけ、かまうな、しかたない”じゃなかったっけ?」


 ランジャック隊長が呆れた顔でこちらを見てくる。


「馬鹿なこといってないでさっさと開けろ」


 留め具を外し、三、二、一、の掛け声でゆっくりとふたを開く。引っ掛かりや手ごたえはない。仕掛けはなさそうだ。徐々に見えてきた箱の壁面は、かなりの厚みがある。おそらく側面から穴を開けても貫通させるのは難しかっただろう。


 そのままふたが垂直になるまで持ち上げた。目立った変化はない。

 箱の中を覗く。内部は黒サビで覆われており、隅には赤サビも見える。……空だ。いや、違う。底に何か小さなものがある。


「これは、……ネズミの死骸か……?」


 全員が寄ってたかって箱を覗いた。箱の底にあったのは、灰色の毛玉のようなふっくらとしたネズミの死骸である。妙な違和感はあるが、特におかしな点はない。

 俺がふうと息をつき緊張を解くと、サーラ先輩が叫ぶ。


「すぐに閉めて!」

「先輩、どうしたんですか?」

「何十年も前の死骸が、干からびてもいない、白骨化もしていないのはおかしいよ!」

「ユーカ閉めるぞ。ゆっくりだ」


 再びふたに手をかけ、閉めていく。ふたが完全に下りる寸前で、何かが箱から飛び出し床に着地した。


 ネズミだ。生きたネズミだ。死んでいなかった。

 ランジャック隊長が声をあげる。


「逃がすな!」


 咄嗟に、入口の扉に鍵をかけた。ネズミが足元でぐるぐると走り回る。思わず踏みつぶしそうになり、足を上げた。サーラ先輩がローブの裾を持ったまま飛び跳ねる。ユーカが向かってきたネズミを剣の鞘で払いのける。


「隊長、どうしましょう?」

「ネズミを捕まえろ。傷つけるな。外に出すなよ」

「了解」


 ネズミは土間の隅で立ち止まり、きょろきょろと辺りを見渡していた。何十年も閉じ込められていたとは思えないほど元気な様子だ。


「ユーカちゃん、絶対に素手で触らないで。……隊長、第六部隊の出動を要請します」

「わかった。アンルカ! 第六の防疫部に連絡しろ!」


 そういうことか。

 正騎士隊第六部隊は、所属する全員が医療関係者の部隊である。そして防疫部は予防医学や伝染性の高い病に関する専門家集団。つまり、サーラ先輩はこのネズミが病気持ちだと睨んだわけだ。


 ネズミに関わる病気といえば鼠咬症、出血熱、肺水腫、そして黒死病。どれも重篤な症状を引き起こす、致死性の高い病である。

 そしてネズミはいまだ活動している。水も餌もなく、完全に溶接されて空気すら入りこまない箱の中でネズミは生きていた。これは遺物だ。過去の騎士団が“悪魔”と例えても不思議じゃない。


「ユーカ、菓子の袋を持っていたよな。それを使おう。あと紙箱も」

「はい。紙箱は詰所にあります」


 ネズミはまだ土間の隅でうずくまり、辺りを警戒している。

 足音を立てないようそっと踏み出し、土間から上がりへ、上がりから廊下へ、廊下から詰所の扉を開け、中へと入った。詰所の机に置かれた紙箱を手にする。


「……リート! そっちへ行ったぞ!」


 廊下へ飛び出す。

 ネズミはまっすぐに廊下を走りぬけ、今まさに俺へ飛びかからんとしていた。

 後ろ手に詰所の扉を閉め、紙箱をかまえる。

 助走の勢いのまま、ネズミが飛び跳ねた。


 習慣というのはつくづく恐ろしいもので、正面から小さなものがこちらへ向かってくるとつい避けてしまう。たとえば訓練中、槍や剣を突き出されれば当然避ける。上段から振り下ろし、もしくは下段から振り上げの場合、相手の隙を誘うため受けることもあるのだが、奥から手前に向かってくる武器は横へ避けるのが最良だ。


 そんなわけで俺が無意識に身を翻すと、ネズミが詰所の扉へ、頭から衝突した。

 扉にかけてあったネコのレリーフが衝撃で落ちる。落下して仰向けになったネズミへ追い討ちをかけるように、レリーフの角がネズミの身体へ食い込んだ。「じゅ」と聞いたことのない鳴き声を上げて動かなくなるネズミ。レリーフがぱたりと倒れる。


 素手で触らないよう慎重に紙箱のふたを使い、箱の中にネズミを収めた。


「た……対象を確保!」





 王城の一室に閉じ込められて、かれこれ七日というところだ。豪華な料理や酒を飲み食いし高級な寝台で眠れるのは嬉しいのだが、いいかげん身体が鈍って仕方がない。そしてもう一つ。一日一回、嬉しいやら恥ずかしいやらのつらい作業がある。


「リート様、清浄のお時間です」

「……あ……よろしくお願いします……」


 一糸まとわぬ姿になった俺の身体を、防疫部のメイドが隅々まで拭く。文字通り隅々である。普段隠れている部分とか、そういうところだ。まさかあんなところまで拭くとは思ってもいなかった。初めての時なんかついつい、こう……、まあそれはいいか。


 ネズミ追跡作業によって病に感染した疑いがある、俺、ユーカ、ランジャック隊長、サーラ先輩の四人は王城内で別々に監禁され、防疫部の処置を受けていた。もしも病に感染していたら八日以内に症状が現れるそうだ。


 そういえば件のネズミだが、どうやらまだ生きているらしい。詳細は判明してないが、複数の病原を持っており、中には未知の病原まであるのだという。少なくとも黒死病を持っているのは間違いないと防疫部の人間が言っていた。


「終わりました」

「はい……」


 今まで尻を広げていた両手で下着を身に着ける。今頃他の三人も羞恥の極みに身悶えていることだろう。なんだか妙な連帯感があふれてくるな。


「処置は本日で終了です。お帰りになっていただいて構いません」

「そうか。どうもありがとう」


 もうメイドに身体の隅々まで拭いてもらうことはない。広げたり引っぱったりする必要はないのだ。終わりだと思うと惜しい気がしてくるから勝手なものである。さらば、遊蕩ゆうとうの日々。


 後ろ髪を引かれながら部屋を出ると、ちょうど別の部屋から他の三人が出てきた。ランジャック隊長は予定外の休みを得て顔色が良くなったようだ。ユーカとサーラ先輩は赤面しているせいで本来の顔色がわからない。


「……隊長」

「……ああ」


 俺達の間に言葉はいらない。共につらく恥ずかしい日々を乗り越えた仲である。

 王城から出ると朝の冷たい空気が肺を満たした。ちらちらと降る雪が王都を包んでいる。明るい曇り空を見上げ、ふと疑問が浮かぶ。


「先輩、ネズミはどうなるのでしょう?」

「自然に死ぬまでずっと試験だね。死ぬかどうかわからないけれど」

「死ななかったらどうするんですか?」

「私が飼うよ。地下倉庫の中できちんと管理すれば影響はないからね」


 そうか、もう箱に閉じ込められることはないんだな。はたしてそれが良いことか悪いことか、俺にネズミの気持ちはわからないが、せめて限られた自由を謳歌してほしいものだ。


 サーラ先輩と別れて王城南の橋を渡り、事務所の前へやってくると酒の匂いが漂ってきた。防疫部が事務所全体を酒で消毒したのだ。

 ランジャック隊長が事務所の扉を開くと、よりいっそう強い匂いが鼻をつく。


「リート、ユーカは詰所で待機しろ。俺は報告書を持って本部に行く」

「了解」


 わずか七日ぶりだというのに事務所内部の光景が懐かしい。土間から上がりへ。左を見れば隊長室。上がりから廊下へ。床板がぎしぎしと鳴る。そして廊下の奥に俺達の詰所がある。


 詰所の扉へ手をかけた所で一つ心残りを思い出した。目の前のこいつにずっと礼を言おうと思っていたのだ。ユーカがまだ土間にいることを確認し、聞こえないよう小さく呟く。


「ありがとよ」


 指でレリーフをつつく。レリーフのネコは変わらぬ不細工な顔を見せて、今日も俺を威嚇していた。




十七、開封厳禁 了

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