十七、開封厳禁
詰所の窓に目を向ければ柔らかい日が差しており風もない。雪かきをしている職人や子供達の声が通りに響く、穏やかな朝である。
椅子の背もたれに深く身体を預け、ユーカが淹れてくれた茶を一口すすった。
「んまい」
客に出すための茶をユーカに頼むことはあるが、俺自身が飲むために頼んだことは一度もない。それであるのに毎朝飲み物を出してくれるのだから、その度においしいと伝えるのは礼儀である。一言「ありがとう、うまい」というだけだが、行動を省略してはいけない。今後も付き合っていくであろう仲だからこそ、感謝の積み重ねが肝要なのだ。
「リートさん、これを」
ユーカが紙箱を机の上に乗せた。ふたを開けて中を見れば、横向きのネコを象った陶磁製の小さなレリーフだ。長方形で青白い陶磁の板上に全身の姿が浮き彫りにされており、顔は正面を向いている。レリーフの上辺、両隅に小さな穴が開けられ、紐を通せるようになっていた。持ってみるとなかなかの重さである。
「この飾り、かわいいと思いませんか?」
「……かわいい……のか?」
「西区の商店街で見つけました。かわいいでしょう」
ネコは目を吊り上げ、牙をむき出しにして威嚇の表情をしている。有り体にいって愛嬌のかけらもない顔である。台詞を付けるなら「キシャー」か「フギャー」って感じだ。
ユーカは椅子に座りながら居ずまいを正し、俺に真剣な表情を向けた。
「リートさん、聞いてください」
聞いています、はい、どうぞ。
「コーニさんが、このネコは不細工だというのです」
コーニといえば寮でユーカと同室の女衛兵だ。比較的、まともな感性の持ち主である。
「あー、どちらかといえば不細工じゃないか?」
「そんなことはありません。眺めているとだんだん愛らしい表情に見えてきます。ほら」
確かにユーカのいうとおり、じっと眺めていると可愛く見えて……見え……かわ……。 いや、やっぱり不細工だ。こういった品のことを表現するぴったりの言葉がある。“味がある”だ。ちなみに、なぜレリーフのネコが味のある顔をしているかといえば、実はちゃんと理由がある。
「これは魔除けだからな。かわいいのでは困るだろう」
「魔除け?」
「ああ。悪いものが家に入らないよう扉や窓にぶら下げて使う」
生き物を象った魔除けの装飾は珍しいものではない。動物や魔物、聖人や精霊を象った彫刻を建築に備え付ける風習は世界中どこにでもある。威嚇によって厄を退けるのだ。たとえば外国でいうところのガーゴイルや鬼瓦、船の舳先に付ける女神、竜の彫刻も同様だ。意味合いは多少違うが、どれも安全を願う魔除けである。
「魔除けならば、どうしてネコなのでしょう? 厄払いには少し頼りないような……」
「ネコは、病から人を守るといわれている。歴史で習ったことはないか?」
「歴史……。あっ、疫病ですね」
ネコが多く住む地域は病が流行らないと昔からいわれている。流行り病のいくつかはネズミや、ダニ、ノミなどの生物が運ぶのだという。そしてネコはネズミを狩る。ネコの身体にも虫はつくが、人間が洗い流してしまう。結果、ネコがいる地域は病が流行りにくいというわけだ。
しかし、一度サーラ先輩に「病気のネズミを食べたネコ自身は病気にかからないのか」と聞いたことがある。するとどうやらネコも病気になるらしく、ネズミ同様、病の媒介原因になることがあるらしい。“ネコが多い地域は病が流行らない”というのはあくまで通説であって、いまだはっきりしたことはわかっていないのだという。
「その魔除け、詰所の扉にかけておいたらどうだ?」
「そうですね。そうしましょう」
飾りとはいえ魔除けの品だから、ランジャック隊長に叱られることもあるまい。
ユーカは手早くレリーフに紐を通し、詰所の扉にかけた。外から扉を開けようとすると、ちょうど目線の高さにレリーフがくる。今後、俺達は毎朝ネコに威嚇されながら詰所に入るわけだ。気が滅入るな。
扉を閉めてしばらくすると、隊長室から詰所へ向かう足音が聴こえた。扉の取っ手が回された瞬間、「うわ……、ブサイク」と聴こえた言葉はきっと気のせいではない。
「おはようございます、アンルカさん」
「おはよう二人とも。仕事よ」
私、大工衆の棟梁でして、雪がない間は家を建てたり壊したりしております。つい先日もご立派な紳士から「古い家を壊してくれ」と頼まれました。「冬場はやっておりません」と返事をしたら「倍額を出す」とおっしゃるもんですから、それならやってもいいかと仕事をお受けしたんです。そうして王都の北にある平屋、ま、どうってことない普通の家を潰したんですが、家のガレキの中から鉄の箱が出てきた。大きいけれど抱えれば一人で持てなくもない大きさです。勝手にいじるのもなんですから依頼主に届けると「そちらで処分してくれ」の一点張りでして……。
いやあ困ってしまいました。箱を見ると蓋は完全に溶接されてるし、ご丁寧に“開封厳禁”とまで書いてある。それでまあ箱の大きさからいって、中に死体でも入ってるんじゃねえかと若い衆が騒ぐもんですから誰も引き取りたがらない。製鋼所の連中は「溶かすにしてもまず開けなきゃ話にならん」という。なんとかなりませんでしょうか。
「アンルカさん、話し方が上手になってきましたね」
「でしょう? これでも工夫してるのよ」
アンルカさんから依頼書を受け取る。
依頼書に書かれた文章は固い簡素なものである。よくもまあ、アンルカさんは身振り手振りを交えつつ話を広げられるものだ。軍談師になれるんじゃないか。
「調査隊に仕事が回ってきたってことは曰く付きですか?」
「箱を預かっていた職人が急に体調を崩したそうよ。それで呪いの箱だって話が広がっちゃって、たらい回しになったあげくウチに持ち込まれた」
詰所の床に置かれた鉄の箱は、一辺がおおよそ腕の長さほどある正方形の箱だ。“一抱え”というにはかなり大きい。細かな装飾の間に並ぶリベットが特徴的で、腐食を防ぐためであろう、黒サビに箱全体が覆われており重厚な印象である。ふたの後部に蝶番、前部に留め具が見とめられるものの、ふたの周囲が溶接されており簡単に開きそうにない。
そして箱の上部、ふたの表面に頭蓋骨が二つ浮き彫りにされており、その間にはっきり“開封厳禁”と文字が彫られていた。
なるほど、呪物の一種で“祟りもの”というやつだ。神霊の宿る樹木を切った関係者が数年以内に何人も死んだとか、王の墓を暴いた盗掘人が原因不明の病気で死んだとか、そういった類の呪いである。
呪いとはいうが、実際に話を検証してみればそのほとんどがただの噂だとわかる。
たとえば神霊の宿る樹木の話。
神霊が宿るといわれるほどの立派な樹を切り倒すのだから、失敗は許されない。そうした大仕事をするのは知識が豊富なベテラン達だ。つまり関係者の大半が老人である。数年以内に何人も死ぬのは自然なことなのだ。
次に盗掘人の話。
まず王の墓を暴いたことがある人間がこの世にどれだけいるのか、を考慮する必要がある。たとえば百人いたとして、過半数が原因不明の病気にかかったら呪いの信憑性は高い。しかし一人、二人ならただの偶然だ。
どちらの話にも大事な教訓が含まれている。樹を切り倒したこと。関係者が死んだこと。王の墓を暴いたこと。盗掘人が死んだこと。これらに明確な因果関係はない。無関係の事柄を豊かな想像力によって結びつけただけである。今回の場合、職人が体調を崩したのは偶然である可能性が高い。
「じゃあ俺が開けます。中を確認すればいいんですよね?」
「ええ。問題なければそのまま溶鉱炉行きね」
箱を持ち上げる。ずしりと腕にくる。ふらふらと言うことを聞かない足に力を入れながら、事務所の外にある小さなそりへ箱を乗せた。……さて、どうしようか。
「ユーカ、すぐに箱を開けていいと思うか?」
「思いません。ふたに頭蓋骨が彫られています。これは毒物が入っているという印ではないでしょうか」
図案化した頭蓋骨とは、すなわち死を表現したものだ。たとえば賊が使う旗や毒物のビンに描かれたりする。世界中どこでも通用する表現……とは言い切れないが、少なくとも我が国では死を連想する表現である。要するに“触れたら死ぬぞ”という警告だ。
「まず元の持ち主に話を聞くか」