突入
「……犯人が人狼なら人間を襲っても不思議じゃないな……」
いかん、被害者の父親が目の前にいるのに何を口走っているんだ。馬鹿か俺は。
ユーカが口を開く。
「もしも人狼の習性がオオカミと同じなら、襲うまで時間がかかるはずです」
「そうだな。群れの長が獲物と認めるまで、他の者は丁重に扱うはずだ」
実際にオオカミ達がそんなことをするのかわからないが、ともかくユーカのおかげで助かった。
なんにせよ人狼が犯人である可能性はまだまだ低い。どういった理由でクィーグが誘拐されたのかわからないが、賊にしろ人狼にしろ、時間は残されているはずだ。犯人が、この吹雪の中で船を出すような愚か者でなければ。
「三班から伝令!」
大きな声が客室の中まで聴こえてきた。
うなだれていたエリガンが顔を上げる。
「犯人のものと思われる家屋をシラカバの森で発見、敵の数は五! 至急応援をよこされたし!」
どうやら伝令の人間は相当興奮していたらしく、大声な上にずいぶんと早口である。当たりを引いたか。
「行ってくる。ユーカはエリガンさんのそばに――」
「待ってください! 私も行きます」
そういったのはユーカではなくエリガンだ。俺が馬鹿なことを口走ったせいで、エリガンの危機を煽ってしまったようである。
……仕方ない。少々危険だが、俺達が付いていれば問題あるまい。
王都の西門から正面に連峰を捉えつつ街道を進むと、左手に原生林であるイトスギの森、右手にシラカバの森が見えてくる。シラカバの森の向こうがバナリー川だ。森といっても、人の手が入っているため木々の密度は低く、どちらかといえば林に近い。
街道の左右にはちらほらと家屋が見える。鉱山組合の事務所や金持ちの別荘、それに夏の間、鉱山夫や猟師が寝泊りする場所だ。冬の時期はほとんど使われていないから、賊が忍び込んでいてもわからない。
しかしまあ……、なんというか、ずいぶん賑やかな応援だな……。
「犬ぞりを前へ! 馬は後ろだ!」
犬ぞりを駆る騎士、馬ぞりを駆る騎士、総勢五十三名と二十頭である。俺、ユーカ、エリガンが増えているから実質五十名の捜査員小隊だ。
こんなに要らないのではないかとツィーゼ隊長に聞いたら、戦において数は大事なのだといっていた。しかし、こうも賑やかだと犯人に逃げられてしまうのではないか。
やがて現場に先行していた捜索隊が現れると、全隊がゆっくり停止した。
捜査員が次々とそりを降りていき、手信号で連携しながらあっという間にシラカバの森の中へ散っていく。全員かんじきと白い外套、それに白い布で顔を隠した雪中仕様の装備だ。かっこいいな、俺も顔を隠して仕事しようかな。
こうして馬鹿なことを考えていられるのも余裕があるからだ。今回、俺とユーカに出番はない。連携の邪魔になるからな。
「あれですね」
ユーカが指差した方向、森の中の開けた場所に丸太組みの平屋が見える。街道から丸太の家まで除雪された細い道が通っていた。家屋の壁にはすでに捜査員達が張りついており、周囲を取り囲んでいる。
「あっ、突入しました」
同時に全ての窓と扉を破って捜査員が家屋へなだれ込んでいる。遠くて音は聴こえないが、おそらく「御用改めである! 神妙にお縄に付け!」とか言っているのだろう。
お、出てきた。容疑者達は全員捕縛されたようだ。さすが第二部隊、仕事が速い。
なるほど、容疑者達は頭からすっぽりと毛皮を被っており、ご丁寧に突き出した鼻や獣の耳まで付けていた。遠目には人狼に見えてもおかしくない風貌だ。だが、開いた口元からのぞく肌色はどう見ても人間のそれである。
一人の騎士が容疑者に詰め寄っている。
「さらった子はどうした? どこへやった!?」
「……フネ、ハコブトキ、ニゲタ」
外国なまりの片言を発しながら、犯人が指差したのはイトスギの森だ。
犯人の言葉を聴いたエリガンが突然駆け出す。手首を掴もうと手を伸ばすがすり抜けられてしまった。慌てて後を追う。
「エリガン、落ち着け! 無茶だ!」
エリガンが入っていったイトスギの森は、連峰の山裾に広がる原生林だ。夏ならともかく、雪深い今の時期に入ったら間違いなく遭難する。
しまった。こうなる事態を予想しておくべきだった。何を余裕こいていたんだ俺は。
このまま追い続ければ俺も遭難してしまう。しかしエリガンを一人にするわけにもいかない。
ためらう気持ちを抑えながら、イトスギの森へと踏み込んだ。
視界が最悪だ。舞い狂う雪が目の前に立ち並ぶ木々を霞ませている。風の音が耳に痛い。降った雪はイトスギの葉に阻まれ、地面に積もっている量は少ない。しかしそれでもひざほどの高さはある。もしも吹雪が続いて、さらに雪が積もれば森へ閉じ込められる。
「……リートさ……!」
背後を振り返ればユーカまで追ってきていた。
どうする? まだ引き返せる距離だ。ユーカを巻き込むのか。前を進むエリガンの足跡は、吹雪にさらわれあっという間に消えていく。見失ったら追うのは絶望的だ。どうする?
俺が迷っている間にも、白い嵐の向こうでエリガンの姿が小さくなっていく。
……優先順位を間違えるな。
民の安全を守るのが騎士の仕事だろう? そのために俺達は厳しい訓練をしてきたはずだ。落ち着け。遭難時の生存方法は覚えている。近くには第二部隊の精鋭達だっている。ここは前進の一手だ。
ふと、前方にいるであろうエリガンの姿を探そうとして、おかしなことに気付いた。雪上に付けられた足跡がまっすぐなのだ。
目を開くだけでもつらい嵐の中で、完全に方向が定まっている。途中、木をいくつも迂回しているというのに足跡が寸分もぶれていない。他に進みやすい開けた道があるのに、わざわざ狭い木々の間を抜けている。
まるで目的の場所がわかっていて、最短距離で進んでいるような足跡だ。
足跡を慎重に追っていき、やがて一際大きなイトスギの下へ出ると、そこに男の子を強く抱きしめるエリガンの姿があった。
「クィーグか!?」
男の子はエリガンの肩越しにこちらへ視線を向け、うなずいた。力ない表情だが意識がある。
まだ間に合う。足跡が消え失せてしまう前に戻らねば。
「エリガンさん、急いで戻りましょう。クィーグを暖めなきゃいけない」
「はい!」
俺の外套でクィーグを頭の先まで包み、背負った。追いついてきたユーカに腰の剣を預け、再び足跡を辿る。顔を上げて周囲を確認するが、見えるのは吹きすさぶ風雪とイトスギだけだ。どの方向も同じような景色が広がっており、自分の感覚が信じられなくなる。
数十歩進んだところで辿ってきた足跡はただの窪みへと変わっていき、やがて完全に見えなくなった。積雪が予想していたよりもずっと早い。
訓練を思い出せ。目指す方角へ直進すればいい、と考えてはいけない。
人間の歩幅というものは左右の足で微妙に違う。目印が何もない状態で歩けば、直進しているつもりでも左右どちらかへ曲がる。
高い方へ移動しろ……は、違うな。あれは山の生存法だ。
切り株の年輪で方角を探るのもダメだ。あれは俗説である。年輪の幅など森の環境によっていくらでも変わるし、イトスギは常緑樹だから一年を通して周囲の影響を受け続ける。光が当たらない場所は年中当たらないということだ。
ある程度確実なのは、太陽や星の位置で方角を探ることだ。しかしこの吹雪、いつ止むのか全く予想できない。
本来であれば、遭難した場所から無闇に動くのは悪手だ。森の外に味方がいるのだから、雪を掘って風防を作り救助を待つのが最善である。しかし今回の場合、身体が冷えきったクィーグもいるし、燃料がないから火を起こせない。急いで戻らなければ命に関わる。
露出していた頬が痛みで痺れてきた。すでに鼻先の感覚はない。外套を脱いでいるから身体が急速に冷えていくのがわかる。ただ背中に感じるクィーグのわずかな熱が、俺を突き動かしていた。
一旦周囲の状況を把握しようと立ち止まると、エリガンが口を開く。
「私に任せてもらえませんか」