ワー
誘拐されたクィーグの父親エリガンの訴えにより、急遽捜索隊が組まれた。捜索隊の本隊は正騎士隊第二部隊だ。ツィーゼ隊長が率いる精鋭達である。
一方、俺達調査隊は事件の手がかりを求め、人狼に関わる情報を集めていた。
「ランジャック隊長とアンルカさんは騎士団本部へ、ヘクスさんとキアフットさんは聞き込み、ウィネットさんとニラックさんは捜索隊に参加されるそうです」
「なあユーカ、俺も捜索隊に参加した方がいいんじゃないかな?」
「命令ですから」
誘拐事件発生の緊急事態であるが、俺とユーカはサーラ先輩の書斎へ来ている。ツィーゼ隊長から「いつも通りのやり方で調査を行え」という命令を受けたからだ。信頼してくれるのは嬉しいが、買いかぶりすぎではなかろうか。それとも逆か? まさか信頼されていないのか俺?
「先輩はどう思います?」
「人狼ねえ……。正直、存在は疑わしいと思っているね」
聞いたのはそっちの話ではないのだが、まあいいか。
いつも通りの黒いローブ姿でサーラ先輩は腕を組みなおした。外は吹雪だというのに書斎の内部は暖かい。厚着していた制服を脱いでしまうほどだ。
「やっぱりそうですよね」
人狼、狼男は、世界各地のオオカミが生息している地域に昔から伝わる獣人伝説だ。人がオオカミに変身して人を襲うのだという。満月を見るとオオカミになってしまうのだ、とか、いやいや自由自在に姿を変えられるのだ、など細かい伝説を挙げればキリがない。そしてお子様からご年配まで幅広く知られている有名な話である。
ただし調査隊員の見解では、“伝説の大部分が人の手による創作である”という点で一致している。
古代、畑を荒し人を襲撃するオオカミは、身近な悪しきものであった。そして同時に、群れで巧みな狩りを行うことから知性と勝利を体現する動物でもある。古代の戦士が自身に箔をつけるため、「私はオオカミの末裔だ」と自称したことは過去の文献にも残っている。
それが何を意味するかといえば、捕食者に対する恐怖だ。人にとって、オオカミとは大自然と畏れの象徴なのである。
「リートさん、有名な伝説なのに創作なのですか?」
無意識にサーラ先輩の真似をしたのだろうユーカは、腕を組んで首をかしげた。あまり見ない姿だから新鮮だな。慣れていないせいか腕の組み方をちょっと間違えているぞ。
「伝説には由来がある。昔、オオカミに咬まれて精神に異常をきたす者がたくさんいたんだ。その言動が獣のようになることから、“半人半狼になってしまった”と昔の人は考えた」
「神秘に関係しているのではないのですか?」
「関係ないぞ。ただの病気だ」
人狼伝説に共通しているのが、普通の人間が人狼になる、という点だ。たとえば魔術、呪い、祟りによって後天的に人狼へ変化してしまう話が数多く残されている。これは他の魔物や怪異の伝説にはあまり見られない特徴である。
王都にもやはり同じような話が残っている。物静かな若者がある日突然「俺はオオカミだ」と叫びながら獣のように暴れまわったのだという。しかし後年の研究により、原因は麦角中毒だと判明している。古いライ麦パンを食べて病気になり、妄想にとらわれてしまったというわけだ。
「でも各地に人狼の話が残るのは不思議ですね……」
「そうだな。米を食べる地域にも話が残っているから、きっと麦角中毒以外に複数の要因があるんだろう。ちなみに外国ではオオカミのことをウルフという。山のウルフとか森のウルフという言い方をする。そして人狼はワーウルフだ」
「ワーウルフですか?」
「ワーのウルフだ」
「ワーのウルフ」
ワーってなんだろう。
まあいい、とにかく捜査を進めなければ。
「では先輩、人狼が言ったという“バーチ”、あるいは“バース”という言葉に心当たりはありますか?」
「ふむ……。外国の言葉でカバノキやカバの木材、カバの森のことをバーチとかビョークというよ」
この辺りでカバノキといえばシラカバだ。王都でも流通している一般的な木材で、家具や食器、食品に利用される。日当たりの良い開けた場所で育つ落葉樹である。
そして王都周辺でシラカバの森といえば、連峰へ向かう西の街道の途中、北を流れるバナリー川沿いにある。街道のそばだから雪深い今の季節でも向かうことは可能だ。賊がねぐらにしていてもおかしくない。
「特捜に報告しておくか。ユーカ、行くぞ」
椅子から立ち上がり、ふと隣を見ればユーカが不満げな表情を俺に向けた。まあ、何を考えているかは大体わかる。
「納得いかないか?」
「……はい。いくら大昔からある伝説といっても、ただの創作話が世界中に広がるとは思えません」
ユーカの言うとおりだが、残念ながら人狼の実在をしめす証拠はほとんど残されていない。残っているのはどれも文献だ。中には人狼の牙とされている物証もあるが、オオカミの牙と区別がつかない。
「もちろん創作であるという確証もない。ユーカが自分の目で確かめて、事実をしっかり見極めてから答えを出すといい」
「わかりました」
書斎の扉を開き、廊下を進んで王城一階広間へ来たら、そこが今回の誘拐事件特別捜査本部である。近くて助かる。
大勢の騎士や衛兵が行きかう広間の中心には臨時で設えた大机があり、指揮官達が囲むように着席している。第二部隊の隊長ツィーゼもその中にいた。どうやら着々と情報が集まっているらしく、伝令がひっきりなしにやってきている。
ずいぶんと忙しそうだが話しかけるのを遠慮してはいけない。現場責任者とは下っ端の報告を受けるためにいるのだ。
「ツィーゼ隊長、報告です」
「やあ、リート君。手短に頼むよ」
あいかわらず飄々とした口調だが、ツィーゼ隊長の眼はするどく光っていた。有事ともなればやはり精鋭を率いる隊長様である。
「サーラ卿の情報によれば、“バーチ”は外国語でカバノキ、カバ材、カバの森のことを指すそうです」
「なるほど、当たりだ」
情報が繋がったようである。
ツィーゼ隊長は立ち上がり、手を叩いて周囲の注目を集めた。
「みんな聞いてくれ! 誘拐犯はシラカバの森に潜伏している可能性が高い。捜索隊の三班を至急現場へ向かわせろ」