運の悪い日
「先輩、まず現状を把握しましょう。この迷宮に外周はあるんですよね?」
「ある。外周の部屋には扉が三枚しかない。角部屋には四枚の扉があるけど、その内二つは偽物で開かない」
サーラ先輩は部屋の数を七十七の平方だと言った。つまり縦に七十七部屋、横に七十七部屋の正方形であるはずだ。ある地点から縦のどちらか一方、横のどちらか一方へまっすぐ進んでいけば、扉が三枚しかない部屋、外周の部屋へ突き当たる。そこから左右どちらかへまっすぐ進めば角部屋へ行ける。
あとはもう一方の端へ進みながら、一部屋ずつずらして順繰りに見て周ればいい。端から進んで七十七より少ない数で三枚部屋へ当たったら、扉がない壁の向こうが二枚部屋だ。
ってことは、端へ当たったときに三部屋ずれてから進めば同時に左右両側を確認できるから、二十五列だけ進めばいい。ええと、七十七かける二十五だから……。
「千九百二十五だね」
約二千部屋だ。三分の一だから一日半で全部屋を確認できる。
部屋へ入った時に左右の扉を開けて覗く必要があるが、思ったより簡単だな。これで完璧な迷宮とは片腹痛い。
「あのねリート、言いにくいんだけど……、日没に合わせて角部屋以外の全ての部屋が入れ替わるからね。あと仕掛け部屋が二十個くらいあるのと、扉を開け放しても数秒後に自動で閉まるという画期的な――」
今、第三者が俺の姿を見たら痛恨の念を感じ取ることであろう。
一日一回部屋が入れ替わるなら、急いでも約千五百ほど周った時点で振り出しに戻る。左右同時確認法を使って見て周れる総数は、約四千五百部屋。当たりに辿りつく確率は四分の三だ。休憩時間を省けば全部屋を確認できるだろうが、サーラ先輩もいるから現実的ではない。
というかそもそも日没の時間がわからないから、そこまで効率的に進むのは無理だ。
「ハア……、一応聞いておきますけど仕掛け部屋ってなんですか?」
「部屋の扉を開けた瞬間に眠るとか、急に身体がほてりだすとか、化物が現れるとか」
「……どうしてそんなもの作ったんですか……」
「できる。やる。当然」
何故片言になった?
「……天井をぶち破ったらどうなります?」
「たぶん上にここと同じ階層があるよ。この迷宮は境界の狭間にあって裏口以外はどこにも繋がらない。外周の壁の向こうにも同じく七十七の平方が広がっている。七十七の自乗個ある部屋が上下、前後、左右に向かってさらに七十七の立方になっているんだ。一番外側へ行けば出られるかもね」
一つの迷宮に五千九百二十九部屋あって、かける七十七、かける七十七、かける七十七。ええと、書くものがないと計算できない。
「二十七億くらいかな。一方向だけなら四十六万ってところだね」
仮に俺達が立方の中心にいたとして、上下どちらかの最外周へ向かうなら三十八回、天井か床を破らなければならない。剣一本で石壁を三十八回。……どう考えても無理だ。まだ裏口を探す方がマシである。
「角部屋へ行きましょうか」
「そうだね。とりあえずまっすぐ進もう」
一つ先の部屋へ進むと新たな問題に気付いた。方向感覚が危ういのだ。同じ石壁に同じ扉が四方向あり、どちらへ向いても見える景色は同じ。もしも眠っている間に身体がずれたら完全に方向を見失う。
念のため、くぐった戸口に目印をつけておこう。
「あ、ごめんリート」
「え?」
サーラ先輩が次の扉を開けた途端、急に座り込んでそのまま横になってしまった。見れば安らかな顔で寝息をたてている。……俺の今日の運勢が最悪でないことを祈ろう。
角部屋へやってきた。俺が入ってきた方向から見て正面と右側の扉が偽物だ。開始地点から一列左へずれてまっすぐ進み、五十四部屋。外周へ突き当たって左に方向転換、四十部屋を抜けてきたところである。どうやら開始地点から一番遠い角部屋を探り当ててしまったようだ。
そして、おぶってきたサーラ先輩はあいかわらず眠ったままである。無防備な身体から伝わる柔らかい感触が俺に当たりつつ、首筋からさわやかな花の匂いが漂ってきているものの、まるでいやらしい気分にならない。まだ獣にならない程度の余裕が俺にもありそうだ。
問題はこの先である。飢餓の限界を迎えて死が間近に迫り、余裕がなくなった時に例の“ほてり部屋”に当たったら一体どうなってしまうのか。
「……おや……」
「先輩起きました? 角部屋へ来ましたよ」
「眠ってしまったんだね。……私のせいでこんなことになってごめんね」
おっと、いつも通り余裕綽々に見えていたサーラ先輩が落ち込んでいる。やっぱり焦っていたんだな。
「俺は先輩と一緒にいられて幸運でした。一人ならどうなっていたか」
「もう、また調子の良いこと言って……、ぎゅってしちゃう」
やめて。いざという時に我慢できなくなるからやめて。
まあ、事実を思い返せばサーラ先輩のヘマが原因であることに疑いはないのだが、心のどこかで楽観しているのも事実だ。
俺やサーラ先輩が行方不明になれば、当然騎士団が動く。エグバジルさんやフレドー、王室にも連絡がいくだろう。あとは誰かが書斎にあるという裏口の扉を開けてくれればいい。
ただし俺達を救助できる人材には限りがある。サーラ先輩の迷宮魔法を解読できて書斎に裏口があると気付ける者、そして解錠ができる者だ。一番可能性が高いのはエグバジルさんだが、用事があると言っていたからあまり期待できない。となると調査隊の仲間が頼りだ。ユーカの不在が響かなければいいが。
サーラ先輩を床へ下ろそうとした時、背後から、がちゃ、と音がして振り返った。誰か救助に来てくれたのかと期待したものの、扉に変化はない。
「……先輩、化物って扉を開けるんですか?」
「そんなはずはないよ。ただの幻影だからね。たぶん自動で閉まったんじゃないかな」