五千九百二十九
昼食をどうしようかと思案しながらサーラ先輩の書斎へやってきた。せっかくの休みだ、どうせならサーラ先輩も誘って豪勢にいこうか。
「先輩、おはようございます」
「おはようリート。地下倉庫を改築したよ」
「へえ。今度はどんな仕組みなんですか」
「私の許可なく地下倉庫の階段を降りると」
「降りると?」
「死にます」
死ぬのか。
「それ、まずいですよね!?」
「ダメかな?」
「ダメに決まってるじゃないですか」
「……冗談です」
嘘くせえ。
「で、どんな仕組みなんですか?」
「リート降りてごらん」
「嫌ですよ、俺にはまだやり残したことが」
「大丈夫! 大丈夫だから! ほら!」
本当に大丈夫かよ……。
「あっ……ああ~……」
「変な反応するのやめてください」
「大丈夫だって! 痛くしないから!」
「痛いんですか! どのくらい痛いんですか!」
サーラ先輩にぐいと背中を押されながら地下倉庫の階段を下りる。やがて最下段へやってきた所で木製の扉に突き当たり、扉を開けると石組みの小部屋へ出た。手に持つランタン以外に明かりはない。
およそ五歩分の幅がある立方体の小部屋を見渡すと、俺達が入ってきた入口の他に出入り口は一つもないようだ。
「何もないですね」
「明かりを消して、目を閉じてから十数えてごらん」
ランタンの火を消すと真っ暗だ。真の暗闇である。目を閉じてしばらくすると、まぶたの裏にぼやっと何かが見えてきた。次第にそれは形をとり、俺達がいる小部屋の壁であると気付いた。
再び目を開けると、明かりが何もないというのにくっきりと周囲が見える。石壁が発光しているようにも見えるが、影はできていない。
「おお……」
「暗闇で目を閉じられる勇気のある者だけが、次の扉を見つけられるんだね」
サーラ先輩が指差した正面の壁に、先ほどまで存在しなかった扉が現れている。入口の扉と同じ造りだ。
「開けていいんですか」
「いいよ。……あっ……ああ~……」
「変な反応するのやめてください」
木製の扉を開けるとまたしても小部屋があった。今俺達がいる小部屋にそっくりだ。違うのは部屋の四方に扉が一枚ずつ存在する点である。厳重なのはいいが、こうも関門が多いと不便じゃないだろうか。
「……あれ? おかしいな」
「もう騙されませんよ先輩」
「いや、……あれ? この先に倉庫があるはずなんだけど」
サーラ先輩がしきりに首をかしげている。なるほど、先輩がヘマをするというエグバジルさんの予想は当たったようだ。
「あ、そうか。最初の扉の前でリートの入室許可を出さなきゃいけなかったんだね」
「じゃあ戻りましょうか」
「戻っても無駄だよ。二つ目の扉を開けてしまったから、今私達は迷宮に囚われているんだ」
背後へ向き直り入口の扉に手をかけた。この先に階段があるだろうと予想して開けると、石組みの小部屋がそこにあった。四方の壁に扉が一枚ずつ。
「……俺達出られるんですか」
「出られないね」
「出る方法はないんですか」
「迷宮の中に二つだけ、扉が二枚しかない小部屋がある。一つは今いるこの入口部屋、もう一つは裏口だね。裏口の扉は私の書斎へ繋がっている」
ああ、一応出る方法があるのか。あやうく俺の休みがつぶれるところだった。
「それならその裏口へ行きましょう」
「迷宮には全部で五千九百二十九部屋あるんだ。今私達がいるのはその中の一つでどこにいるのかわからないし、裏口がどこにあるのかわからない」
なんで? なんでそんなに作ったの……?
「七十七の平方だね。魔術的に都合が良かった」
「他に出る方法は?」
「書斎にある扉を外から開けると、迷宮にある全ての部屋と書斎が繋がる。そして扉の鍵は今私が持っています」
「じゃあ……」
「裏口を見つけるしかないよ。私が作った完璧な迷宮魔法だからね」
思わず座り込んでため息をついてしまった。
サーラ先輩が始めに言った、“死にます”が冗談ではなかったということだ。水も食い物も持っていないし、今日は私服だから装備もない。ランタンの他に、騎士団の規定にある帯剣だけはしているが役に立つとも思えない。
「……俺達が閉じ込められていることに、外の誰かが気付いたら出られますか?」
「うーん、どうかな……」
「そもそも、どうして迷宮魔法なんか作ったんですか。賊を閉じ込めるだけなら部屋は一つでいいでしょう?」
「だって地下倉庫の中なら魔法や遺物が自由に使えるんだよ? できるとなったらそりゃあねえ……、やるよね!」
うん、やる。まあいい。サーラ先輩をせめても事態は解決しない。
俺達ができることはこの迷宮のどこかにある裏口を探すこと。約六千ある部屋の中から一つの出口を探すことだ。
二手に分かれて探せば三千ずつ。休憩時間を入れて一部屋に一分かかったとして、およそ二日ってところか。眠る時間を考慮すれば最長で三日かかる。
いや待て。二手に分かれたら、たとえ裏口を見つけても、もう一人を探さなければならない。そうなると余計に迷いそうだ。
つまり二人で一緒に行動して、約六千の部屋を見て周る必要がある。当然かかる時間は倍。最長で六日だ。水と食い物なしで六日間動き回ることなんてできるのか……?