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第8話  極彩色

 20年ほど前のこと―――魔王がまだ人間であった頃のことだ。

 

 当時、王国は国運を賭けた戦いへ赴こうとしていた。

 30年の時と無数の命を費やしても、未だ終わりの見えないアルカナ・マギアとの紛争。

 王国はこの戦いへ終止符を打とうとしたのである。


 第18回目となる魔女討伐遠征。それには、かつてない規模の騎士たちが動員された。

 総勢にして20万人。

 王都や五大都市、周辺の村々まで徴兵に徴兵を重ねて築き上げた大軍勢である。


 第18魔女討伐騎士団。それを統べる団長には、王国の誉れたる英雄が選抜された。

 すでに多くの武勲を立て、名実共にヴーロート家後継者の立場を得ていた魔王である。


 それは、王国の威信をかけた過去最大規模の大遠征であった。


 魔王は騎士団を率い進んでいったが、王都から出た途端息つく間もないほどの大攻勢へ晒される。

 各地で散発的に行われる魔女たちとの戦闘や、息の掛かった周辺都市の妨害。 

 死闘に次ぐ死闘は数ヶ月にも及び、騎士も魔女も憔悴の極みに達したころ。

 遂に魔王はアルカナ・マギアの総本山。

 幸福の地への侵入を成功させた。


 しかし、そこで魔王を待っていたのは更なる地獄であった。

 幸福の地に集うのは魔女たちの中でも特に選りすぐられた実力者。

 まして、魔女たちの教祖ユキさえもがひそんでいる。


 昼夜を問わず押し寄せる炎の嵐と氷の雨。

 大地がうねり騎士たちを巻き込んで巨大な地割れを造っていく。

 出発時20万人の規模を誇った騎士団は、今や数万人しか生き残りがいなくなっていた。


 それでも魔王は前進を止めなかった。

 今回の遠征には、王国の総力をかけている。

 これが失敗に終われば、いよいよアルカナ・マギアが掲げる武力革命がいよいよ実現味を帯びてしまうだろう。

 魔王に後退は許されていなかったのだ。


 積みあがった仲間たちの屍を踏み越えて、魔王はとうとう魔女たちの居城『聡明な賢者の学舎』へ攻め込んでいったのだった。


 そして学舎の最奥『地下室』へと入り込んだ魔王は、そこで幸福の魔女と対面を果たす。

 遂に合間見えた魔女の容貌は、魔王の想像していたものと遥かに違っていた。


 新雪のように鮮やかな純白の髪と真紅の瞳。

 容姿こそ噂通りの異形であったものの、その姿は年のころ12歳程度の少女。

 自分の胸元にも満たないような、幼い少女だったのである。



 日が昇り、昼も近くなった海岸都市の廃墟群。

 荒廃したその中で、魔王は突如として現れた少女を見上げる。

 純白の髪をした少女の容貌。

 その見目は魔王にとって、戦慄さえ覚えるものだった。


「今日は随分懐かしい顔に会う日だな。

 お前は20年前僕が、この手で殺した筈だ。どうしてこんなところにいる?

 ええ? 幸福の魔女さん」


 なるだけ平静を装って、魔王はそう問いかける。

 彼の魔女は未だ魔王にとって恐怖の対象。どうしても声が震えてしまう。


「………?」


 しかし、少女は魔王の問いかけへ首を傾げるだけだった。

 虹色の瞳をキョトンと見開き、むしろ不思議そうに問い返す。


「幸福の魔女………?

 何だ、それ? 私、知らない」


「………知らない?」


「魔王殿、悠長だぞ。

 そやつがプリースト殿の心を奪った術者なのだろう?」


 愕然と呟く魔王を尻目に、バルバロイはもう動いていた。

 腰の剣を抜き、一息飛びに少女へと間合いを詰め斬りかかっていく。


 魔人 蛮族バルバロイ

 剣客としての力は魔王に勝らず劣らずであるが、戦士としての心得は魔王より遥かに秀でている。

 彼は何も恐れないし、負けるつもりも無い。

 例え相手が何であろうと、その殺意に迷いは無かった。


 しかし、少女は指だけをくゆらせて適当に魔術式を描く。

 本来、魔術は創造から発現までに多少のタイムラグがある筈であったが、彼女の魔術は同時と言っていいほどの早さで展開し、その奇跡を顕現させる。


「うお!?」


「ぎゃっ!!」


 バルバロイの体を一瞬だけ眩い光が包み―――次の瞬間、バルバロイはウィッチの眼前に体を転移されていた。

 すんでの所で剣こそ納めたものの、前進を止めることは出来ず、バルバロイは強かにウィッチへ体当たりしてしまう。


「い、今ので魔術を展開させたの? たった一瞬で?」


 バルバロイに押し倒されたまま、ウィッチは驚愕の目を少女へ向けた。


 空間魔術「位相する空間」

 ウィッチにだって施用可能な魔術であるが、上位魔術に分類されるそれを瞬時に展開させることなどは不可能なことだ。

 それをこの若さで行うなど、ウィッチには俄かに信じられないものだった。


「シエル、何をしているんだ?」


 他人事のようにぼーっとした少女へ、一人の男が近寄っていく。

 そう言えば、自分が見つけた人影は二つ。

 そのもう一人は何者かと視線を向けたところ、その男に見覚えがあることに魔王は気付く。


「アルコバレーノ公か?」


 魔王の問いかけへ、男は驚いたような目を向ける。


「おや、どなたかと思えばグレン殿では無いか。

 かれこれ20年ぶりか、いやお懐かしい。

 しかし、何やら風貌が変わっているようだが?」


 男は煌びやかな装束を纏った痩せぎすの、背が高い男で、年齢的には初老の域に達している。


 レーゲン・アルコバレーノ。

 王国における貴族の一人である。

 

「いや、王都へ帰るため海経由で渡ってきたのだが………海岸都市がこの有様でなぁ。

 どうしたものかと放浪している所だったのさ。

 グレン殿、御者付きの馬車でもご存知ないか?」 


 あまりに状況へそぐわぬレーゲンの物言いに、魔王はギロリとした目を向ける。


「ふざけているのか? アルコバレーノ公」


 魔王の刺すような視線を受け、レーゲンはやれやれと肩を竦める。


「別にふざけているつもりは無いのだがね。

 まあ、貴方が私に殺意を向けるというのなら、相応の態度で応えさせてもらおう」


 レーゲンはそこまで言って、ぱさりと少女の肩に手を添える。


「シエル」


「わかった、お父さん」


 レーゲンの求めに応じ少女は静かに手を掲げる、その指先にはぽつりと小さな虹色の光球が灯っていた。


 ―――まずい。


 その光球を目に納め、魔王ははっきりと背中に悪寒が走るのを自覚する。

 あの虹の玉はかつて、自分へ耐え難い絶望を植えつけたもの。


「ウィッチ、防御しろ! 早く!!」


「え? でもここからじゃ、魔王様まで魔術障壁を展開出来ないですよ!?」


「僕のことはいい! 早くしろ!!」


 今までに無い魔王の怒鳴りを受けて、ウィッチはとにかく魔力の壁。

 魔術障壁マジック・ウォールを顕現させる。

 しかし、その範囲は狭く彼女と、それにのしかかったバルバロイにしか効果を及ぼせない。


 魔王たちがそんなやり取りをしている間にも、少女が掲げた光球は膨張し海岸都市を照らしつくさんばかりに大きくなっていた。

 そんな光の集塊を前に、魔王は固く目を閉じる。


(腹を括るか………こんなことなら、ちゃんとウィッチに魔術を習っておけばよかった!)


「我が掲げるは七色の心。

 混沌の七渦ななかを虹に染め、我はそれを光とする。

 そう、それは虹を織り交ぜた極彩の光」


 少女はぶつぶつと、呟くように詠唱の言葉を述べる。

 それと同調するように、光は濁流のように七色を混ぜ攪拌し、歪な形にうねらせる。

 ある程度の大きさになったところで、少女はぽいと、その光球を魔王の方へ放ってみせた。


極彩色アルコバレーノ


 最後に聞こえたのは、そんな少女の呟き声。

 それと同時に、魔王の頭の中へ七色が奔流し、憎悪や歓喜。

 そんな雑多な感情が心の中をグルグルと掻き回して行く。


 それは、魔王があの遠征でも受けた衝動。

 まるで心を炉にくべられ、灼熱に溶解されていくような、どうしようもない破滅感だった。


 かつて幸福の魔女が、切り札として騎士達へふるい、廃人の群れを量産した精神崩壊の異能。

 特異魔術―――極彩色アルコバレーノ

 魔王はその脅威を、自らの身で持って十分以上に知っていた。


(あの時は掠っただけだったからどうにかなったけど………。

 ここまでまともに受けてしまったら、流石に駄目かもしれないな………)


 自我が引き千切られそうになる意識の中、魔王はそんなことを考えたまま意識を暗転させていった。



「ふう、思わぬ所で思わぬ再会を果たしてしまった………。

 人生、何が起こるかわからないものだ」


 廃墟と成り果てた海岸都市跡を進みながら、レーゲンはため息交じりにそう呟く。


「しかし、グレンのやつめ。

 あの見目を見るに、人を捨てたらしい。

 なるほどなるほど………」


「?」


 ブツブツと続くレーゲンの独り言へ少女が不思議そうな目を向ける。

 魔王たちとの戦い後、彼女はずっとレーゲンの後ろを黙ってついていっていた。

 そんな少女へ、レーゲンはくつくつと笑いながら振り返る。


「なに、あの髪と目さ。他にも数人いたようだが………。

 アルカナ・マギアにもああいう外見になった者たちが居てな。

 尋問したら「悪魔と契約して力を得た」などと世迷言を吐いていたが………ふむ」


「あくま………」


 レーゲンは相変わらず笑みを浮かばせたまま少女の瞳をじっと見つめる。

 少女の名は、シエル・アルコバレーノという。

 名義上はレーゲンの娘………しかしレーゲンは独身で結婚暦も無い。


 アルコバレーノ家は王都でも有数の名門貴族である。

 その名声は他の上級貴族を出し抜き、ヴーロート家に届くと謳われるほどだ。

 しかし同時に、当主であるレーゲンの偏狂ぶりもまた王都では有名な話だった。


 魔女根絶運動の急進的支持者。

 それでいて、魔術という分野に造詣が深く、下手な魔女よりも含蓄を持っている。

 数年前から幸福の地へ篭り、なにやら研究活動に勤しんでいるが、王都中の誰も彼が何をしているのかは知らない。

 ただ、狩られ拘束された魔女たちが定期的に幸福の地へと送られていくことと、彼女らのいずれも帰ってこなかったことだけは知られていた。


「お父さん、さっきの奴ら、まだ生きてる。

 殺さなくていい?」


 シエルは相変わらず無表情な眼差しで持って、レーゲンを見上げる。


「ああ、構わん。

 グレンが何をしようが、私の関知するところではない。

 それに、奴が世を荒らすなら、それは私にとって好都合と言えるかもしれんしな」


「お父さんの言ってること、よくわからない」


「別にお前はわからなくていい。

 ただ、父の言うことには、決して逆らうなよ?」


 レーゲンはそこまで言って、ジロリとシエルを見下ろす。

 その黒い瞳は爛々と輝き、虚空のように澱んでいた。

 父の問いかけに対し、シエルはコクンと頷いて返事をする。


「わかった。

 私はそのために。

 生まれてきたのだから」



 グレン・ヴーロートが率いた第18回魔女討伐遠征。

 『聡明な賢者の学舎』の遥か地下深くに築かれた地下室。

 そこでグレンは幸福の魔女 ユキとの決戦を終えていた。


 30年間にも渡った騎士と魔女の戦い。

 魔女たちの教祖たるユキとの決着は拍子抜けするほど、呆気なく終わった。

 グレンの振るった剣撃。

 それをユキは受け入れるようにその身へ受け、体を両断させたのである。


 それはグレンにとっても予想外なことだった。

 精神簒奪、病魔蔓延、極彩色。

 これまでユキは、それこそ神が如き魔術によって騎士団に何度も煮え湯を飲ませてきた。

 しかしこの戦いでユキは、それらを使う素振りも無く、むしろ反抗の体さえ見せずにグレンの一撃を受けたのだ。


 やや困惑さえ浮かべて自分を見下ろすグレンへ、ユキはぜえぜえと息を吐きながら最期の言葉を告げる。


「ねえ、騎士の英雄さん………。

 最期に私のお願いを聞いてくれる?」


「………言ってみろ」


「もしも………もしもね。

 貴方が『フク』っていう名前の男の人に出会ったら、聞いて欲しいことがあるの」


「フク?」


 耳慣れない発音の名前へ、グレンは怪訝な顔を浮かべる。

 しかし、最期の時が近いユキは構わず、グレンへ言葉を続けていった。


「そう、フクっていう、太った醜い中年の男。

 彼に会ったらね。

 これから言う言葉を………尋ねてみて」


「………」


「フクは幸せだった?

 沢山の人たちの人生と命を犠牲にして、フクの飢えは満たされた?

 貴方の空虚や憎しみを………満たすことが出来たの?って。

 ………そう聞いてみてほしい」


 そんな言葉を呟きながら、ユキの呼吸は浅くなっていく。

 元より即死並みの一撃を加えたのだ。

 ここまで話し続けるだけで、十分に常軌を逸している。


 着々と死に行くユキへ、グレンは頷いてみせる。


「わかった。

 そのフクという男に、俺が会えるかはわからないが………とにかく出会ったらそう聞いてやる。

 心配するな」


 グレンの答えに対し、ユキは小さく息を吐いて満足気に微笑む。


「貴方は………いつか………きっと、絶対………フクに逢うよ。

 貴方はそういう人だから………」


 最後までそう呟きながら、ユキはこと切れていった。

 物言わぬ屍となったユキの目を、グレンはそっと閉じてやる。


 アルカナ・マギアの結成からずっと30年。

 常に王国の脅威であり続けていた幸福の魔女 ユキ。


 魔女討伐騎士団はその日、とうとう災禍の大元たるユキの打倒を完遂したのである。

 それは30年間に続く紛争の終焉。

 そして、暗黒時代の終わりを意味していた。

 少なくとも、当時の人々はみな、そう思っていたのだった。


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