第39話 鬼と怪物
産業都市からの脱出に成功し、バルバロイは険しい山道を進んでいた。
彼が目指すのは魔王たちが待つ山頂の陣地。
ある程度進んで休み、また進みながら、バルバロイはぜぇぜぇと息を荒げて足を急がせる。
(俺としたことが……何たる様よ)
産業都市での連戦、そして負った利き腕の欠損。
それらは彼の体と心を激しく磨耗させていた。
出るときはひとっ飛びだった山が、今や無限に続く急勾配のように感じてしまう。
利き腕の損失――その事実にバルバロイは少なからずショックを与えていた。
プリーストやウィッチならともかく自分は剣士。
隻腕では戦闘能力が著しく低下してしまう。
プリーストが造った道具で仲間を助けるように、ウィッチが屍で仲間を守るように。
バルバロイは己が武技で敵を殺すのが役目だった。
その役目を果たせず、まして足手纏いになってしまうようなことがあれば、自分にはきっと耐えられない。
バルバロイは鬱屈と空を見上げる。
夜の帳に包まれた空は彼の心を反映するように、暗澹とした黒を描いていた。
「あ、ばるさん!」
「ルージュ?」
そんなバルバロイの前に、枯れ草の間からひょこりとルージュが顔を覗かせる。
まだ山頂にはほど遠い。
何故こんなところにルージュがいるのだとバルバロイは怪訝に首を傾げるが、ルージュは気にもしないようにバルバロイの側へと這いずってきた。
「ばるさん、お帰りなさい!」
「ただいま……ではなく、ルージュよ。
なぜこんなところにいる?」
「ばるさんの帰りが遅いので、迎えにきました!」
「どうやって?」
このごつごつとした山肌で、車椅子は使えない。
どうやってここまで来たのか?というバルバロイの疑問へ答えるように、ルージュは体中に引っ掻き傷を作り、手の平や膝から血をだらだらと流しているようだ。
バルバロイは険しい目でそれらを見つめ、詰問するように問いかける。
「お前……まさか、ここまで這ってきたのか?」
「はい。ばるさん、お怪我は無かったですか?」
「むぅ……」
満身創痍の体で二ヘラと笑うルージュに、バルバロイはますます顔を険しくしてしまう。
「この愚か者め……。
たかが出迎えのために、何故そこまでしようとする?」
「だって……私。ばるさんのこと、心配で……。
私はおじさんやウィッチさんみたいに役に立てることが無いから、せめてお迎えには行こうって」
「馬鹿者、俺は超強いのだぞ?
心配など爪の先ほどもする必要は無い」
バルバロイはそのまま、残った左腕でルージュを抱きかかえる。
片腕とは言え、小柄な彼女を抱えるなど造作もないことだ。
「何にしても、皆のところに帰ろう。
魔王殿のことだ……ルージュのこんな傷を見たら発狂してしまうかもしれん」
「……」
腕の中で、ルージュは俯いてしまう。
バルバロイに喜んでもらおうと出迎えへ向かったのに、何故か彼は怒ってしまったようだ。
どうやらまた、余計なことをしてしまったらしい。
ルージュにはどうしても、彼らの思考回路がわからない。
やること為すこと全て、裏目に出てしまうのだ。
「……ごめんなさい」
「戯けめ、何故謝る?」
顔を曇らせるルージュへバルバロイは慌てたように笑ってみせる。
「お前が迎えに来てくれたことは、俺だってうれしいのだ。
だがな、そのためにお前が傷だらけになってしまっては話にならん。
お前はもっと自分を大切にしなければ………」
取り成しの言葉を並べながら、バルバロイはそんな自分に違和感を感じていた。
童子にこんな態度で接するなど今までの人生には無かったことだ。
バルバロイとなる前――日ヶ暮であった頃だって、こんな言葉を吐いたことはない。
自分は剣鬼、鋼の心を持った者。
それは魔に墜落する前、ドワーフ族であった頃から変わらない筈だった。
「さっさと帰るぞ。魔王殿たちがきっと、旨い夕餉を用意してくれている」
バルバロイはルージュを抱えたまま、再び勾配を進み始める。
先ほどより負担が増えているはずなのに、不思議と体は軽い。
バルバロイがざくざくと山を進んでいると、抱えられたルージュがぎこちなく問いかける。
「ばるさん」
「なんだ?」
「腕、どうしたんですか?」
「……ああ」
バルバロイは一瞬顔を顰めるが、直ぐに笑顔を作り直し快活に答えてみせた。
「なに、大したものではない。
俺は超強いのだが……今回ばかりは相手もちょっとだけ強い奴らだったのでな。
うっかり不覚を取ってしまった」
「……」
バルバロイは努めて気にしていないように見せるが、ルージュは浮かない顔になってしまう。
そのまましばらく考え込むように黙ったあと、再び口を開いた。
「ばるさん、腕を見せて下さい」
「? 構わんが………」
彼女の求めていることはよくわからないが、バルバロイは素直に欠損した腕を向ける。
スオウに叩き切られた椀部は、斬られたというより千切られたと言うべきもので切断面が歪に肉を晒している。
魔王の治癒魔術は再生レベルの超回復を可能とするが、こう時間が経て、更に切断された腕の先が無い状態では治癒することなど出来ないだろう。
良くて、傷が化膿しないよう処置する程度だろうか。
バルバロイは残った腕で頭を掻きながら、気丈に笑ってみせる。
「まあ、案ずるなルージュ。
たとえ隻腕だろうと、俺はめちゃくちゃ強いぞ」
そんな軽口に取り合わず、ルージュは真剣な目で切断面を見つめる。
そして、ホッとしたように小さく笑ってみせた。
「ばるさん、大丈夫です。
きっと腕、治ります……私、治せます」
「ルージュ?」
ルージュは血塗れとなった手のひらで、バルバロイの腕に触れる。
そして血を刷り込むように、その切断面を指で撫でていった。
傷口から滲み出る血と、ルージュの血液。その二つが混ざり合っていく。
変化は劇的だった。
バルバロイがまず感じたのは、ドクドクと脈打つ心臓の鼓動。
それは激しく血液を流動し、利き腕へと燃えるような熱さを送っていく。
「ぐっ……?」
燃えるような熱さに、バルバロイは呻き声を漏らす。
痛みは無い。
ただ心臓から右腕へと伝わる熱は脈々と腕へ押し寄せ、傷口で行き場を失ったかのように燃え上がり。
灼熱の熱さで切断面を焼いていく。
燃え上がるような熱の先、切断された腕から真っ赤なモノが噴き出してくる。
噴き出したのは血ではなく、真紅に映る何か。
それは切断面から生まれ出るように、めりめりとせり出し、腕の形を模って肉となっていった。
それは緋色の腕だった。
血の赤黒でもなく、炎の黄赤でもなく、どこまでも赤く、赤い腕。
異能と同じ緋の腕が、肘先から生えてきたのである。
「……」
バルバロイは無言のまま、手を閉じてみる。
緋腕は彼の命令に従い、パクパクと手を開け閉じする。
切断される前と遜色ない、まごうことなき己の腕だ。
「よかった……ばるさん、治った」
開き閉じするバルバロイの手を見、ルージュはほっと胸を撫で下ろす。
怪物
それがどんな異能なのか、実のところルージュ自身にもよく分かっていない。
ただ、この異能は魔力の切れた魔王を回復させ、死んだアカネを生き返らせ、そして今回は欠損したバルバロイの腕を蘇らせた。
きっと素敵な力に違いない。奇跡の力に違いないと、ルージュは確信を深めていく。
「これは……」
笑顔を浮かべるルージュに比べ、バルバロイの表情は複雑だった。
利き腕を取り戻したことは喜ばしいが、この緋腕はあまりにも歪すぎる。
赤すぎる赤はもはや人智のものでなく、バルバロイの目を通しても、おぞましさに過ぎるものだった。
まるで、怪物の腕のようではないか。
「ルージュ、あのな……」
「げほっ!」
「ルージュ!?」
バルバロイの言葉は、ルージュの咳音によって遮られる。
彼女は体を九の字に曲げ、全身を痙攣させるように激しく咳き込み始めたのだ。
「おい、どうした!? 大丈夫か!?」
「だ、だいじょうぶです……」
慌てて肩を抱くバルバロイへ、ルージュは何とか笑ってみせる。
「私のいのー、どうですか? すごいですか?
私、ばるさんの役に立ちましたか?」
「……」
そう言って微笑むルージュの口元からは、腕と同じような緋色の血が滲んでいた。
◇
バルバロイが去った後。一晩明けた産業都市の惨状は凄惨そのものであった。
家屋はそのことごとくが倒壊し、緑豊かだった木々も焼け落ちている。
そして、肉片に変わり果てたドワーフたちの死骸が埋め尽くすように街の方々に散らばっていた。
榴弾砲による死者は二万人を越える。
これほど大量の死者が出たことなど、産業都市建立はおろか皇国史上初のことである。
「終わったな……」
劉は崩壊した街並みを見下ろし、力尽きたように頭を垂れる。
彼らドワーフ系移民が10年の歳月をかけて繁栄させた産業都市。その街がたった一日によって跡形もなく消失されてしまったのだ。
劉はもはや、茫然自失の様相であった。
「劉殿、気持ちは分かるが肩を落としている場合ではないぞ。
魔王は必ずや、またこの街へ攻め込んでくる。
早く布陣を立て直さなくては……」
「ふふ……。
流石は王国の英雄。
スオウ殿の戦意は不撓不屈であるようだ」
スオウは必死に劉へ激励を贈るが、当の彼は完全に心が折れているようだった。
「布陣を立て直す?
これから、どうやって?
街は完全に崩壊。切り札の土蜘蛛砦だって、その存在を魔王共に知られてしまった」
劉はスオウの胸ぐらを掴むと、嘆きのままに声を荒げていく。
「街に陣を引いても、鉄弾の的になるようなもの!
砦に篭れば、毒ガスによって一網打尽にされてしまう!
なんだ!? いったい何なのだ!! あの魔王という連中は!!
あんな者たちを相手に、どう戦えというのだ!!?」
半ば八つ当たりのように、劉はスオウを詰り続ける。
劉とて魔王の脅威は聞いていたし、彼らの異能に対しても承知していた。
だが、承知はしても理解は出来ていなかったのかもしれない。
劉は一つ、大きな勘違いをしていた。
魔王たちが如何に強力な力を持っていようと、あくまで彼らは人。
この戦いは人と人による戦争であると勘違いしていたのだ。
しかし、魔王たちはもはや人に在らず。外道ですらない。
あれらはもはや災い。
無慈悲に全てを破壊する、天災に分類すべきものである。
彼らが人であると言うのなら、どうして何の迷いもなく2万もの人々を殺戮出来るというのか?
劉は胸ぐらを掴んだまま、ずるずると地に膝をつく。
絵空事の超常を、現実で且目されられ劉の心は絶望に追い込まれていた。
「この状況に至って、我々が取れる手段は産業都市を放棄し敗走することのみ。
しかし、我らはあくまで二等国民。
この都市から出ることを許されていない。
八方塞がりだ。
スオウ殿、教えて欲しい。
我々はどうすればいいのです……?」
「劉殿……」
スオウに掴みかかっていたはずの劉が、スオウに抱えられてしまう。
彼にはもう、己の足で立つ力も残っていなかった。
「無様ですぞ!! 劉大人!!」
そんな劉の背へ厳しい声が投げかけられる。
声の先には、朝倉を始めとするドワーフたちが剣呑な表情でこちらを睨みつけていた。
「一度戦うと決めた以上、我らの戦意に揺らぎは無い!!
いや、多くの仲間を殺され我々の心は燃え上がっていると言えるでしょう!!
今や我々武人だけでなく、産業都市の全市民が魔王討伐の決意を新たにしている!!」
「朝倉……」
朝倉はバルバロイによって片腕を失っていたが、残った左腕で剣を高らかに掲げてみせる。
「魔王など何する者ぞ!!
いかに超常の力を持とうと、しょせん奴らは鬼畜の徒!!
我々ドワーフは決してそんな畜生共に屈しない!!
皆よ総玉砕の覚悟を持って魔王共を迎え撃つのだ!!」
朝倉の号令に居並ぶドワーフたちが声を上げる。
しかし、劉はそんな彼らを忌々しく睨みつけた。
「ふん、威勢ばかりで中身が無い。
貴様ら南方系はいつもそうだ。
美麗美辞ばかりを並べ立て、人々を煽動し、破滅に向かって突き進んでいく。
皇国が衰退したのも、貴様らのそんな虚勢が要因となったと何故わからん?」
「ほう……お言葉ですな、劉大人。
そもそもの原因はお前達、北方系が保身にばかり走ったからでしょう。
人間に恭順し、王国に恭順し、遂にはこの都市まで捨てて逃げるつもりか!?
ドワーフ族の恥さらしめ!!」
「貴様……!」
スオウを挟み、劉と朝倉が相対する。
皇国と一言で言っても、その内実は北方系ドワーフと南方系ドワーフの二氏族が延々と覇権争いを続けてきた国であるのだ。
合理性を追及する北方系と、尊厳と追及する南方系。
似て非なる思想哲学を持った二人のドワーフは、まるで互いを敵視するように怨嗟を持って睨み合い続ける。
「ま、待て。こんな時に内輪揉めをしている場合か!?」
「「人間族が口を挟むな!!」」
スオウは場を納めようと声を上げるが、気の昂ぶった二人に部外者の声など届かない。
劉と朝倉は今にも掴みかからんばかりに剣呑な空気を纏い、ジリジリと近寄っていった。
そんな二人の足元に、ズサリと剣が突き刺さる。
「!?」
劉の足元に刺さったのは金色の脇差――輝鳳凰。
朝倉の足元には銀色の脇差――夜鳴鷹。
皇国の宝剣。二刀一対となって初めて真価を発揮する魔剣である。
「黙って聞いておればやれ敗走だ、やれ玉砕だと勝手なことをほざきおって!
お主ら何様のつもりじゃ!!」
「覚悟の爺様……」
そして、彼らの高みから罵りを上げるのは魔剣の主、覚悟である。
「お主らにそんなことを決める権限はない。
身の程を弁えよ!
産業都市の主を誰と心得ておる!?」
「産業都市の主?」
困惑する二人へ呆れたように、覚悟はその場でかしこまって一人の人物へ頭を垂れる。
「領主閣下。どうぞこちらへ」
「はい……」
恭しく現れた人物に対し、驚嘆を上げたのはスオウである。
この期、この状況に及んで、彼が姿を現すとは考えていなかった。
「ハロルド・マロン……?」
「お久しぶりですね、スオウ殿」
ハロルドは控えめにスオウへ礼をすると、劉と朝倉に対して向き直る。
「劉 賢魯。
朝倉 十郎左。
領主として、貴方達に提案があります。
一緒に砦へ戻って頂けますか?」