第38話 覚悟の騎士
「つ……!」
バルバロイは出血する右手を止血すると、千切れた腕から剣を拾い上げる。
利き腕を失っても、バルバロイは冷静だった。
幸い、魔人の生命力は人を越えている。
腕を切り飛ばされてなお、戦いを続けることは出来そうだ。
己の体調からバルバロイはそう判断し、堡塁の外。
スオウたち『王国の剣』の眼前へと躍り出る。
彼の脳内に『利き腕を失った』とか『敵が増えた』などという思考は無い。
敵がいるなら殺す。
目の前にいる者は全て殺す。
そんな信念だけを胸に、バルバロイは戦うのだ。
「ほう……」
瞬時に体制を立て直したバルバロイへ、スオウは賞賛混じりの呟きを漏らす。
本当なら、最初の一撃でこの男の首を切り落している筈だった。
虚をついた死角からの奇襲。これを回避しめしたのは彼の天性によるものだろうか。
どんな理由にしろ、並大抵の剣客に出来るものではない。
「流石は皇国の至宝、といったところか」
「つまらん挑発だな」
別に挑発したつもりは無いが、バルバロイは吐き捨てるようにスオウを睨み剣を構える。
対してスオウもまた堡塁にめり込んだ怪剣を豪力任せで抜き外し、バルバロイへと構えて見せた。
スオウの背後に立つのは、彼に従いし『王国の剣』。
総勢約1000名の王国戦士たちである。
スオウはその先頭で、儀礼に従い礼をしてみせた。
「魔人よ。
私の名はスオウ・ヴーロートという。
お前達を殺すため、はるばる王都からやってきた。
喜べ、私はお前の敵だ」
「ほう?」
スオウの名乗りに、バルバロイはやや表情を緩める。
新たな敵の出現はバルバロイにとっても喜ばしい。
それが王国の英雄となれば、なお最高というものだ。
「スオウ・ヴーロート……。
王国の英雄、ヴーロートか。
これはまた数奇な奴が現れたものよ」
獅子の如きスオウを前に、バルバロイは愉快そうに言葉を述べる。
「あまり、魔王殿とは似ていないのだな」
「……親族と言え、血の繋がりは無いものでね」
「なるほど。あい、理解した」
そういってバルバロイは頷いた刹那、その背中目掛けて突剣が突き出される。
バルバロイは造作もなくそれを避けると、話の腰を折られたと言わんばかりに背後の戦士へ振り返った。
「人が話しているというに……不躾な奴よ」
「黙れ!!」
そう怒鳴り声を上げるのはフクツである。
やれやれと肩を竦めるバルバロイを睨みつけ、フクツは怒りにわななきながら怒鳴り続ける。
「魔人め……海岸都市での暴虐、私は一時たりとも忘れておらんぞ!!
貴様に殺された者たちの無念、ここで晴らしてやる!」
「おお。誰かと思えば、海岸都市で魔王殿を刺した戦士か。
いや、あの奇襲は見事であった。
今からでも、素破に転向してみてはどうだ?」
「貴様……!」
「まあまあ、落ち着けフクツの叔父貴。
ここで挑発に乗ってどーすんだ?」
怒りに震えるフクツを抑え、ジンギが気楽そうな声を上げる。
彼は品定めするようにジロジロとバルバロイを観察すると、親しげな調子で言葉を続けていった。
「おぉー、本当に真っ白な髪と真っ赤な目をしてるんだな。
それに鬼の仮面……てーと、お前がバルバロイか。
割りとやりやすい奴から来やがったな」
そんな風に届けられる緊張感の欠いた声。
しかし気楽な口調と裏腹に、ジンギが手にしたスリングショットは一瞬も揺るがず、バルバロイに狙いを定め続けている。
「しかし、たった一人で来るとはねぇ。
命知らずか馬鹿なのか……。
てめえ、生きて帰れると思うなよ?」
スオウ、フクツ、ジンギと彼らの背後に控える戦士たち。
『王国の剣』総出である。
王国戦士に取り囲まれながら、バルバロイは皮肉気に覚悟へ視線を向けた。
「これは困った……進退窮まるとはこのことだ。
杉間よ。無様に遁走したのはこの為か?
まさか王国風情の力を借りようとはな」
バルバロイが土蜘蛛砦へ侵入してきたとき、覚悟はスオウへ一つの計画を持ちかけていた。
『自分がバルバロイを誘導するので、この「ゆ門」に待機してもらいたい
そして連れて来た魔人を――日ヶ暮 弾蔵を自分に代わって殺して欲しい』
その提案は覚悟にとって、誇りの放棄に等しいこと。
他の魔人ならばともかく、バルバロイはもともとドワーフ族の男。
出来る限り、自分達の手で消し去ってやりたい。
道を外した同胞を消すのは、皇国民としての務めである。
「見下げ果てたぞ剣聖。
とうとう心底まで、人間共に屈したか?」
「そうさな……」
バルバロイの追求に、覚悟は自嘲するように笑ってみせる。
彼の批難はそのまま事実。
王国の力を受け入れるなど、皇国への裏切り。
「ドワーフ族」という民族に背を向けた、背信行為に他ならない。
しかし、その訴えに答える覚悟はどこか晴れやかだった。
「弾蔵、お前は何か勘違いをしているようじゃな」
「勘違い?」
「儂らは王国の力を借りているのではない。
儂らこそが、王国に力を貸しているのよ」
どこか吹っ切れたように覚悟はそう宣言する。
この産業都市を守護するのは連合軍。王国と皇国の連合軍である。
ならば、スオウたちもまた同胞。
そして同胞の為に尽くすのは、ドワーフ族の誉れであった。
「儂も今や、王国の剣の一太刀。
『堅牢たる覚悟の騎士』杉間 覚悟である。
一人の騎士として、お前に引導をくれてやろう」
その言葉と同調するように、覚悟の陣羽織が風に揺れる。
その背に描かれているのは座する大熊――産業都市の御印。
それはこの産業都市が、スオウたちの同志であることを示していた。
「くく……」
覚悟の宣言を前に、バルバロイは忍び笑いを漏らす。
「……」
肩を震わせ続けるバルバロイに、フクツたちは違和感を抱いていた。
利き腕を失い、周囲を完全に包囲されたこの状況。どう考えても絶対絶命である。
なのに、この鬼の形をした魔人は愉快そうに笑っているのだ。
「お前達……」
ひとしきり笑ったあと、バルバロイはゆっくりとスオウたちに向き直る。
その鬼面の奥では、真紅の瞳が爛々と殺意の光を煌かせていた。
「よもやとは思うが……こんな計で、俺に勝てる算段だったのか?」
その瞳にもはや、生物らしき光はない。
手にした緋刀と同じ、赤銅のような輝きが爛々と瞬いている……それは開戦の合図に他ならなかった。
「合わせろ! フクツ殿!!」
開口一番そう怒鳴り。スオウはバルバロイへ怪剣『ヴーロート』を振り下ろす。
それは単純な縦斬り。
しかし豪力宿りしその一撃は、嵐の獰猛さを持って振り下ろされた。
「承知した!」
そして同時に背後から横一文字に切り込まれるフクツの刃。
前からの縦一閃に、背後からの横一閃。
前後から放たれる挟撃はバルバロイを挟むような十字となって、彼に逃げ場を与えない。
しかし、バルバロイに逃れる必要など無かった。
剽悍無比――それを体現するだけの異形が、彼の体には宿っている。
バルバロイは務めて冷静に前の一撃を断ち切り、そして振り向きざまに背後の斬撃を切り落す。
彼の緋刀は造作なく、二人の剣を断ち切っていた。
「おお!?」
刀身半ばで断ち切られるスオウとフクツの剣。
それに驚愕を浮かべるのはスオウの方だった。
巨剣『ヴーロート』は一族が受け継げし金剛不壊の大業物。
何かを壊すことはあっても、これまで壊されたことなど一度としてない。
しかし、バルバロイはそれをバターでも切るように、スラリと切断してしまったのだ。
異能 剣鬼の前ではどんな名刀、業物であろうと唯の紙切れへと変じてしまう。
両者の武装を無力化し、バルバロイは守から攻へと転じ緋刀を振り上げた。
「そこだ!!」
しかしそんな彼へ、一弾の玉が投射される。
それを打ち放ったのはジンギが持つスリングショット。
投擲器が打ったのはただの玉ではなく、炸裂弾と呼称される火薬玉。
衝撃を与えることで爆散し、対象へ強烈な打撃を与える烈火弾である。
「小癪!」
バルバロイは振り向き様に、炸裂弾を一閃する。
薙ぎ切られた爆薬は、炎を吹くことはなく二つに断たれて地面へ落ちていく。
「なに……!?」
ジンギの顔に困惑が浮かぶ。
いくらドワーフ刀と言え、何かを斬れば衝撃が加わる。
そうすれば、炸裂弾はその効果を発揮するはず。あれを斬り捨てるなど不可能な筈だ。
「く………」
三者が三者とも、バルバロイの猛剣に歯を噛み締める。
全てを断ち切る魔性の剣。その恐ろしさも去ることながら、何より恐ろしいのはその剣捌き。
これだけの離れ業を、バルバロイは全て隻腕で行っているのだ。
剣客どころでない、文字通りこの男は剣鬼である。
「と、突撃! 突撃しろ!!」
3人の攻撃が無力化され、劣勢と見たユウキがたちが戦士たちへ檄を飛ばす。
3列に隊列を組んだ戦士たちの、槍と剣による突貫攻撃。
王国正規軍第5歩兵隊。
英雄レイアードが手ずから鍛え上げた、正規軍きっての錬度を誇る部隊である。
いかに不測の事態であろうと彼らの統率には一糸の乱れも無く、バルバロイの背に向かって2重3重の攻勢を仕掛けていった。
「笑止!!」
しかし、背後から迫る殺気の集塊にバルバロイが送るのは、振り向きざまの横一閃。
それは迫りくる槍を剣を、そして戦士達の甲冑を他愛も無く切り裂き、彼らの胴を二つに断っていく。
隊列の一列目。実に6名の戦士たちが刹那の間もおかず屍へと変えられてしまったのである。
「下がれ、お前達は手を出すな!!」
無意味に仲間を失ってはたまらない。
スオウは戦士たちを押しやるように、その前面に立つと、剣の残骸を投げ捨て拳を握りしめた。
自分の豪腕は岩でも容易に砕く。
たとえ剣戦で遅れを取ろうと、己は全身凶器。
スオウは絶対の自信を持って、バルバロイへ必殺の正拳突きを打ち放つ。
「羨望さえ覚える恵体であるが………力任せでは、俺に勝てぬぞ?」
激流のようなスオウと対照的に、バルバロイの取った行動は湖面の如くおだやかなものだった。
精妙な所作でスオウの打撃に触れ、そのまま腰を捻って体を回転させる。
「なっ……?」
意図せぬまま、スオウの拳が軌道を反らし空しく宙を突く。
打撃を弾かれた感覚は無い。まるでそよ風に泳がされてしまったかのようだ。
対して、バルバロイはその運動力まで後押しに、円舞のような歩法を持ってスオウの懐へと入り込んでいた。
彼はそっとスオウの胸へ手を宛がい、そこへ万力の気合を込める。
「哼!!」
「がはっ!?」
発勁。
甲冑を通しているにも関わらず、スオウの胸へ強烈な負荷がかけられる。
その衝撃は彼の肺腑を圧迫し、呼吸機能に制限を加える。
スオウとて大男の殴打を平気で受け止める偉丈夫だが、甲冑と筋肉を通り抜け、内臓に直撃を齎す技の拳を受けては堪らない。
意識が揺らぎ、目の前が暗転する。
酸素の行き渡らぬ脳は敵への対応が出来ず、無防備な姿を晒してしまった。
そんなスオウへ、バルバロイは冷静な仕草で剣を掲げる。
彼が狙うは、晒されてしまったスオウの首。
『こんな計で、俺に勝てる算段だったのか?』
先の驕慢めいたバルバロイの言葉。しかし、それは驕りよるものでは無かった。
彼はまさに、無敵の剣士であったのだ。
電光の如き素早さで首元へと迫るバルバロイの紅刃。
もはや、それを避けることは叶わない。
「スオウ殿、受け取れ!!」
視界が混濁する闇の中。一閃の白刃と、老人の声が響き渡る。同時に手先へ伝わる鋼の感触。
スオウは声へ導かれるように、握った鋼を前へと掲げた。
ガギンッと金属同士の弾ける音がする。
刃と刃が反響し、大きな火花が辺りへ散る。
その火花を種にして、スオウの心には再び炎が蘇っていた。
「おおおぉぉ!!!」
それは、ヴーロートが持つ紅蓮の魂。
スオウは英雄の嘶きそのままに、刃を交差させたまま刀の鍔を合わせて鎬を削る。
再び戻った視界には、驚愕するバルバロイの姿があった。
全てを断ち切る魔人の緋刀、しかしスオウの新たな白刃はそれを反照するように白金の光を放っている。
霊剣 輝鳳凰。
皇国の宝剣。覚悟にとって命にも勝る至宝である。
それを託すという事は、これ以上ないほどの信頼の証に他ならない。
霊剣は決して折れず曲がらず、スオウの豪力を余すことなく魔剣へと伝えていく。
鍔迫り合いながら、バルバロイの額には汗が浮いていた。
力比べでは分が悪い。バルバロイはそう判断し、飛び退って間合いを図ろうとするが、スオウはそれを追い立てるように嵐の如き連激へと終始する。
その太刀筋は暴風そのもの、巨大な竜巻にでも放り込まれたような心持ちであった。
それは熾烈で流麗、そして何より豪胆無比の連撃剣。
(この男……)
一見すると乱雑にさえ見えるスオウの剣であるが、その一手一手に技巧が込められていることへバルバロイは気付いていた。
弾けば隙を生み、かわせば逃げ場を失う。まるで絡みつくように巧みな剣術。
この男、断じて力任せの騎士などではない。
むしろ、その豪力を余すことなく剣に宿らす術を体得した……天晴れなほどの武芸者である。
「片腕ではいささか、分が悪いか………」
バルバロイの諦念は早かった。
例えスオウに勝利したところで、まだフクツと覚悟、そして王国の戦士たちが残っている。
消耗した状態で彼らと戦うことへのリスクを、バルバロイは認める気になっていた。
元より、自分に与えられた役目は偵察。
これ以上の深入りは、すなわち任務の放棄である。
「ふっ!!」
バルバロイはスオウの剣を絡ませ、何とか姿勢を崩させる。
そしてそのまま高く跳躍し、囲む戦士たちの中へと飛び込んでいった。
「うお!?」
彼が飛び込んだのは、冒険者達が並んでいた場所。
傍目から見て、その部隊がもっとも統率が低く、錬度も低いと感じたのだ。
バルバロイは飛び込んだ先で剣を振り回し、2、3人の冒険者を切り捨てる。
「ひ、ひえぇ!!」
彼の目論見どおり、仲間の死を受けて冒険者達は四分五裂に逃げ去っていく。
それは他の戦士にとって障害、バルバロイにとっては盾となって、追いすがる手を振りほどく。
「さらばだ、スオウ・ヴーロート!!
この屈辱はいずれ果たそう!!」
そんな言葉と共に、バルバロイは周りの戦士たちを切り捨てながら場を去っていく。
「馬鹿! 落ち着けお前ら!!」
ジンギが恫喝して統率を取り直そうとするが、もう遅い。
バルバロイはあっという間に産業都市の傾斜を駆け下り、姿を眩ませていたのだった。