第3話 英雄
私がおじさんから「ルージュ」という名前もらって、このお屋敷に住むようになってから幾日かが流れました。
あまりの環境の変化に初めこそ困惑したものですが、ここでの生活はおだやかで好きです。
その日、私が目を覚ますと、部屋の小さなテーブルに私と同じくらいの女の子が食事を用意してくれているところでした。
「ありがとうございます、グール18号さん」
「………」
私は彼女へ挨拶したのですが、18号さんは私の声など聞こえないように、ただ黙々と食事の準備をしていきます。彼女はいつもこうなのです。
「ルージュ。いくら話しかけたってグールは返事なんかしないよ?
そいつらはとっくの昔に死んでるんだから」
そんな私へ呆れた声がかけられます。見れば部屋の入り口でウィッチさんが、眠そうな目を擦りつつ私を見つめていました。
ウィッチさんは、20代くらいの綺麗なお姉さんです。
長い髪に大きな瞳。黒い三角帽子とローブをいつも身につけていて、そのローブの背には銀色の糸で星や月の模様が刺繍されています。
「18号さんは、もう死んでるのですか?」
「いや、当たり前じゃん。
生きてるグールなんていたら、それこそホラーの世界だよ。
18号をどこで殺したかは忘れちゃったけど、大分古株のグールだね。その子は」
「そうですか………」
なるほど。顔色が悪いとは思っていたのですが、彼女はもう亡くなっているようです。
お友達になりたかったのに、残念です。
「でも、グールさんたちって何なのでしょう?
人は死んだら動かなくなる筈です」
そう、確か人は死んだら、腐って動かなくなる筈でした。
ご主人様が所有していた他の玩具たちも、私の他はすぐに死んで使い物にならなくなっていた記憶があります。
私の言葉へ、ウィッチさんが少しだけ得意げに胸を反らします。
「良くぞ聞いてくれた!
グールとは、私が作り出した異形。
魔人 魔女が誇る異能『屍姫』によって、死後も現世を彷徨い続ける呪われた怪物たちなのだよ!」
「はぁ………」
芝居掛かったウィッチさんの仕草に、私が微妙な返事を返すとウィッチさんはつまらなそうに口を尖らせます。
「………何か反応薄いなぁ。
まあ、いいや。ルージュ、グールはね。
私が魔人となった引替えに手に入れた異能によって生み出したモノなの。
もう死んでるから、雑に扱ったって別にいいんだよ」
「まじんのいのー………ですか?」
「そうだよ。ってか、ルージュも魔人じゃん?」
「魔人………わたし、魔人?」
「ルージュも私たちと同じ髪や目をしてるじゃない。
れっきとした私達の仲間だよ!」
「はぁ………?」
ウィッチさんの言葉を聞いても、私にはピンときません。
この間まで自分は玩具だと思っていたのに、急に魔人なのだと言われても混乱してしまいます。
「私が魔人なら………私にもウィッチさんみたいに、不思議な力があるのでしょうか?」
「ある、っていうか………普通、それを求めて人は魔人に身を堕とすモノなんだけどね。
ルージュはさ、魔人になったとき何を求めてた?」
「魔人になったとき?」
「………えーっと、魔王様にあって、髪が白くなって目が赤くなった時」
「………」
ウィッチさんの言葉に、私はあの日のことを思い返します。
ついこの間のことなのに、何だかふわふわして思い出せない。そもそも玩具だったころ、私はあまり思考というものをしたことがなかった―――。
私はあの時、何を望んでいたんでしょう?
何を考えていたのでしょう?
『行く当てが無いのなら、おじさんと一緒に来るかい?』
不意に蘇る、そんな言葉。
そう。私はあのとき、とても強く望んだことがあるのです。
「私………あの時、おじさんと一緒に居たいって思いました。
おじさんのお友達になりたいと望んだんです」
「お友達って………また突拍子もない望みで魔人になったモノだねぇ」
私の答えにウィッチさんは呆れた笑みを浮かべてしまいます。
「私には異能………無いんでしょうか?」
「うーん、どうだろう?
魔人である以上、異能が無いってことはないと思うんだけどねぇ。
フェイトのデブなら何か知ってるかもしれないけれど………なるべくあいつには関わりたくないしねぇ」
ウィッチさんは少しだけ笑うと、真剣な表情になって私へ言葉を続けました。
「ルージュ、異能ってのはさ、望みを叶える力なんだ。
人が魔人へ堕ちる時、とても強く何かを願う。
そして『異能』という形で人は願いを叶える術を得るのさ。
私の屍姫も、元は願いを叶えるためのものだった………」
ウィッチさんがどこか遠い目で、そんな言葉を呟きます。
それはいつも笑顔の彼女には珍しい表情で、私には気になってしまいました。
「ウィッチさんはどうして魔人になったんですか?」
「ははは………何でだろうねぇ」
ウィッチさんは顔を背け、そして気分を変えるようにパシリと手を叩いて笑顔に戻ります。
「ってそんな話をしに来たんじゃ無かった。
ルージュ、これから一緒に散歩へ行こう!
屋敷に引きこもってばかりじゃ、プリ君みたいになってしまうよ」
ウィッチさんが私の手を取って、元気に微笑みます。
おじさんとバルバロイさんは屋敷を空けることが多く、プリーストさんは基本的に部屋へ篭りっきりなのですが、ウィッチさんは面倒見がいいのか何かと私の世話を焼いてくれるのでした。
「グールたちに死体や瓦礫を片付けさせたから、今や街も綺麗なもんさ。
天気もいいし、久しぶりに外の日差しを浴びよう!」
散歩とは、確か外を自由気ままに散策すること………だったでしょうか?
私にとって外を自由に散策するなど、生まれて初めてのことなので何だかわくわくしてしまいます。
「はい、行きます」
私は朝食を取るのも忘れ、その場に膝待つきました。
これでも這うのは得意技です。なかなかに速い自信があります。
私はちょっとだけ自慢げに得意の匍匐術を披露したのですが、なぜかウィッチさんは慌てている様子でした。
「ちょっとルージュ、いきなり何をやってるの!?
………ほらぁ、膝を擦りむいちゃってる」
ウィッチさんは慌てたように私を抱き起こし、そして思い出したように口を開きます。
「そう言えば………ルージュは歩けないんだったね。
だからって、這ったりしなくていいよ。
ルージュは18号にでも背負ってもらうから」
私の血が滲んだ膝に手を当て、ウィッチさんは咎めるように言葉を続けます。
「何でルージュは、そんなに自分へ無頓着なのよ………」
「?」
私はウィッチさんの言ってることがよくわからず、首を傾げてしまいます。
何故かウィッチさんは、私が自分の体を引っ掻いたり、髪をむしったりすると怒るのです。
「ルージュ! いるかい!?」
そんな私たちへ、不意に低い声がかけられます。見ればプリーストさんが顔を上気させながら私の部屋へ入ってくるところでした。
「おわっびっくりした!
プリ君、いきなりなに!?
てか、ノックも無しに女の子の部屋へ入ってくんなよ!」
「そんなことはどうでもいいんだ!」
ウィッチさんがジロリと睨みますが、プリーストさんは気にもとめず、私の方へ駆け寄ってきました。
「ルージュ。君にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?」
プリーストさんは高揚した様子で入り口に戻ると、奥から銀色の椅子のようなものを持ち上げ私に差し出します。
「この間、君の足代わりになるものを作ってあげると言っただろう?
それがこれさ!」
「この、椅子ですか?」
「その通りだ!」
プリーストさんは胸を張って、椅子を前後に揺らします。
その椅子は不思議な形をしていました。
骨格は細い金属で出来ていて、座る場所には布でシートが貼ってあります。
そしてなにより、その椅子には二つの大きな車輪がついていたのです。
「あの、プリーストさん………これは?」
「うん、まず私が使いかたを見せてあげよう!」
プリーストさんは椅子に座ると、車輪に手を当て回転を加えていきます。
すると椅子はスルスルと手の回した方向へ進んでいきました。
「どうだ、見たまえルージュ!
これなら君でも、自由に移動することが出来るだろう!」
プリーストさんは酷く興奮した様子で、大きな声を上げます。ウィッチさんはそんな彼へ呆れたように口を開きました。
「あれからずーっと部屋に篭っていると思ったら、そんなものを作っていたの?
ルージュ、気をつけた方がいいよ。
こうなるとプリ君、長いから………」
「長い?」
私がきょとんと答えたところ、プリーストさんは私の前に立って椅子の部位を指差しはじめました。
「これはなかなかの自信作なんだ!
まずフレームについてだが………炭素繊維強化プラスチックを使用している!
始めは金属も考えたのだが、如何せん重量が重くなってしまうのでね。
私の異能でカーボン素材を精製し、加工してみたわけだ!いやぁ、大変だった!
車輪についてはスポーク式ホイールを採用。素材についてはアルミニウム合金だ、軽いし強度に優れる。砂利道だって進む事が出来るぞ!
自らの力で車輪を回すため、シートは少し固目にしてある。その方が力が入れやすいのでね。
それから、段差を越えるためにティッピングレバーという仕掛けを自作して―――」
「はいはい、うるさいうるさい。
プリ君、ルージュが困ってるよ?」
プリーストさんの早口に面をくらってしまった私を庇うように、ウィッチさんが口を挟みます。
「ようするにこの椅子は、ルージュ用の歩行補助道具という訳だね。
なるほど、確かになかなか便利そう。
プリ君。これ、名前は何ていうの?」
ウィッチさんの問いかけに、プリーストさんが考え込んでしまいます。
「それなんだよ。
いくつか案があるのだが、どうも上手い名前が決まらなくてね………」
「案って?」
「ああ。『疾走する鋼鉄の嘶き』か『フルメタル・グランドガイアー』のどちらにするか迷っているのだが………ウィッチ、君はどちらがいいと思う?」
「車輪のついた椅子だから『車椅子』でいいね。
良かったねルージュ。さっそく使ってみたら?」
「ち、ちょっと待ちたまえ! 勝手に命名するな」
プリーストさんの不平を無視して、ウィッチさんが私を車椅子に乗せます。
車椅子は私にちょうどピッタリと合うように作られていて、なかなかいい乗り心地です。
「えっと………こうやって車輪を回すんでしたっけ………」
私がさっきのプリーストさんに習って、手で両脇の車輪をグルリと回したところ、カラカラと車椅子が前に進んでいきました。
「わわっ、すごい!」
少し回しただけのつもりだったのですが、車椅子は思ったよりスピードが出て私はそのまま壁にぶつかってしまいました。
「きゃっ」
「おっとと、ルージュ。大丈夫か?
ふむ………少しばかり操作系統に支障があるようだな」
プリーストさんは慌てて車椅子を抑えると、少し思案するように顎へ手を当てます。
そして何かを思いついたように手を伸ばすと、車椅子の骨格部分にそっと手を当てました。
「少し改良してみるか………」
プリーストさんは手を当てたまま目を閉じ、口元で何かブツブツと詠唱のようなものを漏らし始めます。
「我が創造するは、未知の物質。
右に顕現するはアクリル繊維。
左に具現するは炭素。
我は独創を持ってこの二物質を高度に化合、高温炭化によって複合繊維質へと練成する………」
詠唱と共に、プリーストさんの手が赤く光り、指先からフレームと同じ金属のような固い物質が湧き出るように現われました。
プリーストさんは目を開き、指先でそれらの形作し整えていきます。
「………?」
「ルージュ。これがプリ君の異能。
魔人 神官が持つ異能『超遺物』。
彼はね、この世界に存在するあらゆる物質を自由に呼び出し、加工することが出来るの」
目を見開いた私へ、ウィッチさんがそっと耳打ちします。
おーぱーつ? ちょっとよくわからないけれど………要するにプリーストさんは、とても手先が器用な人。ということなのでしょうか?
私達がそんな話をしている内に彼の作業は終了したようで、満足気に頷いて私へ目を向けます。
「とりあえず、ブレーキをつけてみた。
ルージュ。止まりたい時はそのレバーを引いてごらん」
見れば、フレームには一箇所、黒いレバーが設置されていました。
私は試しに車椅子を走らせた状態でレバーを引いてみると、キッという小さな音と共に車椅子が止まりました。
「ふむふむ、なかなかいい按配じゃないか。
どうだ、ルージュ。
気に入ってもらえたかな?」
「はい………とても素敵、です」
「それは良かった」
プリーストさんがうれしそうに笑顔を浮かべます。
魔人さんはすごいです。
死んだ人を動かしたり、何も無い所から物を造ったり出来るみたいです。
ウィッチさんは、私も魔人になったのだと言いました。
私にも何か………そんな素敵な力が、あるのでしょうか?
◇
カラカラと車輪を回しながら、私は街の中。お屋敷の前の路地を走り回ります。
こんな風に自由に移動できるなんて、生まれて初めてのことで、どこまででもいけそうな気持ちになってしまいます。
自由気ままに車輪を回していると、ウィッチさんが少しだけ心配そうに私の方へ駆け寄ってきました。
「ルージュぅ、あんまり遠くに行っちゃ駄目だよー。
ここは、いつまた戦士たちが攻めてきてもおかしくないんだから」
「戦士様ですか?」
「そう。この屋敷には四六時中、防衛隊の残党や傭兵団、冒険者に至るまでバラエティ豊富な敵が攻めてくるんだ。
あんまり離れた場所に行くと危ないよ?」
そう言えば、この街に来た時も沢山の戦士様たちが待ち構えていた記憶があります。
どうして彼らは私達を目の敵にするのでしょう?
私の感じた限り、おじさんたちはこのお屋敷で静かに暮らしているように見えます。
やることと言えば、偶に近くの街や村を滅ぼすことくらいでしょうか?
「何で、皆さんは私たちを攻めて来るんでしょう?」
「何でって………私達は大量虐殺者だからねぇ。
今はまだ小さな村や集落しか狙っていないけれど………それでももう数万人は殺してる。
そりゃあ奴らも攻めて来るさ」
「はぁ。そういうものですか………」
そう言えば、人を殺すのは悪いことだった気がします。
首を傾げる私へ、ウィッチさんは気を取り直すようにニッと笑ってみせました。
「ま、そういう訳だから。あんまり一人で離れた場所へ行っちゃ駄目だよ?
王国はまだ私達という存在を正しく認知していないから、国として大規模な攻勢はかけてきていないけれど、それだっていつまで続くかわからないからね。
私たちはもう、村を3つ、集落を4つ、そして街を2つ滅ぼしている。
流石に国王陛下さんも異常に気付いているころだと思うんだ。
もしかしたら次に攻めて来るのは王国の正規軍や………いよいよおっかない騎士団のご登場かもね」
「きしだん? 騎士団って何です?」
戦士や兵士、傭兵さんなど、そういった戦うことを主とする職業は知っていますが、騎士という単語を聞いたのは初めてです。
騎士とはいったい何なのでしょう?
「あ~、ルージュは知らないか。
騎士団ってのはさ、王国が対魔女用に結成した特別武装組織のことを言うんだ。
どいつもこいつも冷酷非道、その上、滅茶苦茶強いから手に負えないんだよ」
「大丈夫、なんですか?」
私が心配になって問いかけると、ウィッチさんは安心させるように私の頭を撫でてくれました。
「だいじょーぶ、だいじょうぶ。
魔女独立解放戦線が壊滅したいま、騎士団は王都の魔女狩りに忙しくて、滅多に外へ出てこない。
それにもし出てきたとしても、騎士の千や二千、バルさんがパパッと片付けてくれちゃうから!」
「ばるさん………」
「むぅ、ウィッチ。
俺を呼んだか?」
私たちが話していたところ、バルバロイさんがザッザと足音を上げて近づいてきます。
バルバロイさんはいつも、庭で剣の稽古をしたり、外を見張ったりしているのです。
「お、噂をすればバルさん!
今ね、ルージュにバルさんは超強いんだよって教えていたトコ」
「おお、そうか。それは素晴らしい。
ルージュよ。ウィッチの言う通り、俺は超強いぞ」
「ひっ………」
バルバロイさんは上機嫌に私を覗き込んできましたが、私は恐くなって思わず車椅子がのけぞり落ちてしまいます。
バルバロイさんは初めてあった時と同じく、怪物の仮面をつけていて、私にはそれがどうしても恐いのです。
何と言うか………本能的な恐怖に迫ってくるものがあるのです。
「うん? 何で俺はこんなに恐がられているのだ?」
「バルさん………ほら、その鬼の面。
ルージュはそれが苦手みたい。外せないの?」
「しかしなぁ………俺の素顔はこの面よりも更におぞましいぞ?
また気絶されては敵わん」
バルバロイさんが、罰の悪そうな様子でボリボリと頭を掻きます。
「そうだ! じゃあ、こんなのはどうだろう?」
ウィッチさんはニヤリと笑うと、懐からゴソゴソと何かを取り出し、バルバロイさんの頭へと被せました。
「ほら、ルージュ。
クマバルさんだよ、見てごらん」
見れば、ウィッチさんが被せたのは大きなクマのぬいぐるみの頭。
なにやら中の綿をくりぬいて、ちょうどよく被せたようです。
「どうだ、ルージュ。
これなら恐くはないか?」
ぬいぐるみのせいで篭ってしまっていますが、バルバロイさんが少し緊張した声で私へ問いかけます。
「………」
私は車椅子をカラカラと近づけ、バルバロイさんの手を握ってみせました。
「すごく………可愛いです」
「ほほう………可愛いとな?
強さに加えて愛嬌まで手に入れてしまうとは、俺もなかなか捨て置けんものよ」
そう言って、クマのバルバロイさんは笑い声を上げるのでした。
◇
「………」
「ああ、ありがとう。
みんな、18号がお昼ご飯を持ってきてくれたよ」
中庭での昼下がり、18号さんの持ってきてくれたサンドイッチを頬張りながら、私たちは昼食を取ることにしました。
いつもと同じサンドイッチでも、外で食べると何だか不思議な味がします。
とても新鮮な気持ちになるのです。
ぬいぐるみを鼻まで上げて、サンドイッチを食べているバルバロイさんに私は質問してみたくなりました。
「バルバロイさんは、どんないのーを持っているんですか?」
「いのー?」
「ああ、異能のことね。
バルさん。ルージュはみんなの異能に興味があるんだって。
教えてあげて?」
「ふむ、別に構わんが………。
俺の異能は口で説明するより、直接見た方が早いからな。
ルージュ、少し待っておれ」
そう言うとバルバロイさんは立ち上がり、中庭をふらふらと回り始めました。
そして、自分の背より高い大きな庭石を目に留めると、私達へ手招きします。
「俺の力を見せるには些か役不足ではあるが、この岩でいいだろう。
ほれ、ルージュ。
しかと見ていろよ」
バルバロイさんは庭石の前に経つと、刀の柄に手をかけ、プリーストさんと同じように何かを詠唱し始めました。
「我は修羅。我は羅刹。
我は一刀の抜き身。
鋼の心に迷い無く、万物全てを断ち切る刃」
バルバロイさんの言葉と共に、手にした剣から紅い光がぼんやりと浮かんでいきます。
それは刀身が抜かれるのと同期するように眩しさを強め、
刃が抜き身になると太陽のように雄雄しい光を湛えました。
上段に刀を構えるバルバロイさんは、まるで紅蓮の炎を抱えているかのよう。
思わず見惚れてしまった私に、ウィッチさんが小声で耳打ちます。
「ルージュ。バルさん―――魔人 蛮族の異能は『剣鬼』って言うの。
まあ、効果はシンプルそのもので―――」
ウィッチさんの説明を遮り、バルバロイさんが轟くような雄叫びをあげます。
「ちぇすとおぉ!!」
掛け声と同時、バルバロイさんの刀が庭石にめりこみ、ばっくり両断してしまいました。
それはまるでバターを斬るからのように滑らかで、斬っているのが大岩だというのを忘れてしまうほどです。
「ふむ………まあ、こんなものか?
どうだ、ルージュ?」
残心を残し、スラリと刀を鞘に収めたバルバロイさんが、私の方を向いて尋ねます。
「俺の異能『剣鬼』は見ての通り、どんなものでも両断する。
今回は岩であったが、例えこれが鋼であっても人であっても同様だ。
硬柔鉄火有象無象を問わず、俺に断てないものは存在しない」
「………格好いいです」
思わず漏らした私の呟きに、バルバロイさんはうれしそうな笑い声をあげました。
「そうかそうか。
強くて可愛くて、更に格好がいいとは。いよいよ俺も無敵だな」
◇
その後、再び稽古に戻ったバルバロイさんと別れ、私は木陰で体を休ませていました。
こんなに長時間外に居たのは初めてのことで、日に焼けた肌がジリジリと痛んでしまいます。
「大丈夫? ルージュ。
そろそろ屋敷に戻ろうか?」
「はい」
車椅子を押して、私を運んでくれるウィッチさんへ、私はふと気になっていたことを伝えます。
「そう言えば私の名前、ルージュじゃないみたいです」
「へ?」
訝しげに問い返すウィッチさんへ私は説明します。
「この間。フェイトさんが言ってました。
私の種族名はスレイブ。
魔人 奴隷………それが私の、本当の名前だって」
「………」
ウィッチさんは何か言いたげな表情を浮かべましたが、すぐにはらりと笑って私の背中を叩きます。
「あんなデブの言うこと気にする必要ないって!
ルージュは魔王様に『ルージュ』って名前をつけてもらったんでしょ?
それならルージュでいいじゃん!」
「はぁ………」
魔女さん、神官さん、蛮族さん。
みんなは種族名なるもので呼び合っているようです。
私はそれに習わなくてもいいのでしょうか?
その時、そういえば私の他にももう一人、種族名で呼ばれていない人がいることを思い出しました。
「ねぇ、ウィッチさん。
おじさんは………おじさんの種族名は何というのですか?」
「おじさんって………魔王様のこと?」
「はい。みんなはおじさんを魔王様って呼んでるみたいですけど。
魔人 魔王って何だか変です」
「あっちゃー、気付いちゃったか」
ウィッチさん少しきまずそうに顔を顰めると、小声で私に言います。
「ルージュ、魔王ってのはさ、彼が持つ異能の名前なんだ。
異能『魔王』………男でありながら魔術を操り、そしてその効果を超強化する魔法の異能。
魔王様の種族名は別のものなの………」
「そうなんですか?
では、おじさんの種族名は何と言うのでしょう?」
「………」
ウィッチさんはしばし黙り込んでしまいます。
そしてキョロキョロと周囲を伺い誰もいないことを確認すると、そっと声を忍ばせました。
「英雄」
「え………?」
「魔人 英雄。それが魔王様の、魔人としての種族名。
だけど、絶対に本人の前でそう呼んじゃ駄目だよ?
魔王様………種族名で呼ばれたらマジギレするからさ」
「ひーろー………」
私はもう一度、その名を呟きます。
とっても素敵な名前なのに、何でおじさんはそれを嫌がっているのでしょう?
それを、その時の私はまだ想像することも出来なかったのでした。