第37話 魔性の太刀と魔装の双刀
地下深くの礼拝堂で二人の剣客は睨みあい。
辺りを照らす灯篭が、そんな二侠の姿を赤く照らし出す。
先に口を開いたのは覚悟の方。
彼はバルバロイのおぞましい姿へ顔を顰め、忌々しく言葉を送る。
「弾蔵………かっては皇国の至宝とまで呼ばれた男が、何と言う様だ。
正道を捨て、魔性へと堕ち。
遂には同胞へその牙を剥くか」
「同胞、か………」
バルバロイはかつかつと足を進めていく。
「杉間……俺はずっと考えていたのだ。
敗北者として、あの鉄柵の中で、
陵囚者として、陵辱さるる皇都の中で、
魔性として、血雨降る殺戮の中で、
俺はずっと考えていた」
バルバロイは静かに刀を抜き、覚悟へ真紅の眼を向ける。
「俺の望みは何なのか。
俺が何を求めているのかと……ただそれだけ自考し続けてきた」
「それで、答えは見つかったのかね?」
冷ややかな覚悟の問いに、バルバロイは剣呑な笑みをもって答える。
「ああ、ようやく分かったよ。
俺は志士では無かった。
俺には誇るべき国も、敬うべき道もいらない。
ただ刃を向けるべき敵がいれば……敵さえ居れば、それで良かったのだ」
バルバロイの持つ大田貫にぼうっとした緋色の光が宿る。
それは薄暗い地下社でくっきりとした赤を描き、燃える鉄のような残響を残して瞬く。
「我は修羅。我は羅刹。
我は一刀の抜き身。
その殺意に大義はいらず。
その殺戮に善悪は不要。
ただ、在るがまま、望むがままに、迷い無く。
万物全てを断ち切る刃である」
「ほう……」
ギラギラと輝く緋刃は、覚悟の寂しげな顔を照らし出す。
「剣士日ヶ暮 弾蔵はあの日、やはり皇都で果てたらしい。
喜ばしいぞ魔人。
貴様はただの鬼。刀を握るに値しない蛮族であるようだ。
これで儂も、心おきなく貴様を殺せるというものよ」
◇
「いざ……!」
先に動いたのは、またしても覚悟の方だった。
覚悟はバルバロイを正眼に捉えたまま、左方の灯篭へ小刀を投げつける。
灯篭は中の明かりを断ち切られ、それと連動するように他の灯篭たちも煌きを消していく。
全ての灯りが落とされ、場が真なる闇で満たされる。
外の光が全く届かぬ地下の暗黒。
光明となるのはバルバロイが持つ真紅の刀身だけである。
「む……」
視界は完全に遮断されてしまったが、バルバロイは迫り来る脅威へ気がついていた。
あの老傑が訳も無く、灯りを落とすとは思えない。
彼の耳が捉えるのは、先ほども聞いた微かな風切り音。
バルバロイは即座に身を翻し、体を横滑りに回転させる。
風切り音は彼のいた位置をすり抜け背後の壁面にいくつかの刺突音を響かせる。
恐らくは小刀、もしくは手裏剣の投擲。凡庸な剣士であれば、すでに勝負は決していただろう。
最初の攻撃をかわしても、バルバロイの警戒に隙は無かった。
覚悟は自分の剣才を熟知している。こんな投擲を受けるとは考えていないだろう。
恐らくこれは、目くらまし。
その真意は付け入る隙を作るだけのものに過ぎない。
そんなバルバロイの考えを肯定するように、軽やかな跫音が凄まじい速度で迫ってくる。
「ちぇすとぉぉ!!」
気合一声、剣光を受け一瞬だけ白刃の姿が映る。
霊刀 輝鳳凰。
皇国の宝剣である。
「ふっ!」
バルバロイは振り下ろされた一撃を、緋色の刃で受け止める。
奇撃をまともに受けとめるなど、本来であれば愚策であるが……この緋刀は異能を帯びた断絶の剣。
その刃がこぼれることはなく、むしろ打ち合った刀剣類を断ち切ってしまう代物なのだ。
一撃を受け流し、バルバロイはそのまま攻勢へと転じる。
覚悟の剣は二刀流。一刀を矛に一刀を盾として扱う攻防一体の剣術である。
たとえここで反撃に転じたところで、もう一刀によって弾かれてしまうは明らかだったが、バルバロイの太刀に迷いはない。
己の異能は全てを断ち切る。
たとえ覚悟が剣によって一撃を防ごうとしたところで、その刀身ごと胴体を両断する心積もりであったのだ。
『剣鬼』は、『超遺物』や『屍姫』のように応用の効くものではない。
手にした剣がどんなものでも断ち切る、それだけの単純な異能であるのだ。
しかし、だからこそ、白兵戦においてバルバロイは無敵であった。
剣も盾も甲冑もことごとく彼の前では無為となる。
彼と相対した戦士は、己の武装に裏切られ困惑のままに命を落としていくのが常だった。
最初の一撃を防いだ時点で、恐らく輝鳳凰は破損。残るもう一刀だって、バルバロイの緋刃を受けることなど出来はしない。
バルバロイはどこか呆気無ささえ受けながら、覚悟に破壊の一撃を加える。
その手にガンッと、金属と金属のぶつかり合う音と感触が木霊する。
「……何だと?」
刃から手へと伝わる振動に、バルバロイは驚愕を受けていた。
胴を断ち切る筈だったその手に、金属同士がぶつかったとき特有の振動がビリビリと伝わっている。
それはすなわち、自らの剣撃が受け止められたことを意味していた。
どんなものでも切り裂くはずの刃を、剣によって『弾かれた』のである。そんなことは魔人に身を墜として以来初めてのことだ。
バルバロイはそこで始めて気付く。
自分が手にする緋刃と同じように、覚悟の剣もまた白銀の光を輝かせているのだ。
妖刀 夜鳴鷹。
輝鳳凰と同じく皇国の宝剣……二刀一対の魔剣である。
魔装の双刀は魔性の太刀が持つ異能を無力化し、その超常を弾き返したのだ。
もっとも、覚悟自身はそんなことに気付かない。
彼にとって魔剣とは、ただ切味が鋭い刀という認識であった。
バルバロイの動揺は覚悟の意中外にある。
「どうした弾蔵!
果し合いの最中で忘我するなど、未熟者のすることぞ!?」
しかし、それでも気配から覚悟はバルバロイが動揺していることを読み取っていた。
そして彼はそれを見過ごすような剣士ではない。
今こそ好機と判断し、続けざまに連撃を放っていった。
右から迫る白刃に、バルバロイは未だ輝鳳凰が健在であることを悟る。
身を反らし辛うじてかわしたものの、その隙に覚悟は身を翻し再び間合いと取り直してしまったようだ。
「ほう、俺の異能を弾き返すか。
魔剣……なかなかに興味深い代物であるようだな」
もっとも、バルバロイの驚愕は一瞬だけのことだった。
理由も原理も分からぬが、覚悟の双刀に己の異能は通用しないらしい。
ならば、それを踏まえた上で、剣士として圧倒するだけのことである。
「流石は剣聖。
3合以上打ち合うなど、どれほどぶりであろうか。
久しく血が滾るというものだ」
「その言葉、光栄とは思わんよ。
貴様は所詮、破戒の士。
その賞賛は儂にとって、愚弄と映る」
「ふっ、これは手厳しい」
皇国武士と王国戦士の戦い方には、多少の違いがある。
王国戦士にとって武術とは、言うなれば消耗戦。
互いに頑強な甲冑を纏い、相手が力尽きるまで打ち合うのが一般的な戦術であった。
だからその術に細かい手数は要らず、逆境に打ち勝つ炎の闘志と、それを支える強靭な筋力。
その二つが求められる。
対して、皇国武士は必要以上の筋力や闘志は求めない。
元よりドワーフ刀は鋭利必殺の剣、敵を殺すのに豪腕を要としない。。
彼らが求めるのは、素早く剣を振る瞬発力と、剣先を自在に操る精密性。そして、常に冷静さを失わぬ水の心であった。
どんなに頑強な甲冑だって、動くための隙間はある。その隙間へ必殺の一撃を加えるのが、彼らの戦い方だ。
だから皇国武士たちは戦いに置いて、これという防具を纏わない。
戦となれば多少の具足を装備することもあったが、こと決闘のような場においては盾も甲冑も手にしない。元より防御など範疇外にあるものなのだ。
彼らが持つのは一振りの刀のみ。
勝負は大体において一撃で決まるのが常であった。
杉間 覚悟は巧手の士である。
彼の攻め手は変幻自在。二刀の魔剣がフェイントと必殺を不規則に繰り出し、俊敏な脚捌きと老獪な位置取りで死角を取る。
覚悟は持ち得る技の全てを尽くしてバルバロイの背面へ回り込み、必殺の連撃剣を繰り出した。
それは以前、スオウに放った掟破りの七段打ち。
スオウには破られてしまったが、今回は背面からの必殺、これを防ぐのは至難をこえて不可の域に達している。
「おおぉ!!」
しかし、バルバロイはそれらを全て受け止める。
ドワーフ刀としては長大な胴田貫、それを手足の如く扱って。
視界の外、闇の中から繰り出される白刃を機械的な正確さで完全にいなしていっていた。
(馬鹿な………)
驚愕したのは覚悟である。
この男のことはよく知っている。
人並み外れた豪力、不敵なほどの大胆さ、決して屈せぬ胆力。
それでいて、緻密な動きと平静を失わぬ湖面の如き心。
天才……剣士として理想の男。
皇国の至宝という異名に嘘はなかったが、それでも技においては自分に分がある筈だった。
まして、この戦場は覚悟が作り上げたもの。
自分が圧倒的有利を得られるよう、いくつもの命を犠牲にしてようやく造り上げた環境なのだ。
己が持つ二刀流、過信ではなく確かな自信を持っている。
なのに、どうして、この男は―――
「老いたな、剣聖」
不意に岩にでも打ち付けたような衝撃が覚悟の両腕に伝わる。
斬り払い。
バルバロイの紫電一閃が、覚悟の双刀を斬り払ったのである。
「ぐっ……」
激しい衝撃に両手を開き、無防備な体を晒しながら覚悟は信じられない思いで呻きを漏らしていた。
こちらが一太刀放つ間に、二撃を加えてきた……。
もともと彼の剣撃は疾風の如き速さであったが、その素早さが増している。
その太刀筋は疾風といよりもはや電影。
文字通り神速の剣である。
だが驚愕を受ける心と裏腹に、覚悟の体はどこまでも武人であった。
痺れる両腕を放棄し、半ば無意識のまま、覚悟は地面を強く蹴って宙に浮いていた。
「つぁあぁぁ!!」
旋風脚。
全身を激しく回転させて、全体重を対象に叩き込む捨て身の大蹴り技である。
視界外からの飛び蹴り、狙うはバルバロイの側頭部。
当たれば容易く首骨をへし折る必殺の蹴りである。
「おぉ!」
しかしバルバロイは腰を落とし、身をよじらせてその蹴りから身をかわす。
蹴りを認識したのではない。カンに頼った緊急避難である。
剣鬼 日ヶ暮、伊達に天才とは呼ばれていない。
彼の最も恐るべきは豪力でも培った剣技でもなく、生まれながらの戦闘感覚。
動物染みた直感本能であったのだ。
バルバロイはそのまま、覚悟の胸へ掌底を叩き込む。
ドワーフ離れしたその豪腕を受け、覚悟は地へと落下した。
「ぐぅ……!」
覚悟はすぐさま立ち上がり、間合いを取って飛び去るが、その動きに元の冴えは無い。
胸から伝わる千切れるような痛みと、気道を塞がれたような息苦しさ。
肋骨の骨折……場合によっては肺にまで損傷が及んでいる可能性もある。
口から血を垂らし、ぜっぜっと短く息を吐く姿は、覚悟が戦闘不能であることを表していた。
そして、そのことを最も理解していたのは覚悟自身だったのだろう。
「ちぃ!!」
覚悟は相対するバルバロイに背を向け、脇目も振らずで地下礼拝堂から逃げ出していく。
「遁走だと……!?」
突然の逃走にバルバロイは目を見開くが、その戸惑いも一瞬に過ぎない。
それまで楽しげだった瞳に憤怒を宿し、怒りのまま覚悟を追って走り出した。
「敵を前にして遁走とは、語るに落ちたな杉間 覚悟。
亡国の徒とは、こうも無様か。
剣聖の名が泣いておるわ」
覚悟の後を追いながら、バルバロイはどこか嘆息したように口開く。
それにはどこか、哀しげな響さえ入り混じっていた。
どちらにせよ、覚悟はそこまで遠くには行けないだろう。
いかに優れた身体能力を持っていようと、寄る年波と負傷の瑕瑾には耐えられまい。
よろしい。貴様は戦死の栄誉に値しない。
売国奴らしく、卑怯者として横死するがいい。
バルバロイは刀に宿る赤光をさらに禍々しく輝かせ、覚悟の後を追い続ける。
覚悟はヒィヒィと息を荒げ、口角から血まで滲ませつつ必死になって足を進めていた。
長い地下道の先に、ようやく外の光が見える。
そのわずかな陽光目掛け飛び出した先、そこは築いた堡塁の内側だった。
第11堡塁「る門」。街の中心部に築かれた堡塁である。
地下道を抜けたものの、覚悟の体力は限界だった。
肋骨が刺さったか、掌底によるものかはわからぬが、彼の肺はもはや碌な酸素も補給できず、むしろ気道を通して血液を口内へと送り出している。
「ぐっ……がはっ…!」
堡塁の石壁に手をつき、覚悟は盛大に喀血する。頭がぐらぐらと揺れ、視界もろくに定まらない。
そんな彼の背後で、バルバロイはかつての師へと静かに問うた。
「杉間よ。
俺は剣士としてお前を尊敬していたし、畏敬さえ抱いていた。
そんなお前が敵前逃亡とはな……亡国の無念とは、誇りさえも腐らせてしまうのか?」
「……儂だって、本当ならこの手でお前を殺してやりたかったさ」
バルバロイの問いかけに、覚悟は自嘲するように答える。
この期に及んで彼の口元には、皮肉気な笑みが浮いていた。
「お前という鬼を作ってしまったのは我々だ。
皇国とは、我らが造り上げた他に比類なき珠玉の国家……そんな我々の我執が、お前の心を鬼に変えてしまった。
その責を、その咎を晴らさんと、この手でお前に引導を渡してやる心積もりだったのだが……儂にはそんな力も無いらしい……」
覚悟は石壁に背をあてると、そのままズルズルと座り込んでしまう。
ひゅうひゅうと息を乱し、血の唾を吐き捨てながら、それでも覚悟は必死になって言葉を続ける。
「降参じゃよ、弾蔵。
お前はもう……儂の手に負える男ではなくなっていた」
「……」
覚悟の言葉を黙殺し、バルバロイは無言のまま刀を高く掲げる。
かっての師。しかしこの醜態はもはや、目にすることさえ疎ましい。
「さらばだ、師匠」
それがバルバロイの決別の言葉。
彼が浮かべる紅色の剣閃は、確かな軌道でカクゴの首へと振り下ろされる。
しかし、それより早く覚悟は叫んでいた。
それはある種、覚悟にとって屈辱の言葉。
『自分たちを助けて欲しい』と認める、敗北宣言である。
しかし、それは同時にドワーフ族の未来を示唆する言葉でもあった。
「今じゃ!! スオウ殿!!」
「心得た!!」
覚悟の叫びと同時に巻き起こる大旋風。
それが、一人の男による剣風であると悟るのに、バルバロイは幾許かの時間を要した。
大剣は石壁を粉砕し、木柱を叩き割って、まるでついでとでも言うように、バルバロイの利き腕を斬り飛ばす。
超大型両手剣『ヴーロート』
その刃は決して鋭くはないが、この質量を前にしてはそんな小手先も意味を成さなくなってしまう。
巨人の鉄塊に、切れ味などは関係ない。
触れたものを等しく叩き壊すだけである。
前述の通り、王国戦士の武術は消耗戦。
互いに頑強な甲冑を纏い、相手が力尽きるまで打ち合うのが一般的な戦術である。
だからその術に細かい手数はいらず、逆境に打ち勝つ炎の闘志と、それを支える強靭な筋力。
その二つが求められるのだ。
そして、バルバロイの前に現れたのは王国の戦士であった。
炎の闘志も強靭な筋力も、おまけに勇猛な精神さえ、その巨体に秘めている。
「魔人バルバロイよ!!
お前への引導は、覚悟殿からこのスオウ・ヴーロートが預かった!!」
王国戦士の極地を極めた英雄は、炎の心を顕現させたように燃える赤髪を揺らして、名乗りを上げる。
それはさながら、獅子の咆哮のようであった。
「腹を括れよ剣鬼、ここから先は鬼退治の時間だ!!」