第36話 思想の亡霊
土蜘蛛砦の避難壕。
その中は、榴弾から避難してきた住民たちで溢れかえっていた。
砲弾着弾と同時にここへ避難したものの、傷を負った者も少なくない。
特に傷の深い者は避難壕の奥、仮救護室へと運ばれていた。
そんな怪我人たちの中、リーシャと案内人の二人も簡易ベッドに横たわり、治療されるのを待っていた。
「うぅ、痛ぇ。痛ぇっすよ。
俺も早く手当てしてくれぇ!」
「もう、さっきから五月蝿いなぁ!!
手当ては重傷者からに決まってるでしょ!?
私だって皮膚べろんべろんなんだから、ひぃひぃ言うんじゃないよ!」
先ほどから泣き言を零し続ける案内人へ、リーシャは苛々と答える。
彼らとて決して軽傷とは言えないが、避難壕にはそれこそ命の危機に瀕する重傷者で溢れているのだ。
「案内人さん、リーシャさん!
ご無事ですか!?」
そんな二人の元へ、セイギが泡を喰った様子で駆け込んできた。
「セイギくん?」
「リーシャさん。ああ………こんなに傷だらけで………」
リーシャの擦り傷を捉え、セイギは自分が傷つきでもしたように顔を顰めてしまう。
あまりに深刻な彼の態度に、リーシャは思わず笑ってしまった。
「唯のかすり傷だよ。
私よりずっと酷いことになった人たちがいるんだ。
こんなの、全然大した―――」
「セイギくんん!
見てくれ、この重傷を!
恐かった! 僕、恐かったっすよぉ!!」
「わぷ、ちょっと、抱きつかないで!」
リーシャの返事を遮り、案内人が取り乱した様子でセイギに抱きついていく。
必死で押し当ててくる案内人の顔面を押し返し、セイギは困ったように笑ってみせた。
「とにかく、二人が生きていて良かった。
怪我をしたと聞いた時は血の気が引きましたよ。
それでは、僕はこれで……」
「え、もう行っちゃうの?」
案内人は瞳を潤ませてセイギを見上げるが、彼は面倒くさそうに目を反らす。
「ユウキ様から集合が掛けられているのです。
僕も戦わなないと」
「き、きっと無事で帰ってくるっすよ!
待ってるからね!」
「はいはい……」
物語のヒロインのような言葉をのたまう案内人を無理やり引き剥がし、セイギは逃げるように地下道へ向かっていく。
そして、その背中と入れ替わるようにして、一人の老人がリーシャたちの前へと歩いてきた。
「栗沙」
「お爺ちゃん?」
不意に現れた覚悟へリーシャは目を見開く。
そんな孫娘へ覚悟はいつものように微笑むと、その頭をそっと撫でた。
「こんな所でなにやってるの?
お爺ちゃんだって戦いにいかないと……」
「いや、少しお前に話したいことがあってな。
すぐにまた、戦線へ戻るさ」
覚悟は小さく笑い、それから少し真剣な目になってリーシャへと語りかける。
「栗沙、人間族を憎み続けるのはもうやめろ」
「はぁ? こんな時に、なに言ってんの?
それに、人間族はお父さんやお母さんを麻薬漬けにして殺した連中だよ。
憎むなとか、意味わかんない!」
あまりに唐突過ぎる言葉へリーシャは憤慨するが、覚悟は困ったように笑みだけ浮かべ構わず言葉を続けていく。
「いいから、爺ちゃんの話を聞け。
確かに王国がしたことは許せんが……それだって元を正せば儂ら皇国が武器商で暴利を貪っていたことによるもの。
戦火の耐えぬ王国は儂らにとって恰好の得意先じゃった。
大陸が戦乱に暮れることを、儂らが望んでいたのも確かだったんだじゃ」
「だったらどうだって言うの?
人間たちが勝手に内戦をしていただけじゃない!
私たちに何の責任があるのよ!?」
「そりゃあ、責任なんてないさ。
しかし、内戦によって疲弊した王国が阿芙蓉貿易に頼るしか無かったこともまた事実。
荒廃した大陸に資源は無く、だが人を生かすに富みは必要。
当時の王国が生き残るには、他に手段が無かったのかもしれん。
今思えば、儂らが王国を追い込んでしまったようなものじゃ……」
「何よそれ……」
「皇国は、王国からの阿芙蓉によって荒廃した。
しかし王国もまた、皇国からの武器によって荒廃したんじゃ。
阿芙蓉の蔓延はもしかすれば、儂らへの報いだったのかも知れん」
とうとうと語られる覚悟の言葉にリーシャは俯いてしまう。
そんな王国へ肩入れするような話、これまで聞いたことがない。
王国は邪悪で、人間族は横暴で、悪魔の化身のような者たちであると、リーシャは思っていた。
ドワーフ族はそんな悪魔たちによって傷つけられたのだと信じていた。
それを「報い」という言葉で断じられるなど、どうしたって納得できるものではない。
唇を噛みるリーシャへ手を置き、覚悟は最後に微笑みかける。
「儂とて、今までそんな風に考えたことは無かったさ。
しかし何故だろうな。
スオウ殿に会ってから、儂はどうにも人間族というものを憎みきれなくなってしまった。
もし違う未来があったなら、我らは手を取り合って進むことが出来たのではないか――そんなことを考えるようになってしまったんだ」
「……意味わかんない」
リーシャは不貞腐れたように、ひたすら地面を見つめ続ける。
人間族の肩を持つなど、ドワーフの風上に置けない思想ではないか。
よりにもよって祖父がそんな不道徳に染まるなど、考えたくも無いことだった。
「別に、ただの老害の考えさ。
あまり気にせんくてもいい。
ただ、儂がそう言ってたことだけは、心のどこかに留めておいてくれ」
覚悟は最後にリーシャの頭を撫でると、飄々と彼女の前から去っていく。
何だか嫌な違和感を感じたリーシャはそんな祖父へ大声を上げていた。
「お爺ちゃん、何か変だよ!?
何でいきなり、そんなことを私に話したわけ!?
ちゃんと、私達のところへ帰ってくるんだよね!?」
「おーう、大丈夫だ。
腐っても儂は剣聖だぞ?
魔王の一人や二人、軽くひねり殺してくれるわ」
覚悟を背を向けたまま気楽な様子で手を挙げる。
リーシャには、その背中がいつもよりずっと小さく見えたのだった。
◇
産業都市は正に壊滅状態であった。
異国情緒に溢れ、折り重なるように建立されていた家屋はことごとく砲撃によって焼き砕かれ、そこに住んでいた人々は姿を消している。
榴弾による鉄片の照射、それを受けた人々は四肢を吹き飛ばされ、文字通り挽肉となって腕は家屋に、足は地面にといった具合で、思い思いの場所に散らばっている。
産業都市を襲った榴弾は、機械的な無慈悲さで効率よく建造物や人々を破壊し、たかだか数時間でこの街を死の廃墟へと変えてしまったのだ。
朝倉は堡塁の中から、荒廃した街並みへ目を向ける。
彼にとってその光景は、世界の終わりが来てしまったかのように感じるものだった。
「う……」
朝倉の背後で一人の兵が嘔気づく。若い彼にとってこの光景は凄惨に過ぎるものだったのかもしれない。
「しっかりしろ。この街を守るのは我らなのだぞ」
体を九の字に曲げて嘔気に耐える青年へ、朝倉は叱咤する。
それはやや無慈悲な言葉であったが、彼がそんなことを言うのも無理はなかった。
この惨劇を引き起こした悪魔たち、それがここへやってくるかもしれないのだ。
彼らが待機するのは産業都市のちょうど入り口に築かれた「ゆ門」。
幸い榴弾の雨を受けてなお堡塁は健在で、防護壁としての役目をきちりと保っている。
一度は騒然となった産業都市であるが、劉は有能な男だ。
すぐに残存者を統率し、新たな防衛部隊を編成することが出来るだろう。
朝倉はそれまで時間を稼がなければならない。自分たちがどれだけ粘れるかよって、戦局は大きく変わってしまうのだ。
「いかな化生、いかな面妖、いかなる魔性が相手であっても決して屈してはならん!
我らは誉れ高き皇国武士団の現身、我らに後退の文字は無い!!」
朝倉は部下達の気を昂ぶらせようと精一杯に鼓舞する。
彼はこれまで、修羅場や凄惨な戦場も経験していたが、これほど理不尽で圧倒的な戦いを負ったことはない。
壊滅と言っていいほど街を破壊されながら、自分達は相手の姿さえ捕捉出来ていないのだ。
「……!」
不意に朝倉の首筋へぞわりと悪寒が走る。
それはこれまで感じたことのない、異質な感覚だった。
「朝倉様……誰かが来ます」
「わかっている……」
ドワーフ達もそれを感じているのか、一様に蒼白な表情で煙舞う廃墟を見つめている。
大過の残り火から漏れる白煙の霧。
その先から、圧倒的な違和感をふつふつと感じるのだ。
何かが来る。恐らく、忌むべき存在であろう何かが……。
ざらりとした音をたてながら、違和感は人型を模って霧中から姿を現す。
現れたのは鬼だった。
朱色の装束を身に纏い、白い髪をした一匹の夜叉鬼。
そのおぞましい鬼面には、目を模った二つの穴が開いており、鬼面以上に鮮烈な真紅の眼が爛々と覗いている。
魔人 蛮族
魔王に仕える、眷族の一人である。
魔人の異形を前に、朝倉は呆けたように言葉を漏らす。
「弾蔵……」
「十郎左か」
そう。何を見紛うことはあろうか。
あれはかつて皇国の至宝とまで謳われた英士。
自分が同志としていた同胞。
「まさか、この街に貴様が居るとはな。
反王国派の斬り込み役が、何と言うザマだ。
貴様も喜兵衛と変わらない男であったか」
「弾蔵! 本当に……お前なのか……?」
バルバロイはその問いに答えなかった。
ただ返答代わりとばかりに、朝倉の背後。先ほど嘔気に耐えていた青年の首を、斬り落としてしまう。
「――」
「さ、真田!?」
切り口から大量の血を吹き上げ、崩れ落ちる青年に朝倉は驚愕の声を上げる。
バルバロイとの間には10メートル以上の間合いがあった筈だ。
それを一瞬で埋めるなど常軌を逸している。
驚愕に顔を歪ませる朝倉へ、バルバロイは仮面越しでもわかるほど愉快そうに笑って見せた。
「他愛ない……あまりに他愛なさ過ぎる。
こんな者が武士を名乗るなど、やなり皇国の滅亡は必定であったようだな」
「き、貴様ぁ!!」
一時は迷いを抱いた心。しかしもう朝倉の腹は決まっていた。
例え相手がかつての兄弟子、敬愛を抱いていた相手であったとしても、己の部下を殺され殺意を抱かぬ戦士はいない。
朝倉は刀を振りかぶり、バルバロイの脳天目掛けて刃を振り下ろす。
しかし、その刃がバルバロイへ届くことはなかった。
朝倉はただ、腕を振り回しただけで終わってしまったのだ。
「え?」
不意に軽くなった腕へ、朝倉は目を向ける。
彼の利き腕は握った刀ごと、肘から先が無くなっていた。
一拍置いて、切断された腕から血が噴出す。
(馬鹿な……いつ斬られた? 腕には何の感触も――)
「愚鈍」
呆然と切断面を見つめる朝倉を、バルバロイは蹴り飛ばす。
彼はその衝撃のまま堡塁の下……土蜘蛛砦へ通じる地下道へ落ちていった。
バルバロイは朝倉の消えた穴を見下ろし、感心したように声を上げる。
「ほう、妙に屍の姿が無いと思っていたが……こんなものをこさえていた訳か。
親王国派め、相も変わらず保身しか考えらぬようだな」
残った者たちには何が起こったのか理解出来なかった。
朝倉とて、皇国が誇る豪傑の一人。
そんな彼をさらりと倒してみせたこの男は、いったい何だというのだ。
竦むドワーフ達に、バルバロイは呆れてしまう。
「敵を前して固まるとは……いよいよ皇国武士も堕ちたものだな。
少し稽古をつけてやろう。
なに、礼には及ばん」
戦士たちの胴体を3人まとめて斬り飛ばし、バルバロイは豪気に笑う。
「稽古の対価は、お前達の命でいい」
◇
「朝倉隊が全滅しました!」
「何だと……?」
司令室の劉へ、伝令が驚愕のままに報告を行う。
彼らが配置について、まだ僅かな時しか経っていない。
まさか数分で、あの朝倉隊が全滅したというのだろうか。
劉は必死に冷静を務め、伝令に問いかける。
「敵の人数は?」
「一人……その、鬼の仮面をつけた剣士だということです」
「……日ヶ暮か!」
劉はそのまま愕然と青ざめる。
それは、彼にとって最も出会いたくなかった魔人の姿形。
「敵は朝倉隊を潰した後、地下道を進んでいるようです!
このままでは、砦に辿りつくのも時間の問題かと」
「くそ!」
次々と齎される凶報に劉は歯噛みする。
全滅した朝倉隊は皇国時代から武人を続ける精鋭、産業都市にとって切り札となる益荒男たちであったはずだ。
彼らが敵わぬ相手に、どう立ち向かえというのだ。
「劉大人、少し落ち着かれよ」
「爺さま……」
狼狽の兆しを見せる劉へ、覚悟が毅然と声を掛ける。
「報告を信ずるならば、相手はあの剣鬼一人。
むしろ吉報と見ていいのではないか?」
「しかし………」
「儂が出る。
劉様は儂の提案どおり、手筈を進めておいて欲しい」
腰の両側に双刀をかけ、覚悟がのそりと立ち上がる。
「爺さま……!」
「この十年………儂らは耐え難きを耐え、ようやくこの地に街を築いたのだ。
それをたかが一人の男に蹂躙されては叶わん。
なに、腐っても儂は剣聖。剣鬼に屈するつもりはないさ………」
覚悟はいつもの柔和な笑みで、颯爽と司令室を後にする。
後に残された劉は、ただ拳を握ることしか出来ない。
「……くそ!」
劉は正直、こんな事態になるとは考えていなかった。
いくら魔王たちが超常の産物だとして、こちらには1万の兵と砦がある。
それなのに、このザマは何だ?
敵の姿も規模も認識できぬ内に街を地上を失い、砦さえ陥落されんとしているではないか。
失望に悔恨を混ぜながら、劉はただ拳を握るのだった。
◇
どれほど、敵を斬っただろうか?
千までは数えた、だがそれ以降はもう数える気にもならない。
バルバロイはもう、無感動のまま機械のようにドワーフたちを切り捨てていく。
地下道は長く狭かった。人が二列になってちょうど進めるくらいの長い通路、バルバロイにとっては調度いい按配の広さである。
地上に居た朝倉隊を倒し、地下道では立ちはだかりしドワーフたちを刻んでいく。
バルバロイは彼らを殺しながら、散歩でもするようにゆっくりと前進していた。
彼らは皆、まず剣を構えてくる。
あらゆる攻防に対処できる中段の構え、ドワーフ剣術における基本の型だ。
その対応は実に必定。何も間違ってはいない。
ただ、残念なことに自分は魔人だった。
異能『剣鬼』
万物を剥離させる、切断の異能。自分に対し剣を構えるのは無意味である。
バルバロイは適当に剣を薙ぐ。
その刃はドワーフたちの構える刀身をバターのように切り裂き、その先の首や胴まで届いてしまう。
彼に斬られた者たちは一様に驚愕に目を見開いたまま、事切れていったのだった。
(何と言う錬度の低さだ。これが皇国武士の成れの果てというのか)
血の海に変わった地下道を進みながら、バルバロイの心に浮かぶのは猛りではなく落胆だった。
今まで王国戦士のことを散々馬鹿にしてきたが、どうも人のことを言える立場ではなかったらしい。
そんなことを考えていたとき、バルバロイの視界が一気に開ける。
それは地下道の先に忽然と現れた、20畳ほどの開けた部屋。
部屋の奥には社のようなものが置かれ、灯篭が煌々と辺りを照らしている。
あれほど居たドワーフたちの姿もそこには無く、ただ無人の境内が佇んでいる。
土蜘蛛砦の内部に造られた地下社。
長期戦の際に活用するべく建立された、地下の神社である。
「………?」
不意に現れた静寂にバルバロイは足を止める。
先ほどまで、休む暇も与えんと、攻撃を敢行してきたドワーフたち。
なのに、この部屋には一人も敵がいないのだ。
足を止め、辺りを見回すバルバロイ。その鼓膜を舜という音が微かに揺らす。
それは五感に集中していなければ、聞き取ることが出来なかったであろう小さな風切り音。
その音を感じた時点で、バルバロイの手は動いていた。
迅雷風烈の素早さで刀を振り、刀身によってその脅威を弾く。
その斬は微かに散った火花と共に、小刀がからりと乾いた音を響かせて弾き返していた。
その銘を見下ろし、バルバロイは皮肉気な声を上げる。
「奇襲とは……見下げ果てたものだな。剣聖」
「痴れ者が……」
バルバロイの声に対し一人の老人が境内の裏から姿を現す。それはバルバロイにとって懐かしい顔。
杉間 覚悟――剣聖と謳われ、自分の武技を磨き続けてきた恩人が、侮蔑の眼差しを向けていたのである。