第32話 とある蛮族の話
「ぐっ……」
弾蔵は目を覚ますと同時、顔から伝わる痛みに呻き声を漏らす。
当初は掻痒に近かった感覚が、次第に疼痛へと変わり、昨夜ついに焼けるような激痛へと変化した。
苦悶と苦痛の渦巻く中でよく眠れたものだと、自嘲してしまう。
『日ヶ暮に陵幽刑を与える』
皇王にそう処断されて二週間。
弾蔵は皇都の大広場に造られた金属の檻の中に、悪鬼の面を被せられた状態で監禁されていた。
檻の側には「この者、鬼畜外道にて陵幽に処す」と書かれた札がかけられている。
剣山針樹の懲戒……陵幽刑。
受刑者は街の中心部にある檻へ幽閉され、顔に夜叉鬼の面を被せられる。
面の裏には遅効性の毒が塗ってあり、受刑者の顔を少しずつ壊死させていくのだ。
受刑者は少しずつ朽ちていく顔の恐怖と痛みに、我を失い嘆き続ける。
そして、その様を皇国民たちに見せつけ、反乱分子への牽制とするのである。
陵幽刑とはすなわち、見せしめに他ならない。
これは皇国において死刑よりも重く、不名誉とされる処罰であったのだ。
仮面の裏から伝わる苦痛はいよいよ耐えがたく、弾蔵は獣のような唸り声を上げる。
夜叉の毒は、とっくに彼の皮膚を溶かし、肉まで腐食しはじめているようだ。。
元より伊達を気取るつもりは無かったが、自分の素顔が鬼面よりおぞましいモノになっているという事実には、流石に心が滅入ってしまう。
檻の隅でじっと耐える弾蔵を、行き交う人々は嘲り笑っているようだ。
過去、陵幽刑が執行されたのは、強姦殺人者や猟奇殺人鬼のような輩ばかり。
今の弾蔵は人々にとって、そういった外道の一人へと成り下がっていた。
三日過ぎれば泣き叫び、十日越えれば気が触れて、半月待たず狂い死ぬ。
皇国最重の懲戒は伊達ではない。
陵幽刑は決して死刑では無かったが、生きてこの刑を終えた者など、唯の一人も存在しなかった。
(笑いたければ、笑うがよい……)
そんな処遇に墜落しても、弾蔵の心は平静であった。
時折、呻き声を上げることはあっても、決して忘我したり、絶望に嘆くことはない。
なぜなら、彼には希望があった。
自分は不覚を取ってしまったが、反王国派の仲間たちはまだ残っている。
同門の朝倉 十郎左や、配下の藤原 喜兵衛。
自分を信じ、従ってくれた数多くの同志たち。
彼らがきっと、劉を、覚悟を、皇王を、そして王国を打ち倒してくれると信じていたのだ。
降りしきる冷たい雨も、
烈火のようにふりそそぐ真夏の直射も、
皇民たちの侮蔑も、
彼らから投げつけられた石も、
腐り落ちていく己の顔に対しても、
弾蔵は決して絶望しなかった。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのが、皇国武士の誉れである。
自分が解放されたその日には、この無念を何倍にもして王国に返してみせると心に誓い。
そんな決意だけを慰めに、弾蔵は屈辱の日々をひたすら耐え続けたのだった。
◇
陵幽に処され、どれだけの月日が経っただろうか?
ある日、弾蔵は信じられないものを見つけることになる。
決してこの地を踏ませぬと、彼が憎悪した人間族。
王国人が、皇都の中を我が物顔で闊歩していたのである。
そして、そんな人間たちに従っているのは……弾蔵が信じていたかつての同志、反王国派のドワーフ族。
彼は媚びへつらうような笑みを浮かべながら、人間達を案内しているようだった。
「おい、何だこれは?」
一人の人間が、弾蔵の檻を指差しドワーフへ問いかける。
「へぇ、これは陵幽刑という処罰に使う檻でして……重罪人をこの中に囲っておくのですよ」
「陵幽刑……要するに見せしめと言う訳か。
何と野蛮な……やはりドワーフ共の道徳は、王国より遥かに劣っているようだな。
所詮は蛮族と言うわけか」
「へへぇ……」
侮蔑の眼差しを向ける人間族に、ドワーフは媚びた笑みを持って答える。
王国打倒を謳い、弾蔵と共に血判を交わした仲間たち。
彼らはもう、完全に王国へ屈服しているようだった。
「それで、この男は何をしたのだ?」
「こいつは……」
王国民は弾蔵を指差し問いかける。
ドワーフがその問いに答えるより早く、弾蔵はかつての仲間へ吼えていた。
「喜兵衛! 何をしている!?
なぜ、皇都の中を人間族が闊歩しているのだ!?」
「う、うるせぇ!!」
弾蔵の激昂に、しかし喜兵衛は更に激しい怒声を持って吼え返す。
「見てわかんねぇのか、弾蔵!!
王国はな、俺たちの主人になったんだよ!』
「なんだと……?
貴様らは一体、何をしていた!
俺に代わって人間族を断罪するのではなかったのか!?
よもや、王国に屈したのではあるまいな!?」
「屈した?
馬鹿野郎。俺たちは屈するどころか、王国に服従してるんだ。
とっくの昔にな!」
「は……?」
喜兵衛の答えに、弾蔵は言葉を失ってしまう。
「弾蔵……お前のしたことには、何の意味も無かったんだよ。
謀反を起こそうが、それでこんなザマに落ちぶれようが。
皇国には何の意味も無かった」
喜兵衛は苛立ちさえ持って、弾蔵を睨みつける。
「憐れなのは俺たちだ……。
皇王殿下に刃を向けて、王国に歯向かって……俺たちの立場はどうなる!?
お前の勇ましい言葉にまんまと乗せられて、とんだ貧乏くじを引かされちまったよ」
バンと檻の鉄柱を叩き、喜兵衛は責めるように訴える。
「こんなことなら、最初から劉大人の言う通りにしておけば良かった……。
本当、お前のことなんて信じるんじゃなかったよ!!」
先に言ってしまえば、弾蔵に同志など最初からいなかった。
反王国派―――元より、弾蔵の求心力だけで成り立っていたような派閥である。
そして、その弾蔵が陵幽の身に堕ちたいま、彼らが王国へ歯向かう志は失せ果てて、直ぐに親王国派へ恭順したのである。
「馬鹿な……」
力尽きたように立ち尽くす弾蔵を、王国民は愉快そうな目で見下ろした。
「何が何だかわからんが……なかなか愉快じゃないか。
未開人の罵りあいは、我々のような文明人にとって滑稽に見える」
王国民はそう嘲笑うと、思いついたように落ちていた木片を拾い、喜兵衛へと手渡した。
「おい、喜兵衛。
これでその男を打ち据えろ。
そいつの苦しむ姿が見たくなった」
「へ……へぇ」
喜兵衛は棒を受け取ると、弾蔵の胸ぐらを掴み檻の端――棒の届く距離に引きつける。
「喜兵衛……」
「なあ、弾蔵。
俺らさ。お前のせいで今、すげぇ立場が悪いんだ。
俺なんてまだマシな方。
流刑になった奴や、技術移民とかいう奴隷として大陸へ送られちまった奴らもいる」
喜兵衛は一瞬だけ躊躇いを見せるも、すぐに決意を秘めた目で弾蔵を睨みつける。
「だから……!
これはその報いだ!!
奴らに代わって、俺が忠罰をくれてやる!!」
喜兵衛はそう叫ぶと、思い切り弾蔵を棒で殴りつける。
腕を、腹を、顔を滅多打ちにされながら、弾蔵はそれをさける仕草も逃げる様子も見せなかった。
元より衰弱し、死に体となった自分に殴打を避けることは不可能。
ただ殴られるがまま、罵られるまま、そして嘲笑されるがままに、弾蔵は腫れあがっていく己の姿態を見つめていた。
喜兵衛の苛虐がようやく終わったのは、弾蔵の意識が途絶えた頃。
全身を倍近くまで腫れあがらせた弾蔵が、動かなくなった頃のことであった。
血塗れで倒れ、微動もしなくなった弾蔵を見下ろして、王国民は飽き飽きしたように肩を竦める。
「おい。この男、死んだのか?」
「へぇ、わかりやせん」
「ううむ、思ったより面白くなかったな……。
もういい喜兵衛。
それより、皇都の中を案内しろ」
「へ、へへぇ!!」
喜兵衛は木片を弾蔵へ投げつけると、最後に一度だけかつての仲間へ振り返る。
「なぁ弾蔵、皇国は死んだんだ。
お前はもう、皇国の至宝でも反逆者でもない。
ただの咎人なんだよ」
◇
「……」
弾蔵が息を吹き返したのは、夜になってからのことだった。
霞む視界の先で、鉄柱に遮られた満月が煌々と蒼い光を放っている。
弾蔵は身を起こそうとするが、腰は動かず。
手足も激痛が走るだけで、身じろぎすら出来ない。
腫れているのか、折れているのか。
とにかく、喜兵衛が奮った暴虐は、弾蔵の全身を破壊し尽してしまったらしい。
弾蔵は起きることを諦め、そのまま力なく倒れ伏す。
何だかもう、どうでも良くなってしまったのだ。
皇国が死に、仲間たちが裏切ったという事実を知ってもなお、弾蔵の心に憤りは浮かばなかった。
喜兵衛が破壊したのは弾蔵の体だけではない。
何よりも、砕かれたのはその心。
弾蔵にとって最後の拠り所だった誇りを、完膚なきまでに破砕したのである。
「俺は……」
皇国の至宝 日ヶ暮 弾蔵はその日死んだ。
すなわち、絶望したのである。
◇
それからの弾蔵は無為だった。
夜叉面の痛みは業火の如く、殴られ膿み始めた体は叫喚の不快を放っていたが、それを感じることさえ億劫である。
出来れば自害したいところであったが、全身を骨折してはそれも叶わない。
だから、弾蔵はただ怠惰に、祖国が蹂躙されていく様を見つめることしか出来なかった。
始めは少数だった王国民。
王国の支配が進むにつれ、彼らは次第に数を増やし始め、我が物顔で皇都を弄んでいく。
王国民は増える従って、その中へ無法者や凶徒が混じり始め、ドワーフの若い娘を手篭めにしたり、略奪を行うなど蛮行を重ねていくようになっていった。
長い歴史を培った寺院や古城が「景観を汚すから」という理由で燃やされ、技術者や職人が連行され、戦士たちは刀を折っていく。
人間族にとってドワーフの文化など野蛮で未開なものに過ぎない。
ドワーフ文化の破壊は人間族にとって「未開の民族に文明を施す」という善意に則した面もあった。
皇都は数月にして、王国都市かと見紛うほど、様変わりしていったのである。
弾蔵はそれを見つめることしか出来なかった。
他の皇国民と同じように、ただ見つめることしか出来なかったのだ。
もはや、弾蔵に誇りはなかった。
希望が無ければ、誇りは持てない。
絶望に満たされた弾蔵は喜兵衛の言葉通り、ただの咎人でしか無かったのである。
「ほほう。こんなところに、ちょうどいい奴がいるではないか。
いや、探せば案外いるものだ。
わざわざ、こんな孤島にまで来た甲斐があった」
それは雷雨荒れ狂う、嵐の夜のことだった。
もはや置物のように誰からも見捨てられた弾蔵へ、一人の男が声を掛ける。
「……?」
それは、一言で言うなら不快な男だった。
年齢は40代くらい……禿げかけたベタベタの黒い髪に、でっぷりと肥え太った体。
顔には一見して浅ましいと分かる、ニタニタとした嫌な笑みを浮かべている。
「お前は……?」
弾蔵の問いに、男は気取った仕草で礼をしてみせる。
「オレの名はフェイト。
運命の代弁者にして、必然によって現れる者。
お前との出会いもまた、必然であることを期待しよう」
「フェイト……?
お前も王国民なのか?」
フェイトの外見はドワーフの民のものではない。
しかし、それはどこか人間族やエルフ族とも異なっている。
どの知的種族とも異なるその姿は、まるで醜い悪魔のようだった。
「俺が何なのかは、この際どうでもいいだろう。
それよりお前には何か望みがあるのではないか?」
「望みだと……?」
「その通り。
俺は運命の代弁者、お前に変革を与えよう。
お前にどうしても叶えたい望みがあるのなら、俺の手を取るがいい。
お前の全てを引替えに、お前の全てを叶えてやろう」
フェイトは檻の中へ手を差し入れ、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
「もっとも、お前はもうお前では無くなってしまうがね……」
弾蔵はどこか夢見るようにフェイトを見つめ返す。
この男が何なのかはわからない。
わからないが、この醜男にはどこか、どんな奇跡も思いのままに出来るような、そんな確信めいたものを感じてしまうのだ。
「もう一度問うぞ。
戦士よ、お前の望みは何だ?」
「俺の望み……」
弾蔵は考え、思案し。
そして、一つの回答へと辿りつく。
「……敵が、欲しい」
「てき?」
「俺にもう、味方はいらぬ。
味方というものは、いずれ俺を裏切る。
俺にもう、誇りはいらぬ。
誇りはいずれ、俺が裏切る」
弾蔵はフェイトの手を見つめ、決意を固める。
「だが敵は……。
敵だけは俺を裏切らん」
この心に渦巻く無念、これを晴らせるならば何を引替えにしたって構わない。
元より、この心は顔と同様に腐り堕ちている。
放棄することに迷いは無かった。
「俺が欲すは敵……無間奈落の怨敵のみよ!!」
弾蔵はガシリとフェイトの手を掴み、己が願いを吼える。
「良いだろう、フェイト!
俺の全てをくれてやる!!
変わりに俺へ、敵をよこせ!
人間、ドワーフ、種族は問わん!
世に存在する全ての敵へ、俺は咎の剣をくれてやる!!」
咆哮と同時、フェイトは弾けた。
その体から黒い陽炎のような影が溢れ、うねり狂って、異形の姿を模っていく。
それは弾蔵にとって、未知の影。
しかし彼はフェイトの影から、悪意の具現を感じ取る。
この男は幽魔の化生。
ならば、それに与する自分は何だ?
掴んだ腕から痺れるように、焼かれるような痛みが伝わってくる。
弾蔵の根本が、腕から伝わる何かによって書き換えられていく。
歯を喰いしばりながら、されど眼は頑として揺らがぬ弾蔵へ、フェイトは愉快そうに言葉を告げる。
『魔人よ。
たったいまを持って、お前は摂理を超えたモノへと変幻した。
歓喜するがいい。
お前の運命はいま、まさに、始まりを迎えたのだ。
お前という魔性の結末に、オレは期待しているぞ』
◇
気がつけば、降りしきる豪雨も、轟いていた雷鳴も、いつの間にか影を潜めていた。
暗雲に包まれていた筈の空が、冗談のような月夜に変わっている。
煌く月は、色が耐え白髪となった弾蔵を薄っすらと照らしている。
はて……。
月とはあんなに紅いモノであっただろうか?
そんなことを思いながら、弾蔵は久方ぶりに立ち上がり檻の中を見回す。
陵幽によって衰え果てた筈の体。しかしその体は今や、往年の雄雄しさを取り戻し、弾蔵の思うが侭に従ってくれている。
彼の足元に落ちていたのは木片の切れ端。
それは以前、喜兵衛が自分を打ち据えるために使った物だ。
弾蔵はそれを拾うと、無言で正段に構える。
齢十二で覚悟の門下となってから、昼夜を問わず体に覚えこませた基本の構え。
すると、チリチリと火花が散るように、木棒の先端から紅蓮の光が瞬き始めた。
緋色は次第に広がり、いつしか炎の如く木棒全体を包み込んでいく。
「……」
それはもはや緋色の大太刀。
弾蔵は緋刀を手にしたまま、自らを幽閉している鉄檻、その鉄柱へと太刀を上段に振りかぶる。
「ちぇすとぉぉ!!」
右斜めに袈裟斬られた緋剣。
その刃は鉄柱を紙切れのように斬り捨てた。
鉄柵がパラパラと崩れ落ち、拘束能力を失っていく。
異能……剣鬼。
それは剣の異能。
手にした得物を全て、名刀、魔剣の類に変異させる常在戦場の異能である。
「おい……なんだ、あれは?」
どこかから聞こえる声音。
目を向けた先にはドワーフ族や人間族たちが怪訝そうにこちらを伺っていた
弾蔵は棒を、そして皇都の街並みへ目を向ける。
皇都には我が物顔でのし歩く人間族の姿があった。
ようやく嵐が収まり、外の様子でも見に来たのだろうか?
「お……おぉ……」
弾蔵の咽喉から呻き声が漏れる。
体の奥から震えるような殺意が呻きとなって、彼の咽喉から漏れていく。
その呻きを歓喜の叫びに変えて、弾蔵は大咆哮を皇国中へと轟かせた。
「おおおおおぉおぉぉぉ!!!」
様子を見に来た数人を切り捨てるのに3秒。
逃げ出そうとする十数を斬るのに2秒。
僅か5秒の間にて、弾蔵はすでに18の命を刈り取っていた。
屍の群れを踏みつけ、彼が睨むは皇都の光。
その光は様変わりした皇国を象徴するように、煌びやかな瞬きを放っていた。
敵だ。
あの街には、敵がいる。
蝗のようにワラワラと、無数に蠢き、さざめきながら。
あそこに不倶戴天の敵がいる。
「……斬る」
小さな呟きと共に、都へ向かって駆け出す蛮武の鬼。
その手に握るは、一振りの緋剣。
剣鬼はその一刀だけを頼りに皇都へと襲い掛かる。
垣根を断ち切り。
家屋を打ち断ち。
刀剣類を斬り捨てて、その刃は血肉を切り裂いていく。
「がはっ!?」
斬った。
「ひぃ……!」
斬りまくった。
人間族もドワーフ族も、戦士も市民も男も女も。
目に映るものは、片っ端から斬って斬って、斬りまくった。
老いも若きも、善なる者も悪なる者も、この世の生者はすべからく敵。
そして、敵は殺さなければならない。
敵を殺すに、躊躇いは不要である。
我は修羅。
我は羅刹。
我は一刀の抜き身。
鋼の心に迷い無く、万物全てを断ち切る刃。
憑かれたように殺戮を続ける弾蔵の姿は、まさしく夜叉の様だった。
剣鬼の異名に嘘は無く、その天才的な才気を持って、あらゆる全てを叩き切っていく。
「ドワーフたちは早く避難しろ!!
あいつは我々が食い止める!!」
「む……?」
殺戮を重ねる弾蔵の前に、戦士の一団が立ちはだかる。
重厚な鎧具足を着込み、両刃の直剣を構える彼らは人間族の戦士たち。
皇国駐留軍――王国から来た侵略者の兵士である。
「お前はいったい……?
ドワーフ族、なのか?」
「違うな」
問いに短く答えながら、弾蔵は兵士たちを切り刻む。
かつては難渋した、王国の鋼甲冑。
しかし今の彼にとって、それは障害にさえ成り得ない。
健気に立ち向かう人間達を切り裂きながら、弾蔵は己が種族を世界に向かって宣言する。
「我は蛮族……。
魔人 蛮族である!!
人よ、刮目するがいい。
俺は貴様らの敵。
この世に仇なす天敵ぞ!!?」
かつて皇国の至宝とまで呼ばれ、大武辺者の名を欲しいままにしていた魔人は、その誇りを全て怨嗟に変えて全ての敵へと緋刃を奮う。
魔人 蛮族が誕生したのである。
◇
「やれやれ……たった一晩で1万人近く殺したのか。
棒切れ一本で、よくやる……」
殺戮の夜が明けて、夜明けの赤い陽射しが差し込む中。
バルバロイの前に、再びフェイトが姿を現した。
「それでどうだ? バルバロイ。
お前の願いは叶ったかね?」
「ふざけるな!!」
バルバロイはフェイトに向かって怒鳴りつける。
返り血によって体を真っ赤に染めながら、彼の真紅の瞳はそれ以上の赤さを持ってギラギラと輝いていた。
「足りん……。
こんなものでは全く足りん!
もっと俺の前に敵を連れてこい!
数多の敵を……那由他の敵を……!!」
「ほう……」
バルバロイの叫びを受け、フェイトは愉快そうに目を細める。
そして口角を上げると、彼へ手を差し延べてみせた。
「ならばついてくるがいい。
お前の王へ、合わせてやろう」
「王?」
「ああ、王だ。
この世の全てを憎悪し、一切衆生の破滅を願う者。
お前の王に相応しかろう?」
「……俺の王」
バルバロイが魔王と出会ったのは、その数日後のことである。
◇
「起きろ、ルージュ」
「ん……」
ゆさゆさと体を揺られ、ルージュはぼんやりと目を開く。
目を開いた先には、バルバロイが困った様子で頭を掻いていた。
「やはり、昨夜寝るのが遅かったのではないか?
とっくに朝だというに、寝ぼけた顔をしおって。
魔王殿たちは、もう目覚めているようだぞ」
バルバロイはそんなことを言いながら、櫛でルージュの寝癖を梳いてやる。
髪に流れる心地よい感触にルージュはようやく覚醒し、バルバロイへと目をしばたかせた。
「ばるさん……おはようございます」
「ああ、おはよう。
ほれ、さっさとテントから出るぞ?
朝餉の準備も出来ているらしい」
バルバロイに手を引かれ、のろのろとルージュがテントから姿を現す。
「みんな、おはようございます……」
「!!?」
いつも通りの、朝の挨拶。
しかし、仰天したのは魔王である。
寝ぼけ眼のルージュに、魔王は蒼白な表情で驚嘆をあげてしまった。
「ル、ルージュ!
朝起きたら姿が見えなかったものだから、ずっと探していたんだ!
どど、どうしてバルバロイのテントから!?」
魔王は狼狽を隠す余裕も叫ぶが、当の彼女は寝ぼけたまま眠そうに返事するだけだった。
「ふぁい、ばるさんと一緒に寝ていました」
「バルバロイと寝た!?
ババババルバルバロイ、どういうことだ!!?」
ルージュを背に隠し、魔王がバルバロイを睨みつける。
それにバルバロイは呆れたように肩を竦めてみせた。
「どういうことも何も、ルージュが眠れんというから添い寝してやっただけだ。
魔王殿、何をそんなに動揺している?」
「男女七歳にして席を同じうせず、と言うじゃないか!!
一緒に寝るなんて駄目だ!
おじさん、許しませんよ!?」
「これほど「お前にだけは言われたくない」と思ったこともないな」
口から唾を飛ばし迫る魔王へ、バルバロイは呆れたようにため息をつく。
「お、おじさん、やめてください!」
剣呑な魔王の姿にようやく目が覚めたのか、ルージュが魔王へとしがみ付く。
よくわからないが、自分のせいで二人が喧嘩をしていると思ったのだ。
「ばるさん、寝てる時優しかったです。
私の背中、撫でてくれました」
「せ、背中を撫でただとぉ!? 僕だってやったことないのに!
バァルバロォイ!! 貴様ぁ!!
け、決闘だ!
僕と決闘しろぉ!!」
「なにやってんですか、魔王様」
激昂を越えて狂騒の呈まで醸し始めた魔王を、ウィッチが背後からビシリと叩く。
「げぇ! ウィッチ!?」
「人を見るなり「げぇ」はないでしょう……。
……産業都市も近いっていうのに、なにたわけたことしてんですか?」
「止めるなウィッチ!
僕はこいつに、咎の剣をくれてやる――」
なにやら喚いている魔王へ、ウィッチはジロリとした眼差しを向ける。
「というか、魔王様。
話の流れを聞くと、魔王様がルージュといつも同衾しているように聞こえるんですけど?」
「ふぇ?」
ウィッチの言葉を受け、真っ赤に憤っていた魔王の顔が真っ青に青ざめる。
ウィッチはニコニコとした笑顔で、そんな魔王の肩をガシリと掴んだ。
「まさか魔王様、夜な夜なルージュへ夜這いをかけてるんじゃないでしょうね。
事の次第によっては、またグール62号とグール84号を呼ばなくてはならないんですケド?」
「「×××!!」」
ウィッチの背後から、二人の屈強なグールが姿を現す。
グールたちは隆々とした筋肉を黒光らせて、魔王へ微笑みを浮かべているようだ。
「さ、さて! それより早く進軍を続けなければいけないね!
さあ、みんな! 気合を入れていこう!!」
魔王は誤魔化すように山の尾根へ視線を向けると、まるで助け舟のようにプリーストが山上から駆け下りてくるところだった。
「おーい、みんな!
とうとう産業都市にたどり着いたぞ!
この頂を越えれば、街が見える!!」
この進軍を始めてから、プリーストは常時元気一杯だ。
あの新兵器を試したくて、仕方がないのだろう。
「本当かい、プリースト!!
それは朗報だ、早く仕度をしなくては!!」
「あ、コラ魔王様。
まだ話は終わって―――」
「いやぁ、忙しい忙しい!」
話を続けようとするウィッチを振り切り、魔王がテントをしまい始める。
焦ったように誤魔化し笑いをする魔王に、どこか納得がいかない表情のウィッチ、わくわくとした様子で鉄塊の手入れをするプリースト、そしてそんな仲間たちを見つめるルージュ。
彼らはみな、気が抜けるほどいつも通りで、これから都市を滅ぼそうとしているようには見えない。
そんな中―――
「産業都市……か」
たった一人、バルバロイだけは鬼気迫った表情で、尾根の向こう側へと思いを馳せるのだった。
設定まとめ(ドワーフ編)
今作では、私の設定厨としての血が騒ぎ、設定、キャラクター数がえらいことになってしまったので、ある程度ごとまとめを書いていきます。
● ドワーフ族
人間族、エルフ族、オーク族に並ぶ、このシリーズ最後の知的種族。
人間族に比べ筋力には劣るが、敏捷性や持久力に優れる。
目つきが鷹のように鋭く、夜目がきく。
見た目は人間よりやや小柄で華奢であるが、極端に外見が違う訳では無い。
寿命に関しても人間と同様。
エルフやオークのように極端な長寿、短命ではない。
● 皇国
大陸の南方に位置する孤島で栄えた、ドワーフ族の国。
海流の影響によって大陸と隔絶されていたため、独自の文化を持っている。
暗黒時代、武器貿易によって莫大な富を得たが、戦後は王国との阿片貿易によって搾取され、更に阿片の蔓延によって国力が衰退。王国の属国となった。
現在は王国の庇護の元、国力の回復に努めている。
※イメージは中華と和風をごっちゃにしたような感じです。
本編では全く触れていませんが、皇国は北方系ドワーフと南方系ドワーフの二氏族が融和して出来た国家で、登場人物もどちらかに分類されています。
劉、楊(皇王)など、中華風の名前は北方系のドワーフ。
北方系には文化人や知識人が多く、文官、商人の類が多いです。
覚悟、弾蔵など、和風の名前は南方系のドワーフ。
南方系には戦士や武人が多く、武官は南方系が主となっています。
● 産業都市
王国が誇る五大都市の一つ。
深い山間に存在し、外界とは些か隔絶された場所に建立されている。
大陸に置けるドワーフ系移民の指定居留置。人間との人口比は1:100にも及ぶ。
規模や人口は他の五大都市に劣るが、ドワーフたちの工業能力によって王国の一大産業拠点となっている。
● ドワーフ系移民
皇国属国化の際、ドワーフの技術を徴発する形で大陸に連れてこられた皇国民。
技術者や職人がその大部分を占め、王国のためその知識を使っている。
彼らは王国から
・ 他都市への移動禁止
・ 武器類の所持禁止
・ 組織化の禁止
など厳重な制約を受けており、それらを破れば即座に処刑されることになっている。
● 登場人物
楊 虞淵 38歳 男性
北方系ドワーフ。
寛容さと冷徹さを併せ持った皇国の主、ドワーフの王。
皇国衰退の際、王国からの属国化を受け入れたが今も反旗の時を狙っている。
王国から技術移民を要請された時、技術者と共に劉や覚悟など自らの腹心を送り込み、王国侵略への尖兵とした。
劉 賢魯 58歳 男性
北方系ドワーフ。
皇国の生き字引とまで呼ばれた、皇国の元摂政。
狡猾ながら穏健な人物で、無駄な戦いを嫌っている。
元親王国派の中心人物で、反王国派と激しく争っていた。
スオウのことを高く評価しており、彼が頭角を現せば、王国と皇国の関係にも変化が生じるのではないかと考えている。
杉間 覚悟 65歳 男性
南方系ドワーフ。
皇王の剣術指南役を務め、剣聖とまで呼ばれる皇国最強の剣客。
その発言力は劉に比類し、皇国武官の最高位に位置している。
二刀の魔剣『輝鳳凰』と『夜鳴鷹』を持つ剣士であるが、剣術だけでなく繰糸術、投擲術、体術などにも秀で、刀槍矛戟全てに精通している。
現在、産業都市へと移民し杉間料飯店という定食屋で仮初めの店主をしている。これは彼の娘が料理人であったからであり、彼自身に料理の知識は無い。もっぱらの仕事は店の用心棒である。
劉と同じくスオウを高く評価しているが、それは劉のように未来を見据えてではなく、同じ武人としての敬意に近い。
朝倉 十郎左 32歳 男性
南方系ドワーフ。
劉に仕える武人。忍びとして諜報能力に優れるが、本職は武士。
元反王国派の一人であったが、日ヶ暮失脚の際、親王国派に恭順。劉の配下となった。
劉と共に産業都市へ移民し、そこで自警団を設立。
勝手に「産業都市防衛隊」を名乗っていた。
杉間 栗沙 18歳 女性
北方系ドワーフの父と南方系ドワーフの母の間に生まれたハーフ。
元は北方風の姓であったが、両親が阿片によって死亡。
祖父である覚悟に引き取られたため、現在は杉間姓を名乗っている。
両親が料理人であったことから自らも杉間料飯店で働いているが、生まれながらの烈しい気性と覚悟譲りの武才を持ち、素手で他者を殴り殺すほどの胆力を持っている。
人間族のことを死ぬほど嫌っているが、自分を助けようとしたセイギのことは、ある程度受け入れようと思っている。
ハロルド・マロン 52歳 男性
人間族。王国から産業都市の領主に任命された男。
元は王都の文官であったが、騎士団の魔女狩りによって娘を殺されており、ドワーフたち以上に王国を憎んでいる。
上記の制約がありながら、劉たちが武器や組織を持っていたのはハロルドの策略によるもの。
王国やスオウには冷たく当たるが、元々は穏やかな気質。
利用し、利用される関係ではあったが、劉たちには領民としての愛着を持っていた。
ハインリヒ・ブラオ 42歳 男性
王国から派遣された公式の産業都市防衛隊長。
ドワーフたちの監視も兼ねる重役であったが、ハロルドや劉たちの諜略によってすっかり牙を抜かれ、放蕩の日々を過ごしている。
元魔女討伐騎士団の一人で、第18回魔女討伐遠征にも参加していた。
日ヶ暮 弾蔵 男性
南方系ドワーフ。
覚悟門下の剣客で、覚悟以上の実力を持った天才剣士。
その名声は一時『皇国の至宝』とまで謳われていた。
プライドが高く、皇国が王国へ恭順を示したことに強く反発して反王国派を結成。
皇王へ叛逆を引き起こしたが、制圧され陵幽刑へと処された。
しかしその半年後に姿を消し以来行方不明となっている。