第31話 とある蛮族の夢
その日、私はまた夢を見ていました。
夢の中で私が見るのは、どこか遠い異国のお城。
大きな石垣と漆喰と、木材で造られたそのお城は、今まで私が想像したこともないような物で、私はしげしげとそれを見つめてしまいます。
お城の中には木張りの部屋があり、そこに沢山の人たちがいます。
人々はみんな、腰に不思議な剣を刺し、それぞれ怒った顔で一人の男性を見つめているようでした。
「日ヶ暮……貴様、まさか皇王殿下にまで牙を剥くとは……。
何と申し開きをするつもりなのだ?」
「……」
男性は部屋の中心で沢山の人たちに囲まれているようです。
みんなは恐い顔で彼を睨んだまま、詰め寄るように怒声を上げていました。
「答えよ! 日ヶ暮!!
この大うつけが!!」
「……くく。
貴様が、俺をうつけと呼ぶか」
「何が可笑しい?」
男性は沢山の人に怒られながら、それでも笑っているようでした。
男の人は鷹のような鋭い目つきに、鬼気が宿った瞳。
それはまるで……。
「貴様は国を売り渡さんとする国賊。
王国の犬畜生ではないか。
そんな貴様がうつけとは……失笑を禁じえんな」
「日ヶ暮……!」
そう。
あの人はバルバロイさんです。
仮面も被ってないし、顔も壊れていないけれど。
それでも何故か、私には彼がばるさんだと分かるのです。
夢の中のばるさんは、どこか悲しい瞳をしていました。
顔を顰め、歯を喰いしばって、とても無念そうな顔。
ばるさんは怒鳴っていた人を見上げて、嘲笑するように呟きます。
「劉 賢魯……皇国の生き字引とまで謳われた貴様が、どうして王国に恭順するような道を選んだ?
よもや、阿芙蓉で頭を腐らせたか?」
ばるさんのそんな嘲りへ、男の人は静かに問いかけます。
「日ヶ暮……貴様、自分がしたことを分かっているのか?
貴様は我々だけでなく、皇王殿下にまでその剣を抜いたのだぞ。
国賊は、貴様ではないか」
むしろ困惑さえしたようにそう伝える男性。
ばるさんは男の人を見、そして更にその背後。
部屋の奥に座っている、立派な衣装の人をギロリと睨みつけました。
「ふっ……その男が皇王?
戯言も大概にするがいい」
「!」
ばるさんの言葉に、部屋の中が更に剣呑な雰囲気に満たされます。
だけど、ばるさんはそんな雰囲気へ挑みかかるように、怒鳴り声を上げました。
「その男はな! 我々に王国の傘下へ堕ちろ命じたのだぞ!?
例え誰であろうと、王であろうと!
皇国、千年の栄光を汚すことは許さん!!」
ばるさんはギラギラと輝く瞳で男性を睨み続けます。
もともと猛禽類のように鋭い目を持つばるさんですが、爛々としたその瞳はもはや怪物のよう。
「日ヶ暮! 貴様ぁ!!
殿下まで侮辱する気か!!?」
「良い。下がれ、劉大人」
とうとう剣まで引き抜く人たちへ、件の男性が声を発します。
「殿下……?」
男性はゆっくりとばるさんに近づき、澄んだ瞳で口を開きます。
「日ヶ暮……余は貴様を逆賊とは思っておらん。
此度の謀反も国を憂いてのことであったのだろう。
だがな日ヶ暮、聞いてくれ。
王国によって齎された阿芙蓉による、皇国の荒廃。
もはや、この国が国家の体裁を保つことは不可能だ」
「貴様の無念、悔しさ、屈辱。そんなものは分かっている。
しかし耐えろ、忍ぶのだ。
我々の国力では、圧倒的な物量を持つ王国へ太刀打ちできん。
王国に牙を剥いたところで、破滅を早めるだけのこと」
「余とて、永劫に王国へ恭順するつもりは無い。
皇国が復興した暁には、王国民共を血祭りに上げてやる所存よ。
だが、今はまだ堪えて欲しい。
お前の武は、長き皇史の中でも類まれなもの。
その才気、破滅ではなく存続のため、余に貸して欲しいのだ。
どうだ、日ヶ暮。
もう一度、余に仕えるつもりはないか?」
「……言いたいことはそれだけか?」
手を差し延べる男性へ、しかしばるさんはペッと唾を吐きかけます。
そして爛々と輝く眼へ更に狂気をはらませ、男性を殺さんばかりに睨み上げました。
「俺の決意は決して変わらん。
皇王……楊 虞淵よ。
王国に組すると言うなら、お前はもはや主君でも何でもない。
国家を売り渡す、売国奴よ」
「……痴れ者が」
不意に、部屋の中へ一つの声が響き渡ります。
部屋の入り口には、いつの間に入り込んだのか一人のお爺さんが佇んでいました。
「覚悟の爺様……」
人々はお爺さんへ目を向けますが、彼は唯ばるさんだけを真っ直ぐに見つめて、ツカツカと詰め寄っていきます。
「師匠……」
今までずっと厳しい顔つきだったばるさんが、そこで始めて目を丸めます。
しかしお爺さんは、そんなばるさんの頬を激しく殴打しました。
「黙って聞いておれば……皇国の至宝ともあろう者が、なんと情けない。
まるで駄々をこねる童ではないか」
「……」
ばるさんは唇から血を流したままお爺さんを睨みますが、お爺さんはそんなバルバロイさんへ忌々しげに言葉を続けます。
「弾蔵よ……憂国の志士でも気取っているつもりなのだろうが、貴様はその実、国のことなど何一つ考えていない。
己が殺意を満たすため、憂国という言葉を隠れ蓑にしているだけよ。
日ヶ暮 弾蔵は皇国に弓引く逆賊である。
貴様にはこの儂が直々に引導をくれてやろう」
「師匠……よもや貴方まで王国の犬に成り下がっていたとはな」
「儂を師と呼ぶな。
貴様は道を外れし無頼の徒。
そして、我が弟子に外道はいらん」
お爺さんは氷のように冷たい眼差しで、腰に下げた二振りの剣に手を掛けます。
それにばるさんは、少しだけ寂しそうに微笑みました。
「もう良い、覚悟の爺様。
日ヶ暮の心はわかった」
剣に手をかけたお爺さんを、男性は静かに制止します。
「殿下……?」
「日ヶ暮、お前とは長い付き合いであった。
……願わくば、最後まで共にありたかったよ」
男性は目を背けると、居並ぶ人々へ伝えます。
「日ヶ暮に陵幽刑を与える」
「陵幽刑ですと!?」
「ああ、こやつは反王国派の旗頭。
生きていれば心の拠り所に、そして死せば英霊となって反逆者たちの心柱となるだろう。
生かさず殺さずだ。
陵幽し、生き恥を晒させるしかあるまい」
「……!」
男性の命令に、周りの人たちは息を飲み固まる中、ばるさんだけが火のついたように笑い始めました。
「ははは! とうとう本性を現しおったな楊 虞淵!!
言うに事欠いて、この俺に陵幽を与えるか!?」
「連れて行け」
ばるさんは狂笑し続けますが、男性はもう目を背け、二度と視線を戻すことはないようです。
ばるさんのそんな男性の背中へ怨嗟の叫びを続けました。
「覚えているがいい、売国奴共!!
この無念、この屈辱! 俺は決して忘れんぞ!
剣鬼 日ヶ暮の恐ろしさ、ゆめゆめ忘れぬことだ!!」
◇
「……そうして、日ヶ暮は陵幽刑へと処されることになった。
あれはある種、極刑以上に酷薄な処罰。
特に日ヶ暮のような者にとってはの……」
領主館の仮部屋で、覚悟はスオウたちへ言葉を続けていく。
彼が話すのは、歴史の狭間で闇に沈んだ、とある侍の話。
スオウたち『王国の剣』の面々を始め、劉や朝倉も苦々しい表情でその話を聞いている。
「皇王殿下は寛容な方であるが……同時に氷のような冷酷さも併せ持っている。
忠する者には寛容を。
仇なす者には制裁を。
そして日ヶ暮は、逆徒以外の何者でもなかった」
「それで……その日ヶ暮とやらはどうなったのです?」
スオウの問いに、覚悟は目を閉じたまま答える。
「消えおったよ」
「消えた?」
「陵幽の身に堕ちてなお、日ヶ暮の瞳から誇りは消えなかった。
十日で発狂する者も珍しくないあの刑を、奴はよく耐えていたと言えるじゃろう。
だが、奴が刑に処されて半年後……皇国が完全な形で属国となった頃のことじゃ。
日ヶ暮は皇都から姿を消した。
万の皇国民を道ずれにしてな」
「どういうことです?」
「あの日、皇都を災厄が襲った。
一夜の内に一万のドワーフ族が殺害されたのです。
下手人は不明。
ただ、生き残った者たちは一様に『日ヶ暮が殺した』と訴えた」
覚悟の言葉を捕捉するように、劉がスオウへと答える。
「日ヶ暮は陵幽者の証たる、夜叉の面を被ったまま。
瞳を深紅に、頭髪を純白に染めて、緋色の剣を振るっていたいう。
もっとも、そんな話。私たちには信じられなかった。
刑によって奴は死に体。殺戮はおろか、檻から出ることさえ叶わなかった筈。
そんな日ヶ暮にどうして、虐殺など出来よう?」
「しかし、事実として民が殺され。
日ヶ暮は姿を消した。
以来10年、行方不明のままじゃ。
正直、とっくの昔に死んでいるものと思っとったよ。
夜叉面の毒は体を腐らせる。
どこに行ったところで、生きることなど出来ぬ」
「行方不明……ですか」
スオウは膝に当てた拳を握り締める。
大量虐殺を行った後の蒸発。
それは叔父……グレンと全く同じ消え方ではないか。
スオウは口を真一文字に引き締めて問いかける。
「覚悟殿。
もし、その日ヶ暮と再び会ったなら……貴方はどうするおつもりだ?」
「殺す。
決まっておるだろう?
儂は今度こそ、必ず、あの男を殺してやらねばならん」
そう答える覚悟の瞳には、一片の迷いすら見えなかった。
◇
覚悟が弾蔵と出会ったのは、彼がまだ幼かった頃のことだ。
皇都から遠く離れた山里に、恐ろしき剣才を持った怪童がいる。
その童子はたった一人にて、里を襲った山賊を打ち倒したいうのである。
『齢十二程度の童が山賊を……?
逸話が一人歩きしただけではないのか?』
当初、覚悟はそう思っていたが、兎角会わねばわからぬとその少年を皇都に召喚したのであった。
少年と対面した覚悟は、己の認識が間違っていたことに一目で気付く。
その男児はとてもドワーフ族と思えぬほど、隆々とした体を持ち、何よりその眼に歴戦の戦士染みた殺意が宿っていた。
(……抜き身の刀)
少年を前に、覚悟はそんな連想をしてしまう。
それほど彼には、鬼気迫った何かを感じ取ったのである。
『お前の名は?』
『字に日ヶ暮。
名を弾蔵といいます』
『ふむ……』
覚悟が剣聖と呼ばれるようになって久しい。
そんな自分を前に、全く物怖じしない弾蔵へ、覚悟は確かな興味を抱き始めていた。
『お前は先日。
単独で匪賊どもを鏖殺したと聞く。
恐くはなかったのか?』
『何故、俺が奴らを恐れるのです?
鼠を恐れる鷹はいない』
『ほほう。己を鷹とはまた大きく出たな。
しかし、弾蔵。
お前とて、これまで人殺しなどしたことはなかったじゃろう?
奴らを殺すことに躊躇いはなかったのか?』
『躊躇い……?』
弾蔵はそこで不思議そうに目を開く。
そんな少年の一挙一動を、覚悟は試すように凝視する。
たった一人で十数人の暴漢を屠った少年。
剣士たる覚悟にとって、彼は神童である。
しかし彼を召し上げることは、望ましいことであると同時に危険なことでもあると、覚悟は考えていた。
その殺戮が、信念の元であるのならそれでいい。
しかし、弾蔵が殺戮に愉悦を感じるような狂い武者であるなら話は別だ。
彼はそのまま、皇国の毒となってしまうだろう。
様々な思惑を巡らす覚悟に、弾蔵はただ静かに答える。
『躊躇いは……無かった。
奴らは里を襲い、男を殺し、女を犯し、子を攫い、全てを奪った外道共。
だから俺は、奴らを敵だと断じた。
そして敵は殺さなければならない。
「敵を殺すに躊躇いは不要」……父はいつも、そう俺に言っていました』
『そのお父上は、今どうしている?』
『大陸の果てで死んだ……。
父は戦を生業とする傭兵。
大陸で魔女と戦い、討ち死んだと聞いています』
『お父上は立派な人だったのか?』
『立派かどうかはわからない。
だけど、俺にとって父は誇りでした……』
弾蔵の目に、少しだけ悲哀の影が落ちる。
覚悟はその瞳を見つめ、そして決意したように口端を上げる。
『よろしい、弾蔵よ。
儂の元へ来い』
『杉間大夫の元へ……?』
『お前は仕官を希望していると聞く。
ならば、儂の元でその剣技を磨くがいい。
さすればいずれ、皇王殿下の馬廻衆になることだって夢ではないぞ』
『……』
覚悟の言葉に、弾蔵は無言で俯いてしまう。
『不服か?』
『いえ、その……』
訝る覚悟へ、弾蔵は微かに頬を染めながら、伺うように口を開く。
『ここで修行をすれば……。
俺も、あなたのようになれるでしょうか?
剣聖 杉間 覚悟のような侍に……』
そう問う弾蔵からは、先ほどの超然めいた気配が消えていた。
憧れの存在に出会った少年のように、無邪気な憧憬を浮かばせて。
頬を上気させたまま、舞い上がったように覚悟を見上げている。
『ふっ』
そんな弾蔵の眼差しへ、覚悟は思わず笑みを漏らしてしまう。
『当然じゃ。
日ヶ暮 弾蔵。お前には、儂の全てを仕込んでやる。
この儂が、お前を皇国一の大武辺者にしてやろう!』