第2話 奴隷
私は夢を見ていました。
夢の中で私が居るのは、どことも知れぬ街の中。
とてもとても、大きな街です。
灰色の建物たちが折り重なるみたいに建てられていて、同じ灰色の空を塞いでしまっています。
これは、白昼夢というものでしょうか?
夢の中で、私はそれが夢であるということを何故か悟っていたのです。
街には数え切れないほどの人が、折り重なって死んでいるようです。
彼らはみんなズタズタで、何か刃物で切られたように頭や腕を転がらせ、死に絶えているようでした。
そんな死体の河の中を、男の人がよろよろと進んでいました。
あれは………そう、おじさんです。
夢の中のおじさんは、真っ赤になっていました。
体中を血で朱色に染め、同じく血塗れとなった紅い剣を携えて、全身どこまでも真っ赤。
唯一、違う色をしていたのは、おじさんの髪だけです。
おじさんの髪は私の知る純白ではなく、夜のように暗く濃い黒。黒髪でした。
そして、顔にはあの両断されたような傷痕が無く、無傷の面貌を保っていました。
おじさんはただ呆然と、街の中を歩いています。
足元に広がる死体を踏み、時に蹴飛ばしながらふらふらと、どこに向かうのかもわからないように街の中を進んでいきます。
「××××!!」
時折、兵士さんのような恰好をした人たちが行く手を遮りますが、そんな人たちはみんな、おじさんの剣で斬り殺されてしまいます。
たとえ何人の相手が来ようと、おじさんは一歩も引きません。
疲れたように無造作に、だけど念入りに剣を突き刺しながら、おじさんは街の中を進んで行きました。
「いったい、どこへ行くのかね?」
そんなおじさんへ、ぽつりと声が掛けられます。
声を掛けたのは、おじさんよりも更に年上………40歳くらいでしょうか? とても太っていて、顔に何かできものが無数に浮いた、変な男の人でした。
「別に………」
無愛想なおじさんへ、男の人はニヤニヤと笑いながら言葉を続けます。
あまり好きな笑い方ではないです。
「そのまま王宮へ行くのかね?
それとも王都を離れ、王国へ反旗を翻すとか。
お前が謀反を起こすとなれば、集う者たちもそれなりにいるだろう」
「そんなつもりは無いよ」
「ほう? ならば何故、こんな殺戮を重ねているのだ?
殺人性癖でも持っているのかな」
「…………」
愉快そうに笑う男の人を、おじさんが忌々しげに睨みつけます。
「さっきから誰だ、お前は?」
「誰だとは、随分な問いかけだが………まあいい。
一つ、自己紹介をしてやろう」
男の人は慇懃無礼な仕草で礼をすると、おじさんへ向き合ってみせました。
「オレの名はフェイトと言う。
運命の代弁者にして、必然によって現れる者。
お前との出会いもまた、必然であることを期待しよう」
「フェイト………知らないな」
おじさんはそう呟くと、もうフェイトさんから興味を失ったように、また街の中をふらふらと進んで行こうとします。
「まあ、待て。
お前が知らなくても、オレはお前を良く知っている。
何せ、お前にはオレの片割れを殺されてしまったのだからな」
「片割れを殺した………僕が?」
不思議そうなおじさんの言葉へ、フェイトさんは勿体つけるように頷いてみせました。
「そうだ。
幸福の魔女………まさか知らないということはあるまい?」
「幸福の魔女か………確かにあいつを殺したのは僕だ。
まさか、復讐にでも来たのか?」
「それこそまさか、さ」
フェイトさんはうれしげ笑うと、手を振って言葉を続けます。
「あの馬鹿が死んだところで、オレの心には何も響かんよ。
それよりもお前だ。
そんな風に彷徨ったところで、お前の心は満たされんだろう?
しかし、オレならばお前の飢えを満たしてやることが出来るぞ」
フェイトさんはそう言うと、大きく手を開いてみせました。
その背から、肩から、黒い陽炎のようなものが昇り人型を模って、大きくて真っ黒な巨人のように揺らぎ始めます。
巨人はおじさんへ片腕を差し延べて、ゆっくりと問いかけました。
『オレは運命の代弁者。お前の運命に変革を与えよう。
栄光と凋落、そして怨嗟の権化たる英雄よ。
お前の望みを言うがいい』
「僕の望み………?」
『そうだ。お前は何を渇望する?
誰よりも羨望を受け、誰よりも栄光を手にし、そして誰よりも裏切りを受けたお前だ。
ことお前に限っては、真の意味でどんな願いでも叶えてやろう。
さあ、オレの手をとってみろ』
「僕は………」
おじさんは呆けたように脱力し、手にした剣さえカラリと落としてしまいます。
だけど視線だけはくっきりと、黒い巨人から差し伸ばされた手を見つめているようでした。
「僕は守るべきものを守り続けてきた。
それが大切な人たちの気持ちに応えることだと、そう信じていた」
「その為なら、どんなことにだって耐えられた。
仲間たちの死も。
殺戮に暮れる日々も。
荒野に降り注ぐ冷たい雨にも。
子供の成長を見届けられない喪失感にだって耐え抜いて。
それが「守るべきモノを守る」ことなのだと信じ。
自らの手が血に塗れることだって厭わなかった」
『それで、その守るべきモノとやらを守ることは出来たのかね?』
「出来たさ………!
百のドワーフを殺し。
千のエルフを殺し。
万の魔女共をぶっ殺して、僕は守るべきモノたちを守り抜いた!」
最初は無表情だったおじさんの声音、だけどそれは言葉を重ねるほどに熱を帯び、最後には叫ぶような咆哮となって街中へ響き渡りました。
「なのに、その、守るべきモノたちが………僕の本当に守りたかったモノを奪ったんだ!
随分と皮肉な話じゃないか!!?」
狂ったような叫びと共に、おじさんは黒い腕を握り締めました。
「フェイト! 僕の願いはただ一つだ!!
僕は僕の守ってきたモノたちへ破滅を与えたい!」
『それは要するに、どういうことだい?』
「決まっている………僕がこれまで守ってきたのは、この大陸にいる全ての人間たち!!
ならば、その全人類へ、老若男女貧富貴賎の区別無く、等しく破滅をくれてやる!!」
おじさんは掴んだ腕を握り締め、怒りに忘我したように漆黒の巨人へ怒鳴り声を上げました。
「さあ、フェイト! 僕は願ったぞ!?
僕の全てをお前にやろう! だから、僕の望みを叶えてみせろ!!」
『言うに及ばずだ、破滅の王よ』
おじさんの雄叫びと共に、巨人の腕から真っ黒な瘴気が広がり、おじさんの鼻腔や口からザラザラと侵食していきます。
瘴気がおじさんの体へ入っていくたびに、真っ黒は風になって街の中を駆け回り、あちこちに散らばった死体たちが吹き上げられて、どこかへ霧散していきました。
黒い風は漆黒の嵐になって、轟々と唸りながら辺りを真っ暗に包み込んでしまいます。
『は、ははは………』
何も見えない暗黒の中から、微かにフェイトさんの笑う声が聞こえます。
『すっげー! すげえぞお前!!
何度も人を魔性に墜としちゃいるが、ここまで力を絞りとられんのは初めてだ!!
流石、ユキを殺しただけはある!!』
嵐は彼の尊大な態度さえも吹き飛ばしてしまったのでしょうか?
欲しかった玩具を手に入れた子供のように、フェイトさんはひたすら嬌声を上げていました。
『これは魔人なんて代物じゃねぇ!!
魔王………お前は魔王だよ!
そりゃあオレだって、お前をなかなかのRキャラだとは思っていたが、とんでもない!
SRだぜ、お前はよぉ!!』
尚も続く笑い声、すっかり破顔したフェイトさんは唾を飛ばしながら、よくわからないことを叫び続けていたのでした。
黒い嵐が去った後、その場所から陽炎の巨人は姿を消していて、元の太ったフェイトさんと、おじさんの二人だけがすっかり寂しくなった街の中、静かに佇んでいました。
「………」
おじさんは静かに立ち上がると、落としてしまった剣を腰に差しなおし、またどこかへ立ち去っていこうとします。
その歩みは先ほどのふらついたものではなく、確固とした足取り。
真紅の眼差しは真っ直ぐに前、遥か彼方にある大きなお城を睨みつけ、燃える炎のように紅蓮の輝きを爛々と湛えていました。
「どこに行くんだ? 魔王」
フェイトさんの問いかけへ、おじさんは何食わぬ顔で答えます。
「殺しに行く」
「殺しに行くって、何を?」
「全部だ」
おじさんは短く答えると、もうフェイトさんへ振り返ることもなく、真っ直ぐ前へと進んで行きました。
「それはまた、単純明快な返答で………」
フェイトさんは肩を竦めると、立ち去るおじさんの背へ笑みを持って見送ります。
おじさんはもう、真っ赤ではありません。
体中を塗らしていた血糊はどこかへ消えてしまったようで、真っ黒な軽鎧と銀のコート………その背に刺繍された白い兎足の紋章さえもくっきりと浮かび上がっていました。
そして何よりその髪。
私が知らなかった黒髪は、私の良く知っている白髪へすっかり変わってしまっていたのでした。
◇
「………」
はっと、そこで私は目を覚まします。
目に映ったのは、シミ一つない綺麗な白い壁。それが天井であると悟るのに、私は少しだけ時間がかかってしまいました。
私は立派なベッドに寝かされていたようで、ふかふかとした羽毛の感触を肌に感じます。
そして、右手に伝わる何だか暖かい感触………。
「ルージュ、大丈夫かい?」
右手の先ではおじさんが心配そうな表情で私を見つめていました。
その手にはギュッと私の手が握られています。
どうやらおじさんは、私の傍らでずっと手を握ってくれていたようでした。
「大丈夫………です。
ちょっと疲れてしまったみたいで………」
「そっか………そうだね。
ごめん。おじさん、新しい友達が出来たのがうれしくて、ついルージュに無理をさせてしまった。
一日で色々なことがあって、きっと疲れているだろう。
今日はもう休むといい」
「そんな………私、大丈夫です」
私は慌てて身を起こそうとすると、おじさんは首を振って私を押し留めます。
「おじさんたちは友達なのだから、そんな風に気を使わなくていいんだよ。
なに、僕らは不老だ。時間ならいくらでもある。
明日、改めてみんなに挨拶をするとしよう」
「でも………」
「子供が無理なんてするものじゃない。
この部屋はルージュにあげよう。
明日になったら食事を持ってこさせるから、それまでゆっくりしているといい」
おじさんは最初に会った時と同じ顔で笑います。
それは、さっき夢で見た恐い顔と、全く異なるもの。
とても優しい、なんだか安心してしまうような笑顔なのでした。
そんな時。部屋のドアがバタンと乱暴に開かれます。
おじさんは訝しげにドアを見つめ、そして部屋への侵入者を見咎めて忌々しげに舌打ちをしてしまいました。
「誰かと思えばお前か。
ノックも無しとは、随分と無作法な男だな。お前は」
「勝手なことをしておいて第一声がそれか、魔王。
貴様で無ければ消し去っているところだ」
部屋に入ってきたのは、男の人でした。
肥え太った体に、できもので埋め尽くされた顔。
それは私にとって初対面の人でしたが、ついさっき夢の中で見たあの人と全く同じ容姿だったのです。
ふんと鼻を鳴らし、おじさんは男の人へ威嚇するように声を上げます。
「お前が何を考えているのか知らないが………あまり横柄な真似をするなよ?
フェイト」
◇
気を失ってしまった私が担ぎこまれた部屋。
今は私の部屋となったらしいのですが………そんなことはともかく。
部屋の中で、おじさんとフェイトさんが顔を顰めて、お互いに睨みあっていました。
夢の中では仲良しとまではいかなくても、喧嘩をしているようには見えなかったのに、二人は仲が悪いのでしょうか?
私は剣呑な雰囲気に少し怯えながら、二人をどうやって仲直りさせようか考えていたのですが、そんな私を尻目にフェイトさんは口を開きます。
「魔王。この娘は何だ?
勝手に魔人を増やすとは、また面倒なことをしてくれたものだ。
お前たちが持つ異能。その根源はオレにあるのだぞ?
ゴキブリじゃあるまいし勝手に数を増やしたりするな」
「………」
「ふん」
フェイトさんの言葉に、おじさんは黙り込んでしまいます。
フェイトさんはジロリと私に目を向けるとノシノシと近寄り、乱暴に私の髪を掴みあげて、顔を寄せてきました。
「痛っ………」
「フェイト! ルージュに何をする気だ!?」
「喧しい、阿呆が」
おじさんの激昂を無視し、フェイトさんは黒い瞳で私の目をジロジロと睨みつけ始めます。
フェイトさんの黒目は、黒色というより真っ暗と言った方が近いものでした。
光彩も何も無く、本当に黒いだけの真っ暗。星の死に絶えた夜みたいです。
なんだかご主人様を思い出すな、と私は考えてしまいました。
フェイトさんは私を睨んだまま、何かブツブツと呟いているようでした。
「ふむ………。
寒村に生まれた女。年齢11歳。名前は無し。
赤子の内に一帯の領主へ二束三文で売られ、以来変態領主の玩具として暴行と陵辱を受け続けながら生き続けてきた、ゴミ屑のような娘。
劣悪どころではない生育環境により、自我の形成に異常をきたしている。
感情の欠落。道徳の放棄。
そして何より、どうしようもないほどの依存性を心に秘めている」
そこまで言って、フェイトさんは私を見つめたまま、嘲るような笑い声を上げました。
「ははは、これは壊れるどころではないな。
この娘はそもそも人間として完成していない。ただの人を装った玩具人形だ。
魔王。これがお前の趣味か?」
「何だと………」
「お前には無生物偏愛症と肉体欠損嗜好があるからな。
確かにこの娘は、お前にとって理想的な存在なのかもしれん。
いやいや、よくこんな娘を見つけてきたものだ」
おじさんがぐわりと刺すような眼差しをフェイトさんへ向けますが、彼は意にも介さず煽るように言葉を続けました。
「お前の本質は奴と同じ。この娘を玩具扱いしていた領主と全く変わらん。
己が歪んだ性癖を叶える玩具として、ゴミ捨て場からこの娘を拾ってきたに過ぎんのさ」
フェイトさんは、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま私の服に手を掛け、そのまま力任せに引き千切ってしまいます。
もともと私が纏っていたのはただのボロ布。
男性の腕力で簡単に破れてしまいました。
「フェイト!!」
「その娘の体をよく見ろ、魔王。
そうすれば、私の言った言葉の意味を自覚できる筈だ」
「―――っ」
おじさんは私を見つめると目を見開き、まるで食い入るように私の裸を見つめはじめました。
以前言った通り。
私の全身には、ご主人様がつけてくれた傷が無数に刻まれています。
右腕を走る切創。
左背から左腹までの皮膚が剥がされた痕。
右の太ももから下腹までの火傷痕。
右の乳房はご主人様が噛み千切って食べてしまったので、もうありません。
他にも大小会わせて様々な傷が、私の体には所狭しと刻まれています。
おじさんは固唾を呑んでそれらの傷痕をまじまじと、丹念に見つめているようでした。
私はおじさんが良く見えるように、肩に残った服の残骸を払い両手を開いてみせます。
私の体に刻まれた無数の古傷。
それは、ご主人様の描いた絵画なのです。
かって、御主人様は私の体をキャンバスだと言っていました。
私というキャンバスに、ナイフや炎といった絵具で絵を描く。
それをしている時のご主人様は、とても満たされているようでした。
小さな頃、私はとても痛がり屋で、ちょっと肌を切られただけで泣いてご主人様を困らせていたのですが………今はもう大丈夫。
切られても、焼かれても、抉られても、もう大丈夫なのです。
ごくりと、おじさんの唾を飲む音が聞こえます。
真紅の瞳を爛々と輝かせながら、おじさんは私の体を凝視しているようでした。
「御主人様は私の傷痕を眺めるのが大好きでした。
おじさんも、これらのモノが好きなのですか?
そうだったら、私はうれしいです」
おじさんは、御主人様の書いた絵を気に入ってくれたようです。
私は何だかうれしくなって、少し弾んだ声を上げてしまいます。
「っ」
それにハッと我へ帰ったように、おじさんは視線を反らしてしまいました
フェイトさんはそんなおじさんへ愉快そうに声を掛けました。
「忘我する、とはこのことか。
随分と夢中だったようじゃないか、魔王。
いかに否定したところで、お前の本質はこれさ。
オレの言った意味が分かっただろう、この変狂者が」
「黙れ!」
おじさんはギリッと歯を噛み締め、フェイトさんを睨みつけます。
何でおじさんは怒っているのでしょう?
私は何か、いけないことをしてしまったのでしょうか?
怒るおじさんの姿に、フェイトさんが満足気な笑い声を上げます。
「最初は余計なことをしてくれたものだと思ったものだが………なかなかどうして楽しませてくれそうな娘じゃないか。
魔王。そいつの種族名を教えてやる。
その娘は奴隷。
魔人 奴隷だ。
お前にはお似合いの玩具人形となってくれるのではないか?」
「黙れと言っている!!」
おじさんは怒り狂ったまま、フェイトさんを怒鳴りつけます。
しかしフェイトさんはヘラヘラと笑い、おじさんを無視して私達に背を向けました。
「本当は、そいつを消去してやる心積もりだったのだが………いささか気が変わった。
魔王、その玩具は手元に置いておけ。何だか愉快なことになりそうだ」
「………」
「では、さらばだ魔王。
今回は許すが、二度と勝手な真似をするんじゃないぞ?
いかにお前とて、オレの前では無為なのだからな」
何だか馬鹿にするような調子でそう嘯くと、フェイトさんは部屋から出て行きました。
◇
「くそ………違う。俺は決して………」
フェイトさんが立ち去った後、おじさんはベッドへ腰を落とし、顔に手を当てて何かを呟いているようでした。
どうしてかはわからないのですが、おじさんは酷く落ち込んでしまったようです。
私は何とかおじさんに元気になってもらいたいと思って声を掛けることにしました。
「おじさん、私の体を焼いてみませんか?
おじさんも御主人様と同じように、人を燃やすのが好きなんですよね?
あの黒い炎は私を焼けなかったけど………普通の火ならきっと―――」
「ふざけるな!!」
私の言葉を遮るように、おじさんは私の肩を掴むとベッドへ押し倒します。
そして、怒りを帯びたまま私を怒鳴りつけました。
「ルージュ!! 二度とそんなことを言うな!!
ご主人様とやらが君に言ったこと、したことに捕われるな!!
俺はその変態とは違う!!」
「ひっ………」
ああ。また私は余計なことを言ってしまったようです。
おじさんを元気付けるつもりだったのに、ますますおじさんを傷つけてしまったようです。
もう、私にはどうすればいいかわかりません。
何が何だかわからないのです。
「ぐすっ………」
「ルージュ………?」
思わず私はしゃくりあげてしまいました。
人から嫌われたり、怒りを向けられることには慣れているつもりだったのですが、おじさんからそれを向けられると、何故かとても悲しく感じるのです。
心は張り裂けそうなほど不安になってしまうのです。
「ごめんなさい………おじさん。
ごめんなさい………」
私は一生懸命になっておじさんに謝ろうとしたのですが、次の瞬間、私はおじさんの胸に抱き締められていました。
「うぇ?」
「ごめん、ルージュ………。
君は何も悪くない、悪くないんだ………」
おじさんの胸の中で、そんな掠れた声が私に届きます。
「あんな奴の言うことは真に受けるな。
君の名前はルージュ、奴隷なんかじゃない。
だから、謝ったりしないでくれ」
「おじさんは、私のこと、嫌いじゃないですか?」
「当たり前だよ。
おじさんはルージュと友達になりたいと思ったから、君を魔人へ変えたりしたんだ。
嫌いになんてなる訳が無い………」
相変わらずおじさんの言っていることはよくわかりませんでしたが、それでも私を嫌いになった訳ではないみたいです。
そうか。
それならいい。それなら良かった。
私は安心して、おじさんの胸に顔を埋めます。
こんな風に抱き締められるのなんて生まれて初めてです。
何だか暖かくて、幸せです。
「魔王様!フェイトの糞野郎が帰っていきましたよ!
何か嫌味なこと言われなかったですか………って、ええ゛!!?」
突然部屋に流れる女性の声。
見れば、ウィッチさんとプリーストさん、バルバロイさんがドアを開けて私たちを見つめていました。
おじさんはホッとしたように、お友達たちへ微笑みかけます。
「ああ、みんな。
またフェイトの嫌味に醜態を晒してしまったけど、何とか大丈夫だよ。
それより―――」
おじさんはみんなにそう声を掛けましたが3人は一様に目を見開き、おじさんの言葉が耳に入っていないようでした。
特にウィッチさんは顔面を真っ青に染め、それから顔を真っ赤に上気させていきます。
「………この野郎」
「ウィッチ………?」
「怪しいと思っていたがやっぱりか! このペド魔王!!
こんなちっちゃい子にガチで手を出すなんて、し、失望です! 失望しました!!」
「え、なんて? ペド?
………あ」
おじさんはそこで気付いたように私から身を離します。
私は裸のまま、ちょっと残念な気持ちで慌てるおじさんを見上げました。
「ち、違うんだウィッチ! たぶん、いま君が考えていることは誤解で………!」
「ベッドの上で全裸の女の子を乳繰っておいて、何が誤解だこのペド野郎!!
グール62号! グール84号!!
そこの変質者を今すぐ確保しなさい!!」
「「×××!!」」
「なんだお前達は!? は、離せ!!」
ウィッチさんの背後から屈強な2人のグールが姿を現し、瞬く間におじさんを掴み上げてしまいます。
大男2人に両腕を捕まえられ、膝をついてしまったおじさんへウィッチさんは冷たい眼差しを向けました。
「さあ、この変態をどうしてくれよう………。
目には目を、歯には歯をの古法に則り、グールたちにケツでも蹂躙させてやりましょうか?」
「ひぃ! 違う、本当に違うんだ! ウィッチ!!
プリースト、バルバロイ! 君たちからも何とか言ってやってくれ!!」
「た、たとえ魔王様がいかな性癖を持っていたとしても、私の忠誠は揺るがない………。
いや、しかし、これは………」
「ふうむ、魔王殿。
人の趣味をとやかく言うつもりは無いが………せめて、後5年は待つべきであったな」
「だから………!」
おじさんは必死の形相で助けを求めますが、2人は目を背け何事か呟くだけです。
おじさんは孤独でした。
「ふふふ、魔王様。
魔女の情けです。せめて肛門にクリームを塗る猶予くらいはさしあげましょう」
「いやぁ! ズボンを脱がさないで!!
誰か、本当に助けてくれ!!」
屈強な大男に両手を抱えられたまま、おじさんは絶望の叫びを屋敷中へと響き渡らせるのでした。