第20話 王国の剣(上)
王都は、王宮を中心に多くの街が連なり、その周囲を堅牢な城壁で覆われている。
城壁の西側には巨大な門扉が置かれ、王都と外を繋ぐ大正門となっていた。
しかし、彼らが集結したのは大正門の反対側。
王宮の背後へ秘匿するように造られた粗末な裏門の前であった。
スオウが率いる、総勢2800名の魔王討伐軍。
本日より、魔王たちを倒さんと王都を出立する戦士たちである。
本当であれば大正門から大見得をきって出たいところであるのだが、生憎、この部隊はスオウの私兵という扱いな上、こっそりレイアード将軍から拝借した正規軍まで交じっている。
とても正門から出られるものではない。
そんな理由からスオウたちは、人目を憚るようにこの裏門へ集結したのである。
「フクツ殿、ジンギ。各々出立の準備はいいか?」
スオウは集まった戦士たちを見下ろしながら、二人の仲間へ確認する。
「ええ。元防衛連隊800名、みな問題なしです」
「バンディッドの冒険者1000人も問題なしですぜ!
まあ、素性には問題がある奴ばかりですがね………」
スオウの言葉に対し、フクツとジンギが返事する。
フクツには元防衛隊、ジンギには冒険者たちの取りまとめを一任することにしている。
諸々、部隊長のようなものだ。
期せずして3000近くまで膨れ上がった魔王討伐隊。とても一人でまとめきれるものではない。
二人の返事にスオウが頷いて見せたところ、更に二人の影から元気な声が響いてくる。
「はい! 王国正規軍1000名も問題なしです!
いつでも魔王を倒しにいけますよ! スオウ様!!」
それはスオウにとって聞き慣れた者の声。
スオウにとって腹心と言えた騎士、ユウキ・カスタードである。
「ユウキ!?
お前、どうしてこんなところにいるのだ!?」
「何を仰います!?
私はスオウ様の腹心!
スオウ様が向かう先、常に私ありです!」
フクツの脇からにょっきりと生えるように顔を見せたユウキへ、スオウは困惑してしまう。
「そんなこと言ったってお前……騎士団はどうした?」
「辞めました!
カシムの野郎に離団届を投げつけてやりましたよ!!」
「辞めただと………?」
屈託の無いユウキへ、スオウは頭を抱えてしまう。
ユウキが自分を敬愛していることは知っていたが、自分についてくるため、まさか騎士団まで辞めてしまうとは思わなかった。
こいつ、今後どうやって生きていくつもりなのだろう?
頭を抱えたまま顰め面を見せるスオウを、ユウキはおずおずと不安そうに見上げる。
「あの……スオウ様。
もしかして、私を魔王討伐隊に加えて頂けないのでしょうか?
それだと私、無職になってしまうのですが……」
いきなり怪しい雲行きに恐々とするユウキへ、切羽詰った表情でセイギが駆け寄っていく。
「ち、ちょっと待って下さい!
ユウキ様、話が違うじゃないですか!?
僕まで騎士団辞めさせちゃって、どうしてくれるんですか!?」
「うるさい、セイギ!
お前だって「カシムの下に就くくらいなら、騎士団を抜けた方がマシだ」って言ってただろう!?」
予想外に頭を抱えてしまったスオウを見て、セイギが狼狽したようにユウキへ訴える。
ユウキ・カスタードとセイギ・ファルケイン。
『誇り高き英雄の騎士団』に所属していた二人であるが、スオウが魔王討伐に向かうと聞き、職を捨て駆けつけたのである。
「ス、スオウ様! 私はこれでも先月魔王調査隊を率い、フクツ殿を助けたという実績があります!
是非、隊列に加えるべき人材であると……!」
「ぼ、僕も! ……その、料理とか得意です!
あと、洗濯が早くて綺麗だと、団員たちから評判で―――」
「もういい、わかった。
仕方ない奴らめ………」
なおも食い下がる二人へ、スオウは深いため息と共に頷く。
「私としても、お前達を路頭に迷わせては心が痛む。
ついてきたいなら、好きにするがいい」
「本当ですか!?」
「な!? だから言ったろ、セイギ!」
「騒々しい。少し静かにしないか」
小躍りせんばかりに喜ぶ二人の若い騎士へ呆れていると、フクツが含み笑いを浮かべながら肩を叩いてきた。
「流石、スオウ殿。部下たちから慕われているようですな」
「これは慕うというより、妄信しているだけですよ………。
せっかく騎士という役職を持っていたのに、自ら投げ捨てるなど何と勿体のない………」
「あれー、旦那がそれを言っちまうんですかい。
自分は騎士団長の役を放り投げた癖に?」
「うぐ……」
そう言われてはぐうの音も出ない。
含み笑いのフクツと煽るようなジンギから目を反らし、スオウは気を取り直すように咳払いすると集まった戦士たちへ声を張り上げる。
「と、とにかく。
戦士諸君、よく集まってくれた。
先ず、私の話を聞いて欲しい!」
スオウの激と共に、ざわめいていた戦士たちが静まり、各々スオウへ視線を向ける。
スオウは戦士たち見回し、威風堂々と声を張り上げた。
「すでに説明は受けているだろうが、我々が打倒するのは魔性の者たち。
人数こそわずか4人であるが、奇怪な術を操り、海岸都市や周辺の村々を壊滅させた恐ろしい一味だ。
決して油断しないように!」
スオウの言葉に対し、戦士たちは思い思いに表情を変える。
正規軍たちは、それがどこまで真実かと少し怪訝な表情を浮かべ、冒険者はそもそも興味が無いというように聞き流し。唯一、魔王たちの異形を知る防衛隊は固く顔を強張らせる。
(ふむ……やはり統率に些か問題があるな……)
そんな戦士たちを見回し、スオウは内心で憂いを抱く。
魔王討伐の為に集ったといえ、出所も立場もバラバラの戦士たち。
彼らを一個の軍団として従えるのは至難を極めるだろう。
「王国は正式に兵を派遣出来ないと判断した。
それもある意味、仕方ないことだろう。
王国とて、諸君らと同じように魔王の実在へ疑念を持っている。
だが、あえて言わせてもらおう!」
スオウは腕を振り上げ、咆哮のように宣言する。
もともとの巨体に、精悍な姿仕草。
太陽を背にした彼は、まるで赤金の獅子のようだった。
「魔王の存在を信じようと信じまいと、海岸都市が崩壊したのは紛れなき事実!
王国はいま、存亡の危機に瀕している!
この国の未来は、諸君の働きにかかっている!
元防衛隊に正規軍、そして冒険者。
各々、元の役職は違えど今は同じ志を持つ仲間。
どうか、私に力を貸して欲しい!
諸悪を打倒した暁には、国中が諸君を英雄として讃えるだろう!!」
スオウの宣言に対し、戦士たちから歓声が上がる。
立場は違えど彼らにとって、ヴーロートは王国が誇る英雄の一族。
その当主であるスオウの配下となれば、いきおい士気も高くなる。
それに紛争が終わり、やることと言えば魔女狩りや、エルフ弾圧ぐらいしかない昨今。
強大な敵の存在は戦士たちにとって、名を馳せる絶好の機会でもあった。
「やっておるようですな」
俄かに活気付いてきた戦士たちの中から、一人の老人が姿を現す。それはスオウにとって恩人とも言える老将であった。
「レイアード将軍?」
「ヴーロート団長が発たれると聞き、出立祝いに駆けつけましたぞ。
しかし、流石はヴーロートの御当主。
この短期間に、よくこれだけの戦士を集めましたな」
レイアードはかかかとスオウに笑いかける。スオウはそれに恐縮してしまった。
「滅相も無い。彼らは将軍やフクツ殿のお陰で加わってくれた者がほとんど。
それにヴーロート団長という呼び方はおやめください。
今や私は騎士団を抜け、浪人に過ぎぬ身です」
そう言って苦笑するスオウへレイアードは面白そうに問いかける。
「それではスオウ殿。誇り高き英雄の騎士団の名を使わぬなら、この義勇軍をどうお呼びすべきかな?
正規軍でも、私兵でもない。
ここに集った者たちの総称は?」
「む……」
レイアードの問いかけへ、スオウは黙り込む。
自分たちの総称? そんなもの考えてもいなかった。
どうしたものだろうか……魔王討伐騎士団?
しかし、それではあまりにも無骨に過ぎる気がする……。
スオウは考え、そして思いついたように一つの単語を呟く。
「……剣」
「つるぎ?」
「僭越ですが……祖父の異名を取って『王国の剣』。
これから我々は魔王討伐騎士団『王国の剣』と名乗りたく思います」
スオウの答えを受け、レイアードは満面の笑みを浮かべる。
「『王国の剣』か………よいではないですか。
貴方を見ていると、騎士団長就任前のクリムゾンを思い出す。
奴もかつて、郎党を率いては反逆者たちと戦っていたものです」
「ははは……」
スオウは少し照れたように口元を緩める。
自分が生まれる前に戦死した祖父のことはあまりわからないが、ヴーロートきっての大英雄として知られる祖父と重ねられることに、悪い気はしない。
「おおい! お前ら聞いたかぁ!?
今日から俺たちは魔王討伐騎士団『王国の剣』だからな!
今後、所属を聞かれたらそう答えるんだぞ!!
騎士を名乗れるなんざ、大出世だぜ!!」
ジンギが大声で冒険者たちへと叫ぶ。
冒険者のジンギたちにとって、仮初めとは言え『騎士団』を名乗れるのは喜ばしいことに違いない。
ジンギの声に対し、冒険者たちからも喝采が上がり始めた。
レイアードはそんな騒ぎに目を細めつつ、思い出したように従者へ指示し荷物を持ってこさせる。
「おっと、忘れるところであった。
実はスオウ殿に餞別がございましてな」
「餞別?」
レイアードはにやりと笑い、荷物の中から一着のコートを取り出した。
「これだけの軍団を率いる以上、旗印となるものが必要でしょう?
急ごしらえゆえあまり数は造れなかったが、一張羅と団旗を用意させてもらった」
そう言ってレイアードが広げたのは一着のモッズコート。
形はスオウが身につけている騎士外套と似通っているが、レイアードが広げるそれは明るい山吹色を基調として作られており、背に何か紋章が描かれている。
「この紋章は……」
「偶然であったのだが、クリムゾンの異名『王国の剣』を名乗るなら、これほど相応しい旗印もないでしょうな。
いや、我ながら己の慧眼に恐れいるわい」
コートの背に描かれた紋章。
それは『誇り高き英雄の騎士団』が持つ兎足とは違うもの。
煌々と照りつける太陽と、猛々しく咆哮を上げる金色の獅子の絵姿。
それは騎士団が創設されてから久しく、日の目を浴びることの無かった一族の家門。
太陽を背にした金獅子――英雄ヴーロート一族の紋章である。
「これはいい!
正直、辛気臭い兎足には嫌気が差していたんです!
将軍閣下、私の分もあるでしょうか!?」
それを見納め、ユウキが子供のように目を輝かせて問いかける。
「いや、このコートは一点ものじゃ。
その代わり、ほれ。同じ絵柄の団旗は沢山造ってあるゆえ」
「ええ。スオウ様の分だけですか!?
私も同じコートを着たかったのに………」
「こらユウキ! お前、レイアード将軍に向かって何と失礼な!」
「痛っ!」
不満げに口を尖らせるユウキへ、流石にスオウの拳が飛ぶ。
「すみません将軍……どうもこやつめ、浮き足だっているようで」
「構いませんよ。
それよりスオウ殿、さっそく着てもらいたいのだが」
「それでは失敬して――」
スオウは早速、受け取った外套を着込んでいく。
急ごしらえの割りに寸法は合っているようで、該当はピシリとスオウの体に一致していた。
「どうでしょう?」
「よくお似合いですぞ。
あの野暮ったい騎士外套より、よっぽどスオウ殿に相応しい」
目を細めてそう喜ぶレイアードに、スオウははにかんだ笑みを浮かべる。
「スオウ殿。そろそろ出立致しましょう。
あまりここに留まっていては、国王陛下の目に付いてしまうかもしれん」
「あ、ああ。そうだな」
すでに馬へ跨り、いつでも出れる態勢のフクツに答え、スオウもまた馬に跨る。
そして、馬上にて王国の剣たちに大号令を発した。
「それでは『王国の剣』諸君!
これより我らが向かうのは産業都市。
彼の都市は山間に位置し、向かう道程も困難を極める。
各々、くれぐれも注意して進軍するように!!」
「おおぉ!!」
スオウの号令に答え、戦士たちから咆哮が上がる。
出立式も無く、見送りさえ無に等しい出陣であるが、彼らの目に憂いは無い。
亡都市の復讐、名を上げる好機、生活の糧、一人一人によって動因こそ違うものの、魔王討伐という一念において、彼らはスオウと思いを同じくしている。
戦士たちの士気が低くないことへ密かに安堵しながら、スオウは最後にレイアードへ振り返った。
「それではレイアード将軍。
数々のご支援、ありがとうございました。
私が戻ってくるまで、王国のことをよろしくお願いします」
『それじゃあ、フリッツ。
俺、行って来るから。
俺が戻ってくるまで、国の守りは任せたぜ』
「……!」
「レイアード将軍?」
突然目を見開き硬直したレイアードへ、スオウは怪訝な表情を浮かべる。レイアードはそれへ苦笑いと共に手を振ってみせる。
「い、いや、何でもございませぬ。
スオウ殿、気をつけて行きなされ。
必ず無事、王都へ戻ってくるのですぞ」
「はい!!」
そんな返事と共に。
スオウは馬の腹を蹴り、土ぼこりと共に城壁の外。
王都の外へと向かっていく。
彼に従うは『王国の剣』
兵、戦士、冒険者、そして騎士を交えた総勢2800名の混成部隊である。
それは王国が始めて抜いた、魔王への剣であった。
「まったく、ワシとしたことが……」
そんな彼らを見送りながら、レイアードは自嘲するように呟く。
「まさかここまで、貴方とクリムゾンを重ねてしまうとはな……。
これだから、齢はとりたくないのだ」
フリッツ・レイアード。
かつて『王国の盾』としてクリムゾンと比類した老英雄である。
数々の死闘を巡り、数多くの仲間たちの死を看取りつづけてきたその英雄は、小さくなっていくスオウの背へ言葉を続ける。
「しかしスオウ殿。あなたはクリムゾンのようになってはいけませんぞ。
必ず、生きて王都へ帰ってきなされ。
この国にはまだ、貴方のような人物が必要なのだ……」
◇
「国王陛下、スオウ・ヴーロートが王都を発ったようです!」
「喧しいわ!!」
伝令が伝えたそんな報告。しかし国王はグラスを投げつけることでそれに応じる。
「へ、陛下……?」
「スオウが何だと言うのだ!?
貴様ら、あんな奸臣がいなければ何も出来ぬという訳ではあるまいな!?」
「そ、そういう訳では……」
国王は苛立っていた。
何故、スオウは騎士団長を辞めたりした?
グレンがあれだけの狼藉を働きながら、寛容な精神で受け入れてやった自分に対し、何故歯向かうような真似をする!?
事実上の反逆行為ではないか!
国王はギリギリと歯を噛み締める。
此度スオウが行った、騎士団の離脱と出立。国王はそれを裏切りのように感じていた。
そもそもヴーロートという連中はそうなのだ。
クリムゾンもカーマインも、勝手な正義で自分の意に反したり、逆らったりしてみせる。
あの一族で唯一言いなりになったのは、あのグレンくらいである。
「陛下……落ち着いてください。
あまり気を昂ぶられてはお体に障ります」
目に見えて激情に駆られている国王へ、伝令は声を上げる。
国王が激情家なのは若い頃からであるが、今の年老いた体では己の激昂を御することが出来ず。
最近は癇癪を起こす度に卒倒する姿が散見されていた。
労わるように体を支える伝令を突き飛ばし、国王はますますの興奮を持って叫び声を上げる。
「失せろ!!」
「しかし――」
「失せろと言っているのだ!!!」
「し、失礼しましたぁ!」
憤怒相の如く怒りを露にする国王へ、伝令はわたわたと逃げ去っていく。
こんな所で怒りを買っては叶わない。
再び一人に戻った国王は、玉座の上で頭を抱えてしまう。
「何故だスオウ。
何故、お前はワシに逆らう?
お前はいったい、何を考えているのだ……」
国王は独考する。しかし、どんなに考えてもスオウの考えがわからない。
スオウから聞いた『魔王』という言葉など、国王はもう覚えていないし、そもそも最初から彼の話など聞いてもいなかった。
そんな国王にとって、スオウの出立は意味不明にもほどがあるものだったのだ。
「悩んでいるようだな、国王」
そんな彼へ一つの声がかけられる。
それは王である彼に対し、無礼にもほどがある物言いであったが、国王はまるで救いの神に出会ったように歓喜の表情で、声の主へ振り返った。
「フェイト殿!!」
「よぉ」
声の主――フェイトは横柄に手を振ると長机に腰掛け、国王へ顎をしゃくってみせる。
「それで国王よ。
何やら思い悩んでいるようだが、どうかしたのかね?」
「そうなのです!
スオウの奴め、このワシを裏切りおって。
ワシがこれまで、どれほどお前に目を掛けてやったと―――」
「まあ、落ち着け。
そんないきなり話されてもわからん。
ちゃんと順序立てて説明するのだ」
机の上でえらそうにふんぞり返るフェイトに対し、国王は懸命にスオウが自分に逆らったこと、勝手に騎士団長を辞め、どこぞに出立したことなどを説明する。
フェイトはそれへつまらなそうに頷きながら、適当に聞いているようだった。
国王が初めてフェイトに出会ったのは20年ほど前の事。
あのグレンによる大反逆が起こった直後のことである。
グレンの影に怯え、眠れぬ夜を過ごしていた国王の前に、まるで影から湧き出るようにこのフェイトが現れ「お前の力になってやる」と言ってきたのだ。
以来、フェイトは国王の相談役となり、今日のように時折訪ねて来てくれる。
「なるほど……つまりその、ヴーロートの現当主が出奔したと言うことだな?」
「そうなのです。あいつめ……ワシから受けた恩を忘れおって……!」
「貴様……王の癖に配下の一人も御せんのか。
何と情けない奴だ」
「お恥ずかしい……」
フェイトは常に横柄な態度であったが、国王がそれに怒りを覚えたことはない。
何故か、彼には歯向かう気が起きないのである。
フェイトの指示にさえ従っていれば何も間違いはない。
どこか妄想めいたそんな考えを、国王は信じきっていた。
ひとしきり不満を捲くし立てたあと、国王は心配そうにフェイトへ問いかける。
「それで……フェイト殿。私はどうしたら良いのでしょう?
あのスオウ奴を、どうすれば思い知らせてやれるのでしょう?」
国王の問いかけへ、フェイトはつまらなそうに首を振る。
「そんなやつ、放っておけばいい。
たかが数千の人間に、何が出来るというのだ」
フェイトはそう言って机から降りると、少しだけ含み笑いを浮かべる。
「それに、スオウ・ヴーロート……グレンの甥か。
奴の目的は十中八九、魔王の首。
だとしたら、なかなか面白いことになるかもしれん」
「フェイト殿……?」
怪訝な様子で目をぱちくりとさせる国王に対し、フェイトは話を切り替えるように大手をふってみせる。
「そんなことより国王よ。足元に注意した方がいい。
お前の側近に裏切り者がいるぞ」
「裏切り者!? またですか!?」
その言葉に、国王はうんざりとした声を上げる。
フェイトはたびたび、国王へ裏切り者の存在を教示してきた。
国王はこれまで彼に言われるがまま、王宮の武官や政官、果てはブルトやオーリンのような実子さえも粛清してきたのである。
国内の不穏分子をあらかた片付けたと安堵した矢先、新たな反逆者の存在を告げられ、国王は疲れ果てたように肩を落としてしまう。
初めて会った頃に比べ、すっかりやつれ果てた国王にほくそ笑みながら、フェイトは言葉を続ける。
「兵員の動向をよく確認しておくがいい。
そうすれば、その裏切り者の名もおのずと知れるだろう」
「はい! ありがとうございます!!」
国王はフェイトへ深く頭を垂れる。
再び彼が顔を上げた時、フェイトはもう影のように跡形も無く消え去っていた。
◇
翌日、王宮内にある兵員管理施設。
そこに突如、国王が怒り心頭といった様子で押しかけてきた。
「へ、陛下!? こんなところへ何用で!?」
「どけ!!」
近衛に当たっていた兵士を突き飛ばし、国王は施設内の資料をひっくり返す。
この施設では王国兵士の管理―――現状の兵員がどのように配置され、どのような任務に当たっているか事細かに記録されている。
最新の記録から丹念に確認していった国王は、すぐに不審な記載を見つけ出す。
王国正規軍第8師団、第5歩兵隊1000名。
彼らは現任務が『特例委任』という文字によって記され、現在どこにいるのか、何をしているのか不明瞭となっていたのだ。
特例委任?
そんな指示、自分は出していないし、これまで出したこともない。
国王は記録を開き、近衛兵に怒鳴り声を上げる。
「貴様、この第5歩兵隊はいま何をしている!?
どこにいるのだ!!?」
「その記載だけでは、私にもわかりませぬ!」
「この無能が!!
誰だ!? 誰がこんな許可を出した!!」
まだこの施設に配属されて日の浅い近衛兵は、国王の怒りに震え上がる。
いきなりそんなことを言われても、兵員の任務変更など日に何件もあるのだ。
その一つ一つを直ぐに思い出すことなど出来ない。
「言え! 言わんか!!
この馬鹿者がぁ!!」
「なっ!?」
狼狽する近衛兵に対し、国王の怒りは頂点に達してしまったらしい。
彼は震える近衛兵へ馬乗りになり、何度もその顔面を殴り続ける。
国王の拳によって兵の顔面が倍くらいにまで膨れ上がったころ、兵は命乞いをするように叫び声をあげた。
「お、お止めくらはい!
思いだひた!
思いだひましたぁ!!」
このままでは殴り殺されてしまう。
兵は死に物狂いで記憶を探り、悲鳴のようにその名を叫ぶ。
「将軍!
レイアード将軍です!!
たしかレイアード将軍が、兵を工面すると言って許可を出しまひたぁ!」
「レイアードだと………?」
兵の訴えに対し国王は一瞬だけ沈黙する。
しかし、みるみる内に顔面を赤く染め、目を血走らせていった。
「裏切り者は貴様かぁ! レイアードぉ!!」
「がはっ!!」
怒りのまま兵の顔へ拳を埋め、国王は絶叫する。
それは王宮に務める兵士たちにとって、聞き慣れた怒りの叫び。
この叫びが起こった日、高官の姿が消えるのが王宮の常であった。
かつて『王国の盾』として、王国に高名を轟かせた老英雄フリッツ・レイアード。
彼の命運はこの時、まさに尽きたのである。
レイアードが反逆者として拘束されたのは、それから三日後のことであった。