第19話 王国の病
「それで、相談ってのは何だ?」
アラン皇太子の私室。
アランと向かい合わせに座ったスオウは、強張った表情で問いに答える。
「ルビーとアテナ、それに母上……私の家族を、他大陸へ移住させて欲しい」
「他大陸?」
アランは怪訝な表情を浮かべる。
他大陸と王国は多少の交流があると言え、確かな国交がある訳ではない。
複数の国や種族が住んでいることは知られているが、王国にとって他大陸は未知の地であった。
そんな場所へ家族を移住させるなど、島流しのようなものである。
「何だって他大陸なんぞに?」
「………今回の遠征によって、私は国王陛下から不信を買っている。
陛下なら、見せしめとしてアテナたちを処刑しかねん。
もはや、この大陸に安全と言える場所は残っていないのだ」
「………」
スオウの言葉に、アランは固く押し黙る。
ある意味、国王に逆らって遠征に赴くスオウ。そのあてつけとして彼の家族を処刑する。
あの父なら、本当にやりかねないことだ。
確かに、そうなれば大陸のどこへ行っても無駄だろう。
国王は一度殺すと決めれば、草の根を分けてでも必ず見つけ出して処刑する。
父の執念深さと執拗さを、アランは嫌というほど知っていた。
「頼む、アラン。
無茶は承知だが、私は叔父と同じ轍を踏みたくない。
どうか、この通りだ!」
スオウは椅子を降り、アランに向かって土下座する。
自分が不在の間に妻や娘、家族を殺されてしまう。
そんなこと、スオウには決して許容出来なかった。
「………」
しかし、アランはそんなスオウを見下ろしたまま無言を守る。
いかに皇太子と言え………いや、皇太子だからこそ、アランにとって国王は脅威である。
ヴーロートの親族を逃亡させたなどと知られたら、アランとて国王から責めを免れない。
ブルトとオーリン、アランの兄二人は反逆罪に問われ処刑されてしまった。
自分の意に沿わぬものは、たとえ息子であっても容赦しない。
国王ナランハ・アウランティウムは、そういう男だ。
「ちっ………仕方ねぇな」
それでも、アランはスオウの頼みを断る気になれなかった。
スオウもそうだが、ヴーロートの一族とは職務を越えて親しくしてきた。
ルビーやアテナ、ローズたちは彼にとっても大切な人々である。
「わかった。わーったよ、スオウ。
他大陸移住の件、俺に任せろ」
「引き受けてくれるのか?」
「ああ、どうにかしてやる。
その代わり、目的を果たしたらすぐに連れ戻すんだぞ?」
「すまない………」
「まったくだ!」
アランは顰め面をしながらも、どこか楽しそうにそう答える。
アランにとってスオウは、猜疑と死が跋扈する王宮を共に生き抜いてきた親友。
そして、親友のためなら、たとえ自らの命でもかけてみせる。
皇太子アラン・アウランティウムは、そういう男であったのだ。
◇
「それで、お前はいつ王都を立つつもりなんだ?」
再び椅子に掛け直したスオウへ、アランが思い出したように問いかける。
「七日後………残雪が完全に消えたら出立しようと思っている」
「七日後か………それならちょうど良かった。
お前に渡そうと思っていたものがあるんだ」
アランは悪戯っぽい笑みを浮かべると、机の引き出しから一枚の紙を取り出し広げてみせる。
「それは?」
「王国派遣軍の正式な認定証。
こいつがあれば、各都市の領主から協力を得られるだろう。
餞別だ、受け取れ」
「認定証だと!?」
スオウはその認定証を受け取り、丹念に文面を確認する。
それは紛れも無く、本物の認定証。
文末には国王ナランハの署名と国王印が押されていた。
「陛下がこれを発行してくださったのか?」
「あの親父がそんなことするわけねーだろ?
俺が偽造した」
「偽造!?」
困惑するスオウへ、アランは事何気に答える。
確かに皇太子たるアランであれば、国王印に触れることも出来るだろう。
しかし、それはあまりにも―――
「危険な橋を渡るな………露見したら首が飛ぶぞ?」
「お前に言われたかねーよ!」
そう言ってアランは豪快に笑ってみせる。
この認定証があれば、スオウたち2800の兵は正式に「王国派遣軍」を名乗ることが出来る。
都市防衛を行う上で、大きな助けとなるだろう。
数々の助力に対し、スオウは頭の下がる思いであった。
「先日は………すまなかったな、アラン。
私としたことが、頭に血が上ってしまっていた。
お前やレイアード将軍に、本気で怒りを持ってしまった」
「………」
頭を垂れるスオウに対し、アランは不意に笑みを納め表情を強張らせる。
そして、真剣な眼差しでスオウを見つめ、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「魔王の正体が、グレン・ヴーロートだって話。
俺もレイアード将軍から聞いたよ」
「………」
「ここまで協力しておいて何だが………俺は今でも、魔王なんて話。眉唾ものだと思っているぜ?
だってそうだろう?
グレンは20年前、お前が倒したんだ。
死んだ者は決して蘇らない。
俺もレイアード将軍と同様、お前がグレンの亡霊に憑かれていると思ってる」
「………それでも、構わない」
頷きながらも、視線だけは決して落とさず、スオウは答える。
アランは肩を竦め、諦めたように言葉を続ける。
「まあ、仮に魔王なんて奴が居たとしても、騎士団の派遣なんて出来ねぇけどな」
「何故だ?」
「考えてもみろ。騎士団の派遣なんぞすれば、王国に乱れがあることを内外に晒しちまう。
この国が乱れることを、手ぐすね引いて待ってる連中がいるのさ」
アランは机の上に地図を広げ、その一箇所を指で示す。
彼が示したのは大陸中央に位置する大森林。
五大都市の一つ『遠隔教団領』と隣り合う形で広がる、エルフ族の生息地であった。
「先ず、この大森林に居るエルフ族。
奴らとは未だ交戦中だ。
今は聖戦士部隊が事実上制圧しているが………虎視眈々と領地拡大を狙っているだろう」
かつて、大陸の覇権を握っていたエルフ族。
人間族を圧倒する長寿と、それによって培った技巧の力を持つ戦闘種族である。
ヴーロート家初代当主ヴォルカン・ヴーロートの活躍によって大森林へ追い込まれたものの、その戦意は未だ衰えず、遠隔教団領において散発的な戦闘を繰り広げていた。
アランはそのまま指を動かし、今度は大陸南方の海を示す。
そこには一つの島が描かれていた。
「次に、この島………元皇国に居住するドワーフ族。
今は正式にウチの属国となったが………奴ら腹の内で何を考えているかわからん。
ドワーフ系移民に不審な動きがあるという噂も、よく聞くしな」
大陸の南方に存在するドワーフたちの島。
かつてドワーフ族はそこに『皇国』という国を造り、王国に劣らぬ繁栄を誇っていた。
しかし10年ほど前、皇国は国内で麻薬が蔓延し、著しく国力を落としてしまう。
王国は疲弊した皇国を救済するという形で属国化し、ドワーフ族を『蛮族』として王国二等市民に加えたのであるが、ドワーフ族の中にはそれに抗おうとする分子もいるらしい。
そういった者たちにとって、王国の動乱はまたとない機会に映るだろう。
アランは最後に地図全体へ手を翳すと、ため息混じりに言葉を続ける。
「最後にアルカナ・マギアの残党………魔女共。
奴らめ、アルカナ・マギア崩壊直後は静かだったものの、近年、大陸各地でテロ活動を続けている。
どこぞに本拠地があるのだろうが、皆目見当がつかん」
そして、王国にとって最も脅威となる勢力は、この魔女たちである。
魔女撲滅運動によって、王都内の魔女はほぼ一掃したものの、未だ魔女による破壊活動の報告が絶えない。恐らく、魔女たちはどこかの別都市へ本拠を移しているのだろうが、その所在は全くわからなかった。
魔女たちの魔術は、脅威であると同時に有用なものだ。
他の都市や街が、その力と引替えに口を噤んでいるのは間違いない。
中には、王国に隠れてアルカナ・マギアへ恭順している都市もあるだろう。
「気をつけろよ、スオウ。
エルフ、ドワーフ、それに魔女。
奴らは王国の転覆を今か今かと待っている」
「分かっている………」
重々しいアランの言葉に、スオウは頷いてみせる。
今は王国が大陸の覇権を握っているが、それは国王の強硬方針によって無理矢理掴み取ったものだ。
一度パワーバランスが崩れてしまえば、彼らは先ずこの国へ牙を剥くだろう。
だからこそアランは、騎士団の派遣―――名実共に王国の動乱を認める行為へ、反対していたのだ。
アランは一つ息を吐くと、気を取り直すように笑みを浮かべてみせる。
「それで、お前は先ず、どこへ行くつもりなんだ?」
アランの問いに対し、スオウはゆっくりと地図の一箇所を指し示す。
それは大陸の南側、険しい山間の地に造られた五大都市の一つ。
王国にとって絹織物、製鉄品などの主要生産地に数えられている『産業都市』であった。
アランはそれを見つめ、げんなりと顔を顰めてしまう。
「よりにもよって産業都市かよ………お前、俺の話を聞いていたのか?」
「しかし、魔王たちが次に狙うとしたら、間違いなく産業都市だ。
この都市は海岸都市に近いが、辺境に造られた山岳の街。それでありながら、主要産業の要となる王国の工場となっている。
ここを失えば、王国の国力は著しく衰退するだろう。
私が魔王なら、間違いなくここを狙う」
「お前の意見は分かるが、産業都市か……うーむ」
アランの一瞬浮かんだ笑みは、直ぐ苦渋に掻き消されてしまう。
王国にとって、この産業都市は特殊な立ち位置にある都市だった。
武器や他製品の産地として繁栄する『産業都市』
その住民は9割以上がドワーフ族によって構成されていた。
ドワーフ系移民、通称『蛮族』
皇国がかつて持っていた技術力を徴発する形で、王国へ移住させてきたドワーフ技術者たちの街である。
街の設立は10年弱と短いながら、彼らの生産する武器や絹織物は王国の主要貿易品の一つとなっていた。
しかし、前述の通り、ドワーフ族の中には少なくない不穏分子が存在する。
彼らが喜んでスオウに協力するか、アランには甚だ疑問であった。
「俺の渡した認定証………あまり役にたたないかもしれねーぞ?」
「まあ、その時はその時だ」
困り顔でため息をつくアラン。スオウはそんな親友へ朗らかに笑うのだった。
◇
「と、いう訳で次はこの産業都市を滅ぼす予定なんだけど、みんなどうだろう?」
魔王は円卓に集まった魔人たちへ視線を送り、意見を求める。
彼が次の標的として産業都市を選んだことに深い理由は無い。
ただ定石どおりに事を運ぶなら、次はこの産業都市というだけだった。
「よろしいのではないですか?
五大都市の一つとは言え、交易都市や遠隔教団領に比べ、産業都市の戦力は微弱だ。
海岸都市を滅ぼした我々なら、造作も無く壊滅できるでしょう」
「私も賛成!
ってか、この間のアレでグールの数が増えすぎちゃったから、少し減らしたい………」
「私も賛成です!」
「オ゛ォ!」
プリーストは思慮深く、ウィッチは適当に、ルージュはよくわからないまま、そしてアカネが唾液を撒き散らしながら、賛成の意を述べる。
魔王の体調も完全に回復したいま、特に手をこまねいている理由も無い。
大陸の破滅、という目的に向けて真っ直ぐに突き進むべきである。
「…………」
しかし、そんな魔人たちの中でただ一人、無言を守る男が居た。
いつもなら真っ先に賛成するはずのバルバロイが沈黙しているのだ。
「バルバロイ殿?」
「ばるさん、どーしたのですか?」
不思議そうな顔のプリーストとルージュへ目配せし、ウィッチが小声でこそこそと口添える。
「ほら、産業都市ってドワーフ族の街でしょ?
だけど、バルさんって………」
「余計な気を回すな、ウィッチ」
ウィッチの言葉を遮り、バルバロイが憮然と口を開く。
「昂揚して言葉を失っていただけだ。
あの産業都市を滅ぼせるならば、それこそ願ったり叶ったりというものよ」
「異存は無い、ということでいいのかい? バルバロイ」
「無論だ」
魔王の言葉にバルバロイが固く頷く。
バルバロイは魔人に堕ちる前、ドワーフ族の男だった。
ドワーフ族は大陸の南海に浮かぶ島を拠点として、繁栄を遂げた知的種族である。
その島は周囲の海流が激しく、航海術が発達するまで大陸とは断絶状態であった。
他種族との交流が少なく、しかし島内でそれなり規模を持っていたドワーフ族は独自の文化や思想、技術を発達させていく。
それによってドワーフ族は次々に数を増やし、島の各地へ集落を築かれる。集落は人口の上昇と共に村落へ変わり、そして村落が集まって都市へと変わっていく。
そして都市の人々が重なり、遂に一つの国家。ドワーフ族の国が建立された。
その国の名を「皇国」という。
皇国は近代まで、無名の国家であった。
激しい海流に囲まれ、島に入ることも、外へ出ることも易々とは叶わない。
大陸と断絶し、未開な文化を持つ国。
それが大陸から見た皇国の評価である。
しかし、そんな評価も航海術の発達と共に変貌していく。
ようやく国交が整った皇国。そこで大陸人が見つけたのは、ドワーフたちの優れた工芸品群であった。
特に大陸人たちが関心を寄せたのはドワーフたちが造った太刀―――通称『ドワーフ刀』
複数の鋼鉄を練り合わせて造られたその刀は「折れず、曲がらず、良く斬れる」と謳われ、エルフ族や魔女との紛争が耐えなかった当時の大陸にとって、是非手に入れたい代物であったのだ。
30年に渡るアルカナ・マギアの紛争。それによって、ドワーフ族は莫大な富を得ることになる。
皇国は一方で王国へ武器を売り、もう一方で魔女、そしてエルフたちへも武器を流す。
広がる戦線は皇国の財源となり、積み重なった憎悪がドワーフの富となっていく。
当時、皇国は小さな島国でありながら、王国並みの権勢を誇っていたのである。
そして、今から10年ほど前。
皇国は王国の植民国家に成り下がった。
ドワーフ族―――元皇国民は王国において二等国民『蛮族』の地位を賜り、辛うじて生活を続けている。
産業都市はそんなドワーフ系移民たちの都市。
王国の寛容な精神によって貰い受けた、ドワーフ族の都市であるのだ。
「くくく………」
「バルバロイ?」
不意に魔王たちへ、低い笑い声が届く。
見ればバルバロイが肩を震わせ、笑いを堪えているようだ。
笑うといえば、いつも豪快に笑う彼が、こんな忍び笑いを零すのは珍しいことだった。
「産業都市……ドワーフ族の都市。
王国の慈悲でようやく手に入れた、自分達の街。
面白い、面白いではないか」
魔人 蛮族
彼も魔性に堕ちる前、ドワーフ族としての名を持っていた。
その本名を日ヶ暮 弾蔵という。
バルバロイは感極まったように立ち上がる。
その手には彼の愛用するドワーフ刀、剛剣 胴太貫が握られていた。
「皇国の誇りを捨て、王国に追従する売国奴共め!
恥を知るがいい。
貴様らに剣鬼 日ヶ暮の恐ろしさ、もう一度思い知らせてくれるわ!」